「子供を 2人以上産むこと」という校長発言
「女性にとって最も大切なことは子どもを 2人以上産むこと」などと発言した大阪市立中学校の校長が、3月末で退職するという。この発言を問題視した市教育委員会が処分を検討していたが、学校などに賛否両論の電話が殺到したため、「学校や教育委員会に多大な迷惑をかけた」として、自ら任用の辞退届を提出したものらしい。(参照)
これ、単純発想からすると「性差別的発言」で言語道断となるわけだが、「学校などに賛否両論の電話が殺到」という報道からも察せられるとおり、この発言を歓迎する向きもかなりある。なかなか複雑な問題なのだ。
確かに女性が 2人以上子供を産まないと「日本絶滅」になりかねないと心配している人たちにしてみれば、「最も大切なこと」と言いたくなる気持ちもわからないではない。しかしそれは、「少子化対策が日本にとって最重要課題」とする観点からのお話で、それ以外の価値感もあるのだということを忘れている。
「個人の能力を活かすこと」を重視する人にとっては、「2人以上産むこと」なんて、一律に強制されてはかなわないだろう。これはもう、「遠い将来の日本絶滅」を避けるか、「現時点での個人の能力発揮」を優先させるかという、二律背反の争いである。
つまり価値感の問題なのだ。なにしろ当の女性の中にも、「子供を産むことができるのは、私たち女性だけ」なんて、「生物学的優性は、我が方にあり」というような勢いで、やたらと誇らしそうに言い立てる人たちもいる。フェミニズムにもいろいろあるみたいなのだ。
そんなことを言われると、こちらとしてはおずおずと「その妊娠に至らしめることができるのは、男性だけなんですけど」と、言いたくもなるのだが。そんなことを言ってもあまり発展性がない。ただそうしたタイプの女性たちにとっては、今回の校長先生の発言は「任せて頂戴!」ってなことにもなるのだろう。
で、またしてもおずおずと、当たり前を言わせてもらえば、今回の校長先生の発言の最大の問題点は、「一般論として女性にとって最も大切なことは、子供を 2人以上産むこと」と受け取られてしまう言い方をしちゃったことなんだろうと思うのである。確かにそう聞こえてしまうのだから、これは問題だ。単純理屈と人情ベースのみに立脚した発言をしたがる人は、現代の教育者としてふさわしくない。
私としてはその校長先生に、「別に全ての女性が 2人以上産まなくても、平均で 2人以上ってことでいいんでしょ?」と確認してみたいところである。もしかしたら。「あ、そうか。それで OK です」なんて言われるかもしれない。しかしそうした平均値を可能にするのは、さらに複雑な問題になる。
まったく当たり前のことだが、1人の女性が産む子供の数は、ゼロだったり、1人だったり、2人だったり、それ以上だったりする。産みたくない人は産まなければいいし、産みたい人は何人でも産めばいいのである。ただ、その「産みたい人は何人でも産む」ことが無理なく可能となる社会を作るのは、政治と教育が責任を持つべき問題だ。単に「2人以上産め」と言い放つだけでは、教育者としては甚だ配慮不足だろう。
ちなみにこうした発言への批判として、「産みたくても産めない人への差別発言だ」という言い方がいつも出てきがちで、気持ちとしてはわかるのだが、私としてはそうしたステロタイプは避けたいと思っている。それはまた別の議論が必要になる問題だからだ。
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コメント
>産みたくない人は産まなければいいし、産みたい人は何人でも産めばいいのである。ただ、その 「産みたい人は何人でも産む」 ことが無理なく可能となる社会を作るのは、政治と教育が責任を持つべき問題だ。
もう、これ↑以外にどんな結論があるのかって気がしてきます……。
投稿: 山辺響 | 2016年3月31日 13:22
山辺響 さん:
まさに「まったく当たり前のこと」 ですよね。
投稿: tak | 2016年4月 1日 08:42