保守派は「不快」な刺激に弱いらしい
昨年末にリリースされたニュースなのでちょっと旧聞だが、バージニア工科大学カリリオン研究所のリード・モンタギュー教授の研究によると、「不快な写真に対する脳の反応だけで、その人の政治的信条が十分に予測できる」という。(参照)
研究では、ウジ虫やバラバラにされた動物の死骸、ひどく汚れたキッチンシンクなどの不快な写真のほか、赤ちゃんや美しい風景といった快く感じる写真や中立的な写真などを被験者に見せた。そして同時に、公立学校における礼拝は違憲かどうかという問題や、銃規制、移民、同性婚などに関する政治的な考えも質問された。
それらの写真を見たときの脳の反応には、嫌悪感や感情の制御、注意力、記憶に関連する脳の領域の活動に、人によってかなりの違いが生じる。そして結論からいうと、不快な写真に対してぞっとする傾向の強い人ほど政治的には保守的である傾向が強いのだそうだ。こうした 「脳の反応」 によって、その人の政治的傾向を 95%の精度で予測できるというのである。
これって、日常の言葉で言い換えると、「不快」とされているようなものごとにことさらに反応してしまうようなタイプの人は、たいてい政治的に保守的ということになるのだろう。うん、何となくわかるような気がする。保守的な人って、妙に潔癖でその「潔癖さ」というのは、論理的というより過度に感情的なところがある。
それを延長すると、ファッションや LGBT などの性的マイノリティなどに関する反応にも共通するだろう。保守的な人は新規のファッションに抵抗感があり、同性愛などには生理的嫌悪感を示すことが多い。
こうした不快な画像に対する「脳の反応」の違いは、先天的な「脳の配線」の違いによるところが大きいという。つまり、遺伝的に引き継いだものである可能性が高いらしい。かなり生理的なものなのだね。だから性的マイノリティに生理的嫌悪感をもつ人に、論理的にセクシャルな多様性は自然なことだと説いても、彼らの反応は変わりにくい。
私は前々から、保守的な人というのはたとえ外見的にマチョに見えても、実際にはかなり「臆病」なところがあると思っていた。不快なものに対する耐性が低く、それだからこそ、それらを身の回りから排除しようとする。その結果、政治的には保守的に傾く。
一方、リベラルな連中は「多様性」を認めようとする。個人的には多少不快に感じるようなものごとでも、保守派ほどには「おぞましい」というレベルまで感じてしまうことが少ない。不快に対する耐性が高く、ごく自然に「いろいろあっていいじゃん」と思うことができる。森羅万象の存在意義を、積極的に認めようとする。
突き詰めると、リベラル派は「多様性」を尊重し、保守派は「規範」を尊重する。さらには「なあなあで行こうや」とするか、「きちっとやろうぜ」とするかの違いというところまで突き詰められると思う。
私は自分の政治的考えを「リベラル保守」と位置付けているが、基本的には「なあなあで行こうや」派である。
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