「ご馳走を食わない」というポリシー
昨年亡くなった野坂昭如さんは、ご馳走を食わないのがポリシーだったというが、実際のところはご馳走を食う気になれないというところだったらしい。『火垂るの墓』で語られた、飢えで亡くした妹を思うと、ご馳走は食べられなかった。永六輔さんもラジオで、「そう言えば、どんなパーティでも野坂さんがモノを食うのを見たことがない」と語っていた。
私は飢えで死んだ肉親をもたないが、野坂さんの気持ちが少しはわかるような気がする。そして野坂さんほどではないが、贅沢なご馳走を食うことに、軽い罪の意識を感じてしまうところがある。確実に言えるのは、高いご馳走を食うのが心理的にものすごく負担だということだ。
立食形式のパーティでは、そばと少々の魚と野菜という手頃な料理で腹を満たしてしまう。とくに最近は牛と豚の肉を食うのを極力避けているので、ずらりと並んだ料理の半分以上は、ほぼ自動的にパスできる。おかげでとても気が楽だ。
ふと見れば、ローストビーフなんかには長蛇の列ができているが、そんな面倒なものに並ぶ気になれないのがありがたい。さらにマグロやウナギみたいな絶滅危惧種も、食いたいと思わないからストレスがない。ましてキャビアやフォアグラなんて、自分の胃の中に入れるべきものとも思っていない。
着席スタイルの場合は、供された料理はしょうがないから基本的にすべて食い、肉でも残さない。食い物を残して捨てる「フードロス」を出すことの罪悪感の方が、ご馳走を食う罪の意識をやや上回るためだ。基本的に好き嫌いはまったくない。普段肉を食わないのは、嫌いだからではなく「極力食わない」というポリシーだからである。
ただ、デザートのメロンだけはアレルギーがあるので、ポリシー以外の理由で食べられない。「私は食べられないので、どうぞ」と差し出せば、隣に座った人が喜んで 2人分食べてくれる。私としてはアレルギーという免罪符のおかげで、高いメロンなんか食わずに済んでありがたい。
私は日本各地に出張する機会が多いが、行った先の名物のご馳走なんて、あまり食っていない。海辺の街で 2,300円ぐらいの海鮮丼なんかを食ったら、それはもう破格の贅沢で、フツーは夕食でも平均すれば 1,000円程度のものだ。
居酒屋での飲み会なんかで、刺身の盛り合わせなんかが出てくると、私はツマの千切り大根を専門にいただく。刺身は放っといても皆が食べてくれるから、私は大根を食う係と自分で決めている。大根を残してフードロスを生じるのは許せない。それにそもそも、おいしい大根を食わない者の気が知れない。
世界人口の 7人に 1人が飢えで苦しんでいるというのに、目の前の大根を捨てるに任せていては、必ずバチが当たると思っている。そんなわけで私は、野坂さんの「ご馳走を食わない主義」に共感を抱いてしまう。
念のため書いておくが、私は決して味音痴ではない。むしろ味覚は人より優れているという自信がある。「食の王国」と言われる山形県庄内育ちだもの、舌は自然に肥えてしまった。だからおいしいものは十分味わってありがたくいただくし、それほどでもないものは感覚遮断してありがたくいただくことにしている。
贅沢なご馳走以外にも、おいしいものはいくらでもあるし、むしろ旬の食材(もちろんその土地の)の持ち味をいかしてあっさりと料理したものの方に、馬鹿馬鹿しい値段の料理よりも本当においしいものは多いとさえ思っている。
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コメント
TVで、大食いや食べ物を粗末にする番組を目にすると、
満足に食べられない人たちが多くいるのに、
なにやってるんだと腹が立ちます。
地位や服装とは関係なく、食べ物への向き合い方で、
その人の品性って見事にでますよね。
ニュースで目にした福袋の奪い合いも何だかなぁ...。
投稿: さくら | 2016年1月 9日 12:26
tak-shonaiさんごきげんよう~
明けましておめでとうございます。
ずいぶん遅くなりましたがご挨拶いたします。
年末からずっと忙しくてちょっと風邪ぎみ。
でも大丈夫です。
tak-shonaiさんのブログはほとんど読みに来ているんですよ。ですから
安心してください。
tak-shonaiさんのポリシーすごいですね!!いつもご尊敬させていただいています。
まねはできませんが、
私も似たような感覚で生きています。
投稿: 朱鷺子 | 2016年1月 9日 12:32
さくら さん:
なくて済むモノを無理に欲しがらせる風潮とでもいうんでしょうかね。
関わりたくない世界ですね。
投稿: tak | 2016年1月 9日 19:07
朱鷺子 さん:
お久しぶりです。今年もよろしくお願いいたします。
風邪引くってことは、体が若い証拠なんだそうですよ。
とはいえ、お大事に。
投稿: tak | 2016年1月 9日 19:08
動物は、自分に近ひものを喰ったほうが効率よく血となり肉となるらしひですな。となれば、肉喰も理にかなつているのでせうかね。
魚も、煮たり焼ひたりするよりは刺身のほうが栄養素がこはれないさうですな。
貧乏な私にとつて、焼肉や寿司はめつたに喰へなゐ御馳走ですが、スウパアで購入した三割引きの「握り寿司」は御馳走といへるのでせうか。ううむ。
投稿: 萩原水寝 | 2016年1月 9日 23:07
おばあさんから、”お百姓さんが作ったコメは一粒も残したらいかん」と言われました。
中学の先生は「ごはん茶碗に付いたご飯のネバネバは最後にお茶で洗って飲め」とまで言われました。
そのせいで今でもご飯は一粒も残しません。
食事はご飯に納豆とたくあんがあれば十分です。
スーパーで握り寿司が半額で売られていれば買いますが、それが私にとって一番のごちそうですね。
ホテルの buffet(いわゆる食べ放題の食堂)で山盛りに料理を取って大量に残す人たちを見たことがありますが、その悲惨な光景に唖然としたことがあります。
ああいうことは、私には絶対できない。やったとしたら後々寝覚めが悪い。
投稿: ハマッコー | 2016年1月 9日 23:41
萩原水寝 さん:
菜食の方が持久力はつくという気がしています。
肉食は瞬発力でしょうかね。
私は最近は鶏肉は食いますが、豚・牛はパスです。
投稿: tak | 2016年1月10日 22:05
ハマッコー さん:
山盛りの料理を残す人をみると、私も同じ思いです。
「自分で取ったんなら、死んでも食い切れ!」 とまで思います。
投稿: tak | 2016年1月10日 22:06