「女性の時代」と直感力
昨年 5月に 「論理と感覚の狭間と、直観への飛躍」 という記事の中で、過度に論理的な人は話していて疲れるというようなことを書いた。ちょっと自分の記事の中から引用してみよう。
仕事でいろいろな人間と接していると、過度に論理的な人というのは、付き合うのがかなり面倒なことがある。彼が自分の考えを説明し始めると、半分ぐらい聞いてしまえばその全貌は大体つかめてしまう。だって極めて論理的なのだから、途中まで聞けば結論は簡単にわかってしまう。シンプルな三段論法は、二段目まで聞けば十分なのだ。
それで、「ああ、そういうことね。それだと、ああなって、こうなって、要するにこうしちゃえばいいよね」と引き取ってしまうと、彼は「人の話を最後まで聞け!」と怒り出したりする。仕方がないから最後まで付き合ってあげても、やっぱり思った通りの当たり前の結論でしかない。
当たり前すぎる論理を、きちんとプロセスを追ってあまりにも懇切丁寧に説明されると、聞いている方としては、いらいらしてしまう。聞く方は特急列車に乗ったごとく、既に終点まで行ってしまっているのに、話す方が各駅停車でゆっくり追いついてくるのだから、じれない方がおかしい。
私は自分でも時々言うように、普段はきちんと論理的な思考プロセスを辿るのだが、いざとなれば思い切り直観思考によって、一足飛びに結論的なものに飛躍してしまうタイプである。ただそれは決して非論理的というわけじゃない。多くの科学的発見が、天才的科学者の直観をきっかけにしたものであるとはよく指摘されることで、直観を非論理的と決めつけてはいけない。
わかりきった論理プロセスを一挙にすっ飛ばしてしまうのは、論理派の人でも時にやることだが、直観派は「決してわかりきった論理プロセスというわけではないが、もしかしたらそういうことかもしれないという入り口から、瞬間的に結論的出口にすっ飛んでしまう」ということをよくやる。
問題は、こうした思考プロセスは直観派同士だとものすごくよく共感し合えたりするのだが、論理派には「ぶっ飛びすぎ」と感じられがちということだ。論理派は、煉瓦を一つ一つ積み上げるような丹念なプロセスを辿らないと納得できないようなのである。
時間の限られたプレゼンなどでは、論理派を相手にすると当たり前の結論までしか提案できなかったりして、こっちの方がじれてしまうことがある。それに論理派は「自分は頭がいい」と思い込んでいたりするので、なかなか頑固なところがあり、始末に負えなかったりする。
経験から言うと、こうした直感的プロセスは女性の方がずっと通じる。直感力に優れた女性が、決して感情に流されず、論理思考もこなせたりすると、かなり「できる存在」になる。論理思考のみでぐずぐず言うオッサンなんかより、ずっとダイナミックな仕事ができるのだ。
「女性の時代」というのは、女性が堅苦しいオッサンの論理の中で肩肘張って生きるのではなく、もっと自由な直感力で羽ばたくことができる時代であるべきだと思う。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)










最近のコメント