「世代間倫理」 を考える暖冬の今日この頃
ここに来て少しは冬らしくなったが、これでようやく「平年並」だそうだ。この流れはどう見ても暖冬である。例年ならば今の時期、我が家の裏の土手は枯れ草色になり、明け方は霜柱だらけになるのだが、この冬は草が枯れずに青々としている。霜柱なんて全然なくて、ようやく早朝にうっすらと霜が降りるようになっただけだ。
年末年始は本当に「どうなってるんだ?」と言いたくなるほどの暖かさで、箱根駅伝のランナーたちも汗はかいても低体温症なんてことになる心配は全然ないようだった。第 2週に寒の入りとなってからは、少しは寒くなるとの予報だったが、それでも編年よりはずっと暖かかったし。
日溜まりではちょっと庭仕事をすると汗をかいていたし、日が昇ってしまえば、手袋なしで自転車を漕いでもぜんぜん平気だった。これは一体どうなってるんだろう。
聞けばエルニーニョの強さが半端じゃないらしい。ただでさえエルニーニョの年は暖冬だと言われているが、この冬は「チョー・エルニーニョ」だというのである。問題は、この暖冬がエルニーニョによる一過性のものなのか、あるいは地球温暖化に伴い、これからもちっとも珍しいことじゃなくなるのかということだ。
ちょっと悲観的な見方ではあるが、これは一過性の現象ではないと私は思っている。ここ数年の気候変化をみれば、多少の波はあっても、地球の天気は極端化に向かっているとしか思われない。
「地球はこれまでも何度も温暖化と寒冷化を経験してきているのだから、何も珍しいことじゃない」などとしたり顔で言う人もいる。しかしそれは呑気すぎる。これまでの変化は数百万年単位の変化だったが、今回の気候変化は、たかだか産業革命以来の 200年ぐらいの間の話だということを念頭に入れていない。この気象変化による地球上の生物へのインパクトは、これまでの尺度では考えられないほど大きなものになる。
我々の孫やひ孫の世代が、「2〜3代前の連中が調子に乗りすぎたおかげで、俺たちはいい面の皮だ」なんて呟かなくて済むようにする義務が、我々にはあると思っている。「俺たちはその頃には死んでしまっているから、どうでもいい」なんてことは言えない。それが「世代間倫理」というものである。
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コメント
大江健三郎さんは「もっとも基本的な倫理は、次の世代が生きる環境を壊さないこと」とパリで行われたシンポジウムで述べられました。
核廃棄物という巨大な負の遺産を残してしまった世代の一員として、後の世代の非難はまぬがれないでしょうが、せめてこれ以上環境を壊さないように、自転車に乗り、電気を節約し、だめにならない限り物を新しく買わない等々、先ほどの言葉を心に置いて生活しています。
私にはこんなことしかできないのです。
投稿: 萩原水音 | 2016年1月18日 13:41
萩原水音 さん:
まさにその通りという単純なことなのに、どうしてそれが通じない世の中なのでしょうねえ。
投稿: tak | 2016年1月18日 22:33