「まっとうな問いかけ」への、的外れな反撃
今朝、NHK の朝のラジオを聞いていたら、『よいことと わるいことって、なに? 』という本が紹介されていた。「こども哲学」 というシリーズ中の一冊で、「フランスの小学校の哲学の授業で先生と子どもたちが交わした対話をそのまま本にした」 ものだそうだ。「ほぼ日」の記事にある担当編集者のコメントを引用しておく。(参照)
「どうして生きてるんだろう?」
「どうして人に親切にしなきゃならないんだろう?」
「宇宙って、ほんとにあるのかな?」
「恋をするって、すてきなこと?」
こどもは毎日、ありとあらゆる質問をします。
親として、おとなとして、あるいは友だちとして、
あなたはどんなふうに答えていますか。
考えてみると、おとなだって、なんで生きてるのか、
なんで親切にしなきゃならないのか、
それから宇宙の謎も、恋の秘密も、
わかっていないんじゃないでしょうか。
そんな素朴な疑問を親子で話し、
考えることができたなら
きっとすごく楽しいし、
いろんな発見があるに違いない!
とまあ、こんなような本である。ありとあらゆる問いかけに対して、さらに問いを投げかけるというスタイルで一貫していて、答えは提示されていない。物事を深く考えるきっかけ満載の本である。
この本が紹介されると、聴取者からメールで寄せられたコメントも紹介された。概ねポジティブな反応だったが、中に「正論過ぎる」というコメントがあった。私はそれにびっくりしてしまったのである。
何らかの結論が提示されているなら「正論過ぎる」という反応もわからないではない。しかしこの本は終始「問いかけ」で一貫しているので、結論は提示されていないのである。「問いかけ」に関して「正論過ぎる」なんて思ってしまう人のメンタリティって、一体どうなってるんだろう? 「くどすぎる」というなら、まだ話はわかるが。
思うにこの人は、「まっとうな問いかけ」というものに拒否反応を示しているのだ。そして自分の拒否反応があまり誉められたことではないと、薄々わかってもいるので、「正論過ぎる」という「おかしな反撃」を用意したのである。まったく的外れな、あさっての方向を向いた言い草ではあるが、この人にとっては客観的にはどうあれ、自分の心の平安さえ得られればいいので、こんな反応になったのである。
要するに彼(あるいは彼女)は、「まっとうな問いかけ」をされたくないのだろう。もっと言えば、「まっとうな問いかけ」を恐れているのである。問いかけられることによって物事を深く考えざるを得ないという状況に、追い込まれたくないのだ。
だったら正直に、「そんなに深く考えたくない」と言えばいいのに、「正論過ぎる」という言葉で「まっとうな問いかけ」に反撃したつもりになっている。そして反撃したつもりで、自ら墓穴を掘っているのである。
しかし実は、世の中にはこうした的外れな反撃が案外多い。的外れな反撃によって自分の心の平安を確保したがる人が、そこらじゅうにいるのである。そして言い換えれば、「まっとうな問いかけ」をする人は、世間からの攻撃に遭いやすいということでもあるから、ちょっと注意深くなってもいい。
ただ、純粋で世間ずれしてない人ほど無警戒に「まっとうな問いかけ」をしてしまうので、傷つきやすい。世の中は不条理である。
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