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2015年9月29日

ゲートボールと戦争

公園からゲートボールがなぜ消えたのか」という日経ビジネスの記事の見出しに興味を引かれた。

もっとも興味を引かれたのは見出しだけで、記事の中身はちょっと物足りない。納得させられたのは「ゲートボール連合の統計によると、2014年の加盟団体の会員数は 11万8985人。正式な統計を取り始めた 1996年時点の会員数は 56万7232人で、右肩下がりに減少している」という事実のみで、ほかはちょっと期待外れだ。

ゲートボール衰退の理由として挙げられているのは、次のようなことだが、これらは「○○が売れなくなった理由」として最近マーケティングの世界でよく言われることの焼き直しに過ぎないように思う。

  1. 平均寿命とともに、自立した生活を送ることができる期間を示す「健康寿命」が延びた

  2. 高齢者向けの娯楽が多様化

  3. ゲートボールの特徴である「チームプレー」が、近年の高齢者から厭われた

この記事を書いた記者は、ゲートボールをしたことがないのだろうと思う。だから「口論の末に殺人事件も」という小見出しまである割に、チームプレーが近年の高齢者から厭われた」というポイントの掘り下げが足りない。

実は私はゲートボールをしたことがある。それも還暦を過ぎた最近のことではなく、40歳になる前のことだ。休暇で実家に帰っていた時、家の前の公園で年寄りたちがいつものようにゲートボールを始めたのだが、一方のチームに欠員が出て、急遽駆り出されたのである。

初めは相手チームから「そんな若いヤツを助っ人にするのはずるい」とクレームがついたが、それもすぐに収まった。というのは、ゲートボールで重要なのは体力なんかではなく「戦略と慣れ」のようで、「若い助っ人」なんてメリットにならないばかりか、「不慣れ」 なのでむしろ足を引っ張ることになる。

私としてはとりあえずルールがさっぱりわからないので、リーダー格のじいさんの言うとおりに球を打って転がしていたが、そのうちに要点がわかってきた。はっきり言って「相手の邪魔をしてなんぼ」というゲームなのである。年寄りの遊びと言うにはかなりシリアスなルールで、冷酷非情さがないと勝てない。

ゲートボールは 5人のチームで戦うのだが、戦略にたけたリーダー 1人と、忠実に従う 4人の「部下」がいればいい。要するにリーダー次第なのである。リーダーが「ここで相手の球にぶつけて妨害しろ」と指示したら、メンバーは「そこまであくどいことはしたくないな」と思っても従わなければならない。

それだけに「徹底的に相手の妨害をする」ことを重視するリーダーがいると、相手チームはフラストレーションがたまりにたまり、ついに 「そこまでするか!」と喧嘩になるのも、あながちあり得ないことじゃないと思った。年寄りって、案外キレやすいのである。

このゲームは一見のんびりとしたものだが、実際には 1人の「冷酷な隊長」と、4人の「忠実な兵隊」によって戦われる「シリアスな神経戦」なのである。実際にやってみて、そのことがよくわかった。

だから同じ年寄りでも、「戦争に行った世代」と「戦争に行かなかった世代」では、ゲートボールというゲームに対する感覚が違ってしまうのも自然なことだ。そして、ちょっと前までゲートボールに真剣に取り組んでいたのは「戦争に行った世代」なのである。「戦争に行かなかった世代」には、ゲートボールは人気がない。

私の父は旧制中学時代に志願して予科練に行き、特攻隊員にまでなったが、ついには戦場には行かないうちに終戦となった。それだけに、「軍人精神注入棒」なんかで尻をぶっ叩くことに象徴されるような、当時の日本の軍隊のあり方を客観的、批判的な目でみていたところがある。「あんな馬鹿なことばかりしていたから、戦争に負けたのだ」とまで言っていた。

それだけにゲートボールには無意識的にしろ人一倍「軍隊の臭い」を嗅いでいたのかもしれず、決して加わろうとしなかった。だから 「メンバーが足りないから助っ人を頼む」と言われても、「俺はイヤだ。お前が行ってこい」と、息子の私を人身御供に差し出したのである。

とまあ、妙に長々と書いてしまったが、ゲートボールというのは「戦争に行った世代」に馴染むゲームであるということだ。一方、とくに「戦中派」の中でも「悲惨な戦争を知ってはいるけど、戦場には行かなかった世代」にとっては、一層「なんか感じ悪いよね」と思われるのではなかろうか。

だからこそ「戦争に行った世代」の体が動かなくなり、「戦争に行かなかった世代」がゲートボールをしてもいい頃になった途端に、急に廃れたのである。

 

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コメント

なるほど納得のいく解析ですね。
それは、やってみたものでないと分かりませんね。

もしかしたら、夏の朝4時過ぎから近所の公園で騒いでやってるので、住民から苦情が出てそれが衰退した原因のひとつかもしれませんね。

ゴルフのような自分との戦いのゲームだと思ってました。
妨害するゲームだったら私には向きませんね。

投稿: ハマッコー | 2015年9月30日 01:37

大変興味深い考察です。
ありがとうございます。

投稿: AceK | 2015年9月30日 09:06

非常に説得力があります。

投稿: きっしー | 2015年9月30日 10:11

ゲートボールはたまにやっている姿を見かけることはあっても、自分でやったことはないしルールも知らなかったので、面白く読ませていただきました。なんかカーリングも相手を邪魔する競技のように漠然と思っているのですが、実は似ていたりして?

投稿: 山辺響 | 2015年9月30日 10:16

小学生の頃、近所のおいちゃん達に混ざってやったことがあります。
いくら若いとはいえ、スティックを握ったことのない(文字通り)ヒヨッコに、ボールをまっすぐ打てる訳がない。
なぜおいちゃん達は、あんなに正確に強い球が打てるのか?悔しかった記憶です。

現在、近所ののおいちゃんおばちゃんは、グラウンドゴルフで活躍中です。

投稿: 乙痴庵 | 2015年9月30日 13:39

ハマッコー さん:

あれは決して 「自分との戦い」ではありません。
相手の出方によっては、ものすごくフラストレーションがたまりやすい遊びだと感じました。

投稿: tak | 2015年9月30日 15:29

AceK さん:

これだけですべて説明しきれるとは、自分でも思っていませんが、案外気付かれにくい要因ではあると思っています。

投稿: tak | 2015年9月30日 15:31

きっしー さん:

説得力は、あるかなと、自分でも思います。

終戦直後に思春期でひいひい言って、経済成長の恩恵にもろに浴した世代には、ちょっとシリアスすぎるチームプレイの要求されるゲームに感じられるかなと。

あれに入れ込むと、性格悪くなっちまいそうな ^^;)

投稿: tak | 2015年9月30日 15:34

山辺響 さん:

カーリングは相手の妨害をするにもそれなりの技術が要求されるので、納得感があると思いますが、ゲートボールは 「単なる意地悪」 に見えかねないんですよね ^^;)

投稿: tak | 2015年9月30日 15:36

乙痴庵 さん:

当時の年寄りは週イチか週二 ぐらいでやっていたようですから、それなりに上手にはなっていたんでしょうね。

ただ、そんなに難しいことではないと思いますよ (^o^)

投稿: tak | 2015年9月30日 15:39

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