テキストを書くスピード
読みやすいきれいな文字で手書きすることができない体になってしまった。私が文字を書くのは、キーボードを使った「デジタル・データ」としてのテキスト入力と、自分の憶えのための「手書きメモ」の 2種類がほとんどである。仕事柄か、そのどちらもフツーの人たちよりずっと速い。
「手書きメモ」は自分が読めさえすればいいので、いわゆる「つづけ字」や 「くずし字」に慣れない若い人には読めないような文字に、自然になってしまう。とにかく「速く書く」ことが優先なので、見た目や体裁にはまったくこだわらない。世の中のノートというのは大抵罫線入りだが、私の場合はその罫線にまったくとらわれず、大抵は罫線 3行分に 5行ぐらいの大きさになる文字で書き殴る。横書きと縦書きが混在するのも日常茶飯事だ。
世の中には、メモや日記などのまったく個人的なテキストを手書きするのでも、ノートの罫線にきっちり沿った几帳面な文字を書く人もいる。ところがそうしたタイプの人が文字を書いているのを見るともなく見ていると、とにかく遅い! 私のスピード感覚からすると、かなりイライラする。彼らが 10文字書く間に、私なら 40〜50文字は書く。
「その気になれば、いくらなんでももっと速く書けるだろうに」と、何十年も思い続けてきたが、その考えはどうやら間違っているようだと、最近気付いた。というのは、人は考えるスピード以上の速さで文字を書くことはできないのである。ゆっくり考える人は、速く書けないのだ。
「そんなことを言っても、講演の内容の筆記など、人の話を書くことなら、速く書くことはできるはずじゃないか」という疑問もあるだろう。しかし話す内容を一言一句そのまま機械的に書き取る口述筆記的な特殊技術を除けば、人の話をメモする場合でも、頭の中でずいぶん考えながら書いているのだ。
話の内容を手短に要領よくまとめて書けるか、そのまま書き取ろうとして付いていけなくなるかは、瞬間的な「編集能力」に左右される。瞬間瞬間で編集しながら書いていけば、その人の話をほぼ網羅したメモを残せるが、それができない場合は、書き落としがかなり多くなるだろう。
「考えるスピード」に左右されるというのは、手書きだろうがキーボードでの打ち込みだろうが同じである。そして普通は、書くよりも考えるスピードの方が速いと思われるだろうが、それは逆だ。慣れさえすれば、考えるスピードよりも速く書ける。だから物を書く時には、筆を休めたり、キーボードの上で指が止まっている時間というのが、案外長い。
しかし時に、何のストレスもなくひたすらキーボードを叩き続けられることがある。書く内容が次から次に噴出してくるのだ。スポーツでは「ゾーンに入る」という言い方をするが、物を書く場合でも時としてそんなことがある。私はそれは「物書きの神が降りてきている」状態だと思っている。
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