特攻隊と自爆テロ
誰と誰がなんて無粋なことを言ってもしょうがないからあえて明らかにはしないが、Twitter 上で太平洋戦争末期の特攻隊と IS の自爆テロとを、「同じだ」とか「明らかに違う」とか、感情的なまでに言い合っているスレッドがある。
宣戦布告を交わした戦争中の軍艦を対象にした特攻隊と、平時の一般人をも巻き込む自爆テロとは、明らかに違うものだ。しかしその攻撃を仕掛ける者の精神的なモチベーションに限ると、あえて倫理的な要素を度外視すればかなり共通したものもあるだろう。
このように特攻隊と自爆テロとは、共通した側面とまったく違う要素が混在している。それをして、明らかに相容れない 2つの立場から「同じだ」「明らかに違う」と言い合いしても不毛なことで、得られるものはなさそうに思われるのだ。
それは煎じ詰めれば、世の中には「正しい歴史認識」なるものがあるとして、相手に対してそれを認めろと一方的に迫る態度である。私はそれは戯れ言に過ぎないと言っている(参照)。近頃の韓国の反日主義による一方的な歴史認識に関して「なんだかなあ」なんて思う日本人が増えたが、特攻隊と自爆テロの問題になると、韓国と同じになってしまうのはナンセンスである。
私の父は少年の頃に志願して予科練に行き、特攻隊に選抜された。幸か不幸か、特攻攻撃をかける前に終戦になって生き残ったのだが、いつも「俺はイスラム過激派の連中と同じことをしようとしていたんだ」と、半ば自嘲的に語っていた。そしてそうした経験があるからこそ、戦時中の日本のやり方については、かなり批判的だった。
しかし特攻隊を完全に否定してはいなかった。当時の日本の軍国主義にかなり批判的でありながらも、特攻隊員の意識の底にはある種崇高な精神性が宿っていたことを、いくら否定しようとも否定しきれないと考えていた節がある。それについては、息子である私も共感するところだ。
ものごとというのは、一方的な視点でまとめてしまおうとしても、それは不可能なのである。現実というのは、いろいろな要素が矛盾を包含しながらとぐろをまいてしまっているのだから、その矛盾を認めなければ必ず一方的な見方に堕してしまう。
そして矛盾だらけだからこそ、どんな処方箋をもってしても完全な解決なんてできないのだ。
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