「後から文句を言うやつ」への対処法
世の中には「総論賛成、各論反対」というのがある。包括的な方向性としては賛成しておきながら、具体論に落とし込んだあたりでとたんに文句を言い始める人というのが少なくないのだ。
各論になって急に文句を言い始めるタイプに限って、総論には何も異論を唱えない。その総論の実現のためには、お互いに多少譲るべき点も出てくるだろうというところまでは認めている。そこまではいい。しかし自分が譲る段になると、とたんに気にくわないと言い出す。
しかも、そうしたタイプは「自分は譲歩したくない、我慢なんかしたくない」とは口が裂けても言わない。その代わり「中には、これこれこんなような不満を持つ人がいる」とか「それでは困ると言っている人もいる」みたいな、他人事みたいな言い方をする。
しかしそれは、サウナ風呂や酒場みたいな無責任な場で、自分からそれとなく不満を言い出し、周囲が「そうだよね」と軽く相づちを打っただけというようなことがほとんどだ。つまり共犯者を作って、その共犯者をあたかも首謀者のごとく言う。
彼は総論に賛成した時点では、自分にもある程度の責任が生じる事態になることを予測できていないのである。実際に新しいことを始めなければならない段になって、初めて「こりゃ、エラいことになった!」とアセる。
それで一度は賛成したことに、急に「そもそも、初めから疑問に思っていた」などと言い始める。例えば「現場の怠慢による弊害」を是正するためのプロジェクトであるにも関わらず、この期に及んで「それでは、現場の賛同を得られない」なんて戯言を言い始める。そのココロは、他ならぬ自分がやりたくないだけのことだ。
要するに、当初から自分の考えを述べられない人というのは、プロジェクト実現のプロセスで阻害要因となりやすい。これは経験則的事実である。一方、事前の検討段階でいろいろと注文を付けるタイプの人間は、一度決まったことにはしっかりと従う。まさに対照的だ。
というわけで私は、大きな方針決定の際には予測されるいろいろな各論的問題を明示して、「それでもやるか?」と問いかけることにしたことがある。「それでもやる」という意思表示をしたからには、最後まで協力してもらわなければならない。
ところがそうすればそうしたで、「やる前から、そんな消極的なことばかり言ってどうするんだ」と怒り出す人間が出てくる。そしてそんなことを言うやつに限って、いつもやり始めてからつべこべ言い出すのだ。
というわけで、最近私は「経験則第二弾」を学んだのである。それは「後から文句を言うやつはうっとうしい」のではなく、実は「うっとうしいやつは、必ず後から文句を言う」ということだ。後から文句を言うやつは、いつも同じだからね。
そして最終的結論は、そんなやつには酒でも飲ませてさんざん「本音」とやらの文句を言わせ、そうかそうかと聞いてやって「あんたもいろいろと大変だね」なんて言ってガス抜きをし、いい気持ちにさせてやるしかないということだ。
本当に他に手はない。この手がかなり有効ときてるから、馬鹿馬鹿しくなるのだが。
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コメント
「酒飲まして喋らせてガス抜き」
この使い方が解っていれば、敵なしではないけど障壁が低くなる。
…って言うか、「ガス抜き先導役」をさっさと見つけると、ホント早い。
投稿: 乙痴庵 | 2015年9月 6日 00:26
乙痴庵 さん:
>「ガス抜き先導役」をさっさと見つけると、ホント早い。
なるほど (^o^)
投稿: tak | 2015年9月 6日 21:35
なんだか、記事を読んでて涙が出て来ました。私の気持ちを代弁して下さっているかのようです。ありがとうございます。
彼らは傷つきたくないから自分の意見を言えないのでしょうか?
それとも自分が何をしたいのか?と、組織の中でやることが切り離されているのでしょうか?
意味が分かりません。
皆の意見を出し合うからこそ良いものが生まれると思っています。
投稿: ひとみ | 2016年5月24日 22:11
ひとみ さん:
彼らはなんと、「自分は善人」 と思っているのです。善人だからこそ、総論には 「そりゃ、いいことだ」と、賛成します。
ところが、なまじ自分は善人と思っているので、一度決まったことを実行するのを 「強引」 と感じることがあり、その実行力のない人、実行したくない人たち、つまり一見「弱者」 に見える人たちの気持ちを代弁したがります。そうすることで、ますます自分は善人だと錯覚します。
何しろ、自分の (無意識の) 本音も実は 「したくない」 ですから、積極的に代弁します。「代弁」 という体裁をとりつつ、自分の本音を言うのです。
つまり、総論に賛成したのも 「善人である自分」、そして各論で反対するのも「善人である自分」 ですから、どちらもいい気持ちになれるのです。
ただ、両方の 「善人である自分」の間に大きな矛盾があることには気付きもしないのです。なにしろ「自分は善人」と思ってますから、善人が間違いを犯すわけがない。
というわけで、「善人」 ほど扱いにくいのです。「善人なお持て往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」 です。
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/07/__a605.html
投稿: tak | 2016年5月25日 16:01
自分の事かと思いました(>_<)
その時は何も言わずOKするのに後になって色々考えて不安になってしまっています。だからtakさんの提案にあるように大酒飲んでストレス発散してました。
自分なりに分析した結果、要は「良い顔をしていたい」んですよね。争いも避けたい(結果もっと酷いことになってしまいますが…)、周りを傷付けたくない、相手の話を途切れさせるのが申し訳ない(から質問もあまり出来ない)、相手に良く思われたいという気持ちがあるからそのような行動になっているんだろうと思いました。
質問するにしても聞き方というものがありますから、角の立たないよう上手に質問する術を身に付ければ周りを傷付けずに改善していくのでは?と感じました。頑張って改善していきたいです!
投稿: まみ | 2017年6月19日 21:30
まみ さん:
>自分の事かと思いました(>_<)
そう思える人は、決して 「うっとうしい人」 ではありませんので、安心してご精進を (^o^)
うっとうしい人は、「それは俺じゃない」 と思いますから。
投稿: tak | 2017年6月20日 01:01
ご返信ありがとうございますm(_ _)m
そう言っていただけると嬉しいです。
周りから言われて落ち込む事があるので、多分そういう気があるんだと思うんです…
心掛ける事で良い方向に変わっていけると思うので、いつも気を付けていきたいと思います。
又訪問させていただきますね。
投稿: まみ | 2017年6月20日 22:09
まみ さん:
自分を振り返ることのできる人は、大丈夫ですよ。
ただ、振り返ってみて、「ああ、なんてダメな自分」 と思わずに、私は「これで一つ学んだから、次は大丈夫。もし同じ間違いをしたとしても、被害は軽く済む」 と思うタイプです。
投稿: tak | 2017年6月21日 13:10