カメラマンの共通した特性
仕事でカメラマンと一緒に行動することが結構多く、おかげで何人ものカメラマンと親しくなった。 ちなみに今どきは「フォトグラファー」という方がシャレオツで、「カメラマン」というのは和製英語だが、ネイティブの英語話者にも "camera man" は案外通じてしまうことが多く、とくに日本に馴染んでいる人は自分でもこの言葉を使ったりする。
普段の会話でも、彼らは自分のことを「報道カメラマン」ということが多く、「報道フォトグラファー」というのは、日本語としてまだ馴染んでいないと思う。まあ、そんなこともあって、ここではあえて「カメラマン」で通すことにしたい。
カメラマンたちとの長い付き合いのうちに、彼らにはある共通した特性があると思うようになった。それは「固有名詞を覚えない」ということである。一緒に仕事をして、私は取材したことをテキストにまとめるのが仕事だから、行った先の地名、そこで会った人の名前、神社仏閣の名前など、固有名詞を少なくともしばらくは憶えて忘れない。
人の名前などは時間が経つと忘れてしまうことが多いが、行った先の地名などはまず忘れない。集落の名前となると記憶から漏れてしまうこともあるが、少なくとも市町村レベルの地名は忘れるはずがない。しかしカメラマンたちは、自分の行った土地の名前を覚えていないことが多い。県庁所在地クラスの街なら忘れないが、地方の中小都市レベルだと憶えていられないみたいなのである。
一緒に〇〇県△△市に出張し、列車の中などで「△△市って、行ったことある?」と聞くと、彼らは大抵「ええと、多分初めてだと思いますよ」なんて言う。ところが目的地に着いて駅前の景色を眺めるやいなや、「あ、ここ、来たことある!」なんて言い出すのである。
つまり彼らは、自分の行った先の土地を、地名ではなく視覚情報で記憶しているのだ。さすが映像を商売にするだけのことがある。
私が驚いてしまうのは、そんなに特徴的な風景でなくても、彼らの記憶にはしっかりと画像情報として記憶されているということだ。地方都市の駅前の風景なんて、どこに行ってもそんなに変わり映えするようなものじゃない。私に言わせれば、どこも似たような呑気な風景である。しかし彼らには訪れた地方都市の駅前風景が、一つ一つ差別化された個別情報としてしっかり記憶されているのである。
そして彼らは、撮影する時に多少の危険は厭わない。高層ビルの窓の外に身を乗り出してみたり、断崖絶壁から身を乗り出したり、背丈ほどの荒波が打ち寄せる岸壁に立ったりすることに、それほどの恐怖は感じないみたいなのである。
ところがよく聞いてみると、「カメラを持たなかったら、そんな危ないことはできないかも」なんて言ったりする。彼らはカメラを持ちさえすれば、かなりの命知らずになれるようなのだ。
さらに人物のスナップ写真を撮るのに、前景や背景などの「余計なモノ」をさりげなく取り去ってしまったりするのは「当然のこと」のようだ。だから部屋の中の灰皿や額縁、カレンダーなどがいつの間にかどこかに消えてしまっていることが多い。そして驚くことに、撮影が終わるとそれらのものを元通りの位置に、ささっと戻す。元の位置を正確に覚えているのも、彼らの「視覚記憶」のなせるわざだろう。
「テキスト派」の私としては、一緒に仕事をする「映像派」の彼らの行動が興味深くてしかたがない。彼らと接していると、世界が広がるような気がするのである。
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コメント
cameramanという英語もあるにはあるけど、テレビカメラを操作する人を指すのではなかったでしたっけ。まぁphotographerの意味でも通じそうではあります(笑)
報道カメラマンはphotojournalistかなぁ。カタカナでは言いにくいですね……。
投稿: 山辺響 | 2016年4月20日 11:04
山辺響 さん:
今、調べてみたら、本当だ、cameraman という英語はあるんですね。
道理でネイティブの連中にも抵抗がないと思った。
ただ、本来はやっぱり映画やテレビのカメラを操作する人のことのようですね。
確かに、「フォトジャーナリスト」を名乗っている人もいるにはいますね。そのうち、この単語に取って代わられるのかなあ。
投稿: tak | 2016年4月20日 18:51