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2016年8月12日

「お盆玉」というのが、じわじわきているらしい

「お盆玉」というのがあるらしい。フォークロア的視点で考えたら、「お盆魂」で、お盆で帰ってくる先祖の魂のことかと思ったら、さにあらず、今はやりつつあるのは「お年玉」のお盆版で、じいさん・ばあさんが孫に金をあげるのだという。郵便局で「お盆玉」専用のポチ袋を売っているらしい。

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節分に食べる 「恵方巻」 というのはコンビニ主導で全国に普及してしまったが、今度は郵便局が「お盆玉」をはやらせて一儲けしようとたくらんでいるようなのだ。帰郷してくる孫たちにあげるポチ袋だけでなく、離れたところにいる孫向けの現金書留の取り扱いを増やそうという魂胆なのかもしれない。

「お盆玉」という名称は、紙製品・包装用品製造販売のマルアイという会社(本社・山梨県)が商標登録しているという。ただ、この「お盆玉」の起源は、山形県であるらしい。複数のサイトに「江戸時代に山形地方で奉公人にお盆小遣いを上げる風習があった」と記されている。情報元は山形県立博物館ということになっている。

私は山形県出身だが、そんな話は聞いたこともないので、「本当かいな?」といろいろ当たってみると、山形県の大江町辺りでそれらしき風習があったようだという、極めて曖昧な情報があるらしい(参照)。大江町というのは山形県の内陸にある盆地のはずれ(つまり山里)で、私の生まれた海辺の庄内地方とは隔絶されているから、「聞いたこともない」というのももっともなことだ。

それにしても、関西以西の人間にとっては秋田県との区別も付かないほどの田舎の山形県の、そのまたさらに田舎の大江町で、確かにあったという文献的証拠もないが、どうやらあったらしいというに過ぎない程度のチョー・マイナーな風習を、よくもまあ掘り出してきたものである。商魂というのは油断ならないものだ。

さらに言えば、同じ商標登録するなら発祥の地の大江町がやってしまえばよかったのに、遠く離れた山梨県の企業にかっさらわれてしまっているというのも、山形県人の純朴さというか、呑気さを物語っている。少なくとも商才には恵まれていない。

世の中には、孫にお金をあげたくてたまらないというじいさん・ばあさんが少なくないようなのである。金をやる理由はなんでもいいので、郵便局が提唱してくれているなら、喜んで乗っかってしまうのだろう。

とはいえ、そんなにお金に余裕がある人ばかりじゃないから、NAVER には "ヤバい・・。郵便局が 「お盆玉」 を流行らそうとしてる!" というまとめがあって、「正月ばかりでなく、夏にまで金を用意しなけりゃならないのか」と嘆く声がある。日本社会は経済的にも本当に二極化しつつあるのだね。

「お盆玉」の相場は、お年玉と同額かやや少ない程度なんてことになっているらしく、そんなことなら自分が子どもの頃に普及させてもらいたかった。今頃になってじわじわきている気配があるのは、誠にもって困ったものである。

 

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コメント

「おぼんだま」いいですね。とくに平がなで書くと、tak先生の仰るようにさまざまにとれ、素朴で奥深いものを連想させます。
「おぼんだま」う~ん、夏の風物詩になることができるでしょうか。
それはそうと、袋に例の「ねづみ」の絵が(シルエットですが)ついているのはいかにも「売らんかな」ぽくて疑問を感じます(私はこの袋を使う相手もいませんがw)。

投稿: はぎ腹みづ禰 | 2016年8月16日 14:02

はぎ腹みず禰 さん:

私も孫がいないので、他人事ですけどね ^o^

投稿: tak | 2016年8月16日 16:02

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