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2015年9月28日

SEALDs の今後

安保法案が成立して、あれだけ盛り上がった(ように見えていた)反対運動も一段落しかかっている。それだけでなく、その反動的な動きとして SEALDs への批判的な意見もバラバラと出てきた。「なんか自民党感じ悪いよね」という SEALDs のキャッチフレーズをパロって「なんか SEALDs 感じ悪いよね」なんていわれ始めている。

私個人の考えとしては、最初に重箱のスミをつついちゃうのだが、まず "SEALDs" という名前が気にくわない。そもそも "Students Emergency Action for Liberal Democracy s" という英語がアヤしいし、とくに最後の "Liberal Democracy" なんて、自民党の支持団体なんじゃないかと思っちゃう。

とはいえ、重箱のスミさえつつかなければ、なんとか許せると私は思っている。きちんとしたリーダーシップが存在しないことに関しては、日本の学生運動の歴史をみるにつけ、リーダーシップが発揮されるとは、既存政党の影響下に入るか、妙に過激化するかのどちらかだから、そんなものはない方がいいとさえ思う。

思想的にバラバラなままというのも、それはそれでいい。妙に純化されると、現実から遊離した「学生のうちにしかできない『はしか』みたいなもの」となってしまい、就職した途端に見事に保守化するかつての「全学連シンパ」と同じ穴のムジナと化す。

要するに「なまくら」な運動なら、それはそれでいいと私は思っている。というかむしろ「なまくら」である方がいい。下手すると「なまくら」でなくなってしまう様相が見え隠れしている方が心配だ。

一番危惧しているのが、日本の「左翼」に共通してみられる「自分たちはいつも正しいけど、いつも被害者」というどうしようもないコンセプトに堕してしまうことだ。これを翻訳すると、「戦争には駆り出されたくない。駆り出されるのは自分たちなんだから」という情緒的なスローガンになる。被害者的な立場からの情緒的な主張が勝利を収めた例しを、私は知らない。

現代社会は複雑系なのだ。単純な筋だけでは理解も解決もされない。「自分たちはいつも少しは間違っているし、少しは加害者であることを免れない」という自覚をもたなければならないのだ。完全無欠の潔白なんてあり得ないのだから、そのくらいの開き直りをしてこそ、実は「純粋」というものである。

リベラルな運動は、もっとしたたかな戦術をもたなければならないと思う。しかし実際にそれをすると政治的ロマンチストたちが「我々の運動は純粋性を失った」などと言い出し、その結果として足の引っ張り合いになってしまう一方で、政治的リアリストたちが必要以上に醜悪な勝利を得る。

そもそも「ロマンチックに純粋」でありたいなら、政治運動なんかしないに限る。政治運動に向かない連中が「自分たちはいつも正しい」と錯覚しているから、日本の反体制派はまともな力にならない。

 

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コメント

批判している人々の中には、自分たちはかつて純粋な気持ちで学生運動に参加したけれども、残念ながら既存の組織の引き回しにあって挫折していった方々が、そういう点では今まで巧みに立ち回ってきたSEALDsにやっかみ半分の難癖をつけているようにも思えました。

私が1958年の生まれで、すぐ上の世代の各種運動を眺めていたせいかもしれませんが。

>「自分たちはいつも少しは間違っているし、少しは加害者であることを免れない」

というフレーズに同意します。
その「自分も少しは間違っているかもしれない」という自省があれば、同じ考えの仲間内だけで通用する幼稚で激烈な一方的なスローガンの連呼ではなく、一般の聴衆に対しても説得力を持つ発信ができると思います。

投稿: ちくりん | 2015年9月29日 13:59

ちくりん さん:

>批判している人々の中には、自分たちはかつて純粋な気持ちで学生運動に参加したけれども、残念ながら既存の組織の引き回しにあって挫折していった方々が、そういう点では今まで巧みに立ち回ってきたSEALDsにやっかみ半分の難癖をつけているようにも思えました。

それは、案外あるかもしれませんね。

団塊の世代の 「気持ちよく暴走して、あとは知らんぷり」 という基本スタンスと、「あの頃はよかった」 的なロマンチシズムの延長で、それ以後の世代を批判するという傾向には、「そりゃ、ちょっと勝手すぎるんじゃないの?」 と、私としてはいつも批判的です。

「あんたたちの尻ぬぐいをさせられたのは、俺たちなんだよ!」 と、1952年生まれ (団塊の世代が一段落した直後) の私なんかは、少々ムカつくことがあるので ^^;)

投稿: tak | 2015年9月29日 22:29

「この法案は憲法違反」という主張を支持します。

「この法案は戦争法案」という主張は、本当に憂慮の末の方と、自民公明のやること反対の方と、尻馬に乗って存在感アピールの方と、ただ馬鹿騒ぎしたい方の識別が難しいので、今の所受け入れられません。

投稿: 乙痴庵 | 2015年9月30日 13:51

冷静な分析に感服しました。自分たちはいつも〜というフレーズもクールで、気に入ってます。僕も53年9月生まれで貴方と同世代。基本、Woodstock generation と思っています。どうも団塊世代と言う言葉に馴染めないので。
件の学生組織は民生主体でしょ。彼らが平和ボケの若者たちを動かしたんやろね。それと「何とかママの会」どうして母と言わないのかが妙に気持ち悪いけど、ココんちも民生でしょ。何か中共の裏工作が見え隠れして嫌ですね。

投稿: きよかず | 2015年10月 2日 12:31

乙痴庵 さん:

「憲法違反」ですよね。
差し迫った緊急時でもないのに、憲法に違反する解釈を押し通すのは、立憲主義とはいえません。

根は改憲派の私であるからこそ、無理な解釈には批判的にならざるを得ません。

>「この法案は戦争法案」という主張は、本当に憂慮の末の方と、自民公明のやること反対の方と、尻馬に乗って存在感アピールの方と、ただ馬鹿騒ぎしたい方の識別が難しいので、今の所受け入れられません。

まさに同感です。

投稿: tak | 2015年10月 2日 22:08

きよかず さん:

>どうも団塊世代と言う言葉に馴染めないので。

1950年以降の生まれは、団塊の世代と一緒にされたら迷惑なはずだと思っています。

>件の学生組織は民生主体でしょ。

「民生」?  民青?

そっち関係の人は混じってるでしょうけど、「民青主体」ではないと思いますがね。

「ママの会」の方が、より民青っぽい臭いはありますけど、どうもいろいろ混じってるみたいですね。やたらカマトトすぎるし。

投稿: tak | 2015年10月 2日 22:13

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