災害時の支援物資オペレーション
今回の熊本の地震でも、届けられた支援物資が必要とされる被災地になかなか届かないという現象が起きているらしい。物資の集積ポイントには、全国の企業や一般人から届けられた物資が山積みにされているのだが、なにしろ仕分けする手が足りず、周囲の道路も寸断されたりしているので、なかなか分配できないという。入り口には溜まる一方だが、なかなか捌けて行かないのだ。
5年前の東日本大震災でも同様のことは指摘されていた。赤十字やら県庁やらを通して届いた物資は、あるところには山積みにされるほどあるが、それが実際に必要とされるところにはなかなか届かない。単に人手不足とか道路事情とか言う前に、「公平を期すために十分に溜まるまでは保管する」なんて、「なんだかなあ」と言いたくなるような理由で、分配を遅らせたりしていたらしいのである。
あまりにも中央集権的なオペレーションをすると、とかくこんなことになる。
私の 5年前の経験では、「よっしゃ、俺にまかせろ!」みたいな気になった「やる気のある」個人、あるいはグループが、物資をかき集めるだけ集め、自主的にトラックに満載して、届けたい先にピンポイントで届けるというのが、とてもありがたがられていた記憶がある。とにかく、「やる気」の問題だ。
公式的には「赤十字などのしっかりしたルートを通さないと、混乱の元になる」とか「勝手にモノを運んだら、現地の交通が大渋滞になる」とか言われる。しかし経験上、言わせてもらう。少なくとも初期の段階では、私の知る限りそんな心配はほとんどなかった。
周囲でも、自主的に軽トラの荷台に積載重量オーバーの水タンクを積んで、毎日のように潮来の被災地に配りまくったやつや、東京で支援物資をかき集められるだけかき集め、トラックをチャーターして関係先に配りまくりながら岩手県まで行ったやつがいる。彼らが支援体制を混乱させたとか、交通渋滞の元を作ったとかいうことは、まったくなかったと言っていい。
そもそも被災地ではガソリンが入手しにくいのだから、交通渋滞なんてあまり発生しない。通行できないほどの被害を蒙った幹線道路の周囲は混乱するが、現地の草の根情報を頼りに行けば、抜け道は案外見つかる。というわけで、ゲリラ的支援物資配送は、案外ありがたがられる。
それにつけても思い出すのは、昭和 39年(東京オリンピックの年)6月に発生した新潟地震の時のことだ。被害の復旧が一段落し、みんな地震のことなんか忘れかけていた夏休み過ぎ、私の通う小学校に、どかっと支援物資が届いた。段ボール箱を開けると、毛布、古着などの他、古本、鉛筆、クレヨンなど、「なんでこんなものを支援物資として送ろうと思ったかなあ?」と言いたくなるようなものが入っている。
これぞ中央集権的すぎる支援物資分配の、典型的ピンぼけである。天災も支援物資も、忘れた頃にやってくるのだ。
みんな嬉しくもなさそうな顔をして、そんなガラクタを山分けし、私は誰ももらい手のなかったソノシート(といっても、若い人はわかるかなあ)を持って帰った。それは「東京オリンピックのための英会話レッスン」というものだった。案外良くできた会話集だった。これがなんで「支援物資」なのか、今でもわからないが。
ただそのおかげで私は、中学校に入る前に妙に英語が得意になってしまったのだった。人間の運命というのは、どこでどう変わるか、わからないものである。
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コメント
地震発生→救援物資→英語のソノシートをもらう→英語の学習が好きになる→その後の人生に良い影響。人生はおもしろい。
投稿: ハマッコー | 2016年4月21日 15:04
ハマッコー さん:
まったく、何が幸いするか、あるいは災いするか、人生はわかりません。
投稿: tak | 2016年4月22日 01:06