「文字を書く」という行為を巡る冒険
「文字を書く」ということは、どんなことだったのだろうかと考えてみることがある。今でこそ我々は何でもかんでも文字にして記録したがるが、太古の昔はそんなことはなかった。文字を書くという行為には、かなり重々しい意味があったのだろうと思うのである。
そもそも人間は、大抵のことは頭の中に、というか、体の中に記録した。元々は身体化されたデータのようなものが、いつしか「言葉」となり、大脳皮質の中に蓄えられるようになった。だから元々人間は、多くのことは身体的な彩りをかなり残したままで、頭の中に蓄積していたのだろうと思うのである。
だから稗田阿礼は膨大な『古事記』を記憶して語ることができた。歴史をかなり下っても、文字を持たない民は長大な叙事詩を民族遺産として受け継いできた。アイヌの 『ユーカラ』 も、身体的彩りを残した言葉の宝庫である。こんなのは脳みその表面にある大脳皮質の働きだけでは無理なことで、身体性と不可分のところで初めて可能になっていたのだろう。
落語だってハッつぁん熊さんらの身体性と不可分だから成立する。講演なんかも聴いていて退屈しないのは、随所に適度な身体性を取り混ぜるスタイルだ。高尚な理屈だけで淡々と続けられたら、大抵途中で眠っちゃう。だから私のブログでも、時々「眠っちゃう」みたいな身も蓋もない口語を滑り込ませるのは、実は計算ずくの異化効果なのだよ(などと、文章の行儀悪さを正当化する)。
稗田阿礼の口述を太安万侶が筆記して『古事記』という書物にしたように、昔は「言葉」を「文字」として記録するというのは、誰でもできるようなことではなく、ある種呪術的なまでの「特別な行為」だった。かなりの部分を語り手の身体性に依存し、時には自在に変形されることも可能だったデータを、文字というメディアによって固定する。それは「世界を固定化するための行為」であったろう。
それはある意味とてつもないことで、神の天地創造を受け継いだ「二次創作」みたいなものだったから、初期の文字遺産の多くは「神話」として記され、その後の文字は「歴史」の固定化のために機能した。言葉は世界を造り、文字は造られた世界をオーセンティックに固定化させる試みであったのかもしれない。
しかし、いくら文字として固定化しても、世界はその固定化をいとも簡単にすり抜け、思いがけない方向にどんどん変わり続ける。変わり続ける世界を必死に追いかけながら記録するうちに、「文字」は初期の呪術性を失い、その代わりとても世俗的で便利なメディアになった。
そして膨大な量で文字化されてしまうと、「世界そのもの」もその反作用を受けて韻文的な性格を薄め、いとも散文的なものとなった。まあ、早く言ってしまえば、世界は昔には考えられなかったほどの利便性を獲得したものの、その反面ではとても味気なくなってしまったというわけだ。
私がこの "Today's Crack" というとても散文的なブログの裏側で "Wakalog"(和歌ログ)という韻文的なブログをやらないと、精神的なバランスが取れないような気がしているのは、そんなところからも来ているような気がしているのだよね。
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