「団塊の世代の尻尾」の都知事が生まれることについて
東京都知事選に勝利した小池百合子さんは、Wikipedia によると生まれは「1952年〈昭和27年〉7月15日 ‐」ということになっている。なんだ、私と 11日違いの同級生だったのか。まあ、向こうは芦屋生まれのお嬢様で、私は東北片田舎の生まれという違いがあり、さらに私が生まれたのはヘルシンキ・オリンピックの真っ最中(7月 19日 〜 8月 3日)だが(参照)、向こうは開会式の 4日前だけどね。
戦後生まれといえば「団塊の世代」という言葉が思い浮かぶだろうが、昭和 27年生まれはそれには含まれない。これも Wikipedia によれば、団塊の世代とは 「第二次世界大戦直後の 1947年(昭和22年)~ 1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代」 とあり、ということは、たったの 3年間に生まれた世代のことだ。
まあ、ベビー・ブームのほとぼりがあと 2年ぐらいは続いたとしても、やはり昭和 27年生まれは含まれない。私が 10年以上前に書いたコラムでは、「昭和 21~25年生まれとみていい」としている(参照)。
確かに、自分の小学生時代を思い出しても、2〜3年上の学年はやたらクラスの数が多くて溢れんばかりだったが、1年上ぐらいから急に減りだしたという印象がある。つまり私の年代は「団塊の世代の尻尾」みたいなものだ。急に細くなってるのである。
私は自分の世代を「団塊の世代が数にまかせて荒らしまくった世の中の、後始末をしなければならない世代」と思っている。本当に実感としてそうなのだ。私がミドル・ティーンの頃は、ちょっと上の「お兄さん世代」がブイブイ言わせていろいろな流行を作り出しているのを見て、それを「カッコいい」 と感じ、自分ももう少しすれば後に続けると思っていた。
しかし彼らの作った社会現象というのは、2〜3年経ってみるとあっという間に風化してしまい、私が自由に動ける年齢になった頃には、その残骸が残っているだけなのである。おいしいところは上の世代にしゃぶり尽くされて、そのゴミしか残っていない。そのゴミを片付けなければ、新しいこともできない。
最もそれを感じたのは、大学に入った時である。私は 1971年にワセダに入ったのだが、上の世代の起こした「学園紛争」でキャンパスは荒れ果て、年間の半分以上はロックアウトされてまともな授業が行われなかった。私は毎日アルバイトだけしてうつろに過ごしていた。
何をするにしても、上の世代が荒らしまくり、ペンペン草も生えなくなった荒野を行くしかなかったのである。こう言っちゃ何だが、団塊の世代は散々派手にやるだけやって、それが一巡すると放り出して次の流行りに飛びつく。その後始末は大抵我々の世代に押しつけられるのである。
さらに言わせてもらえば、団塊の世代は「新しい価値感」を創造したなんて言われるが、我々からすると決してそういうわけでもない。単に若さにまかせて目新しいことをやりまくっただけで、中身は結局「旧世代」である。その証拠に、彼らの多くは社会に出た途端にすっかり旧態依然の「企業戦士」に変身してしまった。
そこへ行くと、我々は団塊の世代の後始末ばかりしてきたから、旧来のシステムにちょっとした反感をもっていて、それに染まろうとは思わない。小池さんは自民党の推薦問題で「挨拶がない」なんて言われた途端にケツをまくり、「私は『根回し』ができませんから」と言い放ったが、私もその「根回し」というのが苦手というか、もっと言ってしまえば大嫌いである。
ところが団塊の世代までの人間は、案外「根回し」が好きのようなのだ。その辺りが、「団塊の世代は旧世代」と思ってしまう所以である。
最近相次いで亡くなった、永六輔氏、大橋巨泉氏の世代、つまり思春期に戦後を迎え、価値感の大転換を経験した世代は、結構新しい価値感に親和性がある。それは私の父もそうだった。私が永六輔さんの世代に共感するのは、そんなところからかもしれない。
ところが団塊の世代は、ただひたすら「行け行けドンドン」で育ったから、重層的価値感に馴染んでいない。高度成長期が終わると、結局のところは「地のオッサン」に回帰した。しかしその団塊の世代も、ここに来てようやく社会の第一線から姿を消しつつある。
ただ重役クラスでまだ幅をきかせているので、多くの会社で「あのオッサンがいなくなるまでは、我慢しないとどうしようもない」なんて言われているが、もう 2〜3年の辛抱で、企業内の価値感も変わってくるだろう。そうでないと、日本のビジネスに明日はない。
ところが政治の世界は、まだまだ旧世代が大いばりなのだ。年功序列のどえらい既得権が延々と続いて、変わろうにも変われないのである。今回、小池さんがこうした旧世代の支配に反旗を翻して当選したことに、私は同世代としてちょっとした希望を感じる。
彼女の具体的政策に関しては、必ずしも賛同しないのだが、旧世代の価値感に一撃を加えるという点では、ちょっと期待している。埋没しないでやってもらいたいものだ。
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コメント
前回の記事で名前が出てきて驚きました。
大阪では自民党の古い体質に反発した若手府会議員たち(松井一郎現知事と今回参議院議員になった浅田均が中心)が、離党して橋下徹を担ぎ一大地域政党を築きあげました。
東京も自民党の古株たちが、小池新知事に対して下らない意地悪を続けていると、似たような構図になりかねないと思います。
まあ安倍首相周辺の方がその辺りには詳しくて、先手を打っているような報道も見えますけれど・・・
小池さんは母校の女子高の入学・卒業式にはマメに電報を打ったり地元を大事にしてこられた政治家ですが、刺客として東京に転出してからは勝負師に変身したみたいです。
投稿: ちくりん | 2016年8月 3日 09:16
団塊の世代の得意技は「狎れ合い」と「根回し」です。
団塊の世代の尻尾のさらに先の先にいる人間が得意げに「根回し」なんて言ってるのを聞いて失笑したことがあります。一人前の勤め人になった気がしたんでしょうか。
さて、今回の都知事選では「オジン」(オッサンの最上級)の害悪が見事に炙り出されました。
大年増の厚化粧女(慎太郎)、小池さんとうまくやっていけるかは小池さん次第(森)、家族や親戚が応援しても処分する(内田茂)、私は昭和15年生まれで終戦時20歳でした(鳥越)、などなどのびっくり発言続出。
あと五年経てば全員「自然引退」で変わるでしょう。
その前に小池さんが引導を渡せれば最善です。
投稿: ハマッコー | 2016年8月 3日 17:57
ちくりん さん:
なるほど。大昔から新しい動きは上方から発するのですね。それに、小池さん自身も関西出身だし。
>東京も自民党の古株たちが、小池新知事に対して下らない意地悪を続けていると、似たような構図になりかねないと思います。
まさにその通りですね。
投稿: tak | 2016年8月 3日 18:58
ハマッコー さん:
>大年増の厚化粧女(慎太郎)、小池さんとうまくやっていけるかは小池さん次第(森)、家族や親戚が応援しても処分する(内田茂)、私は昭和15年生まれで終戦時20歳でした(鳥越)、などなどのびっくり発言続出。
これらすべてが、結果的に小池さんの票を押し上げましたね。まさに 「オジンの自爆」 のオンパレードでした。
投稿: tak | 2016年8月 3日 19:00