いくら出産と育児が大変なことでも
Twitter で、ぬえさんという方のツィートが話題になっている(参照)。下に引用する。
以前、小学校の 「命の授業」 でお母さん達が出産体験を話してきかせるというものがあり。先生の要望で 「いかに痛く苦しく出産後も育児がどれだけ大変か」 を話し、締めは先生から 「ご両親に感謝しましょう」 だったのですよね。児童達は 「将来大人になっても子供イラネ」 と話してた、と娘から聞きました。
これに対する返信も、「出産が苦痛を伴うもので、生んでからも大変な苦労が続くと聞かされては、子供を産みたくなくなるのも道理」とか、「伝え方が間違ってる」とかいうものがほとんどだ。つまり完全に逆効果である。
さらに、こんな話を聞かされた後に「ご両親に感謝しましょう」という結論になってしまっては、子供としてはかなり複雑な思いにとらわれる。殊勝な「よい子」は意識的には「そんな苦労をしてまで産んで育ててくれた両親に感謝しよう」と思うだろうが、潜在意識にそれと反対の思いを閉じ込めてしまう。
まじめなよい子ほどその潜在意識では「自分はそんなにまで不当な負担を両親にかけてしまったのか」とコンプレックスをもってしまう。そしてその「負の意識」による認識的不調和を解消するために、「別にこっちが望んで産んでもらったわけじゃないわ」とか「勝手に産んだくせに、恩着せがましいことを言うんじゃないよ」といった言い訳的負の思いを心の隅に抱く。
「よい子」ほど表面的には「両親に感謝している」と思いつつも、実は単に「親をまつりあげているだけ」となるのは、この認識的不調和を解消するためだ。借金してしまったら、誰だって態度のでかい金貸しとはあまり頻繁に付き合いたくない。
しかしそうした思いは望ましい自己肯定感をスポイルし、人生を意味のないつまらないものと考える傾向に結びつく。私は高校時代に「人生に意味がないなら、自分で意味を付け加えればいいじゃないか。同じ付け加えるなら、死ぬ時に後悔しないような意味がいいよね」と、「人生はおもしろい」とする大方針を決めたのだが、そう思えない気の毒な人も多い。
さらにもうちょっと考えてみると、こうした「苦労したんだからエラい(エラいということにしておかなければならない)」 との勘違い的価値感は、日本社会全体を覆っている。
仕事においても、同じことをさらりと片付けて定時に帰宅するよりも、苦労して残業してやっと仕上げる者の方が「あいつはマジメ」なんて思われたりする。その上、大抵のことをさらりと片付けてしまうやつには多くの仕事が押しつけられて誉められもせず、時間のかかるやつは大した成果もあげてないのに「あいつは人より仕事してる」なんて評価されたりする。
人間誰しも、余計な苦労はしたくない。だから余計な苦労をしているヤツに対しては、無意識に 「自分の背負いたくない重荷を背負ってくれているヤツ」 として、そいつに借りを作っているような畏敬の念を抱く。だからそいつを「苦労を一手に引き受けてくれるありがたいヤツ」としてまつりあげておかないと、不安になってしまう。そうすることで、自分は余計な苦労から免れる。
私なんか「同じことなら苦労するより、楽しんでやる方がずっといいよね」と思っていて、実際そんな風にやっている。そのため周りから畏敬の念をもたれることがない代わりに、余計な貸借感情のような思いを押しつけることもないので、あまりゴチャゴチャにとぐろをまいた人間関係に悩まされることもない。
出産においても仕事においても、「自分はこんなに苦労したんだ」なんてことを強調してはいけない。それは世の中を無駄に面倒なものにする行為である。
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