日本の常識は世界の何とやら
その昔、もう前世紀ということになるのだるが、「日本の常識は世界の非常識」なんてことが言われて、ちょっとした物知りがものすごく増幅された物知り顔で知識をひけらかすのが流行った時代がある。竹村健一という人はそれで本を書いて儲けたりしていた。
まあ、どこに行ったってその土地特有のローカルルールがあって、「郷に入っては郷に従え」なんて言われているので、日本独特の習慣を「世界の非常識」と言って恥じる必要はまったくないと思う。とはいえ「外国でこれをやったら奇異に思われるから、ちょっと気をつけよう」なんていうような知識は、ないよりはあった方がずっといい。
さらに進んで、「日本も新しい国際的に一般化しているマナーを取り入れよう」なんてこともあっていいと思う。日本社会もここまで国際化してしまったんだから、そのくらいのことは当然だ。
そこで、日頃感じている「日本の常識、世界の非常識」を 「取り入れたい世界の常識」、「好き好きで選択したい常識」、「守り通したい日本の常識」 というものを挙げてみたいと思う。
まず、「取り入れたい世界の常識」 である。
- 電車で老人に席を譲る
私は電車で立っている老人を見かけたら、脊髄反射的に席を譲ってしまうのだが、最近は 「待てよ、俺も見かけは若いといっても、とっくに還暦過ぎたんだし……: なんて思うようになった。自分がさっと席を譲って周囲を見ると、どうみても 20代の連中が知らん顔で座っていたりして、かなりの違和感である。「席を譲るのが恥ずかしい」 なんて言うヤツがいるが、私には信じられないことで、譲らない方がずっと恥ずかしい。 - 鼻をすするぐらいなら、さっさと鼻をかむ
これも電車の中でムカつくことなのだが、隣に座ったやつに頻繁に (5秒に 1度ぐらい) 鼻をすすられると、もう不愉快でたまらなくなって、席を立って逃げ出す。日本人は人前で鼻をかむのを嫌がるくせに、鼻をすすることに関して無神経すぎる。欧米では盛大な音を立てて鼻をかむのは一度で済むから OK で、延々と鼻をすするのは忌み嫌われる。どうみても欧米方式がいいと、私は思う。 - エレベーターに乗ったら、まず 「開く」 ボタンを押す
日本人の多くはエレベーターに乗ったら条件反射のように 「閉じる」 ボタンを押したがる。後ろを確認することもせずにそれをやるから、続いて乗る人がぎょっとする。先に乗ったらまず、「開く」 ボタンを押し、続いて乗る人がいないのを確認して 「閉じる」 ボタンを押すべきだ。まあ、日本のエレベーターは 「閉じる」ボタンを押さないといつまでもドアが閉まらなくてイラつくという事情もあるが。
次に、「好き好きで選択したい常識」
- 料理に砂糖を入れるか入れないか
料理に砂糖を入れるというのは、多分世界的にみると 「えっ!」 と驚かれるほどの特殊なレシピである。砂糖はケーキやコーヒーに使うもので、フツーの料理に使うものではない。すき焼きなんかでも、肉を食うのに砂糖で味付けするなんていうと、外国人にはとても抵抗があったりする。まあ、我が家では佃煮以外の料理に砂糖を入れるなんてことは、絶対にない。 - 中元、歳暮
感謝の心をモノで表すというのは、悪いことではない。ただ形式のみに堕してしまうと馬鹿馬鹿しいものになる。我が家は中元、歳暮は最小限に抑えている。 - 飲み会
気のおけない仲間同士の飲み会は楽しいものである。ただ、上下関係に則った強制的な 「付き合い」 になってしまうと、それは苦痛でしかない。「付き合わない自由」 もしっかりと認めるべきで、さらに人のグラスに無理矢理酒を注ぐのも止めた方がいい。
最後に、「守り通したい日本の常識」
- 「行ってきます」と「いただきます/ごちそうさまでした」 を言う
「行ってきます」 「いただきます/ごちそうさまでした」 といった挨拶は、美しい習慣である。英語にはこれに一致する言葉がない。この習慣は何はなくとも守り通したい。 - 家に入るときは、靴を脱ぐ
玄関で靴を脱ぐというのは、とてもいい習慣だと思う。湿度の高い日本の気候で、ベッドから出て入るまで靴を履きっぱなしというのは、考えるだけでうんざりする。多分、湿度の低いヨーロッパでも、本当は室内では靴を脱ぐ方が快適なはずだ。 - 初詣をする
日本人は 「自分は無宗教」 なんて言いたがるが、正月に初詣をしたり、仏式で葬式や法事をして、盆や彼岸に墓参りをするというだけで、実は立派に宗教的である。こうした習慣は守り通したい。 - お辞儀をする
「お辞儀」 というのは、リスペクトの念を表現するのにとてもわかりやすいマナーである。ぺこぺこするのは見苦しいが、心を込めた礼は美しいものである。私は人を見送るときは、しっかりと最敬礼することにしている。 - 敬語を使う
私はしっかりとした敬語の体系がない庄内弁で育ち、物心ついてから意識的に学んだ。そのせいでことさらに思い入れがあるのかもしれないが、敬語はとてもいいものだと思っている。自然に敬語を使えるのは、素晴らしい文化だ。 - 麺文化
蕎麦を初めとして、うどん、そうめんなど、日本の麺文化をこよなく愛する私としては、絶対に守り通したい。「音を立ててすする」 なんていうのは異端中の異端かもしれないが、鼻をすするのとはわけが違うので、「世界があっとおどろくけったいな習慣」 として保持していきたい。
以上、もっといろいろなこだわりをもつ人もいると思うが、私としてはざっとこんなところである。
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コメント
僕はそばアレルギーで食べると死んじゃうんです
(´・ω・`)
食べられたら違う世界もあったかもしれません
投稿: ひろゆき王子 | 2015年8月18日 23:52
中国料理(特に上海料理)やタイ料理、ベトナム料理など、砂糖を使う国は珍しくなさそうですよ。
投稿: Hiro | 2015年8月19日 00:30
ひろゆき王子 さん:
蕎麦アレルギーは、本当に命にかかわることのようですね。
信州蕎麦食べ歩きツアーに参加している最中に蕎麦アレルギーが出て、呼吸困難になり、救急車で病院に運ばれて助かったという友人がいます。
その類いのツアーに参加するほど蕎麦好きだったのに、気の毒な限りです ^^;)
でも、そばがダメでも、うどんがありますよ。がんばってください。
投稿: tak | 2015年8月20日 17:48
Hiro さん:
調べてみたら、確かに、とくにベトナム南部では砂糖を使うようですね。でも、世界的にはやっぱりかなりの少数派でしょうね。
投稿: tak | 2015年8月20日 17:53
守り通したい日本の常識の特に最初の二点、賛成です。私はアメリカ暮らしおよそ30年ですが、「いただきます」と「ごちそうさまでした」はいまだに言いますし、「行ってきます」と「ただいま」はとてもいい習慣だと思います。
最近ではアメリカの家庭でも玄関口で靴をぬぐ家庭、だいぶ増えてます。なんと言っても掃除が楽ですもんね。「うちはアジアン・スタイルだから」とか言われたりします。
投稿: めぐみ | 2015年8月24日 12:25
めぐみ さん:
「いただきます/ごちそうさま」は、食事の前に長々と感謝のお祈りをするより簡単ですしね。
私のアメリカ人の知人も、家では靴を脱いでいるようです。
投稿: tak | 2015年8月24日 21:16
アメリカでも甘い味のスペアリブやバーベキューソースがあるらしい。テリヤキが好まれるとも。蜂蜜は砂糖ではないけど甘みをつける行為は同じと言えるんではないでしょうか。果物をつかったソースとか。梨を入れる焼肉のタレとかテンメンジャンを使う北京ダックとか。甘い料理は多いような気がします。
投稿: ほい | 2015年9月 7日 00:46
ほい さん:
ええと、決して「日本以外の国では料理に砂糖を使わない」と言ってるわけじゃないんですよ。
放っておくと「どこそこの国ではこれこれの料理に砂糖を使う」みたいなコメントがどんどんつくんじゃないかと、ちょっと冷や汗が流れてきました ^^;)
ただ、ちょっと言葉足らずでしたが、料理にやたらと砂糖を使いたがるのは、やっぱり珍しいと思うのですよね。
例えば、蕎麦つゆなんかでもやたらと大量の砂糖を使うのがスタンダードですが、私はそれが信じられなくて、自分で蕎麦つゆを作る時には、みりんすら入れません。
投稿: tak | 2015年9月 8日 16:12