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2016年4月25日

地震予知というもの

台湾の「地震予測研究所」というところがブログに、2016年 4月 22日までに、マグニチュード 8 クラスの大地震が起こると書いたらしく、その噂が広がっていたが、結果的には当然にもそんな予測は当たらず、それに伴う騒動は収束に向かった。

「22日」という予測の日に先立ち、NHK の公式ツイッター「NHK 防災・生活」は 20日の時点で、「現代の科学では時間や場所を具体的に特定する地震予知は確立されていません。日本はどの地域でも地震への備えが必要ですが、あやふやな情報にはくれぐれもご注意下さい」と警告を発していた。これに関して、"「地震予知は科学ではない」 と NHK が注意喚起" という記事が流れたが、NHK は「科学ではない」と直接言ったわけではない。

「地震予知は科学ではない」というのは、ビミョーに言い過ぎだろう。噂の台湾の研究所というのは、本当に「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」レベルのものらしいが、世の中には真面目に地震予知を行おうとしている人もいる。ただし、それがまだ科学としての確立に至っていないという話であり、少なくとも地質学などの知見を総合することには、意味はあるだろうと思われる。

ただ本当に地震予知というのは難しい話で、身近な「土砂崩れ」の予測すらできないことからも、その困難さが推測できるというものだ。「土砂崩れの危険性の高い区域」というのは、既に特定できている。しかしそれが具体的にいつ発生するかというのは、特定できない。それが特定できていたら、土砂崩れによる人的被害なんてなくなるだろうが、それすらできていないのである。

同様に、「大地震の可能性の高い地域」というのも、既に特定されている。最近とみに話題になっている 「南海トラフ地震」 なんていうのは、太古の昔から周期的に発生しているのだから、「可能性が高い」どころか、「必ず」と言っていいほど確実に発生する。それは前提なのだが、具体的にいつ発生するかというのは、特定できていない。

それもまた当然の話で、何十年、何百年という時間は人間にとってはかなり長い時間だが、地球的なレベルで考えれば「一瞬」みたいなものである。地球の方が 「一瞬」 と思っていることを、人間のせっかちすぎる物差しで時間的な特定をしようとしても、それは無理というものだ。

しかし、地震発生の日時までは特定できないまでも、「その時はかなり近付いてきている」というところまでは、言うことができるようになるだろう。現在のレベルでは、まだまだ漠然としたことしか言えないだろうが、データを集積することにより、その時間の幅を徐々に狭めていくことならできるだろう。もっとも、それもまた先の長い話だろうが。

何しろ大地震というのは頻発するとはいいながらも、数年に一度の出来事である。ケースが少ないのだ(もっとも、それより多くては危なくてこの国には住めないだろうが)。それに地下深くの地質構造にしても、詳細なデータがそんなにあるわけじゃない。研究の進み方が遅々としたものになるのも当然だ。

とはいいながら、「どうせ地震予知なんてできないんだから、そんなインチキ研究は止めてしまえ」というのも、私には暴論に思える。科学か科学でないかの判断は、きちんとした科学的手法で行っているかどうかによる。その歩みは遅々としているし、きちんと科学的であろうとすればするほど急な進展は期待できないだろう。しかしまったく意味のないこととは思わないのである。

 

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コメント

地震学というのは、複雑系の極致と言ってよく、そう短時間では歩みは進まない。地震発生の理論は東大の竹内均先生(多分名前は当たっている)がプレートテクトニクス理論を展開してから明らかになりましたが、個々の場所においての発生のメカニズムは様々なパラメータが加わってくるのでそう簡単には解明できるものではない。

GPSや全国各地にある即時にデータを収集できる精密な地震計のデータを集めだしたのは、つい昨日のことなので、スパコンを使っても、その解明には数百年の歳月がかかるといってよい。いや、1000年かかるかもしれない。

と言っても、地震の発生は防ぐことは不可能なので、大事なことは地震に強いインフラと、地震が起こった場合の救援体制を、明日起こるかもしれないという危機感を持って整えることが肝要でしょう。今回の熊本地震ではその体制が未熟だったと思います。

投稿: ハマッコー | 2016年4月27日 13:14

ハマッコー さん:

まさに 「複雑系の極致」 ですね。

ただ、思えば天気予報だってそんなところがあり、伊勢湾台風の時代には台風の進路すらまともに予想できていなかったために、あんな大被害につながったのでした。

私が子供の頃は 「宝くじと天気予報は当たらない」 なんて言われていたものですが、最近はかなり正確に予想でき、台風に備えることも可能になっています。

天気予報は毎日具体的なデータが集積され、台風は 1年に 20とか 30とか発生しますが、大地震はそういうわけじゃないので、なかなか難しいですが、徐々に進歩はするでしょう。

投稿: tak | 2016年4月28日 03:16

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