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2016年1月に作成された投稿

2016年1月31日

「女性の時代」と直感力

昨年 5月に 「論理と感覚の狭間と、直観への飛躍」 という記事の中で、過度に論理的な人は話していて疲れるというようなことを書いた。ちょっと自分の記事の中から引用してみよう。

仕事でいろいろな人間と接していると、過度に論理的な人というのは、付き合うのがかなり面倒なことがある。彼が自分の考えを説明し始めると、半分ぐらい聞いてしまえばその全貌は大体つかめてしまう。だって極めて論理的なのだから、途中まで聞けば結論は簡単にわかってしまう。シンプルな三段論法は、二段目まで聞けば十分なのだ。

それで、「ああ、そういうことね。それだと、ああなって、こうなって、要するにこうしちゃえばいいよね」と引き取ってしまうと、彼は「人の話を最後まで聞け!」と怒り出したりする。仕方がないから最後まで付き合ってあげても、やっぱり思った通りの当たり前の結論でしかない。

当たり前すぎる論理を、きちんとプロセスを追ってあまりにも懇切丁寧に説明されると、聞いている方としては、いらいらしてしまう。聞く方は特急列車に乗ったごとく、既に終点まで行ってしまっているのに、話す方が各駅停車でゆっくり追いついてくるのだから、じれない方がおかしい。

私は自分でも時々言うように、普段はきちんと論理的な思考プロセスを辿るのだが、いざとなれば思い切り直観思考によって、一足飛びに結論的なものに飛躍してしまうタイプである。ただそれは決して非論理的というわけじゃない。多くの科学的発見が、天才的科学者の直観をきっかけにしたものであるとはよく指摘されることで、直観を非論理的と決めつけてはいけない。

わかりきった論理プロセスを一挙にすっ飛ばしてしまうのは、論理派の人でも時にやることだが、直観派は「決してわかりきった論理プロセスというわけではないが、もしかしたらそういうことかもしれないという入り口から、瞬間的に結論的出口にすっ飛んでしまう」ということをよくやる。

問題は、こうした思考プロセスは直観派同士だとものすごくよく共感し合えたりするのだが、論理派には「ぶっ飛びすぎ」と感じられがちということだ。論理派は、煉瓦を一つ一つ積み上げるような丹念なプロセスを辿らないと納得できないようなのである。

時間の限られたプレゼンなどでは、論理派を相手にすると当たり前の結論までしか提案できなかったりして、こっちの方がじれてしまうことがある。それに論理派は「自分は頭がいい」と思い込んでいたりするので、なかなか頑固なところがあり、始末に負えなかったりする。

経験から言うと、こうした直感的プロセスは女性の方がずっと通じる。直感力に優れた女性が、決して感情に流されず、論理思考もこなせたりすると、かなり「できる存在」になる。論理思考のみでぐずぐず言うオッサンなんかより、ずっとダイナミックな仕事ができるのだ。

「女性の時代」というのは、女性が堅苦しいオッサンの論理の中で肩肘張って生きるのではなく、もっと自由な直感力で羽ばたくことができる時代であるべきだと思う。

 

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2016年1月30日

マグロは食わないことに決めると、気が楽になる

NewsSphere が「高級マグロの代表であるクロマグロが、絶滅の危機に瀕している」と伝えている。近年やっと規制が始まったが、一本釣りで知られる長崎県壱岐の漁師たちが「それでは不十分」と訴え、それに英国紙の「ガーディアン」が賛同しているという(参照)。

2014年の国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは、ミナミマグロが絶滅の「深刻な危機」にあり、北大西洋クロマグロが「危機」にある。そしてクロマグロは「軽度の懸念」から「危険性が増大」に引き上げられ、絶滅危惧種に指定された。

「マグロが 1種類ぐらいいなくなっても仕方ない」なんて呑気なことをいう人もいるが、生物多様性の重要さはそんな単純なものではない。現在の生態系は生物多様性によって支えられているのであり、多様性が損なわれれば、生態系も損なわれる。つまり我々人間にも影響は及ぶのだ。

クロマグロの 80%は日本人が消費しているという。つまり日本人は、別に食わなくても死ぬわけじゃないクロマグロをばかすか食って、自らの存在を危ういものにしているのである。だったら単純な話だ。食わなきゃいいのである。

NewsSphere は次のようにも伝えている。

生物保護を目的とする、米国生物多様性センターのキャサリン・キルダフ氏は、買う人がいるから値段が上がり、乱獲が止まらないと述べ、クロマグロ絶滅を防ぐには、食べないという意思表示も必要だと主張する(NPR)

まさに簡単な話なのである。それで私は 2年半以上前に「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」と書いた。マグロばかりでなくウナギも絶滅危惧種なので、そんなものを好んで食っては夢見が悪い。

今月 7日に "「ご馳走を食わない」 というポリシー" という記事で書いたように、余計なものは食わないと決めておくほうが、ずっと気が楽になる。

 

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2016年1月29日

国というシステムは税金の無駄遣いをするようにできている

昨日書いた "「住基カード」 ってものがあったのだが" という記事の最後で、ちょっと自慢話を書いた。国の IT 関連の補助金事業というのは、成果物のほとんどが役にも立たない代物で、その打率は 2割以下という印象だが、「私の関係したものは、今もしっかりと実効的に稼働している」と書いたのである。

ところが、これにもかなり馬鹿馬鹿しい裏話があるので、ちょっとバラしてしまおうと思う。少し差し障りがあるので、ぼかした書き方しかできないのが残念だが、まあ、国の税金の使い方なんて、こんなような無駄遣いが多いということだ。

15年以上も前のことだが、アパレル業界は生産プロセスの中で必要となるデータの互換性のなさに悩んでいた。多くのシステムが競合し、そのシステムの吐き出すデータがそれぞれ独自仕様なので、下請けが別のシステムを使っていると、いちいち紙の上に書き出してそれを自社システムで読み込み直すという、まったく無駄な作業を強いられていたのである。

当時、某アパレル関連団体に勤務していた私はその無駄を解消するために、どのシステムでも読み取り可能な、精度の高い中間ファイルを出力できるシステムを開発しようとしたが、なにしろお金がない。システムを作っているベンダーに作らせればいいようなものだが、彼らは顧客を囲い込みたがっているので、有力ベンダーほど互換システムなんか作りたがらない。

そこで国の補助金事業の募集に応募することにしたが、ちょっとした問題が起きた。経済産業省が言うには、「提案されたシステムはこの補助金事業の応募要件に満たない」 というのである、要するに「単純すぎる」というのだ。私は「単純だからこそ、どんな中小企業でも確実に使えて広範囲に役に立つ。複雑で使いづらいシステムを作る気なんて毛頭ない」と主張したのだが、そのままの形では遂に受け入れられなかった。

「そんな机の上だけで作られた応募要件なんかにしてるから、実際には必要でもなく役にも立たないシステムばかりこねくり上げられて、その結果、成果物の打率はいつも 2割以下なんでしょうが!」という私の主張は、「おっしゃることは理解できますが、ごにょごにょ ……」ということにしかならなかった。

結局、経済産業省は妥協案として 「提案されたシステムが実際に役に立つ可能性が高いというのは理解できたので、さらに高度なシステムを付加するというなら、補助金を付ける」と言い出した。そこでこちらは仕方なく、一見高度で魅力的ではあるが、実際には誰も使わないだろうと思われる「余計なオプション」をくっつけて、補助金を得ることに成功した。

そして当然のごとく、初めから想定していた基本システムは期待通りに実効的に稼働し、今でも「なくてはならない基本システム」となっているが、「余計なオプション」の方は、完全に忘れ去られている。今となっては、そんなものがあったと記憶している人もいないだろう。私としても、オプションの方には全然愛着もってないし。

つまり経済産業省は、低コストで確実に役に立つシステムは補助してくれず、まったく無駄なことには金を出すのである。要するにものを言うのは「美しく作文された申請書」だ。というわけで私の自慢話には、ちょっとした「痛恨」も付随しているのだ。

 

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2016年1月28日

「住基カード」 ってものがあったのだが

昨年の 10月に 「マイナンバー制度との付き合い方について」 という記事の中で「『個人番号カード』は当面申請しないでおこうと思う」と書いた。そんなものなくてもちっとも困らないし、そのうちいろいろな問題が出てきそうだから、遠ざかっておこうと考えているのである。

その記事に、乙痴庵さんが「住基カード…。どこしまってたっけ?」という皮肉たっぷりのコメントをくれた。そうそう、「個人番号カード」って、「いつか来た道」のような気がしていたのだが、「住基カード」なんてものがあったんだった。すっかり忘れていた。

乙痴庵さんのコメントに私は、"「そういえば、『住基カード』って、聞いたことあるなあ」という程度で、取得しようという発想すらありませんでした" というレスを付けた。ところが最近、妻が「住基カードって、引き出しの奥に眠りっぱなしよね」と言い出したのである。

「えっ、そんなの、ウチにあったの?」
「あることはあるんだけど、全然使ったことないわよね」
「見たこともないんだけど」
「まあ、引き出しの奥の方に、あることはあるはずなのよ」

というわけで、我が家の場合も乙痴庵さんのお宅と同じようなことになっているようなのである。いや、旦那がその存在すら知らなかったというのだから、さらに始末が悪い。さらにひどいことに、「どれどれ、どんなものなんだ?」なんて探し出してみる気にさえならず、今も引き出しのどこかでほとんど永眠させている。

で、その住基カードだが、昨年末でお役御免になったようだ。総務省のサイトに、次のように告知されている(参照)。

平成 28年 1月から個人番号カードが発行されることに伴い、住基カードの発行は平成 27年 12月で終了します。

ただし、現在住基カードをお持ちの方は、住基カードの有効期間内であれば、平成 28年 1月以降でも、個人番号カードを取得するまでは利用可能です。

住基カードの有効期限は 10年間なので、我が家のはとっくに期限切れになっているはずだ。さっさと捨ててしまっても構わないのだろうが、捨てるために探し出すのも面倒なので、このままずっと永眠しっ放しになるだろう。

マイナンバーの「個人番号カード」にしても、こんなふうなことになるんじゃないかと、私は思っている。知り合いのおばあさんが、マイナンバーの通知書が送られてきた時に、何がなんだかさっぱりわからないので、役所に電話して問い合わせたそうだ。その時のやり取りは、こんなふうなことだったらしい。

「マイナンバー通知書っていうのが届いて、カードの申請とか、いろいろ書いてあるんですけど、どうしたらいいんですか?」
「別に何もしなくて結構です」
「ああ、そうですか。安心しました」

というわけなので、我が家では 10年以上前は何かの間違いで住基カードを取得してしまったようなのだが、今回は完全に静観している。なくても全然困らないし、将来「あればこんなに便利」ということになっても、便利の裏側にあるリスクを考えると、ますます躊躇してしまう。

何よりも確かなことは、こんなにまで役立たずのまま使命を終えた住基カードで、巨額の利益を得た企業があるということだ。「IT 利権」というのは、かなり大きいもので、IT 企業は国から多額の金をもらって、今この時も、役に立たないシステムを作り続けている。

前に関係していた仕事の視点からすると、IT 関連の補助金事業の「打率」は、率直に言って 2割以下という印象で、残りの 8割以上に使われた税金は、「まったくの無駄金」に終わっている。そんな中で私の関係したプロジェクトは、今でもしっかりと実効的に稼働しているというのが自慢なのだがね。

 

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2016年1月27日

廃品回収車が、パンツを引き取るって?

遠くから廃品回収の車が近付いてくるのが聞こえる。例によってエンドレス・テープを流しっぱなしで、いろいろなものを回収するから声をかけてくれと告知しつつ、ゆっくりとやってくる。

「ご不要になりました家具製品、テーブル、ソファ、ベッド、パンツ、椅子、布団、カーペットなど、壊れていても構いません……」と、繰り返し繰り返し告げている。ん? ちょっと待てよ、「パンツ」だと? どうして廃品回収車がパンツなんて引き取るんだ? いや、これは何かの聞き違いに違いない。もういちど注意して聞いてみよう。

しかし、何度聞いても 「テーブル、ソファ、ベッド、パンツ……」と言っている。なんだ、こいつ。どさくさに紛れて変なモノを手に入れたがっているんじゃあるまいか。いや、そんなことを言われても、廃品回収車にパンツなんて差し出すやつはいないだろう。こりゃ一体、どうなってるんだ?

そうこうするうちに、廃品回収車は我が家に迫ってきた。さらに注意深く聞いてみよう。いや、それでもやっぱり、「パンツ」と言っている。こいつ、かなりアブないやつなんじゃあるまいか。さっさと通り過ぎてくれないかなあ。

回収車はさらに我が家の間近に迫り、スピーカーの声もどんどん大きく、明瞭に聞こえるようになってきた。必死に耳をそばだてて聞いていると、「パンツ」と聞こえていたのは実は「たんす(箪笥)」だったのだと、ようやくわかった。何でまたそんなに紛らわしかったのかというと、アクセントがおかしいからだ。

このスピーカーの声は「たんす」の「た」にアクセントを置いちゃっている。 「たんす」のアクセントは、本来「平板型」で、どこにもアクセントをおかずに平らに発音する。しかし「た」にアクセントを置いて「頭高型」にしたために、どうしても「パンツ」に聞こえてしまう。

(実際の声を録音したので、こちら (pants.m4a) をクリックして聞いてみていただきたい。これは我が家の間近に近付いた声を録音したので、まだはっきり「タンス」と聞こえるが、遠くで鳴っている時には、「パンツ」以外には聞こえなかったのである)

茨城は北関東から福島、宮城にまで広がる「無アクセント地帯」の南の入り口で、アクセントがかなりデタラメなのだ。とくに、本来平板型アクセントで発音すべき単語を素直に平板型で発音できない人が多い。どうしても頭にアクセントをおかないと、言葉をしゃべった気がしないらしいのだ。そして、そんな自分のアクセントがおかしいとは、ちっとも気付いていない。

いやはやまったく人騒がせなことである。このアナウンスでは「アヤしい人」と思われて、廃品を持って行ってもらおうなんて思われないんじゃなかろうか。

 

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2016年1月26日

1海里と 1マイル

尺貫法の距離の単位である「1里」というのは、普通「約 4km」と言われているが、細かいことをいえば、「約 3.9km」だそうだ。これはまあ、大した違いじゃないからいいが、中国では 1里は約 500m で、朝鮮では約 400m なんだそうだ。これは大きすぎるほどの違いで、「虎は千里を行く」というのも、中国では 4000km じゃなくて 500km ということになる。

「1海里」 という単位もあって、これは尺貫法ではなく、"nautical mile" という言葉の和訳である。そして世界中どこに行っても、正確に 1852m ということになっている。小学校の頃に「1海里を一夜で行に(いちやでいに)」という語呂合わせで覚えた記憶があるが、一夜をかけてたった 1852m では、いくら船でも遅すぎだ。

船の速度を表す単位に「ノット」というのがある。これは漠然と、1時間で 1海里行く速さだと、ずっと何十年も思っていたが、きちんと調べてみたことはなかった。まあ、いちいち調べなくてもそうに違いないという自信があったのだが、この年になって一応調べてみると、果たしてその通りだった(参照)。

ということは、1海里を一夜で行く船のスピードは、「一夜」というのを、便宜的に午後 8時から 午前 4時までの 8時間とすると、たったの 0.125ノットということになる。時速に換算すると 0.23km/h、つまり 1時間かけて 230m しか進まないということだから、よく考えるとめちゃくちゃな語呂合わせである。

陸上と海上とで距離の単位が違うということは、陸上交通と海上交通とは別のコンセプトで行われてきたということを示す。なかなか興味深い事実である。1マイルが約 1609m で、1海里 (1nautical mile) が 1852m ということは、同じ時間かけたら陸上より海上の方がちょっとだけ長い距離を行けたということを示していると思う。

蒸気機関が発明されるまでは、馬なんかでいくより帆に風を受けて行く方が速かったのね。

 

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2016年1月25日

一人メシが食えないやつが、そんなに多いとは

日経ビジネスの "4割弱の男性が、「1人外食」に苦手意識" という記事の見出しに驚いた。というのは、私自身が「一人でメシの食えないやつとは付き合いたくない」というタイプの人間だからである。はっきり言って「一人でメシの食えないやつは、ろくなもんじゃない」と思っている。

ところが日経ビジネスの記事には、次のようにある。

若い女性だけではなく、40~50代の男性からも、「ランチはいつも職場の同僚と一緒」「ひとりで店に入って晩メシを食ったことがない」「出張のときはコンビニの弁当をビジネスホテルの部屋で食べている」といった言葉を聞いた。

いい大人がなぜひとりで飲食店に入れないのか。取材の中で多かった回答は「知らない店は値段が分からないので怖い」「常連が多そうで気後れする」「ひとりで何をしていいのか分からない」というものだった。

まったく驚いたものである。昼食を食うような店なら、店先に値段を記したメニューが掲示されている場合が多い。そうでなくても店構えを見ればだいたいどのくらいの値段なのか見当が付く。問題は出張の時だが、「値段がわからないので怖い」なんてことは滅多にない。

海外出張の時だって、一人で飛び込んでも大抵何とかなる。普通の食事をするような店に、ぼったくりバーみたいなところはほとんどない。とくに私は今月 8日の記事で書いたように、「ご馳走は食わない」タイプだから、いかにも高級そうな店は自然に避ける。

庶民的な店だと、確かに常連みたいな連中で賑わっていることも多いが、構うことはない。そいつらと仲良くなっちまえばいいのだ。そうすれば、安くておいしいメニューを教えてもらえたりする。

そもそもこの日経ビジネスの記事の、「ひとり外食上手になる方法」というのを読んでみると、基本的に「居酒屋や小料理屋」を対象としているようなのだ。なんだ、思いっきりオッサンしちゃってるじゃないか。「ひとり外食」というよりは「ひとり飲み」である。

私は出張先でも居酒屋だの小料理屋だので食事することなんかほとんどない。そもそも最近はほとんど酒を飲みたいと思わなくなってしまい、飲むとしても蕎麦屋で軽くひっかける程度である。蕎麦屋で飲んだら、そんなに長居はしない。せいぜい 30分ぐらいで席を立つ。

メシなんてさっさと食ってさっさと店を出るのが一番だ。それをするには、一人で食うのが最も面倒がないのである。

 

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2016年1月24日

寒波襲来

8日前の土曜日に「どうみても暖冬」と書いたばかり(参照)なのに、昨日あたりから結構な寒さとなった。とくに西日本が寒さと雪に見舞われて、長崎で 17cm の積雪になり、奄美大島と沖縄でもみぞれを記録したという。長崎に出張した友人が、雪による交通マヒで仕事にならないと言っていた。

昨日は午前中に所用で土浦まで自転車ででかけた。朝 9時頃に出発した時にはそれほど極端に寒いとは思わなかったが、昼過ぎに用が済んで戻ろうとしたところ、朝よりずっと寒くなっていたので正直驚いた。寒風を切ってペダルをこぎ始めると、体がガタガタと震えた。

スピードを上げれば体は少し温まるが、手の指先が冷たい。冬用のグラブを付けてはいるが、指の感覚がなくなるのではないかと思うほどの冷たさだ。そのうちに顔にピシピシと当たるものがあるのに気付いた。なんとアラレである。

「夕方頃から雪が降ることもある」とは聞いていたが、昼過ぎにアラレとは驚いた。寒いわけである。このアラレは一時的なもので、夕方の雪も大したことがなく済んで、ほっとした。しかしそれは関東のお話で、西日本はエラいことになっていたわけである。

「ちっとも暖冬じゃないじゃないか」と言われそうだが、それでも、暖冬は暖冬である。こんな寒さになっても、我が家の裏の土手は、いつもの年のように冬枯れ色に染まることなく、草が青々としている。それは昨日の和歌ログに、写真入りで載せたとおりだ(参照)。米国東海岸でも記録的な寒波だというが、それも昨今の大規模な気象変化の一環である。

数字でみれば温暖化は明らかで、昨年の世界の平均気温は観測以来最高を記録した。しかし気象現象としてはこんなようにものすごい寒波ということもあるので、実感としては「温暖化」というより「極端化」という方がしっくりくる。

「地球が温暖化すればシベリアで農業ができたりして、人類にとって住みやすい地球になる」なんて呑気なことを言う人が最近になってもまだいたりする。しかし実際には全般的に満遍なく温暖化するのではなく、気候が極端になって、巨大台風や極端な寒波、はたまた大洪水や乾燥、砂嵐、竜巻に見舞われることが増えるということになるのだから、ノー天気なことは言っていられない。

私もつい最近まで、このブログで「近頃天気がおかしい」とか「天気が極端」などと書いていたが、もはや今となっては「おかしい」とか 「極端」とか言っていられる場合じゃなくなっていると感じている。温暖化ガス排出の削減に、何としてでも取り組まなければならない。

 

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2016年1月23日

変わる必要なんてない世界に住めばいい

昨日付の 「和歌ログ」 で、こんな歌を詠んだ。

変はるべきものは変はらず変はらざることも善しとぞ思ふこの頃

我ながらまことにもってふざけた歌である。15年前の米国の、小売業における  IT システム関連の見本市に行った際にもらった公式トートバッグを、今でも重宝して使っていることから、ちょっと思いを馳せてしまったことで、こんな歌になってしまった。

そもそも 「変はるべきものは変はらず」 というのがふざけすぎである。「変わるべきものは変わる」 というならいざしらず、「変わらず」 として、それも 「善し」 とは、一体どういう了見なのかと言われそうだ。

どういうことなのか、ちょっとだけ種明かしをすると、15年前は SCM (サプライ・チェーン・マネジメント) の変革期と言われていた。商品の生産から流通にいたるまで、すべての情報がデジタル化し、最も効率のいいマネジメントが展開されると思われていた。

商品という商品は、屋台の夜店で売られるようなものは別として、すべて JAN コード化され、原材料メーカーから小売店頭に至るまで流通情報が共有されると考えられていた。それによって、原材料や部品、製品の供給が最適化され、在庫や欠品は最小限となり、利益は最大限となる。

さらに商品流通は下げ札ではなく RFID 化される。RFID というのは、最も身近な例でいえば、鉄道を利用する時の Suica や PASMO みたいなもので、一瞬の間に無線でデータを読み取り、書き換えることによって、印刷されたバーコードをリーダーで読み取る手間さえいらなくなる。

段ボール箱に入った商品の一つ一つに RFID を付ければ、受信装置を備えたゲートをくぐらせる瞬間に、箱の中身のデータが読み取れる。納品時にいちいち段ボール箱を開いてチェックする必要すらなくなり、スーパーの買い物でも、バスケットを潜らせるだけで瞬間的に精算できる。

そんな便利な世の中が、数年後には来るような期待を抱かされた。だから私はこの頃、米国のシカゴで開かれた "Retail System" という専門見本市に 2014年から 16年まで、3年続けて通った。この分野に関しては結構勉強していたのである。

Ground0

当時はまだブログが普及していなかったから、このことは本宅サイト内に記録してある。例えば平成 16年の 5月 16日から 1週間は、米国滞在の話だ (参照)。同じ時期の和歌ログは、写真入りだが、当時のデジカメの解像度の悪さが如実にわかる (参照)。左の写真は当時の 「グラウンド。ゼロ」 の様子だが、ぼんやりしていてよくわからない。

あれ以来カメラの解像度は飛躍的に進化したが、SCM システムの進化はそれと比べればうんざりするほどトロい。RFID なんて今でも別世界のお話みたいだし、私の専門領域のアパレル商品なんて、JAN コード化の進展は遅々たるものだ。

メーカーによってバーコードの仕様や意味が違うから、それぞれ別の読み取り方をしなければならない。流通はそんな馬鹿馬鹿しい投資をしたくないから、SCM は亀よりトロい歩みである。全国どこでも Suica や PASO が使えるようになった交通カード・システムは、その点では立派なものだ。

IT の世界は日進月歩であると思われている。しかし進むところでは追いつくのが大変なほどのスピードで進化するが、進まないところでは 10年経っても 20年経っても、悲しくなるほどの手間のかかる非効率な作業を昔から今に至るまで続けている。

私としては今では、「それならそれでいい」 と思っている。要するに、そんなに次から次へと商品を買っては捨てるみたいなライフスタイルから離れればいいのだ。そうすれば、SCM にうつつを抜かす必要もなくなる。

無農薬の大根を売り買いするのに、JAN コードなんか必要ない。JAN コードなんていらないようなライフスタイにすればいいだけの話だ。

 

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2016年1月22日

「まっとうな問いかけ」への、的外れな反撃

今朝、NHK の朝のラジオを聞いていたら、『よいことと わるいことって、なに? 』という本が紹介されていた。「こども哲学」 というシリーズ中の一冊で、「フランスの小学校の哲学の授業で先生と子どもたちが交わした対話をそのまま本にした」 ものだそうだ。「ほぼ日」の記事にある担当編集者のコメントを引用しておく。(参照

「どうして生きてるんだろう?」
「どうして人に親切にしなきゃならないんだろう?」
「宇宙って、ほんとにあるのかな?」
「恋をするって、すてきなこと?」
こどもは毎日、ありとあらゆる質問をします。
親として、おとなとして、あるいは友だちとして、
あなたはどんなふうに答えていますか。
考えてみると、おとなだって、なんで生きてるのか、
なんで親切にしなきゃならないのか、
それから宇宙の謎も、恋の秘密も、
わかっていないんじゃないでしょうか。
そんな素朴な疑問を親子で話し、
考えることができたなら
きっとすごく楽しいし、
いろんな発見があるに違いない!

とまあ、こんなような本である。ありとあらゆる問いかけに対して、さらに問いを投げかけるというスタイルで一貫していて、答えは提示されていない。物事を深く考えるきっかけ満載の本である。

この本が紹介されると、聴取者からメールで寄せられたコメントも紹介された。概ねポジティブな反応だったが、中に「正論過ぎる」というコメントがあった。私はそれにびっくりしてしまったのである。

何らかの結論が提示されているなら「正論過ぎる」という反応もわからないではない。しかしこの本は終始「問いかけ」で一貫しているので、結論は提示されていないのである。「問いかけ」に関して「正論過ぎる」なんて思ってしまう人のメンタリティって、一体どうなってるんだろう? 「くどすぎる」というなら、まだ話はわかるが。

思うにこの人は、「まっとうな問いかけ」というものに拒否反応を示しているのだ。そして自分の拒否反応があまり誉められたことではないと、薄々わかってもいるので、「正論過ぎる」という「おかしな反撃」を用意したのである。まったく的外れな、あさっての方向を向いた言い草ではあるが、この人にとっては客観的にはどうあれ、自分の心の平安さえ得られればいいので、こんな反応になったのである。

要するに彼(あるいは彼女)は、「まっとうな問いかけ」をされたくないのだろう。もっと言えば、「まっとうな問いかけ」を恐れているのである。問いかけられることによって物事を深く考えざるを得ないという状況に、追い込まれたくないのだ。

だったら正直に、「そんなに深く考えたくない」と言えばいいのに、「正論過ぎる」という言葉で「まっとうな問いかけ」に反撃したつもりになっている。そして反撃したつもりで、自ら墓穴を掘っているのである。

しかし実は、世の中にはこうした的外れな反撃が案外多い。的外れな反撃によって自分の心の平安を確保したがる人が、そこらじゅうにいるのである。そして言い換えれば、「まっとうな問いかけ」をする人は、世間からの攻撃に遭いやすいということでもあるから、ちょっと注意深くなってもいい。

ただ、純粋で世間ずれしてない人ほど無警戒に「まっとうな問いかけ」をしてしまうので、傷つきやすい。世の中は不条理である。

 

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2016年1月21日

お疲れ気味でございます

6日間の強行軍がようやく一段落したが、今日も今日とて東京都内に出る仕事があり、明日も明日とて今度は水戸方面に行く。それほどぐったり疲れたというわけではないが、やはりピンピン元気というような体調ではない。

そんなわけで、今日は頭が回らない。午前中に書きたいことが見つかったような気がしていたが、メモを取るのを忘れていたので、それが何だったか忘れてしまった。忘れてもまた何かの拍子にひょいと思い出すだろうが、もう賞味期限の過ぎた頃ではなく、使い物になるうちに思い出したいものだ。

まあ、こんな状態だってあるさと思うことにした。それならそれで、無理にヘビーなことを書こうなどと頑張らずに、正直に「お疲れ気味でございます」と白状して、楽をすることにしようと思う。

というわけで、今日はお休みなさい。

 

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2016年1月20日

「ヘアトニック」と「気分の問題」と「経済活動」

実は、6日間のどさ廻りから帰宅したところである。旅の様子はもう一つのブログ、「和歌ログ」の方でちょこちょこっと書いてある。

今回の旅では 4カ所のビジネスホテルに宿泊したが、そのうち 2カ所が大浴場付き(うち 1カ所は、源泉掛け流しではないが、天然温泉という触れ込み)だった。私は図体がでかくて客室の狭いバスタブは苦手なので、できれば大浴場付きのホテルを選ぶようにしているのである。

こうしたホテルの大浴場(実態は決して「大浴場」というほどじゃなく、せいぜい「中浴場」程度のところも多いのだが)の脱衣所には、決まって大きな鏡付きの洗面所みたいなのがあって、風呂上がりに必死にドライヤーで髪の毛のセットをしたり、オーデコロンみたいなのを塗ったくったりするオジサンなんかがいたりする。

で、そこにはサービスの「ヘアトニック」の瓶なんかがおいてあったりもするのである。私はこの「ヘアトニック」というものを自分で金を出して買ったことが一度もないが、だいぶ前に人からもらったことはあるような気がする。もらったことはもらったが、何だかよくわからないので使わないまま放っておき、結局捨ててしまったと思う。

本当にこの「ヘアトニック」というのは、一体何なんだろうか。ついに思いあまって Wikipedia で調べてみると、「ふけ・頭臭を防いで、頭髪を清潔に保つ効果、かゆみ・蒸れを防いで、頭髪に関する不快症状を消し去る効果、抜け毛を予防し育毛を促進する養毛効果などを期待して使用する」とある(参照)。へえ、ずいぶんいろんな効果があるものだ。

しかし、「頭髪を清潔に保つ」だの「かゆみ・蒸れ」を防ぐだのいうのは、何かの事情で風呂に入れなかったりシャンプーできなかったりする時に意味があるのだろうから、「大浴場」の鏡の前に置いても屋上屋を重ねるだけだろう。さらに「育毛/養毛」と言っても、薬品じゃないんだから実質的には期待するだけ無駄だ。

要するに「ヘアトニック」というものの効果は単に「気分の問題」なのだと想像が付いた。アルコールが配合されているらしいから「スッとする」感じがあるのだろう。世の中には「気分の問題」に結構なお金を使う人がいて、それなりの市場を形成しているということだ。

ところがさらに web を辿ってみると「毛髪や皮膚はたんぱく質でできてますが、アルコールはそのたんぱく質を分解してしまう」と指摘しているヘアサロン業者の記事が見つかった。頭髪の少ない人は、シャンプー後の毛穴の開いた状態でアルコールが毛根に浸透すると、さらに薄毛、脱毛の原因になるという(参照)。

ということは「気分の問題」で自らの頭髪にダメージを与え、そのダメージから回復させるために高い育毛剤や養毛剤をさらに買い求める人もいるというわけだ。髪の毛に限らず世の中の経済活動というのは、かなりの部分が「金を使って自分で自分を痛めつけ、そして回復するためにさらに金を使う」ということなのだと、最近しみじみ思っている。

「経済成長」といえば聞こえがいいかもしれないが、実はこうした馬鹿馬鹿しいことで成り立っている部分がものすごく大きいのだよね。働き過ぎてヘトヘトになり、アリナミンなんかを飲んで体力回復ができるような「気がする」ってのも、そんなようなものだ。ゆったり暮らせば、アリナミンもいらない。

 

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2016年1月19日

席を立つとき、「トイレ行ってくる」 と言うか、言わないか

先日、NHK ラジオのバラエティ番組を聞いていると、出演者たちの中で「家族や仲間といて、トイレに立つときに『トイレ行ってくる』と言うか、言わないか」という話題になり、「言う派」と「言わない派」の真っ二つに分かれていた。そしてその出演者たちも気付いていないようだったが、「言う派」は全員関西出身者(言葉でわかる)で、「言わない派」は東京出身者のようだった。

私は昔から気付いているが、関西出身者は当然のように「トイレ行ってくるわ」と断ってから席を立つのが、男女を問わず多い。彼らは「言わなんだら、どこ行ったか心配するやろが」と言うが、東京出身者は「黙って立ったら行き先は決まり切ってるんだから、そんなのわざわざ言うのは変でしょ」と主張する。

さらに大阪人なんかは、「トイレ行ってくるわ」と言って去ったヤツが結構時間が経ってから戻ってきたりすると、「便秘しとるんちゃうか?」なんて聞いたりする。なかなか開放的だ。一方、東京人がようやく戻ってきたりしても、誰も気にかけないふりをする。それは一種のタブーなのだ。これはなかなかおもしろい比較文化学である。

翻って我が家の事情に目を移すと、正月に全員集まった 3人の娘たちは、「わたしたち、言うよねえ!」という認識で一致していた。さらにそれだけではない。「お母さんは言わない派だから、わたしたち、お父さんの遺伝子を受け継いじゃったのかな?」ということになった。

私は自分でも気付いていなかったが、家の中で「トイレ行ってくる」とフツーに言っているようなのである。てことは、私は関西人的なのだろうか。

 

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2016年1月18日

使命を果たし終えた Web リング と、インターネットの将来

「火星の月の下で」というブログに「Web リングは今や・・・ 」という記事がある。Web リング というのは、今では知らない人の方が多いだろう。Wikipedia にも解説がある(参照)が、知らない人にとっては、それを読んでもわかったようなわからないような…… という説明でしかない。

実は私の本宅サイトもつい最近まで 「庄内 web ring」 というのに参加していて、指定のバナーを貼り付けていた。このバナーをクリックすると、山形県庄内地方に関連する参加サイトを次々に表示できるので、共通の趣味や志向をもった人にはなかなか便利なツールといえた。私もこれのおかげで、庄内地方関連のいろいろなサイトを知ることができた。

しかしある日気付いてみると、このバナーをクリックしても "Not Found"(見つからなかったよ)としか表示されない状態になっていたので、「ああ、庄内 web ring もついに店じまいしちゃったんだなあ」と知った。ちょっと淋しいことではあった。

そうとわかったので、私のサイトにあったバナーは既に削除してしまったが、「庄内 web ring」でググってみれば、今でもまだ表示したままのサイトがいくらでもあることがわかる。この検索結果には本日現在で私のサイトも表示されるので、ウチが削除してしまったことに Google さんはまだ気付いていないのだね。

Web リング には総元締めみたいなサイトがあり、それが「無料で使えるウェブリング」というところのようだ。ここから申し込めば、まだ新たな web リングを作って始めることもできるみたいだが、いろいろクリックしてみてもずいぶん下火になっているのがわかる。もはや使命を果たし終えた機能とみていいのかもしれない。

インターネットの世界の移り変わりはかくも急速である。私が自分のサイトをもった頃はブログなんてものがなく、自前のサイトと掲示板(BBS)の組み合わせが全盛だったが、今では BSS なんて見る影もなく、ブログ大流行を経て、SNS の時代になった。そんなわけで私も BBS はとうの昔に卒業した。

思えば私もインターネットの世界の潮流にはそれなりに乗っているわけで、今は毎日の更新はこのブログを使い、TwitterFacebook Page でその更新を通知している。そのうち SNS も廃れたら、次はどんなのが出てくるのだろう。

 

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2016年1月17日

スマホのモバイルバッテリーの進化

日経トレンディが「使ってみたら意外と満足 iPhone用のアップル純正バッテリーケースを試す」という記事を載せている。私も 4年近く前に 「スマホのバッテリーのもちは、大きな問題」という記事を書いているが、本当に昨今のスマホ事情は、外付けバッテリーチャージャー(いわゆる「モバイル・バッテリー」)が必需品となっている。

上述の日経トレンディの記事で紹介されている純正バッテリーケースというのは、いわゆる「バッテリー内蔵ケース」で、iPhone の保護用ケース(「ジャケット」とも言うが)とモバイル・バッテリーを一体化したものだ。背面にぽっこりとバッテリー部分が出っ張ったデザインになっている。

薄さが売り物の iPhone にしては、ちょっとだけ分厚くなってしまうのがナンだが、それでも、別個のバッテリーとケーブルでつないでチャージするよりは手軽で、手放せなくなるらしい。ただ、11,800円という値段と、86%までしか充電できない(つまりフル充電できない)というのが、私としてはちょっと不満である。

私は 4700mAh という容量のモバイルバッテリーを、3〜4年前から使っている。「iPhone を 2回フル充電できる」というのが売り文句だっが、それは当時の iPhone 4S か 5 ぐらいのモデルのお話で、今使っている iPhone 6 では、2回フル充電には至らない。まあ、バッテリー自体のへたりもあるのだろうが。

先日 Amazon で探してみたら、最近は iPhone 6 を 6回とか 7回フル充電できるというモデルが 3,000円台で買えることがわかった。私の手持ちも当時同じぐらいの値段だった記憶があるから、ここ 3〜4年で性能が格段に進歩しているようだ。

とりあえずは 2回近くフル充電できれば十分と思っていたが、最近は自転車で長距離走行する機会が増えて、初めてのところに行く時は iPhone の「Yahoo カーナビ」を起動させっぱなしにすることが多い。そのため大容量のモバイルバッテリーが必要になってきた。

ナビ・アプリというのは、ものすごくバッテリーを消費する。クルマで使う時にはシガーソケットから常時充電するからいいのだが、自転車では大容量モバイルバッテリーが不可欠だ。先日、埼玉県朝霞市まで 120km の往復をした時は、帰路の途中でバッテリー切れを起こしそうになったので、慌ててコンビニで安いのを買ったほどだ。

というわけで、そろそろ新しいモバイルバッテリーを買ってもいい頃かもしれない。Apple 純正も欲しいには欲しいが、とりあえず大容量の方が優先だ。

 

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2016年1月16日

「世代間倫理」 を考える暖冬の今日この頃

ここに来て少しは冬らしくなったが、これでようやく「平年並」だそうだ。この流れはどう見ても暖冬である。例年ならば今の時期、我が家の裏の土手は枯れ草色になり、明け方は霜柱だらけになるのだが、この冬は草が枯れずに青々としている。霜柱なんて全然なくて、ようやく早朝にうっすらと霜が降りるようになっただけだ。

年末年始は本当に「どうなってるんだ?」と言いたくなるほどの暖かさで、箱根駅伝のランナーたちも汗はかいても低体温症なんてことになる心配は全然ないようだった。第 2週に寒の入りとなってからは、少しは寒くなるとの予報だったが、それでも編年よりはずっと暖かかったし。

日溜まりではちょっと庭仕事をすると汗をかいていたし、日が昇ってしまえば、手袋なしで自転車を漕いでもぜんぜん平気だった。これは一体どうなってるんだろう。

聞けばエルニーニョの強さが半端じゃないらしい。ただでさえエルニーニョの年は暖冬だと言われているが、この冬は「チョー・エルニーニョ」だというのである。問題は、この暖冬がエルニーニョによる一過性のものなのか、あるいは地球温暖化に伴い、これからもちっとも珍しいことじゃなくなるのかということだ。

ちょっと悲観的な見方ではあるが、これは一過性の現象ではないと私は思っている。ここ数年の気候変化をみれば、多少の波はあっても、地球の天気は極端化に向かっているとしか思われない。

「地球はこれまでも何度も温暖化と寒冷化を経験してきているのだから、何も珍しいことじゃない」などとしたり顔で言う人もいる。しかしそれは呑気すぎる。これまでの変化は数百万年単位の変化だったが、今回の気候変化は、たかだか産業革命以来の 200年ぐらいの間の話だということを念頭に入れていない。この気象変化による地球上の生物へのインパクトは、これまでの尺度では考えられないほど大きなものになる。

我々の孫やひ孫の世代が、「2〜3代前の連中が調子に乗りすぎたおかげで、俺たちはいい面の皮だ」なんて呟かなくて済むようにする義務が、我々にはあると思っている。「俺たちはその頃には死んでしまっているから、どうでもいい」なんてことは言えない。それが「世代間倫理」というものである。

 

 

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2016年1月15日

1グラムでも軽く

登山をしていた若い頃は、装備にとても気を遣っていた。リュックに入れるのは必要なものだけに限り、しかもできるだけ軽い装備を選んでいた。それぞれの装備の重量の差は小さくても、すべて足してしまえば大きな違いになる。だから一つ一つの装備を、極端にいえば 1g でも軽くしようと考えていた。

登山で背負う荷物の重さは、できれば 16kg 以内。重くても 20kg を超えないようにしていた。私は山小屋のないところに単独行するのが好きだったから、テントなどを入れてこの重量に抑えるのは、なかなかのものだった。

その考えが大きく変わったのは、クルマでの移動を専らとするようになってからである。クルマだと荷物の重さはどうでもいい。だから必要と思われるものは何でもかんでもバッグに入れるようになった。「多分使わないだろうな」と思っても、とりあえずバッグに入れる。結局使わないことの方がずっと多いのだが、それで持ち運びに疲れるということはないので、気にならない。

その考えが再び変わって、昔のように重量を気にするようになったのは、自転車での移動が増えたからである。最近は雨さえ降らなければ、片道 20km 以内なら当然の如く自転車を使う。自転車を走らすのは他でもない自分の体力だから、不要な重い物は持ちたくない。

というわけで、昔のようにバッグの中身を最小限に抑えるようになったのだが、それで困ったことはまだ一度もない。結局、「いらないものはいらない」という、シンプルライフの基本が徹底されるようになったのはありがたいことである。

 

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2016年1月14日

「SMAP 解散か?」 というニュース

「SMAP 解散か?」のニュースが、全国紙の社会面トップになっているのを見て驚いた。「国民的アイドル」だから大きなニュースバリューがあるというのだが、じゃあ、あんまり関心のない私は非国民なんだろうか。

トップ記事にまでなっているので一応読んでみると、ジャニーズ事務所内の内輪もめに、所属タレントである SMAP が巻き込まれているという状況のようだというところまで理解できた。察するところ、創業者の身内のわがまま娘とやり手番頭格の女マネージャーが対立して、番頭格の方は退社せざるを得なくなったというのが背景のようだ。

で、SMAP メンバー 5人のうち 4人は恩義のある女マネージャーと行動を共にすると言い出し、キムタクだけは「恩義は事務所の方にある」と言って残留を表明しているという。ここまでくるともう、浪花節の世界である。個人的には関わり合いを持ちたくないお話だ。

この問題がもし平和的解決をみて、メンバー全員が残留し、グループ解散が回避されたとしても、そりゃもう、事故車は中古市場でも高く売れないみたいなもので、これまでのような別格扱いはもう期待できないだろう。

解散するにしても、それを回避するにしても、いずれにしてもメンバーが別々の活動をする方向性が強まるのだろう。しかしそれぞれの 「個の力」 といっても、それはあくまでも「SMAP の看板」を背負った上でのものだから、その看板が傷ついてしまっては、「個の力」だってだんだん霞んでくる。

要するに、どちらの道を歩んでも既にピークは越えたということなんだろうね。世の中、変わるのさ。

 

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2016年1月13日

ノー天気な姑みたいな、浦安市長の 「出産適齢期」 発言

浦安市の松崎秀樹市長が成人式の挨拶の中で、「出産適齢期は 18歳から 26歳を指す」として、「若い皆さん方に大いに期待したい」と述べたと報じられた。ちなみにこの「出産適齢期」というのは、日本産科婦人科学会のデータなのだそうだ。

この市長は出生率の低下による人口減少を憂いて、そのあまりの発言だったんだろうが、いくら新成人に「大いに期待」したところで、その効果は期待できない。むしろ逆効果が生じるんじゃないかと心配になったりする。

逆効果というのは、限定された「出産適齢期」なんてものが既成事実化されることで、その年齢を過ぎた女性は「もう生まなくていいのよね」なんて思ってしまいかねないことだ。そんなことになれば、出生率低下にますます拍車がかかる。

周囲を見渡せば、多くの女性が 30歳を過ぎてから結婚している。結婚しなければ出産しちゃいけないってわけじゃないし、いわゆる「できちゃった婚」もやたら多いわけだが、いずれにしても日本産科婦人科学会のいう「出産適齢期」を真に受けてしまったら、ただでさえ低い出生率がさらに下がってしまう。

今回の浦安市長の発言は、嫁さんに「おめでたはまだなの?」としつこく聞きたがる姑とそんなに変わらない。「余計なお世話」である。本当に出生率を上げたいのなら、政治家はその環境を整えることに力を注ぐべきであって、成人式の挨拶でノー天気な姑みたいな発言をすることじゃなかろうよ。

 

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2016年1月12日

ケータイ料金改革の意味がよくわからない

ケータイ電話の料金体系は元々わかりにくくて奇々怪々だと思っているが、総務省肝いりの「携帯電話の料金その他の提供条件に関するタスクフォース」とやらの改革案が出てきて、ますますわからなくなった。

答申はライトユーザーと長期利用者 (要するに通話もデータ通信もあまりしなくて、しかもめったに機種交換しないユーザーのことね) の不公平感を是正することが主眼と言われている。しかしその代わりに、ミドルユーザーとヘビーユーザーの負担が増えるだけなんじゃないかという気がしてきた。

例えば「端末購入サポート」みたいな名目で、機種交換の時のユーザー負担が「実質 0円」になるようなシステムをなくして、同じ端末を長期間にわたって使い続けるユーザーの不公平感をなくすとされているが、それだったら、本来はライトユーザーの通話料金(どうせデータ通信なんかあまりしないんだろうから)を値下げすればいいだけのことじゃないか。

ライトユーザーの不公平感を是正するために、ミドルユーザーの機種交換の際の負担が増える仕組みにしてしまうのだとしたら、本末転倒だろう。

2年縛りが解ける頃にはバッテリーもだいぶへたってくるのだから、客観的にみても換え頃である。これまでこのタイミングで機種交換をしてきた平均的ユーザーが、「えっ、機種交換にそんなに金がかかるようになったの?」と思ってしまうようでは、ユーザー視点からは「改悪」でしかない。

機種交換に金がかかるようになるなら、月々の料金は相当安くなるのでなければ、あるいは格安 SIM がものすごく利用しやすくなる(つまり、わかりやすく、しかも断然安くなる)のでなければ、ユーザーは納得しないだろう。単に言葉の上での「指導」だけでは、実質的にはユーザーの負担が増えるだけだ。

これまでは、「2年間縛られてあげるから、端末はほとんど無料でもたせてね」ということだった。ユーザーにとってみれば、月払いの格安ローンで端末をもってるようなものだったから、余計なことを考えずに済んだ。改革案が「月々の料金を安くするかわりに、端末は現金払いでね」という意味なら、一体何がメリットなのだろうと思ってしまう。

このあたりのユーザー・ニーズの本当のところが、総務省の諮問会議はよくわかっていないんじゃないかという気がする。

 

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2016年1月11日

デビッド・ボウイの死

デビッド・ボウイが死んだ。私は彼の音楽にリアル・タイムで付き合ってきたはずなのだが、実はそれほどショックは感じていない。あの類いの音楽は、私の守備範囲から外れているのだよね。だから、「彼の曲で一番好きなのは?」と聞かれても、「うぅん、何だろうなあ、実は彼の曲、あんまり知らないし」ということになってしまう。

彼は「20世紀で最も影響力を持ったアーティスト」なんだそうだが、私の印象では、音楽的な影響力という点に限って言えば、それほどのことはないと思う。彼は音楽に限らず、「パフォーマンス全体」という視点で、大きなインパクトを発揮していたのだろう。別の言い方をすれば、存在そのものがとてもユニークだったのだ。

大きな影響力をもったミュージシャンには、その信奉者が続々と続いて、「チルドレン」的な流れを作ることが多いが、彼が代表する「グラムロック」は、狭義にはあまり大きな流れとはならなかったと思っている。日本においては「ビジュアル系」なんていう、ちょっと踏み外しちゃったような流れが派生したみたいな気がするが、忌野清志郎なんかは、もしかしたら日本的に正しい継承者だったのかもしれない。

いずれにしても、この流れって、あまり長生きしないのだろうか。

 

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2016年1月10日

花粉症の症状が出始めてるっぽい

何だかスギ花粉症の症状が出始めてるような気がする。ここ 4〜5日ほど、妙に鼻水が出て、まぶたの裏側がゴロゴロし、目の縁が少し痒い。あまりにも早すぎるので、まさかと思っていたが、どうも今年はスギ花粉の飛散が早いらしい。

思い返せば昨年は、1月下旬から症状が出始めた。さすれば、この暖冬だもの。1月初めから症状が出たとしても不思議ではない。ただ、何かの勘違いじゃないかと思って、Twitter で検索してみると、既に花粉症で苦しんでいる人の tweet がいくらでも見つかる。やっぱり今年は早いらしい。

まだそれほど症状はひどくない。とはいえ、このまま飛散量が増えたら、それこそ悲惨なことになりそうだ。もう少し様子をみてみよう。あるいは、睡眠時間 4時間の夜更かし仕事が続いたので、ちょっとした疲れなのかもしれないし。

 

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2016年1月 9日

「赤旗」バイト配達員の暴力沙汰というニュース

"「赤旗」バイト配達員逮捕、「新聞配るの早すぎ」注意で逆上・殴る 埼玉" という産経新聞の記事に「???」となってしまった。

このバイト配達員は、「配達先の富士見市役所 1階で、男性警備員(73)から「配達時間が決められた時刻より早い」と注意されたことに腹を立て、警備員の胸ぐらをつかみ、仲裁に入った別の男性警備員(65)の顔を殴った」のだそうだ。

もう少し記事を読み進めると、このバイト配達員は「『仮眠時間にかぶってしまうので、午前 5時から 5時半の配達時間を守ってほしい』と警備員から何度も注意を受けていたにも関わらず、時間外の配達を続けていた」というのである。しかしこれって、どうみても警備員の言い分の方がわがまますぎるんじゃないか?

『そもそも新聞購読の契約に、決められた 30分の間に配達するように指定できる条項があるなんて、聞いたことがない。新聞配達員は決められたルートに従って配達するのだから、市役所だけを特別扱いにしていたら、手間がかかってしょうがない。どうしても指定時間に配達してもらいたかったら、「時間指定特別料金」みたいなエクストラを支払うべきだろう。

エクストラを払いたくなかったら、配達時間なんか指定しなくていいじゃないか。警備員の仮眠の時間とかぶっても別に不都合はなかろう。通用門のあたりに「新聞受け」ボックスを設置すればいいだけのことじゃないか。この市役所の警備員の言い草は、フツーに考えたら悪質なクレーマー・レベルである。

ところが記事の最後には、「同市の赤旗西部東出張所は『非常に迷惑をおかけし、深くおわびする。再度同じことがないよう十分に注意する』とコメントしている」とある。これっておかしいだろう。共産党って、こんなクレーマーの言い分を諾々と認めるところなのか。

ああ、わかった。この市役所には日本共産党員がゴロゴロいて、ごそっと多部数購読したりしているので、新聞受けには入り切らず、警備員が直接受け取るしかないのかもしれない。もしそうだとすると、実はバイト配達員も警備員も、両方気の毒な話ということになる。

そもそも市役所が特定政党の機関誌を購読するなんてのも、ちょっとなあという気がするし、これは「一体、どこの国の話?」と言いたくなるようなニュースだよね。とはいえ、日本中で案外よくあることでもあるんだろうけど。

 

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2016年1月 8日

「ご馳走を食わない」というポリシー

昨年亡くなった野坂昭如さんは、ご馳走を食わないのがポリシーだったというが、実際のところはご馳走を食う気になれないというところだったらしい。『火垂るの墓』で語られた、飢えで亡くした妹を思うと、ご馳走は食べられなかった。永六輔さんもラジオで、「そう言えば、どんなパーティでも野坂さんがモノを食うのを見たことがない」と語っていた。

私は飢えで死んだ肉親をもたないが、野坂さんの気持ちが少しはわかるような気がする。そして野坂さんほどではないが、贅沢なご馳走を食うことに、軽い罪の意識を感じてしまうところがある。確実に言えるのは、高いご馳走を食うのが心理的にものすごく負担だということだ。

立食形式のパーティでは、そばと少々の魚と野菜という手頃な料理で腹を満たしてしまう。とくに最近は牛と豚の肉を食うのを極力避けているので、ずらりと並んだ料理の半分以上は、ほぼ自動的にパスできる。おかげでとても気が楽だ。

ふと見れば、ローストビーフなんかには長蛇の列ができているが、そんな面倒なものに並ぶ気になれないのがありがたい。さらにマグロやウナギみたいな絶滅危惧種も、食いたいと思わないからストレスがない。ましてキャビアやフォアグラなんて、自分の胃の中に入れるべきものとも思っていない。

着席スタイルの場合は、供された料理はしょうがないから基本的にすべて食い、肉でも残さない。食い物を残して捨てる「フードロス」を出すことの罪悪感の方が、ご馳走を食う罪の意識をやや上回るためだ。基本的に好き嫌いはまったくない。普段肉を食わないのは、嫌いだからではなく「極力食わない」というポリシーだからである。

ただ、デザートのメロンだけはアレルギーがあるので、ポリシー以外の理由で食べられない。「私は食べられないので、どうぞ」と差し出せば、隣に座った人が喜んで 2人分食べてくれる。私としてはアレルギーという免罪符のおかげで、高いメロンなんか食わずに済んでありがたい。

私は日本各地に出張する機会が多いが、行った先の名物のご馳走なんて、あまり食っていない。海辺の街で 2,300円ぐらいの海鮮丼なんかを食ったら、それはもう破格の贅沢で、フツーは夕食でも平均すれば 1,000円程度のものだ。

居酒屋での飲み会なんかで、刺身の盛り合わせなんかが出てくると、私はツマの千切り大根を専門にいただく。刺身は放っといても皆が食べてくれるから、私は大根を食う係と自分で決めている。大根を残してフードロスを生じるのは許せない。それにそもそも、おいしい大根を食わない者の気が知れない。

世界人口の 7人に 1人が飢えで苦しんでいるというのに、目の前の大根を捨てるに任せていては、必ずバチが当たると思っている。そんなわけで私は、野坂さんの「ご馳走を食わない主義」に共感を抱いてしまう。

念のため書いておくが、私は決して味音痴ではない。むしろ味覚は人より優れているという自信がある。「食の王国」と言われる山形県庄内育ちだもの、舌は自然に肥えてしまった。だからおいしいものは十分味わってありがたくいただくし、それほどでもないものは感覚遮断してありがたくいただくことにしている。

贅沢なご馳走以外にも、おいしいものはいくらでもあるし、むしろ旬の食材(もちろんその土地の)の持ち味をいかしてあっさりと料理したものの方に、馬鹿馬鹿しい値段の料理よりも本当においしいものは多いとさえ思っている。

 

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2016年1月 7日

ドナルド・トランプと「本音主義」の危なさ

NewsSphere が "いまなぜドナルド・トランプなのか? 暴言・失言によって逆に支持率アップ…その裏側とは" という記事の中で、ドナルド・トランプは「不当に下層市民扱いされていると感じている白人労働階級の支持」を集めており、彼の数々の暴言・失言は。「支持者の感じている本音に近い」と指摘している。

まあ、そんなことは改めて言われなくてもわかっていた。日本流に言えば「サウナや焼き鳥屋でのオッサンたちのダハダハ政治談義」みたいなのを、大統領候補が堂々と発言してくれるので、格好の鬱憤晴らしになっているというわけだ。しかしそれだからこそ、「良識」ってものが邪魔をする層には「恥ずべき姿」と思われる。

日本でいえば、今は昔の話だが、故田中角栄なんかはそんなところがあった。共通ポイントは「金の力」という最高の説得力の背景をもつことで、それがどういうわけか「俺は苦労している」と思っている層へのアピールとなった。

田中角栄は雪深い里で苦労してきた越後人を始め、当時の高度成長期の中にあってもなかなか日の目の当たらない層の本音を理解し、それに金の力で応えようとした。それだからこそ新潟に行くと、今でも「角さん」と呼ばれ懐かしがられている。。

ただ、私は「建前より本音の方が強い」というテーゼは、実は単なる思い込みに過ぎないと思っていて、10年以上前に "「建前論」の復権を" という記事を書いている。

人間の世の中には「本音」なんかよりずっと強い「業」というものがある。本音で言っても絶対に避けて通りたいと思うようなことのど真ん中に、どういうわけか躍り込んでしまうのは、「業」のなせるわざである。この「業」という厄介なものにささやかながら抵抗できるのは、「建前」の力であり、とくに政治という場では、「正しい建前」を確保しておく必要があるのだ。

ドナルド・トランプのように「本音」で突き進むタイプを政治家にしてはいけない。角さんだって結局失敗してしまったし、彼の娘はそれをちっとも学ばずに、輪をかけて悪趣味な本音に走り、「ポピュリズム」という範疇からさえはみ出してしまった。

 

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2016年1月 6日

若い頃の体力を取り戻しつつある気がする

一昨日、140km というこれまでの人生で最長距離の自転車乗りをして、しかもその中には結構なヒルクライムまで含まれていた(行ってみるまで、あんなきつい坂とは知らなかったのだからしかたがない)ので、昨日は筋肉痛が出るのではないかと、密かに恐れていた。しかし、朝起きてみると多少のかったるさは残っていたが、筋肉痛というほどのことはなかった。

「こりゃ、1日遅れで本格的なのが出てくるのかな」 と覚悟して眠りに落ち、今朝目を覚ましてみると、果たして体は昨日よりずっと楽になり、ピンピン飛び起きることができた。まさか、2日遅れで出てくるなんてことは、もうなかろう。つまり、還暦を過ぎてずいぶん体力を取り戻しつつあるということだ。

自信をもっていいと、ようやく実感した。若い頃ほどではないにしろ、自分の体力はかなりのレベルまで回復しているようだ。

40歳前までは週 3〜4回の合気道の稽古で、体力には相当自信があった。海外出張にまでジョギングシューズを持参していたし、登山をすれば、ガイドブックにあるコースタイムの半分以下の時間しかかからなかった。

さらにスクワットは千回越してもまだまだ余裕があり、「これ以上続けても、時間の無駄だし」と思っていい加減で切り上げていた。だから、自分でも限界がどのくらいなのか知らなかった。

それが、40歳を過ぎて運動不足に陥ってからというもの、体力はどんどん低下し、体重はそれに反比例するかのように増え続けた。もう若い頃のようには動けないものだと、ずっと思ってきた。

ところが、昨年末にスポーツバイクを買ってから様相が変わった。最初は 15km ペダルを漕ぐだけで息が切れ、太ももがパンパンになっていたが、3ヶ月過ぎた頃から体が変わってきた。春過ぎには往復 80km を軽くこなせるようになり、それからはどんどん距離が伸びる。

夏には東京都心までの往復 100km を当たり前に乗り、秋には埼玉県の朝霞までの往復 120kmも難なくこなせた。そして今回はヒルクライム含みの 140km である。次は 100マイル(160km)も大丈夫だろう。

私は昔から、「人間、結局は体力勝負だ」と思っているところがある。知力なんていくらあっても、体力がなければ継続しない。頭のいいやつが 3時間でこなせる仕事なら、体力があれば 6時間かけてこなすことだってできる。そして知力と体力を兼ね備えれば、そりゃもう鬼に金棒ってなもんだ。

体が楽に動くという感覚は、とても楽しいものでもあるので、これはもう止められない。

 

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2016年1月 5日

Mac の不満点 4つ

早いもので、Mac ユーザーになってから 2年が経った。2年経っても全然後悔していないので、これは正解だったと思っている。時々 Windows マシンを使わざるを得ない機会があるが、その度に思うのは、「こんなダサダサのユーザー・インターフェイスを作る会社って、よっぽどセンスがないんだなあ」 ということだ。

ただ、Mac に 100% 満足しているわけではなく、多少の不満点はある。それを書き出してみよう。

  1. Word for Mac が頻繁にクラッシュする
    Mac のデフォルトのワープロは Pages なんだろうが、世の中のワープロのスタンダードは今でも MS Word なので、MS-Office for Mac 2011 を使っている。まあ、そうでなくても 縦書き対応していない Pages は使えない。
    しかし、この Word for Mac がよく落ちるのである。最近は頻繁にセーブしながら使っているが、それでもノって仕事をしている時はセーブし忘れていることが多く、そんな時に不意にクラッシュすると、がっくり来る。
     
  1. Safari の動作が不安定
    前はそんなことはなかったのだが、OS を EL Capitan にアップグレードしてから、急に Safari が不安定になった。複数のタグを開くと突然レインボー・カーソルが出現し、一切の操作を受け付けなくなる。
    以前は Chrome と iOS の相性が悪くて不安定だったので、Safari をメイン・ブラウザにしていたが、最近は相性問題が解決したようなので、Chrome をメインにしている。
     
  1. 一太郎ファイルが読めない
    今でも拡張子が "jtd" という一太郎ファイルを無神経にそのまま送りつけてくる人が跡を絶たない。しかし Mac ではこれが読めないのだ。Windows では一太郎をインストールしていなくても 「一太郎ビューア」 という読込ソフトを無料でインストールできるが、Mac ではそれすらもない。つまりお手上げになってしまう。
     
  1. 「スコア・メーカー」が使えない
    Windows ユーサーだった頃は、河合楽器の DTM ソフト 「スコア・メーカー」 を使っていたのだが、これの Mac 版は存在しない。ほかにも楽譜ベースの DTM ソフトはあるようなのだが、これがいかにもプロ仕様で高いんだよね。手頃なのを探しているのだが、見つからない。
というわけで、解決されていない不満ポイントが 4つあるのだ。まあ、「4つしかない」 とも言えるので、やはり Mac の満足度は高いわけだし、このうちの Safari の問題を除く 3つは Apple の責任ではなく、アプリケーション・ソフトの製造元の問題なので、ちょっとむかつく。

やっぱり Parallels Desktop を使って、Windows ソフトも使えるようにしようかなあ。いや、そこまでしなくても、今のままでも致命的な問題はないし、ああ、迷ってしまう。

 

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2016年1月 4日

人生最長距離の自転車初乗り

新年早々、これまでの人生で最長距離の自転車初乗りをした。ペダルを漕いだ距離は 140km で、しかもこの距離の中にはヒルクライムも含まれているので、さすがに疲れた。疲れたがなかなか心地良い達成感である。

朝の 8時に出発して土浦駅まで行き、そこからサイクリング専用道の通称「りんりんロード」を 30km ほど辿った。そこから裏筑波に入って、標高差 500m のヒルクライムをし、笠間を経由、日が傾いてからは、国道 355号線、6号線、354号線を辿って帰ってきた。

天気は上々で、コースの前半は自然の中そのものだったので、かなりリフレッシュができた。とはいえ、さすがに疲れたので、今日はこのくらいにさせていただく。

 

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2016年1月 3日

「関東厄除け三大師」と「関東の三大師」は別物なんだそうだよ

関東のテレビやラジオで盛んに CM を流している「佐野厄除け大師」というのが、「関東厄除け三大師」の一つに数えられているわけではないと知って、ちょっと驚いた。そういえば CM では「関東の三大師、佐野厄除け大師」と紹介されていて、確かに 「関東厄除け三大師」とは言っていない

Sanoyakuyoke

それを知ったのは、「関東厄除け三大師って、佐野厄除け大師の他は何だろう」と思ってググったのがきっかけである。なんとそれは、西新井大師(總持寺: 東京都足立区西新井)、川崎大師(平間寺: 神奈川県川崎市)、観福寺大師堂(千葉県香取市)の、3つのお寺さんとされているではないか。

「なんだ、佐野厄除け大師は入ってないじゃん! はったりか?」と思ったが、実は、「関東厄除け三大師」とは別に「関東の三大師」というのがちゃんとあって、この中に佐野厄除け大師(惣宗寺: 栃木県佐野市)が入っている。ほかの 2つは、青柳大師(龍蔵寺: 群馬県前橋市)と川越大師(喜多院:埼玉県川越市)とされている。(参照

知らなかったなあ。何しろ 「佐野厄除け大師」 という通称だもの。いくら「関東の三大師」と言ったって、「関東厄除け三大師」とごっちゃになってしまう。ややこしくてしょうがない。

しかも、「関東厄除け三大師」の方はお察しの通り、弘法大師(空海)の真言宗のお寺だが、「関東の三大師」の方は天台宗のお寺である。そして天台宗ではあるが、お祀りしているのは伝教大師(最澄)ではなく、厄除け大師とも呼ばれる元三大師(良源)なんだそうだ。

ここで、「あれ、良源って、比叡山中興の祖ともいわれる声明(しょうみょう)の家元みたいなお坊さんで、諡号は元三大師じゃなくて慈恵大師じゃん!」と思ったが、慈恵大師の通称が元三大師なんだそうだ。

しかも 「慈恵大師」の読みは「じえだいし」で、「元三大師」は 「がんざん−」なんだそうだよ (参照)。これもまた知らなかった。今まで「じけいだいし」だと思っていた。まったくもってややこしい。

還暦を過ぎても世の中はまだまだ知らないことだらけで、本当に退屈しない。

 

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2016年1月 2日

住居用洗剤なんて要らない

年末に大掃除に追われながら、いつも思うことがある。それは「住居用」とか「浴室用」とかとして市販されている洗剤は、あまり効果がないということだ。雑巾でゴリゴリこすっても落ちなかった汚れが、市販の住居用や浴室用洗剤できれいに落ちたなんて、ほとんど経験したことがない。

実のところ、雑巾で力任せにゴリゴリこすれば大抵の汚れは落ちる。わざわざ洗剤なんか使うのは面倒なだけだ。そして力技で落ちなかった汚れは、洗剤なんか使ってもやっぱり落ちにくい。実感としては、住居用洗剤(風呂用洗剤も含む)のおかげで「ピカピカになった!」なんていう CM は大げさすぎであり、そんなものを買うのは無駄遣いだと思っている。

まあ、腕力のない女性は洗剤に頼る方が楽ということはあるかもしれない。しかし私としては力任せでやる方が、洗剤なんかを使うよりずっと楽で手っ取り早いと思っている。ゴム手袋なんかしなくても手が荒れないしね。

とはいえ、力技では落ちにくい汚れも確かにある。頑固な油汚れや、テーブルや床などにこびりついてしまった汚れだ。こんなのは重曹やクエン酸を使う。ドラッグストアで、洗剤なんかよりずっと安く手に入るし、汚れも落ちやすい。「洗剤なんて、あんまり効き目ないじゃん」と思っている私が、「おぉ、これはすごい!」と思ってしまうのだから、効果もコスト・パフォーマンスもずっと上だ。

問題は重曹とクエン酸の使い分けだが、簡単に言えば、重曹は弱アルカリ性なので、台所の油汚れや手垢汚れなどの酸性汚れに強く、一方、弱酸性のクエン酸 (「酸」で終わる名前だから、わかりやすいよね)はカルシウムなどを溶かすので、水垢汚れやトイレの汚れにものすごく強い。これさえわきまえれば、住居用洗剤を買うのはばからしい。

世の中には、別に必要ないんだけど作って売って儲けるためだけにあるというものが、くさるほどある。

 

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2016年1月 1日

新年のご挨拶 (夢の覚め際)

あけましておめでとうございます。

あっという間に平成 28年ということになって、本当にうつろな夢を見ているような気分になってしまうことがありますが、そろそろいい年でもあるので、少しは夢から覚めていこうかと思っている今日この頃であります。


そこで今年の年賀状。

Nym

使わせてもらっているのは、長谷川等伯の『猿猴捉月図』という水墨画。「猿猴捉月」というのは、仏教に伝わる『摩訶僧祇律』にある、猿が井戸に映った月を取ろうとして水におぼれたという故事からきており、一般には「身分不相応な大望を抱いて破滅することのたとえ」とされている。

しかし私は「実際にはない幻に執着して身を滅ぼすこと」を喩えているという解釈もあり得るのではないかと思っている。というわけで、諸々の執着を去りたいと思っているのだよね。もう還暦もとっくに過ぎたことだし。

長き手を伸ばして月を水面 (みなも) より掬はんとする夢の覚め際

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