オバサンたちは私語が多い
先日、ちょっとした地域の講演会に顔を出してみた。聴衆は地域のオバサン連中を中心に 100名にちょっと足りないぐらい。たいして面白い講演でもなかったが、まあ、浮世の義理(断っておくが、選挙関連ではない)で人数あわせのために参加したので、講演が終わったらすぐに帰って来た。
その時につくづく思ったのだが、オバサン連中というのは、やたらと私語が多い。開会前からあちこちで世間話に花が咲いていたのだが、講演が始まってもその私語はまったく収まらない。講師の話なんかまったくお構いなしに、堂々とした世間話が延々と続く。
「この人たち、3分間黙らせたら死ぬんじゃあるまいか」と思ってしまうほど、とにかくしゃべる、しゃべる。どうでもいい話をしゃべり続ける。
そういえば、この感覚は覚えがある。うちの娘たちが小学生だった頃の授業参観だ。わが家の三姉妹は同時に同じ小学校に通っている時期があったので、授業参観には妻とかけもちで参加していた。今思えばずいぶん律儀なことである。
小学校の授業参観なんて、9割近くが母親の参加なのだが、その半数ぐらいが、授業の真っ最中に教室の後ろで世間話をしているのである。そんなに話をしたかったら、教室から出て廊下の端っこで思いっきりしゃべっていればいいと思うのだが、彼女らはまったくお構いなしに、教室でずっと私語を続けている。
あのオバサンたちは世間話に熱中すると、自分たちの世界に入り込んで、周りが見えなくなってしまうようなのだ。それにしても、あれでは教師が気の毒だ。授業中に私語をするなと子どもを怒れないではないか。あれって、茨城県特有の現象なのだろうか。それとも全国共通なのかなあ。「人の口に戸は立てられない」と言うが、「オバサンの口にはカーテンすら下ろせない」と思ってしまう。
念のために断っておくが、私の妻も、あの私語の多さには呆れてしまっていた。
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コメント
最近は、オッサンのお喋り(私語)にうんざりしています。
親戚の葬式に行きました。坊さんがお経をあげている時に後方にいたオッサンが3人で喋りっぱなしで、内容は要するに ”病気自慢” です。後で分かりましたが、その3人は、妻(84歳)を亡くした喪主の後輩社員です。
彼らにとって葬式なんていつものことだし、Reunion に過ぎないんですね。喪主が振り返って睨んでいましたが一向に私語が終わらない。今どこにいるのか全く自覚がないのです。
ファミレスでもオッサン(70歳過ぎ)の大声のお喋りが止まない。内容は ”二枚目と言う言葉は歌舞伎から来てんだ” です。
これを仲間内の誰かが ”そうなんだ” というまで3回繰り返していました。ファミレスは私語をしてもいい場所なので私語は構いませんが、大声はいただけない。
人間は、定年退職すると途端に社会性を喪失してしまうのかと、疑っています。
たぶんそういうことでしょう。
投稿: ハマッコー | 2016年6月30日 00:17
ハマッコー さん:
>人間は、定年退職すると途端に社会性を喪失してしまうのかと、疑っています。
それは度々感じますね。タガが外れてしまったんでしょう。
彼らは仕事上での 「遠慮」 というタガはあっても、根本的に自分を律するタガは持ち合わせてなかったんでしょうね。
「二枚目」 の語源に関しては、フツーの歌舞伎ファンだったら、あんまり当たり前の豆知識過ぎて、大声で言うのも恥ずかしい程度のことですがね。
投稿: tak | 2016年6月30日 21:05