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2016年4月18日

熊本のことを思うと、平静ではいられない

東北出身で関東在住の私だが、実は九州には案外知り合いが多い。中でもとくに熊本周辺に知人がたくさんいる。これまで連絡が取れたところによると、知人のほとんどは無事ということだが、半分以上は本人に直接確認できたわけではなく、「無事らしい」とか「避難しているらしい」とかいう伝聞情報だ。

何しろ熊本在住者の中でも情報不足で、直接無事を確認し合えているわけではないようなのである。電話回線の状況はかなり回復しているようだが、避難しているために家デンはいくら呼び出しても誰も出ないことが多く、ケータイはバッテリー切れなのか、なかなか通じないらしい。

というわけで、死んだり大きな怪我をしたりした知人はいないと踏んでいるのだが、小さな怪我ぐらいはあるかもしれない。また避難所で不便な暮らしをしながら、頻繁に襲ってくる大きな余震で、ストレスを抱えてしまっていることもあるだろう。

私は 5年前に東日本大震災の「被災者」となってしまったこともあって、他人事とは思えないのである。ただ私の場合は、「被災者」といってもその中では一番軽いもので、家の中はいろいろなものが散乱して大変なことになったが、電気と水道は止まらずに済み、ガスは当時 LP ガスだったので、ライフラインは確保されていた。ただ食料品の供給がかなりタイトだったので、あの時何を食って生き延びていたのか、よく覚えていない。

さらに常磐線が動かず、ガソリンも入手できなかったので、仕事することができず、半月以上は「プチ失業状態」となった。サラリーマンなら給料はもらえたようだが、私は独立事業主なので、2ヶ月後の入金が限りなく「ゼロ円」に近づきそうだったので、正直なところかなりあせった。

今回の熊本の場合は直下型地震だけに、純粋に「揺れ」による被害はどう見ても 5年前の東日本大震災より大きいようだ。さらに 5年前は首都圏から近かっただけに、ボランティアや支援物資の到着が、案外早かった。今回は交通網がずたずたになっていて、物資の輸送もままならないという。被災者の不安は、とても大きいだろう。

今できることは、「熊本のためにみんなで祈っている。できるだけのことはしたい」と伝えることだけだ。東日本大震災の時も、多くの人が思いを馳せてくれていると知るだけで、大きな心の支えとなった。今度は恩返しする番だ。

 

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