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2016年2月26日

原発問題に関する福島県民の感覚

昨日は仕事で福島県の郡山市に行って来た。そして明後日はそのちょっと南にある須賀川市に行く。別の用事ではあるが、このところ福島づいている。

福島県に行ってまず話題になるのは、やはり原発の問題だ。あの震災から 5年近く経つわけだが、はっきり言って何も解決していない。郡山市は案外放射能濃度の高い地域であるらしく、市民はことさら恐れるわけではないにしても、自宅付近や周囲の濃度については多くの人が数値を知っている。気にしないではいられないようなのだ。

除染した土壌の処理に関しても、「あちこちに中間貯蔵されちゃっていて、30年後に県外に搬出するなんていっても、誰も本気にしてませんよ」と、かなり悲観的だ。「埋めてある墓所の目印だっていい加減で、30年経ったら誰もわからなくなっちゃうんじゃないかと、それが心配」と言う人も多い。

日本全体では原発事故の問題も案外風化しつつあるような気がするが、現場である福島ではまだまだ不安が大きい。「福島県内と県外では、温度差が大きいなあと感じる」と、多くの人が言う。その辺りの感覚は、沖縄の基地問題と似通っている。現場にいないと実感するのが難しいのだ。

「原発は安全」という神話に最も大きく裏切られたのは福島県民であり、その神話をいい加減な形で復活させようという動きには、大きな疑問を感じてしまうのも道理である。起きてしまったことは取り返しがつかないが、この問題をきちんと直視し続けることが必要と感じた。

 

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