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2015年11月23日

「楽することに罪の意識を感じる」傾向

ちょっと古い話になってしまって恐縮だが、今年の秋頃に「日本の学生のパソコンスキルは、先進国で最低レベル」というニュースが話題になった。

15歳の生徒を対象とした調査によると、表計算ソフトでグラフを作れる者、パワーポイント等でプレゼン資料を作れる者の割合は、日本ではどちらも約 30%程度だが、これは調査した 45カ国のなかでは断トツに低い数字で、ちょっと数えてみると、対象国の 3分の 1 以上となる 16カ国の生徒は、70%以上が「どちらもできる」と回答している。

さらに、内閣府が 2013年に 7カ国の 10代の若者を対象として実施した調査によると、PC の所持率は大差のついた最下位で、ケータイ、スマホは辛うじて「あまり大きな差のない最下位」である。「なんだかなあ」と思ってしまうのは、携帯ゲーム機器の所持率がトップということだ。

先日、30代半ばの知人と半日一緒に行動する機会があったので、この方面の話をしてみたのだが、彼も「中年以上の人たちは、『若い層はとくに教わらなくても PC を使いこなせる』と誤解しているようですが、そんなことないですよ。若くても PC を使えないヤツはものすごく多いです」と言っていた。「僕らの年代は、メールと LINE ができれば、それで OK と思ってるんですよ」

私は近頃、「日本人は基本的に、PC やスマホは『悪』と思っているんじゃないか」と思うようになった。中学校では生徒のケータイの所持を禁止しているところが多いらしいし、高校でもやたらと制限を付けているところがある。どうも社会的心理の奥底で抵抗があるようなのだ。

最近私はこれに関して、「日本人は生産性や効率を優先するこを嫌う」と考えるに至っている。汗をかいて苦労して、面倒な思いをして仕事することが「善」で、手間を省いて楽して片付けることをよしとしない。

例えば、メールの決まり文句、「お世話になっております」なんて文言は、1年間に 何百回打つかわからないのだから、私は「おせわに」という短縮形で単語登録してある。同様に「よろしくお願いいたします」も「よろおね」だ。さらに、関連の深い企業名や個人名といった固有名詞も、短縮形で単語登録してある。こうすることで誤変換で失礼なことになるのも防げる。

ところが業務で PC を使っている連中でも、単語登録を効果的に使っているのは極めて少ない。「どうしてやらないの?」と聞くと、「いちいち登録するのが面倒」なんて言い訳をするが、私にしてみれば、たった一度 10秒ぐらいの手間をかければ、あとは一生楽ができるのに、どうしてやらないのかと思う。

効率を無視して面倒な手順の方に流れるのは、根源的にはどうやら「楽することをよしとしない」という潜在的メンタリティによるのではないかと、ようやく気がついた。単なる決まり文句の挨拶文でも、きちんとキーを打たないと失礼にあたるんじゃないかと、心のどこかで恐れている。

馬鹿馬鹿しいことのようだが、名刺をもらう時にはかしこまって両手でおしいただかなければならないと教育される国だから、そうしたことが潜在意識にまで叩き込まれているというのは十分にあり得る。

まあ、そうした「誠実な心情」はわからないでもないが、業務で何百回も何千回も使う定型文なんだから、一度単語登録してしまうと、その快適さからは離れられなくなる。ましてや固有名詞になると快適さというレベルだけではなく「隆史」さんを「孝志」さんなどと変換してしまうリスクを回避できるので、必須の業務手順に加えるべきですらである。

ところが日本人の多くはどうやら、「得意先の部長の名前を単語登録して楽に打つなんて失礼なこと」などと、心の片隅で引っかかっているフシがある。そんな余計なことを考えているせいで、公式文書で宛名を誤変換して顰蹙を買ったりする。

日々の暮らしであまりにも効率優先になると「ちょっとした喜びの発見」がなくなって、知らぬ間にストレスがたまったりしてしまうが、少なくともオフィス・ワークにおける PC を使ったルーティーンでは、楽できるところでは楽する方がいい。「楽することに罪の意識を感じる」という傾向が心の片隅にあるものだから、日本の生産性はいつまで経っても上がらない。

ちなみに私は昔から楽をするのが大好きだから、千以上の単語や決まり文句を単語登録してある。おかげで業務がはかどりすぎて、人の分まで仕事を手伝うことになり、ますます面倒なことになるのが不本意だったが、今は独立して基本的に自分の仕事さえこなせばいいので、快適にやっている。

 

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コメント

昔の取引先の百貨店で見かけた光景ですが、閉店後の仕事に50円程度のコストを掛ければ30秒で済むのに、四人がかりで15分もかけてせっせと?毎日仕事をしていたのを思い出しました。
その四人は、ばかばかしい程の非効率性に一人も気が付いていなく、むしろ生き生きと仕事に励んでいるようでした。主任は、課長は、何も疑問に思わないのかな?と思ってました。
四人で一致協力してばかばかしい仕事をやることに価値を見い出しいたようです。
十五分早く帰ったほうがいいのに。

投稿: ハマッコー | 2015年11月23日 16:00

ハマッコー さん:

わざわざ面倒な手順を経て、職場の 「和」 を築くことに価値を見出しているんでしょうね。

表面的な 「和」 のために無駄な時間をかけて生産性を落とすというのは、かなり馬鹿馬鹿しいことに思われますが。

投稿: tak | 2015年11月23日 21:23

雇用形態や、給与体系的な問題も、根底にあるんじゃないでしゃうか。
効率よく仕事を完結させることが、決して評価、すなわち給与に結びつかないのが、日本企業の大半だと思うのです。
ほんの20年ほど前までは、メール入れた後に、確認の電話連絡をするくらい、非効率な仕事をしてたくらいですから…(笑)

投稿: もりけん | 2015年11月23日 22:07

もりけん さん:

それは確実に大きな要因ですね。

本文にも書きましたが、効率よく仕事を仕上げても誰にも誉められず、かえって仕事が集中して負担が増えるだけ。給料も上がらない。

効率よく仕事をしたくなくなるシステムです。

投稿: tak | 2015年11月24日 18:09

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