人生に三角関数は必要か?
鹿児島県の伊藤祐一郎知事の 「サイン、コサイン、タンジェントを女の子に教えて何になる?」という発言が問題になっている。この発言だけを切り取って、ああだこうだというのは問題があるだろうから、朝日新聞の記事から拾ってみると、伊藤知事は次のようにも発言している。
「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」
「口が滑った。女性を蔑視しようということではない」
「サイン、コサイン、タンジェントの公式をみなさん覚えていますか。私もサイン、コサインを人生で1回使いました」
まあ、何となく言わんとしたことはわかるような気もする。彼は人生でそんなに使うこともない知識を必死に詰め込んでどうなるのだと言いたかったのだろう。自分だって使ったことは人生で 1度しかないというのだから、三角関数なんて大して必要のない知識だというわけだ。
こうしてみると、伊藤知事としては「女の子に教えてどうする?」ということより、「男だろうが女だろうが、どうせあまり役に立たないんじゃないか」と言いたかったのではないかという印象だ。自身も「人生で 1回」しか使ったことがないと告白しているのだから、
伊藤知事に女性蔑視的な考えが皆無とは言わない。少しは、というより、かなりその傾向はあるのだろう。「男だってあまり必要ないんだから、まして女には必要なかろう」といったニュアンスが濃厚なだし。
しかしそれより大きな問題は、彼が「物事を学習することの意義」を基本的にわかっていないということの方だと思う。
今回の件に関して言えば、三角関数の知識は他の知識と同様に、総合的にみて必要ないというわけではない。論理的思考力を高めるための道具としては、かなり有効なのだと思う。イメージでいえば、脳みその論理的思考力の容量をぐりぐりと押し広げてくれるのだと思う。
そうした意味においては、大学院の「文学科芸術学専攻」なんてところに身を置いていた私なんか、人生において直接的な役には立ちそうもないことばかり勉強してきた代表選手みたいなものである。ところが私自身の感慨としては、そのおかげでコクのある人生を送ることができているという実感があるのだよね。
というわけで、人生で直接的な役に立とうが立つまいが、物事の真理を知る喜びというものがあるってことを、伊藤知事はわかっていないのではないかと思うのだ。実はそれこそが「知の醍醐味」なのに。
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コメント
煎じ詰めれば、教養主義が廃れてしまっている、ということなのでしょうか。そうだとすれば残念なことです。
三角関数は手付かずなのですが、虚数いいっすよ、虚数!
残念ながら絶版のようですが、この本面白かったです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4315518611
投稿: 山辺響 | 2015年9月 1日 15:57
山辺響 さん:
ホーキング博士が、宇宙の始まりは虚数時間だったというようなことを言っていますね。
それが正解だとすると、「虚数は理論的にはあるが存在としてはない」 なんて呑気なことは言っていられなくて、「ある/ない」 ということに関しても、我々の考えを基本的にリセットしなければならないと思います。
投稿: tak | 2015年9月 1日 18:11
哲学の根本問題、存在論ですね。
投稿: 山辺響 | 2015年9月 2日 10:36
山辺響 さん:
むしろ、我々が「現実」と認識している世界こそが「虚」であり、認識不能の世界が「実在」であるということになります。
仏教哲学に通じるところがありますね。
投稿: tak | 2015年9月 2日 17:19
幸か不幸か というか 不幸にきまってるんですが 三角関数は ほぼ毎日使っています。
反面 小学校時代の 家庭科の授業とか、「鳴くよ鶯」とか「いいくにつくろう」は 高校卒業以来 必要としたことがないですね。
だからといって 「これらを 教えて何になる」とは 言いませんが。(笑)
花の名前を教えるといえば 「単子葉類ー双子葉類ー…―離弁花類―合弁花類」なんて呪文もありましたが こちらもきっと知事のお気には召さないような気がしますね。
投稿: Sam.Y | 2015年9月 2日 22:58
Sam.Y さん:
伊藤知事の主張に対する有力な反証的存在ですね (^o^)
多くの人のケースを考慮すればするほど、「教えなければならないこと」 と 「教えてもしょうがないこと」 がかぶっちゃって、しっちゃかめっちゃかになります。
現実には、「詳しいことは忘れたけど、そんなようなことがあるんだよね」 という知識があるとないとでは大違いなんでしょうね。
投稿: tak | 2015年9月 3日 17:17
「不幸にきまってるんですが」というSam. Yさんのひとことが面白すぎる(笑) そうなんですか?
鳴くよ鶯とかいい国作ろうはあまり使わないけど、最近「これ(50)は誤算(53)だ朝鮮戦争」をときどき思い出します。
投稿: 山辺響 | 2015年9月 4日 15:55
山辺響 さん:
>「これ(50)は誤算(53)だ朝鮮戦争」
これ、知りませんでした。でも、秀逸ですね (^o^)
投稿: tak | 2015年9月 5日 17:47
takさん、よく言ってくれました。まさに「コクのある人生」と「知の醍醐味」のために教育はあると思ってます。私は現在は理系の教育者ですが、歴史、文学、科学、数学などは日常生活に全く関係がなくても本当に人生に深みをあたえてくれると思います。人間であるからには好奇心を持ってわくわくしていたいものです。
少し前に、尊敬する年配の知識人の友達に「私も年をとってきて、死ぬまでに読める本の数が限られているということに気付いてしまいました。『戦争と平和』とか巨大なページ数の本より、もっとさくさく読める名作を選んだほうがいいのかも。」と言ったら、「『戦争と平和』は本当にお勧めだよ。」と言われたので今読んでます。選択肢があるのなら、それを読まない人生より読む人生の方が私には意味があると思ったので。
投稿: めぐみ | 2015年10月 4日 07:07
めぐみ さん:
教育や学問を「実利」のためだけと考えたら、人生はどんなにか味気なくなるか、考えるだけでぞっとしてしまいます ^^;)
『戦争と平和』、高校時代に読んだんだったかなあ。長いロシア文学を読むついでに、いっそ『カラマーゾフの兄弟』もどうぞ。もし既読でしたら、ごめんなさい。
投稿: tak | 2015年10月 4日 17:03
お勧め、ありがとうございます。ロシア文学にはあまりなじみがないので、この機会に是非、「カラマーゾフの兄弟」も読もうと思います。^^
投稿: めぐみ | 2015年10月 7日 12:17
めぐみ さん:
是非お読み下さい。
ロシア文学って、長くても案外読めてしまいますよ。
投稿: tak | 2015年10月 7日 18:55
『戦争と平和』は3回読みました←だいぶ人生をムダにしている(笑)
ロシア文学に限らず、小説のなかの世界がだんだん現実の世界に近い存在感を帯びてくるような、長い小説が好きなのです。「そういえば最近あいつを見かけていないけど(=100頁くらい出てこない登場人物・笑)、どうしているのかな」みたいにふと思い出す感覚が好き。
投稿: 山辺響 | 2015年10月 9日 10:39
山辺響 さん:
『戦争と平和』 を 3回読んだ人なんて、なかなかいませんよ。すごいなあ。
>「そういえば最近あいつを見かけていないけど(=100頁くらい出てこない登場人物・笑)、どうしているのかな」みたいにふと思い出す感覚が好き。
それは、かなりキテますね ^^;)
ちなみに、『失われた時を求めて』 とか 『大菩薩峠』 とかは、私としては今さら読み始めようとは思いません。コワくて。
投稿: tak | 2015年10月 9日 21:25