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2016/05/11

「祥月命日」は「正直なところの命日」だと思っていた

昨日は母の祥月命日で、それに関した「ある話」はもうとっくの間に書いたことだと思って、このブログの中を検索してみたのだが、見当たらない。「いや、そんなはずはない。確かに書いた」と、さらに検索してみたら、「和歌ログ」の方の 6年前の本文に書いていた (参照)。

どういう話かというと、「祥月命日」という言葉の意味についてである。若い人の中には、単なる「命日」と「祥月命日」の区別がつかない人もいるだろうから、念のために書いておく。

「命日」は毎月あり、「祥月命日」は 1年に 1度である。例えばじいさんが 10年前の 8月 10日に亡くなったのだとすると、毎月 10日が「命日」である。そして月まで同じの 8月 10日というのが「祥月命日」となる。

私の生まれ育った庄内地方はかなり訛りのきつい地域なので、「祥月命日」を「しょっづぎめーにづ」と発音した。そして「正直」のことも 「しょっずぎ」と発音するので、耳で聞いただけでは「祥月」と「正直」の区別はほとんどつかない。だから子供の頃は「祥月命日」は「正直命日」なのだと思っていた。

うちの田舎は信心深い土地柄で、黙っていてもお寺の和尚さんが直近に亡くなった先祖の命日にやってきて、仏壇に向かって読経し、こちらはその度にいくらかのお布施を出す。そして 1年に 1度の「祥月命日」になると、家人は「おお、今日は『しょっづぎめーにづ』(あるいは 『しょっづぎび』)だ」 と言って、仏壇を念入りに掃除したり、特別のお供え物をしたりする。和尚さんのお経もちょっと長めになる。

というわけで幼い頃の私は、毎月和尚さんがやってくる命日は、和尚さんがお布施をもらうための「嘘んこの命日」で、1年に 1度だけ「正直なところの、つまり本当の命日」がくるのだと思っていた。それが誤解だと知ったのは、なんと高校の頃だったような気がする。普段接する活字の世界では、それほどまでに「祥月命日」なんて言葉にお目にかかることがなかったということだ。

最近では、毎月の命日にとくに懇ろに供養するなんて風習も薄れて、「命日」と言えばほとんど祥月命日のことを指すようにさえなった。だから「祥月命日」を「正直なところの命日」なんて誤解してしまうようなこともなくなった。

しかし私の子供の頃の誤解はなかなか 「味な誤解」 だったと、今でも思っている。

 

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