組み体操の「達成感」とは何かを、再び問う
昨年の秋、大阪・八尾の中学校の運動会で発生した組み体操事故に触れた「組み体操の達成感とは」という記事の中で、私は「大阪の八尾という地域は、このくらいの無茶をしても学校にねじ込みに来る『モンスターペアレント』がいない土地柄なのだろう」と書いた。しかし組み体操の死亡事故は、八尾に限ったことではなかったらしい。
3月 25日の NHK ニュースは、「組み体操の練習中などに起きる事故は年間 8000件を超えていて、昨年度までの 46年間に 9人が死亡、障害が残った子どもは 92人に上る」と伝えている。いやはや、学校というところはつまらないことに関してはすぐに「危険だから禁止」なんて言い出す割に、こんなに事故の多い組み体操を生徒にやらせるのは、大好きのようなのだ。
運動会などで組み体操をやらせたがる学校側の理屈は、いくつかのニュースを読んだ限りでは、「生徒に達成感を知ってほしい」ということのようなのである。しかし私は昨年秋の記事で、その昔に組み体操をやらされた者の実感として次のように書いている。
「達成感」ということについては、一番上に立つやつはそれを感じることもあったかもしれないが、一番下で支えているだけの者には無縁だった。何がなんだかわからないうちに成功を告げる笛が鳴り、最後にはいっぺんにペシャッと潰れて一丁上がりとなる。
どういうわけか 5〜6段ぐらいの規模だと、最後にタイミングを合わせて一斉に潰れると、怪我をすることはなかった。要するにそれだけのことで、いい思い出になったとか、達成感を味わったとかいう覚えはない。組み体操というのは周りで見ている者にはある種のカタルシスを感じさても、やってる当人たちにはおもしろくもなんともない。
要するに単なるスペクタクルで、見ている者にウケてやんやの喝采を浴びると、それをやらせた教師たちがいい気持ちになるのだろう。「達成感」が欲しかったのは、当の教師だけだったのかもしれないね。
組み体操というものに関しては、半年経った今でも、結論はこれと同じである。あれはやらせる側の教師たちの方が「達成感」を味わいたいだけなのだ。やる側の生徒、とくに一番下の段で重さに耐えるだけの者にとっては、あんなもの、面白くも何ともないのだ。端で見ている教師は妙な「達成感」をもってしまうのかもしれないが、やらされてる生徒たちがそんなことを感じるかといえば、はなはだおぼつかない。
毎年何人もの生徒が怪我をして、そのうち、障害が残るほどの怪我が年間 2人のペースで発生し、5年に 1人が死ぬというほどの無茶を続けてきたのは、教師の側の「達成感」を満足させるためだったのではないかと、私は疑っているのである。
そして運動会の観客となる親たちも、それを見ることで何となくいい気持ちになってしまい、いつものように「子供たちに危険なことをさせないでもらいたい」とクレームをつけるのを忘れてしまっていたのだ。ある種のカタルシスは魔物である。当たり前のことから目を逸らさせてしまう。
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