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2016年9月に作成された投稿

2016年9月30日

「農作物」 という言葉から、いろいろ波及してしまって

これはだいぶ前に書いてしまったような気がしていたのだが、どう検索しても見つからないので、書いたと思っていただけのようだ。何かといえば「農作物」という言葉の読みである。私はかなり長い間「のうさくもつ」とばかり思っていたのだが、正しくは 「のうさくぶつ」 と読むというのである。

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iPhone にインストールしている『大辞林』で「農作物」を調べると、次のようにある。

のうさくぶつ 【農作物】 (「のうさくもつ」 とも)
田畑で栽培する野菜・穀類など。農耕による生産物

ここでは一応申し訳程度に "(「のうさくもつ」 とも)" と書かれてはいるが、それじゃあと、「のうさくもつ」で調べても出てこないのである。これはどうやら "「のうさくもつ」とも読まれることがあるが、大辞林としてはそこまで付き合いきれない" というココロのようだ。

翻って「作物」という言葉の読みは、正真正銘の「さくもつ」である。「さくぶつ」とは決して読まない …… と思っていたのだが、それが素人のあさましさ。今回念のため調べてみると、なんと「さくぶつ」という読みもあるのである。『大辞林』には次のようにある。

さくもつ 【作物】
① 田畑に植えて栽培する植物。農作物や園芸作物。
② → さくぶつ(作物) に同じ。

というわけで、なんと「作物」と書いて「さくぶつ」とも読むというのだ。ならばと、「さくぶつ」の項に行ってみると、次のようにある。

さくぶつ 【作物】
作ったもの。とくに、芸術的作品。

へえ、いわゆる 「作品」 のことは、私はそんな使い方したことが一度もないが、「作物 (さくぶつ)」とも言うらしい。それどころか、「さくもの」という読み方まであるというのだから、世の中、わからない。

さくもの 【作物】
① 刀剣、器具など名工の製作品。名作。
② 地唄で、滑稽な内容を持つ曲の称。宝暦(1751〜1764)頃から始まった。

まったく言葉というのは意外なほどの広がりがあるものでだ。少し立ち入って調べてみると、地唄の「作物」というのは、「コトバンク」によると 「本来座興的に作られたものが多く,作詞者,作曲者を明らかにしない」とある(参照)。その場で即興的に作ったものだから「作物」 なんて言うのだろう。

さらに Wikipedia の「上方舞」の項によると、「作物」には『忘れ唱歌』『三国一』などがあるという(参照) 。私はどちらも知らないが、ネット上で歌詞を見つけた (『忘れ唱歌』『三国一』)。

さて、ここでもう一度「農作物」(のうさくぶつ)という言葉に戻るが、これが今イチ馴染みにくいのは、元々は「作物(さくもつ)」と言えば足りていたからなのだろう。「農作物」という言葉は、かなり新しい言葉なのではないかと思われる。

「農作物」 という言葉の成り立ちは、「農作」によって得られる成果物ということなのだろう。繋がり方としては「農・作物」ではなく、「農作・物」だ。そして「作物」(さくもつ)と言えば元々田畑で収穫されるものなのだから、本来「農」を付ける必要がない。

最後に蒸し返しになってしまうが、「さくぶつ」と読む「作物」は、「とくに芸術的作品」というあたりがしっくりこない。だって、「著作物」 や「創作物」という言葉の成り立ちは、「著・作物」や 「創・作物」ではなく、どうみたって「著作・物」「創作・物」 だと思うがなあ。

 

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2016年9月29日

右膝関節の痛みを巡る後日談

8月 22日の 「台風 9号の接近と、関節痛」 という記事で、古傷の右膝関節が痛んでいるということに触れた。台風による気圧変化の影響によるものと思い、「台風が遠ざかり、気圧が上がり始めればウソのように痛みが消えることは経験則で知っている」と書いたのだが、実は今回の痛みはちょっと長引いてしまった。

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痛みが長引いたといっても、決していつも痛いわけじゃない。階段を上る時にだけ、右膝が痛いのである。それ以外では痛みは全然感じることがなく、忘れてさえいるのだが、階段を昇る時だけ否応なしに思い出してしまうのだ。

「これはちょっと様子がおかしい」と思い、今月 4日にはちょっとしたヒルクライム・イベント(自転車で山登りするヤツ)に参加もしたので、その前に大事を取って接骨院に行ってみたのである。接骨医の先生の見立てによると、これは決して関節痛ではなく、太股筋肉の疲労により、膝関節との繋ぎ目の腱がちょっと炎症を起こしているということだった。

階段を昇るというのは、ほんの短い間だが、完全に片足のみで全体重を上に持ち上げることになるので、筋肉にかなりの負担がかかり、小さな炎症を起こしているだけでも痛むことがあるという。そしてその場合は膝関節の近くが痛むことが多いので、関節痛と勘違いしやすいのだそうだ。

「そうですか。『年をとると関節の軟骨がすり減って痛む』と聞いたことがあるので、気になってたんですよ。実は 3日後に自転車でヒルクライムするので、その前にちょっと診てもらおうと思って……」

「いやいや、もし本当に軟骨がすり減ったんだったら、自転車でヒルクライムなんて発想もできませんよ。まだまだお若いです」

というわけで、図らずも接骨医の先生のお墨付きをもらってしまったのである。「こんな状態でヒルクライムなんて、おやめなさい」とは言われなかったので、予定通り 3日後に山登りをした。そこそこのタイムで完走できたので、還暦はとっくに過ぎたが、まだまだイケそうである。

 

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2016年9月28日

最近クルマの流れがトロくなったのは、高齢化のせいかも

最近、道路を走るクルマの流れが一時よりトロくなってきたような気がする。私の住む茨城県は運転の荒いので有名で、その昔は 「スピードは制限速度の 2倍までは出していい」なんて言われていたほど、みんなガンガン飛ばしていたが、最近はじれてしまうほどの低速度で流れていることが多い。

1それは山形県に帰郷するとより強く感じる。昔は表示された法定速度プラス 10km/h ぐらいで流れていることが多かったが、最近では法定速度以内ということが珍しくない。法定速度 40km/h の道路を 35km/h ぐらいで延々と走っている軽トラなんかもフツーに見られる。

これは多分、運転者の高齢化による現象なのではないかと、わたしは考えている。昔はそれなりのスピードでガンガン飛ばしていた団塊の世代が、今や 70歳ちょっと手前の「正真正銘の高齢者」になってしまったのだから、「ゆったり運転」になるのも無理もない。

それでも大都市圏では、運転者の平均年齢がそれほど高くなっているわけでもないのだろうが、茨城県の田園地帯ともなると、じいさんばっかりということになる。さらに私の田舎なんて、実家の近所は軒並み 70歳以上の老人しかいない。こうなってしまうと、クルマを運転するスピードは自然にゆったりしたものになる。

こうした現象をみていると、話題の「自動運転」が進展するのは歴史の必然のように思われてしまう。そのうち「クルマの運転が好き」とか「ドライブするのが楽しみ」という「スポーツ・ドライビング愛好者」は、ごく少数派になってしまうんじゃなかろうか。クルマの運転はロボットに任せて、自分はゲームでもしている方がいいという時代がきっと来る。

 

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2016年9月27日

「2033年旧暦問題」 というのがあるらしい

Nifty News が "「友引が決まらない」 葬儀業界を震撼させる 2033年旧暦問題" というニュースを伝えている。問題となっているのは 「友引が決まらない」 というだけのことではなく、基本的には 「秋分と冬至の間に 1ヶ月しか入らない」 ということのようなのだ。

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日本の旧暦の基本となっている天保歴(基本的に太陰太陽暦)では「秋分は 8月に、冬至は 11月に置く」と定められているのだが、このルールに従って 2033年の暦を作ると、8月と 11月の間に 1ヶ月しか入らなくなり、9月の次が 11月となってしまう。

つまり、10月が存在しなくなってしまうのだ。こんなことになるのは、1844年に天保暦が導入されて以来、初めてなのだそうだ。私は天保歴というのは日本の暦(要するに「旧暦」)の完成形と思っていたのだが、まだまだ改良しなければならないポイントが残されているようなのだ。

とまあ、そんなわけで、このままでは 2033年秋から 2034年春にかけては旧暦に混乱が生じ、そのせいで葬儀業界は 「友引が決まらないと、葬儀の予定も立てにくい」 と困っているということのようなのである。決まらないのは友引だけじゃなく、大安も仏滅も決まらないわけなのだが、友引が一番影響が大きいのだろう。

とはいえ、日本の暦業界がただただ混乱しているというわけではなく、社団法人・日本カレンダー暦文化振興協会という団体が、2年前からこの問題に関する学術シンポジウムを開催し、対策を検討しているという。

2015年 8月に発表された見解では、「閏 11月案」というのが推奨されているが、基本的な「置閏ルール」については、さらに検討が計測されるらしい。(参照

私は日本の季節感は旧暦で考えるのが一番しっくりくると思っていて、例えば旧暦では梅雨は 5月に当たる(だから「五月雨」 というのでもあるが)ので、 「閏五月」がある年(つまり 5月が 2度ある年)は梅雨が長引いたりする。最近では 2009年がまさにそうだった。(参照

というわけで、2033年問題を機に、旧暦がさらにリファインされることになるわけだ。

 

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2016年9月26日

ウナギを食うのは早めに諦める方がいい

ヨハネスブルクで開催中のワシントン条約締約国会議で、ウナギ保護の決議案が採択されたことにより、日本の業界では「3年後には、ウナギがまともに食べられなくなる可能性がある」と危機感が高まっているらしい。

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この問題に関して私は、今年 3月末にも「ワシントン条約によるウナギの輸出入規制に、私は賛成」と書いている。この段階での日本のマスコミの基調は、「このままでは日本人が大好きなウナギの蒲焼きが食べられなくなるおそれがある」という、甚だ情緒的なものだった。「独特の食文化が損なわれる」というような書き方でしかなかったのである。

こうした風潮に対して私は、ちょっとした憤りを感じていた。「そんなにまで絶滅危惧種を食いたいのか?」と問い詰めたいような気分だったのである。私は 3年前に「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」と書いた。まあ、会食などで出てきてしまったら、捨てるのももったいないから仕方なく食うが、自分で選択してまで食うのは止めようと思ったのだ。

というわけで、あれ以来「絶滅危惧種を好んで食う」という夢見の悪い気分からは個人的には解放されているが、種の絶滅の危険性は全体的にはさらに高まっているわけだ。個人的に「ウナギとマグロは食わない」と決意するだけでは、全然足りない。

今年も土用丑の日の新聞チラシは、ウナギの蒲焼きの宣伝であふれかえった。私としては、「安いのは中国で抗生物質と成長促進剤まみれで養殖された訳のわからないものだし、国産の高いヤツを食うのも馬鹿馬鹿しい」としか思えなかったが、日本国民はこぞってウナギを食いまくったのである。

そろそろ日本人も、「ワシントン条約のせいでウナギが食えなくなってしまう」などという、根拠のない被害者意識で捉えることを止めなければならない。本当のところは、日本人がウナギを食い過ぎるからワシントン条約で規制しなければならないところまできてしまったのである。ウナギの視点からは、日本人は加害者なのだ。

そんなことを言うと、「お前は町の鰻屋さんの生活を脅かすのか」などと言われることまである。しかし私としては「どうせ衰退業種なのだから、鰻屋さんたちは早めに将来を考えておく方がいい」と警鐘を鳴らすのは、むしろ親切なことだとすら思っている。

いずれにしてもウナギを食いまくる食文化には、未来はないのだ。貴重な文化財扱いぐらいにしておいて、庶民としてはさっさと諦めようじゃないか。

 

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2016年9月25日

米 Yahoo の災難

日本工業新聞電子版が、「米ヤフー、5億人以上のユーザー情報盗まれる-2014年に」と報じている。2年前のことに、ようやく最近気付いたようなのだ。

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記事は次のように報じている。

発表資料によれば、「国家支援を受けた」 何者かが攻撃を仕掛け、盗まれた情報には氏名や電子メールアドレス、電話番号、生年月日、暗号化されたパスワードのほか、一部のケースでは本人確認のための暗号化されていない質問・回答も含まれる可能性がある。

"「国家支援を受けた」何者か" のネットへの進入といえば、まあ、そんなふうに言い切るつもりは毛頭ないが、まず素直に思い浮かぶのが中国のしわざなんじゃないかということだ。あの国のどこかには、いろいろな国のデリケートな情報がぎっしりとため込まれているんじゃないかと思われる。

記事によれば、盗み出されたのは米国の Yahoo ユーザーのプライベート情報のようだ。私も Yahoo のフリーアドレスやら何やらをいろいろ取得しているはずなので、ちょっと心配になったが、日本の Yahoo は米国から結構独立した存在らしいので、まずは安心していいだろう。

その上、私は Yahoo のメルアドをもっているはずなのだが、まともに使ったことがない。Yahoo のポータルサイトのサービスを利用した際に、否応なしに作らされただけで、ID もパスワードもきちんと覚えていないほどだ。非アクティブ・ユーザーもいいところである。

iPhone アプリの Yahoo ナビ にはかなりお世話になっている (多分、カーナビとしては一番良くできたアプリだろう) が、それ以外のアプリには縁がない。だから個人情報もそんなには蓄積されていないだろう。Google がハッキングされたりしたらちょっとイタいが、Yahoo なら大丈夫と思ってしまえるところが、やはり時の勢いというものなのだろうか。

 

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2016年9月24日

太陽光発電を始めて、1年半近く経った

9月の第 2週頃から「秋の長雨」が半端じゃないほど続いていて、気持ちのいいお天道様がなかなか拝めない。21日は午前中に屋外撮影の必要な仕事が入ったので、晴れ男の常としてちゃんと晴れ間が覗いたが、仕事が終わった途端に雲が広がって、一日を通してカラッとした天気というわけにはいかなかった。

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ところで昨年 4月にウチの屋根の上にソーラーパネルを設置して、1年半近く経った。写真は我が家の太陽光発電のモニターで、今月の発電量と消費量の推移を示したものである。

折れ線グラフの黄土色の部分は発電量が消費量を上回っていることを示し、水色の部分は逆転して消費量の方が多いことを示す。これを見ても、今月 6日までは晴天が続いたが、とくに中旬からは水色部分が圧倒的に大きく、期待通りに発電できていないというのが一目瞭然だ。

発電の振るわない日は雨降りということなので、洗濯物を外に干すことができず、浴室で除湿器をかけながら乾燥することになる。だから自前の発電量が少ない日に限って電力消費が増えるという、好ましくない推移になっている。それにしても、除湿器ってかなり電力を消費するんだなあ。

ちなみに 9月 1日〜22日の 3週間の数値実績をみると、以下のようになっている。

発電量: 159.1 kWh
消費量: 177.3 kWh
売電量:   96.3 kWh
買電量: 114.3 kWh

月の前半はそれなりに晴れた日もあったので、数字だけ見れば、使った電力の 90% 近い量を自前で発電している。ただ、電力消費は発電量の少ない雨降りの日に多くなっているので、実際に使った電力の 64% 以上は東電から買ってしまっていることになる。痛恨だなあ。まあ、それに近い量を売ってもいるわけだけど。

データを振り返ってみると、昨年の 9月も秋の長雨が続いたが、辛うじて発電量が消費量を上回った。今月もこれから天気が回復して晴れてくれさえすれば、バッチリ発電して消費量は減るのだから、カツカツぐらいに持ち直してくれるかもしれない。

これまでの実績からすると、11〜2月の 4ヶ月間は日照時間の短さもあって、発電量が消費量を下回る。もっとも今のところは単位電力量あたりの売電価格が買電価格を上回るから、金額ベースでは年間を通じて黒字を確保している。

ソーラーパネルを設置する前は、消費する電力を丸々東電から買っていたわけだから、その頃に比べれば、支払う金額はぐっと減り、その上、買電した分の金額が毎月振り込まれるようになったということだ。そのプラスマイナス分をトータルすれば、ソーラーパネル設置に伴う費用の月賦支払い分ぐらいは、しっかりと浮いている。

そんなわけで私は、「太陽光発電をするための費用なんて、タダみたいなものだよ」といつも言っているのである。タダみたいな費用で環境貢献できるのだから、始めない手はない。

世の中には、売買電価格の差額分は太陽光発電をしていないユーザーの負担になっているのだから、不公平だなどと言う人もいる。しかし自然エネルギーを活用しなければ地球環境は悪化するに決まっているのだから、率先してやっている人に「委託金」を払っているようなものなんじゃあるまいか。

太陽光発電を率先して行い環境貢献するのに、このくらいのメリットがなければ、その方がかえって不平等という考え方だってあると思うのだよね。

 

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2016年9月23日

日本人が羊を数えても眠れないのは、14年も前に指摘済みだ

ちょっと自慢させていただくが、私が 2002年に自分のサイトで論じていることを、Livedoor News が今さらのように書いている。"眠れない時 「羊を数えると眠れる」 日本人には効果がなかった?" (2016年 9月 20日付)という記事だ。

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筆者は「フミナーズ」ということになっているが、 Huffinton Post に掲載された "眠れない時「羊を数える」は、日本では意味がなかった?というタイトルのほぼ同様の内容の記事(今は削除されたらしい)で、「Fuminners 編集部, 睡眠改善インストラクター」という肩書きの和田和子さんという人と確認している。

この和田さんという方は、【説1."sheep"と"sleep"の自己暗示説】、【説2.「重要なのはイメージ」説】、【説3.「単純作業は脳を落ち着かせる」 説】 − という 3つの視点から、「羊を数える方法は日本人には効果なし」と結論づけている。詳細は次の通り。

まず、「説 1」の "sheep"と"sleep"の自己暗示説だが、これは英語では 2つの単語が音韻的に共通しているため、この言葉を繰り返すと、「眠れ」と言われているように錯覚するが、これは英語の場合であり、日本語では意味がないとしている。これは前々から言われていることだ。

そして「説 2」の 「重要なのはイメージ」説では、「イギリスをはじめとした英語圏では、羊は人々にとってとても身近な動物でした」「この牧歌的で癒し効果溢れる羊を思い浮かべることで、英語圏の人々はリラックスでき、眠りにつきやすくなった」のだが、「あまり馴染みのない羊を日本人が一生懸命思い浮かべようとしても、かえって目が冴えてしまいそう」としている。

この点で一つ言わせていただけば、羊が身近な動物なのは「イギリスをはじめとした英語圏」に限らず、ユーラシア大陸全般に言えることで、さらにオーストラリア、ニュージーランド(こちらは英語圏だが)にも広がったので、羊を思い浮かべてリラックスできるのは、「英語圏の人」だけじゃない。和田さんの文章では、「説 1」と「説 2」がごっちゃになっている。

さらに「説 3」の 「単純作業は脳を落ち着かせる」説では、「『イメージ説』 のとき同様、日本人にあまり馴染みのない羊を数えると、脳が活性化し、かえって眠れなくなってしまいます」と結論づけている。「説 2」と同じような結論になり、その境目は不明瞭だ。かくの如く、付け焼き刃で書かれた文章は脇が甘い。

いずれにしてもここまではすべて、私が 14年前に「なぜ、日本人は羊を数えても眠れない? 比較文化学的考察」というコラムで書いたことの繰り返しにすぎなくて、新しい指摘は一つもない。ついでにいえば、私への挨拶も一言もない。

私は若い頃、ウール関係の仕事をしていた時期があって、こと羊に関しては、憚りながら睡眠改善インストラクターさんよりも専門知識がずっと豊富なのだよ。

ちなみに私が 14年前に件の記事を書いた時は、ちゃんと検索して、私の説が少なくとも当時のインターネット上には存在しなかったことを確認している。

というわけで、この説を公に唱えたのは、私が最初だと自認している。今になってググってみても、「羊は日本人に馴染みがないから、効果がない」という私の説を踏襲したものばかりだ。

これに関して日本人が羊を数える際の脳波を分析してみれば、話題のイグノーベル賞ぐらいもらえるかもしれない。その時は、私も最初の主唱者として授賞式に参加させてよね。

今回の和田さんという方の記事に関しては、単なる比較文化学的考察に留まらず、 「睡眠改善インストラクター」という仕事の人に現場的なお墨付きまで頂いたのだと解釈すれば、少しは鬱憤が収まるかな。

さらにこの件に関しては、9年前のこのブログでも、「羊とプードルとフリースの三題噺」というタイトルで触れている。こちらの方は、日本人はあまりにも羊に馴染みがなくて、プードルとの区別もつかないという笑い話だ。

で、件の和田さんという方は記事の後半で、日本人にとって羊を数えるより効果的な方法として、いろいろ挙げていらっしゃるが、何だかんだ言うよりも、こと私自身に関しては 「お米が 1粒、お米が 2粒、お米が 3粒 ……」 とやる方がずっと効果的だ。これをやっているとすぐに眠くなって、20粒まで数えられた例しがない。

何しろ、日本人なもので。

 

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2016年9月22日

iPhone の Touch ID (指紋認証) が進化していた

iPhone には "Touch ID" と称する指紋認証機能がある。パスコードを入力しなくても、ホームボタンに指を載せるだけで指紋を読み取り、ロック解除できるというものだ。

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この機能を利用するにあたり、私は自分の 3本の指の指紋を登録していた。いつも決まった指だけをホームボタンに当てるわけではないからである。ところがどういうわけか、いつの間にかある決まった指の指紋しか認証してくれなくなっていた。そして、認証してくれるまでいつも 2秒ぐらいかかっていたような気がするのである。

そのため私は、ロック解除をするにあたり、気分次第でパスコードを入力したり、Touch ID で指紋を読み取らせたりしていた。印象では、パスコードを入力する方が早いんじゃないかという気がするほどだったが、他人に入力するパスコードを知られたくない場合などには、敢えて時間がかかっても Touch ID でロック解除していたのである。

ところで最近、妻がガラケーの 2年縛りが解けて、ようやく iPhone に買い換えた。そして当然の如く Touch ID の設定をしたのだが、見ているとその認証にかかる時間がものすごく短いのである。ホームボタンに指で触れた瞬間に認証してもらっているような印象なのだ。一体これはどういうことなんだ?

私は試しに、自分の iPhone の Touch ID の指紋登録をやり直してみることにした。登録された 3つの指紋をすべて削除し(まあ、削除の必要もないんだろうけど)、改めて登録し直す。すると、前に登録した時よりも指紋の読み取り方が念入りになっていることに気付いた。iOS のバージョンが上がったことに伴うものなのだろう。

前はホームボタンに指を当て、単純に触れたり離したりを繰り返して読み取らせた記憶があるが、今回は読み取る指紋の範囲が広がっている。触れる角度をいろいろ変えながら、指紋を隅から隅まで読み取っているのがわかる。そしてその分、時間がかかる。

ところが、一度読み取ってしまうと、ロック解除に要する時間が、まさに一瞬で済むようになった。なんだ、これならさっさと指紋を登録し直しておくんだった。

というわけで、最近ではロック解除するのにパスコードを入力することがほとんどなくなってしまった。なにしろホームボタンを押した瞬間に指紋認証してくれるので、パスコードを入力する隙がないという印象なのである。

いつの間にか、こんな点まで進化していたのだ。

 

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2016年9月21日

新幹線車内の電源コンセントを巡る冒険

一昨日の 「新幹線車内の電源コンセント」 という記事になかなか興味深いコメントがついて、思わぬ展開を見せている。

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北陸新幹線では全座席に電源コンセント設置が実現しているが、東海道新幹線や東北新幹線では窓際の壁にしかない。記事中でその理由として 「E5 系 (注: 東北新幹線で使われる車両) の場合は高速運転を行うため、電気容量的に全座席コンセントの実現が難しかった」という、川重車両カンパニー技術本部設計課の大橋良和課長のコメントを紹介した。

私は 「ふぅん、そんなものか」 と思いつつ、部分的に 300km/h の高速運転をする東北新幹線では仕方ないかもしれないが、東海道新幹線ならいけるんじゃないかという疑問を差し挟んでおいた。まあ、ユーザーとしては当然の要望みたいなものである。

その記事に、ハマッコーさんから「この説明は大ウソ」というコメントがついた。その根拠を要約すれば、新幹線 1編成の電源コンセントで実際に使用される電力なんて、15A 程度と見積もられ、電磁調理器  1台分ぐらいのものということである。つまり、新幹線 1編成を走らせる電力量と比較すれば無視できるほどのものなので、この説明は信用できないというのだ。

言われてみれば確かにその通りで、設計側の説明を文字通りに受け取れば、東北新幹線は電子レンジ 1台分ぐらい(仮に全ての電源コンセントが使用されたとしても 10台分ぐらい)の余裕しかない「かなり一杯一杯の状態」で走行しているということになる。まともに考えれば、そんなことはあり得ないだろう。

まさにうさんくさい理屈であり、JR 東日本は単にコストをかけたくないだけなのではないかと勘ぐるに十分なずさんな説明である。

ところがその後に、禅堂さんから 「これ、走行用モーターと電気容量がかち合うって意味じゃなく、サービス用補助電源の容量の話だと思いますよ」というコメントがついた。禅堂さんの紹介してくれたウェブ・ページには、車両の床下に設置される「補助電源装置」というものの説明があり、「低電圧・定周波数の電力供給が目的であるため、主制御装置とは別に設置されています」とある。

つまり、走行を制御する「主制御装置」に使われる電力と、「補助電源装置」とは別系統であるらしいのだ。禅堂さんは、東北新幹線では床下スペースや重量などの問題で、大容量の補助電源装置を設置するだけの余裕がないのではないかと推測されている。なるほど、説得力のある説明である。

少なくとも、「電気容量的に難しかった」 などという説明よりはずっと説得力がある。つまり東洋経済の記事に載った川崎車両カンパニーの説明は、「もっともらしいことを言ってお茶を濁しておけばいいや」という姿勢が見え見えのテキトーな言い逃れにすぎないのではないかと疑うに十分なのだ。

そうでなければ、担当者の説明が言葉足らずだったのか、さらにまた東洋経済の記者のリテラシー不足で、批判的、実証的な書き方ができなかったのだろうと疑うことになる。多分こうした要素の合わせ技なんだろうが、いずれにしてもきちんと納得できる記事ではないということだ。

というわけで私は、将来的には 「補助電源装置」 というものの小型化、軽量化が期待されるので、北陸新幹線以外の新幹線、そして在来線の特急に至るまで、全座席に電源コンセントを設置してもらいたいものだという希望を述べておきたいのである。

【22日 追記】

この件に関しては、川崎車両カンパニーの大橋課長さんという方は、他の関連記事を読むに付け、専門的な説明を結構きちんとされる方のようだとうかがわれるので、東洋経済の記者が不適当に端折った記事にしてしまったのではないかという疑いの方が強まった。

大橋課長さんの名誉回復のため、追記しておく。

東洋経済の大阪直樹記者も勉強し直したのか、3ヶ月後の記事では結構まともに書いている。

 

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2016年9月20日

ポケモン Go がもう飽きられたようなのだが

今年 7月 22日から、3日連続で 「ポケモン Go」 に関する記事を書いた。こんな具合である。

Pokemon Go について (7月 22日)
多くの人がポケモン Go に夢中になるわけ (同 23日)
「ポケモン Go」 の奥に潜むもの (同 24日)

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一連の記事で、私は話題の 「ポケモン Go」 にはまったく興味がないが、それは元々、「ポケモン」というもの自体に全然馴染んでいないので、まったく思い入れがないからだとわかったというようなことを書いている。その上で、「ポケモン Go」にはまったく興味がないが、「ポケモン Go 現象」には興味を覚えてしまうというようなことも書いている。

というわけで、現象には興味があるので、都心に出かける度に、とくに秋葉原なんかを通過する際には、ポケモン Go をしている人がいないか、周囲を探してみるのが習慣になった。ところがあれから 2ヶ月も経つというのに、私はポケモン Go をやっている人を一度も見かけたことがないのである。

ニュースなどではあんなにも話題になり、ポケモンがよく出没するというスポットでは、スマホをのぞき込みながら歩く人がぞろぞろいると伝えられていた。ところが私のみる限りでは、そんな気配は微塵もなく、話題にすらのぼらない。もしかしたら私は別の世界で生きているのだろうか。

不思議に思ってネットを検索してみると、なんとまあ、ポケモン Go は既に飽きられ始めているらしいのである。ネットを検索してみると、「ポケモン Go 飽きた」という記事が溢れている。まことにもって、人の心は移ろいやすいものである。

それを知って私は不意に、「テクマクマヤコン・コンパクト」というのを思い出した。どんなものか知りたければ、こちら に飛べばどっさり画像を見ることができる。

これは 「ひみつのアッコちゃん」 というアニメに登場するもので、このコンパクトをのぞき込みながら 「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、○○になーれ!」と呪文を唱えると、変身することができるのである。実際の玩具としての「テクマクマヤコン・コンパクト」をのぞき込んで呪文を唱えても、何も起こるはずはないが、雰囲気だけは楽しめるものだった。

これはウチの長女が幼稚園ぐらいの頃に爆発的ヒットとなって、「買ってちょうだい」とせがまれまくったのだが、超品薄状態で、百貨店の玩具売り場はいつも品切れだった。1ヶ月以上にわたって休日の度に、近く閉店となることが決まった「筑波西武」に通い、ようやく手に入れることができたのである。

長女は入手できた瞬間には飛び上がって喜んだが、2〜3日で飽きてしまい、ごくフツーの玩具と化してしまった。あれだけ苦労して購入したのに、まあ、こんなものである。ところが、飽きられはしたものの、その後いろいろなバリエーションが密かに開発され、地下水脈の如く今に続いているようなのだ。Amazon のサイトをみると、こんなの もあるらしい。

つまり、子どもの頃に「ひみつのアッコちゃん」に夢中になった層が、大人になってもその頃の記憶がよみがえって、「テクマクマヤコン・コンパクト」の発展形で遊べるらしいのである。ポケモン Go も、そのパターンの一つなのだろう。

ということは、これからも忘れられかけたようななちょうどいいタイミングで、いろいろなものに姿を変えて登場するに違いない。そして今回の ポケモン Go は、「ポケモン発展形バリエーション 第 1号」 として記憶されることになるのだろう。

 

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2016年9月19日

新幹線車内の電源コンセント

北陸への出張を終え、台風の大きな影響を蒙ることも亡く、無事に帰宅した。つくばエクスプレスの守谷駅まで、往復共に雨に降られず自転車で往復できたのは、晴れ男の面目躍如である。出張先でもずっと雨模様ではあったが、必要な時にはちゃんと雨が止んでくれた。「晴れ男になる心がけ」 の賜物だと思っている。

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さて、北陸新幹線の「かがやき」には初めて乗ったことになり、行きは「築地市場の恥部」で書いたような不愉快な状況だったので、つい気付かないまま下車してしまったのだが、帰りの車内で画期的なことに気付いた。北陸新幹線の車内では、すべての座席に電源が付いているのである。

多くの人は既にご存じだと思うが、東海道新幹線の「のぞみ」に使用されている N700 系の車両では、車両の最前部と最後部の座席と、全ての窓際の座席で電源が使用可能となっている。出張先で行き先までのナビに使ったり、いろいろな情報を見たりするのに、スマホはかなり使いっぱなしになるので、この電源から充電できるのはかなりありがたい。

ただ、電源の利用できる席が限られているので、指定券を購入する時には窓際が満席の場合は次の便まで待ったりすることもあり、ちょっとした不満も残されていた。

今回の出張では、往きは窓際の座席が予約できたので、いつものように壁の足元のコンセントからスマホの充電をしていた。ところが帰りは満席に近い状態だったので、3列並びの真ん中しか取れなかった。

そんなわけで充電は諦めて、手持ちのモバイル・バッテリーを使おうと思っていたのだが、ふと気付くと、前の座席の背後の足元のあたりに、電源コンセントがあるではないか。これはありがたい。東海道新幹線など、ほかの路線や、フツーの特急列車などでも是非お願いしたいサービスだ。

ところがちょっと調べてみると、そこには技術的制約があるらしい。東洋経済の「なぜ北陸新幹線は全席コンセント付きなのか」という記事によると、北陸新幹線は最高速度が 260km/h と抑えられているため、車内設備などに力を入れた設計ができたというのである。ちょっと引用してみよう。

「E5 系の場合は高速運転を行うため、電気容量的に全座席コンセントの実現が難しかった」と、同設計課の大橋良和課長は言う。つまり、E7/W7系 は E5系 ほど高速運転をしないので、すべての座席にコンセントを付けるだけの電気容量の余裕があったというわけだ。

ここでいう「E5 系」というのは、東北新幹線に使われている、あのロングノーズの車両で、「E7/W7系」 というのは北陸新幹線の車両だ。名前が 「E7/W7」 と 2つあるのは、JR 東日本と西日本の保有する車両という違いだけで、中身は同じらしい。

ただ東北新幹線は確かに時速 300km/h で運行する区間があり、電源的な制約があるのだろうが、東海道新幹線は 285km/h が最高とされている。素人の私としては、「これなら、東海道新幹線ではイケるんじゃないの?」 と思ってしまうのだよね。実際にはどんなにコンセントを増やしても全てが利用されるというわけじゃないし。上越新幹線ならさらに大丈夫だろう。

新幹線の座席でヘアドライヤーなんか使われたら、そりゃたまらないだろうが (そもそも迷惑だし)、スマホの充電ぐらいなら便利にさせていただきたいものである。

 

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2016年9月18日

築地市場の恥部

最近は日本人の旅行マナーもずいぶんマシになって、特急列車の中で酒盛りをしてワイワイ盛り上がり、周囲のヒンシュクを買う光景なんてほとんど見なくなったが、今日は久しぶりで目撃してしまった。

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金沢に向かう北陸新幹線の「かがやき」に乗り込むと、車内の 15〜6名ぐらいのオッサン・グループが酒盛りを始めた。「おーい、○○さん、そっちに酒は行きわたってる?」「ちゃんと飲んでるかい?」「あ〜、朝からこんなに飲んだの、久しぶりー!」などと、大声をあげている。

ひっきりなしに酒を酌み交わしながらダハダハ盛り上がり、ケッケッケケケと下品な笑い声を上げる。長野を通り過ぎるあたりまではまだ我慢もできたが、富山県に入った辺りから、ますます騒々しくなった。

「皆さん、騒がしくって済みませんね〜! 何しろ、築地市場のバカばっかりなもんで、ごめんなさい!」
「ご迷惑かけまして、ごめんなさいね〜!」

しまいには立ち上がって通路にまではみ出し、こんなことを大声でわめき始める。言葉としては謝っているようだが、実際は「俺たち築地市場の仲間内なもんで、威勢が良くて賑やかなのはしょうがないでしょ。大目に見てよね」という勝手な思いを垂れ流しているだけだ。客観的に見れば、築地市場の恥さらしでしかない。

オッサンのうちの 1人が私の横までやってきて、「騒がしくって済みませんね〜!」と騒々しさに輪をかけた声で言う。こっちはさすがに腹に据えかねて、一言声をかける。

「あんたたち、調子に乗りすぎだよ!」
「あ〜、すみませ〜ん、何しろ、築地市場のバカばっかりなもんで!」
「余計なこと言うんじゃないよ!」

自分で何度もバカと言ってるんだから、こっちもバカ向けの対応をするしかない。そのおっさんだけはちょっとビビったのか、私の前の席で少しはおとなしくなったが、他の連中は相変わらずダハダハ言っている。終点の金沢では、荷物をまとめるのに手間がかかって、その集団の側の出口は渋滞して客が降りられない。多くの乗客は反対側の出口から降りた。

というわけで、最近話題の築地市場の恥部を目撃してしまったのであった。初めは「築地市場」というのは伏せ字にしようかと思ったが、当人たちが好んであれだけ堂々と素性を明かして恥さらしをしているのだから、まあ、いいんだろうと、そのまま文字にした。

 

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2016年9月17日

「盛り土(もりど)」という土木建設用語を巡る冒険

豊洲市場に関しては、元から「どうしてそんな環境問題のあるところに魚市場なんか造るの?」とずっと思ってきたが、その素朴な疑問がようやく政治の舞台に乗った。「遅すぎるよ」と言いたいが、スルーして既成事実化された頃に問題が顕在化するよりは、まだいい。ただ、私が今回ちょっとだけ言ってみたいのは、そんな大きな問題じゃなく、「盛り土(もりど)」という言葉についてだ。

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ニュースで 「盛り土」 という重箱読みを聞く度に、「おいおい、『もりど』って何だよ? 『もりつち』じゃダメなの?」 と言いたくなっていた。改めて Wikipedia で調べてみると、「盛土(もりど、もりつち)」とあって (参照)、本来どっちの読みでもいいみたいなのだが、どうやら土木建築用語としては、「もりど」 というのが慣わしらしい。

盛土 (もりど、もりつち) とは、低い地盤や斜面に土砂を盛り上げて高くし、平坦な地表を作る、または周囲より高くする工事。またはそれが施された道路や鉄道の区間。またその工事によって盛られた土砂そのもののことも指す。

関連の用語に 「切り土(きりど)」というのがあって、これは斜面で土を削り取って平らな面を造ることを言うようだ。そして斜面に階段状の平地を造る際には、切り土と盛り土を組み合わせることが多いらしい。上の方から削り取った土砂を低い方に盛って、平らな面を造るのだ。なるほどね。身近でも案外よく見られることだ。

豊洲市場の場合は、汚染された土壌を覆うためでもあり、さらに基本的に元々平地だから、上から削り取った土砂で盛り土をするわけにもいかないようで、土砂を他から運んでくるのにも膨大なコストが計上されてしまうという事情があったのだろう。だからといって、コンクリートの箱で代用しちゃえというのも、乱暴な考えだ。さらにそんなことで代用して、それを公表しなかったというのもあざとすぎる。

石原さんが都知事時代に、ちょっと聞きかじったことを大いばりで「これも検討したらどうだ」なんて言っちゃったのが、今回のごまかしの発端だという説まで浮上してきて、もうごっちゃごちゃの様相である。石原さん、都知事を辞めてから晩節を汚すことになりそうだ。

まったくもって、こうした話は官僚に任せっぱなしにするとどんなことになるか、危なくてしょうがないところがあるが、そこへもってきて、ワンマン都知事が単なる聞きかじりで訳知りみたいなことを言うから、ますますおかしなことになったのかもしれない。まったく困ったモノである。

 

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2016年9月16日

晴れ男になる心がけ

今年 8月の声を聞くあたりから、やたらと台風が多い。そしてどういうわけか、しっかり日本を目指して北上してきて、狙い澄ましたようにヒットする。さらに例年お馴染みの台風コースとは様相が違っていて、初めから東日本、しかも東北とか北海道に上陸してしまったりする。

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今近付きつつある台風 16号はようやくいつものコースを辿ってきているようだが、なんとまあ、私は 3連休の 2日めと 3日目に出張で福井県に行くのだ。予報天気図をみると、関東を発つ 18日朝には、台風はまだ台湾の北あたりの海上にいるとみられるものの、前線がしっかりと北陸の真上辺りにかかるようだ。いくら私が晴れ男とはいえ、これでは少なくともピーカンの晴れは期待できない。

ただ、私の晴れ男ぶりは案外しぶとくて、北海道に被害をもたらした 8月末の台風による豪雨も、きわどく避けることができた。この時は彼岸過ぎの北海道にあるまじき暑さで、大汗をかいたが、大雨に降られるよりはずっとマシだった。

9月に入ってからの週末も、いずれも雨予報をひっくり返して好天に恵まれた。4日と 11日の日曜日は屋外実施のイベントに関わっていたので、自分の晴れ男ぶりが本当にありがたかった。18日まで晴れたら 3週連続の逆転打になるのだが、さて、どうなるだろう。

「どんな心がけだと、晴れ男になれるんですか?」なんて聞かれることがあるが、これはもう、たまたまの巡り合わせだから答えようがない。強いて言えば、天気に不平を言わないことである。「晴れたら晴れたでありがたい、降れば降ったでありがたい」と思っていると、なぜか天気には恵まれる。馬鹿馬鹿しいことと思われるかもしれないが、屋外写真撮影の必要な出張時など、ここぞという時には 99%以上晴天に恵まれる私が、その証明である。

それにしても、九州や四国は強い台風にはインフラとしての備えも進んでいるし、慣れているから心構えもできている。それが東北や北海道には不足していたとしみじみ思う。災害はある程度避けられないのだから、必要なのは備えと心構えである。

【追記】

昨日の記事で 16日になれば「実質的な中秋の名月」が見られるかもしれないと予言しておいたが、夜の 10時頃になった雲間が切れ、実際に望むことができた。昨日の記事の「追記」として、写真入りで載せておいたので、よろしく。本当に私の晴れ男ぶりはしぶとい。

 

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2016年9月15日

明晩、実質的な中秋の名月が見られるかも

今夜は中秋の名月(旧暦の 8月 15日)だというのだが、あいにく空は雲がかかっていて、真ん丸のはずの月は写真のごとく薄ぼんやりと滲んで見えるのみである。

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このところの中秋の名月は、1年おきにすっきりと見えたり、雲に隠れたりしているような気がする。去年はとてもよく見えた(参照)から、今年はこの程度でしょうがないかもしれないが、せっかく新暦でも本日「9月 15日」が「十五夜」(旧暦の 8月 15日で、ちょうと 1ヶ月違い)となっているのだから、本当は晴れてもらいたかったところである。

ところで、今日の TBS ラジオ『たまむすび』で、「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」 という古い和歌について触れられていた。ところが出演者は誰もこの和歌の意味をよくわかっておらず、聴取者からのメールでようやく合点がいっていたのである。

私はこの時唐突に、「ああ、永六輔さんは本当に亡くなってしまったのだなあ」と感じてしまった。永さんが生きていて、ラジオ・パーソナリティを務めていたとしたら、この歌なんてまさに常識としてご存じで、その解説もすっきりとしてくれていたに違いない。ところがその後の世代になってしまうと、「なんのこっちゃ?」になってしまっているのである。時代は変わってしまった。

言うまでもないが、この歌の意味は、「毎月のように夜空に月は見えるけれど、本当に見事な月を見ることができるのは、この月(旧暦八月)であって、この月の月こそ『ザ・月』だ」というようなことである。遊びの多過ぎる歌ではあるが、まあ、趣向として楽しめばいい、

で、なんでこの月の月が「中秋の名月」なのかというと、旧暦では「7月、8月、9月が秋」ということになっていて、その秋の真ん中の月である 8月を「仲秋」という。そして、その月の真ん中の 15日が「中秋」で(字の違いに注目)、その夜の月が「中秋の名月」とされているわけだ。

ところが細かいことを言うと、今夜の月齢は 14.12 だが、明日は 15.12 となる。つまり、明日の夜のお月様の方が、より満月に近いのだ。そして天気予報を見ると、関東地方は明日の夜 9時頃から空が晴れるらしいのである。ということは、明日になれば名を捨てて実を取るかのように、「実質的な中秋の名月」が見られるかもしれないのである。

明日の夜を楽しみに待とう。

【9月 16日 追記】

期待したとおり、16日の午後 9時半過ぎに雲間が途切れ、一夜遅れの名月が望まれた。(参照

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2016年9月14日

蚊との長い付き合い

今日は庭と裏の土手の草刈りをした。8月初めにかなり徹底的な草刈りをしたのだが、それから 1ヶ月以上経って、またもや雑草だらけになってしまったのである。この夏はエンジン付きの刈払い機を買ったので、鎌を振るって手動でやっていた昨年までに比べるとかなり楽になったが、問題は蚊である。草刈りをしている間ずっと、蚊の存在に悩まされるのだ。

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我が家は田園地帯の一画に造成された住宅地の一番端にあるので、もとより蚊は多い。夏場はちょっと庭に出るだけでも蚊に刺されたりする。ジカ熱なんてものに関しては、自分に限っては多分大丈夫と、根拠のない自信を抱いているのだが、いずねにしても蚊に刺されまくると痒いのである。こればかりは我慢ならない。

草刈りをすると、蚊の住処を荒らしまくるようなものなので、向こうも意地になってこちらに攻撃を仕掛けてくる。肌の露出しているところだけでなく、服の生地が薄かったりすると平気で刺してくるのである。だから虫除けスプレーは必需品だ。

ただ、いくら虫除けスプレーを満遍なくふりかけても、草刈りは汗かき仕事なので、あっという間に流れてしまうようなのだ。ふと気付くと、体のあちこち痒くなっている。だから何度もスプレーし直さなければならない。

最近は服の上からスプレーするタイプ(写真の左側)も出てきており、これは案外長持ちするような気がする。長袖、長ズボンの出で立ちで、服の上からびっしりとスプレーするのが、一番効果的なのではなかろうか。

しかしいくらスプレーしても、やはり蚊はしぶとい。今日もしっかりと刺されてしまって、痒み止めの世話になっている。家の周りに殺虫剤をまき散らすのは避けたいので、秋が深まるまでは蚊との付き合いが続く。

 

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2016年9月13日

自身の国籍問題に関する、蓮舫氏の信じられない無頓着

民進党の蓮舫氏が一連の二重国籍疑惑について、「台湾籍が残っていた」と説明し、これまでの混乱について謝罪した。つい数日前までは、17歳で日本国籍を取得した際に、父が台湾国籍を抜いたものと認識していると説明していたが、それが間違いだったことになる。国籍という重要問題に関する態度としては、ちょっとテキトー過ぎるよね。

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既に 9月 7日の記事でも明らかにしているように、私は二重国籍に関しては、「そういうことがあってもいいじゃないか」と思っている。しかしこと国政にあたる政治家に関しては一つの国籍でなければならないという立場だ。世界の多くの国でもそのように規定されている。

日本の国籍法は「国籍単一」を原則としており、「20歳に達する以前に日本国籍とは別の国籍を持つ資格がある多重国籍の状態になった場合は 22歳に達するまで、20歳に達した後に多重国籍となった場合は多重国籍となった時から 2年以内に国籍の選択をすべき」(Wikipadeia より) とされている。

要するに二重国籍になった場合は、どちらかの国籍を選択して速やかに解消すべきものとされているのである。従って蓮舫氏は勘違いからとはいえ、日本の国籍法(かなりザル法に近い状態のようだが)に違反した状態を、これまでの人生の半分以上の期間にわたって継続していたわけだ。

一時は閣僚まで務め、さらに民進党代表戦の立候補者となった今、これまで国籍法違反の状態を続けていたと自ら明らかにしたからには、「籍を抜く手続きが完了すれば、この問題は終わります」という発言は、政治家として極めて無自覚でユル過ぎるというほかない。過去に「事業仕分け」問題についてはあれだけ厳しく切り込んだのに、「他人には厳しく、自分には甘い」と思われてもしかたない。

過去にもいろいろ取り沙汰されてきたにも関わらず、自らのアイデンティティの基盤ともなる国籍問題について、あいまいな記憶に頼るだけで、何らの確認手続きも行わず、無頓着なままでスルーしてきたというのは、「政治家としての資質」という観点からもいかがなものかと思ってしまうのだよね。何らかの落とし前をつける意味からは、今回の民進党代表戦から降りるぐらいのけじめはつけるべきなんじゃなかろうか。

そして問題はそれだけではなく、さらに複雑なところがある。それは「一つの中国」の原則からすると、彼女の説明は全てナンセンスに帰してしまうということだ。Livedoor News は次のように政府関係者の見解を伝えている。(参照

この問題について日本政府関係者は、仮に蓮舫氏が「台湾籍」を残したままにしていても日本政府が台湾を国と認めていないことなどから二重国籍とはならず、国籍法違反には当たらないとの見解を示している。

中国においては、中国籍を持つものが他国の国籍を取得した時点で、自動的に中国籍が失われるということになっているらしい。だったら、「台湾は中国の一部」という公式見解からすれば、彼女が日本国籍を取得した時点で「中国籍」は失われたことになり、何の問題もない。今さら「台湾籍」が抜かれていたかどうかを議論すること自体が無意味なこととなる。

とすると、「台湾籍が抜かれていたかどうか」を問題としてきた彼女の態度は、日本の外交原則から外れていることになる。これは二重国籍かどうかなんてことよりも、政治家としてはより根本的な問題だ。彼女はこの点についてもきちんと説明しなければならないはずだが、これまた無自覚なようで、今のところ、まったくスルーしている。

いずれにしてもこうした問題は、彼女にとってはとっくにクリアされていなければならなかったはずのことである。もし私だったら、こんな重要なことを曖昧なままで放っておくなんて、気持ち悪くてできない。一日も早く筋を通してけりを付けたいと思うだろう。よくまあこれまで無頓着でいられたものだなあと、ちょっと呆れてしまうのだよね。

 

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2016年9月12日

App Store の大掃除が始まるらしい

スラド が "App Storeの「大掃除」で数十万のアプリが消える?」" と伝えている。Apple は、長らくアップデートされていないようなアプリを App Store から削除する方針を示しており(参照)、いよいよそれが実現されるらしい。個人的には大歓迎である。

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App Store には約 210万のアプリがアップロードされていると言われているが、実はそのうちのほぼ半分が、昨年 5月以降アップデートされていないらしい。11.4% が iPhone 5 以降の画面サイズ変更に対応し切れていないともいわれ、いくら膨大な数のアプリが登録されているとはいえ、こればかりは 「枯れ木も山の賑わい」 というわけにはいかない。

iPhone の Android マシンと比較した際の優位性は、登録アプリの数が多いことと長らく言われていたが、それはとっくに過去の話になっている。昨年 1月に Google Play が App Store を抜き去っているのだ。

ところが依然として App Store に登録されたアプリの方が、商売になるみたいなのだ。Gigazine は今年 1月、「Android はアプリ DL 数が iOS より 100% 多いものの iOS は売上で 75% 上回る」と伝えている。これは世界的にみると、iPhone は高級機種とみられており、比較的高所得者のユーザーが多いためとみられる。(日本はちょっと特殊で、猫も杓子も iPhone だが)

というわけで、Apple としてはアプリに関して「量の勝負」には見切りを付けて、「質の勝負」にもっていきたいのだろう。見かけ上の数がいくら豊富でも、使い物にならないものばかりではしょうがない。

実際に新しいアプリをインストールしようとして検索してみると、本当に使えそうなものって、そんなに多くないというのが実感だ。インストールしてはみて使おうとしても起動しなかったり、落ちまくったりするものも結構多いのだ。

だからユーザーとしても、「屑アプリ」がどっさりあるよりも、数は少なくても厳選された 「使い物になるアプリ」が登録されている方がずっとありがたい。というわけで、Apple の「大掃除」では数十万のアプリが削除されることになる。

私としては、半数近くの 100万ぐらい消えてしまっても、その方がダウンロードするアプリを選びやすいと思っているのだが、どうやらそこまではいかないらしい。なにしろゲームの需要ってかなり大きいみたいなので、そんなに劇的に減らすわけにもいかないのだろう。

 

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2016年9月11日

ラニーニャが発生したらしい

今年の春頃には「夏にラニーニャが発生する」と言われていたが、気象庁は今頃になってようやく 「ラニーニャが発生したとみられる」 との発表を行った (参照)。まだ初期段階にあるらしいが、統計的には、ラニーニャだと夏は猛暑になり、冬は厳冬になるという。

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気象庁によると、秋の天気は「全国的に暖かい空気に覆われて気温が高く推移する見込み」ということになっている。ラニーニャの発生が予想より遅れて、極端な猛暑は避けられたが、秋にはちょっとだけその片鱗が現れるということか。

その代わり、その後は結構寒い冬になるかもしれない。上越の山にちゃんと雪が降ってくれれば、この夏のような水不足は避けられるかもしれないが、春先に関東の都市部で雪が降るようだと、交通機関が乱れるかもしれない。

そしてその傾向が来年の夏まで続くようだと、今度は猛暑が思いやられる。3年前のラニーニャでは、高知の四万十市で 41.0 ℃ という日本最高気温が記録されたが、あんな暑さがまた来るのは本当に勘弁してもらいたい。いずれにしても地球全体のスタンダードが温暖化傾向にあるのだから、「猛暑」になるとエラいことになってしまう。

(上の画像は 「インターネットで世界の天気を見てみよう!」 というサイトより)

 

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2016年9月10日

大気汚染と鼻毛の伸びに、因果関係はあるのか?

今日の写真は鼻毛切り鋏である。多分 30年以上前に買ったもので、仕事で毎日東京都心に通っていた頃は、まさに必需品だった。放っておくと長く伸び過ぎてしまうので、まあ、エチケットの意味もあって結構頻繁に使っていた。

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ところが勤めをやめて自宅を事務所とし、SOHO を気取り始めてからは、次第に都心に出る機会が減ってしまった。最近では仕事のために都心に出るのは、飛行機や新幹線に乗るための通過を除けば月に 2〜3回程度になった。そのかわり、郊外や地方都市に出かけることの方がずっと多くなっている。

そしてふと気付いてみれば、鼻毛切り鋏を使う頻度がめっきり減ってしまっているのである。平日ほとんど都心に通っていた頃は、毎週 1度は鼻毛をカットしていた。その後、都心に出るのが週 3日程度になると、月に 2度ぐらいカットすればよくなった。そして最近では、年に数回で済むようになった。

ごく単純に考えると、鼻毛の伸びと大気汚染は因果関係があると思われてしまうのである。経験則からして、そう考えたとしても不思議ではない。一般にも空気の汚れたところで暮らすと鼻毛が伸びると、フツーに思われている。

CLEAN AIR ASIA というサイトが、通称「鼻毛地図」と呼ばれる "Air Index Map" というのを運営している。ページを見ればわかるが、右上に鼻のアイコンがあるので、「鼻毛地図」と呼ばれるのもごく自然なことだ。この地図では、アジア地域の大気汚染がそれほどでもない都市はグリーンで示され、汚染度の高まりに応じて、黄色、オレンジ、ピンクと、徐々に色が濃くなる。そして最も汚染された都市は赤で示される。

この地図によると、意外にも(というか、アジアの中では順当にというか)日本の都市のほとんどはグリーン表示で、さいたま市が黄色で示されている程度だ。しかし日本以外では熱帯雨林地域を除けば軒並み黄色、オレンジが増えて、中国、インドの都市ともなると、多くがピンクや赤になってしまっている。北京で暮らす人の鼻毛は、一体どんなスピードで伸びているのだろう。

ただ、このマップは大気汚染の総合的データをまとめたもので、決して鼻毛の長さを示すものというわけではないらしい。そりゃそうだろう。アジアの各都市に済む人たちの鼻毛の長さのデータなんて、一体どうやって集めたらいいんだ。

というわけで、大気汚染と鼻毛の伸びの因果関係を示す信頼のおけるデータというのは、インターネットをざっと検索してみた限りでは見つからなかった。空気の汚れたところで暮らすと鼻毛の伸びが早いというのは、今のところは疑似科学扱いされても仕方がない話なのかもしれない。

しかし実感として東京都内の汚れた空気を吸っていた頃は、確かに鼻毛切り鋏の使用頻度がハンパなく高かったのである。もし大気汚染と鼻毛の伸びの間に因果関係がないとすれば、次に考えられる仮説としては、年をとると鼻毛もあまり伸びなくなるのではないかということぐらいだろう。しかしこれは、心情的に認めたくないなあ。

蛇足だが、ひがしのひとし作詞・作曲で「ハナゲの歌』(正式タイトルは『鼻毛の伸長度に関する社会科学的考察』)というのがあり、YouTube でソルティ・シュガー版が聴ける。

コミック・ソングの体裁を取ってはいるが、当時の大気汚染を揶揄するプロテスト・ソングとも受け取られていた (参照)。

【2025年 2月 1日 追記】

「大気汚染と鼻毛の伸びの因果関係を示す信頼のおけるデータというのは、インターネットをざっと検索してみた限りでは見つからなかった」と書いたが、これは 2016年 9月にこの記事を書いた時点でのことで、本日改めて検索すると、かなり見つかる。やはり両者には因果関係があるようだ。

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2016年9月 9日

この秋、iPhone 7 に買い換えるべきか、否か

iPhone 7 が発表になった。毎度のことで「画期的な新機能が搭載されていない」とか「Android に比してスペック的に劣る」とか、「Apple は革新性を失った」とか、いろいろなことを書き連ねる評論も多いが、私の目から見れば、十分に魅力的である。Apple Pay が日本でも使えるようになったことと、防水防塵機能を備えたというだけでかなりありがたい。

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そもそも「画期的な新機能」なんてものをありがたがるのは、IT オタクぐらいのもので、フツーのユーザーにしてみれば、そんなにしょっちゅう「画期的な新機能」なんてものを搭載されたら、慣れるのが追いつかない。少しずつちょっとした進化を遂げてもらうのが、ちょうどいいのである。

私の手持ちは iPhone 6 だが、今度の 10月に 2年縛りが解ける。だから iPhone 7 に乗り換えるにはいいタイミングだ。だがそれについては今、かなり迷っているのである。私はこのところしばらく 2年ごとに新機種に交換してきたが、ここでさらに 1年待てば、多分 iPhone 7S(多分、iPhone 8 じゃなくて 7S ということになるだろう)に乗り換えられる。iPhone 7 は十分に魅力的だが、7S はもっと進化しているだろう。

私が iPhone を最初に手にしたのは、2009年のことで、モデルは 3GS だった(参照)。それから iPhone 4、5、6 と、3回も乗り換えたので、ずいぶん長く使い続けているような気がするが、まだ 7年とちょっとしか使っていないのである。

それを思えば、この間の iPhone の進化というのは、大変なものだ。何しろ、最初に買った 3GS では、iCloud も Siri も Facetime も、テザリングも指紋認証もなく、MS Office も使えなかったし、カメラの解像度も低かった。アプリの充実度も桁違いである。

最初に買った iPhone 3GS は、1年ちょっと使ったところで、うっかり洗濯機で洗ってしまい、お釈迦にしてしまったので、2年縛りが解けないうちに iPhone 4 に買い換えた(参照)。その後ずっと "S" の付く機種には縁がないのである。だから、ここらでもう 1年我慢して、iPhone 7S に乗り換えるのも、有力な選択肢となるだろう。

ただ、手持ちの iPhone 6 は 2年近く酷使して、バッテリーがかなり衰えてしまい、どこに行くにもモバイル・バッテリーが手放せなくなってしまった。これでもう 1年使い続けたら、バッテリーの消耗でかなりのストレスを感じることになるだろう。

それに、iPhone 7 はやっと Suica などの日本式ガラパゴス・カードに対応するので、定期入れや財布がパンパンになることもなくなる。また、防水防塵機能が付くので、ちょっと洗濯機に放り込んでしまったぐらいでは大丈夫だろう。3GS を洗ってしまった実績のある私としては、かなりそそられる。

というわけで、今、悩みに悩んでいるところなのである。ああ、本当にどうしよう。

 

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2016年9月 8日

『秋桜』 という歌の世界

昨日クルマを運転していたら、カーラジオから『秋桜』という歌が流れてきた。山口百恵のバージョンではなく、作曲者のさだまさし自身の歌ったものである。聞きたかったら、こちら でも聞ける。

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この曲、今やスタンダードになっているみたいなのだ。翌日に嫁ぐことの決まっている娘が、母親への想いを綴るという想定の歌で、こんな歌詞がある。

明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った

小津安二郎の世界みたいな 「古き良き時代」を感じさせるしっとりとした雰囲気だが、帰宅してから調べてみると、1977年のヒットである。高度成長が終わり、オイルショックまで経験してしまってからの歌だ。

実は、この歌は個人的にはあまりしっくりこない。その理由を考えてみると、「明日嫁ぐ私」 が、実家で母親に手伝ってもらいながら荷造りをするなんてシチュエーションが、あまりにも遠い世界のことのように思われるからだと気がついた。少なくとも、オイルショック後の世界じゃない。

私が妻と結婚したのはちょうどこの頃だが、その 2〜3年前から既に一緒に暮らしていた。ずっとそのままでも別に構わなかったのだが、一応区切りをつけるために結婚式を挙げ、新しく戸籍を作ったのがこの頃である。

そうした個人的事情から考えてみても、『秋桜』の歌の世界はかけ離れすぎている。懐メロならわかるが、1977年という時代に、さだまさしが作って山口百恵が歌うという必然性が、さっぱり理解できなかったのである。

ましてや、作者のさだまさし自身がギターソロで歌うとなると、私のちょっと苦手な「クロスジェンダー・パフォーマンス」の世界になってしまうのだよ (参照 1参照 2)。彼は『関白宣言』なんていう歌は冗談めかして作っても、見ようによってはその裏側の世界みたいな『秋桜』という歌となると、こんなにもシリアスに作ってしまうのだね。

 

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2016年9月 7日

二重国籍ということについて

民進党代表選が、本命、蓮舫氏の「二重国籍」 問題で炎上気味になっている。彼女は昨日、台湾代表処に台湾籍を放棄する書類を提出したとし、「そのことによって、しっかり私は日本の法律の下では日本人です」と言明したという。(参照

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しかし疑惑となっているのは、彼女が日本人かどうかなんてことではなく、二重国籍だったのかどうかということだ。それに関しては、今頃になって台湾籍を放棄する書類を提出したというのだから、疑惑はますます深まったとみるのが常識的な考えだろう。

彼女の言うように台湾籍をとっくに放棄していたというのなら、一度放棄したものを今さら「改めて放棄する」というのは、論理的に矛盾する。そんな話が通ると考えているなら、彼女も民進党も国民を馬鹿にし過ぎだ。

時事通信は、「二重国籍かどうかについては、(蓮舫氏が)『台湾に確認を求めているが、まだ確認が取れていない』と説明した」 と報じている(参照)。政治家が自分の国籍を自分でちゃんと説明できないというのは、非常識と言うほかない。単一の国籍しか認めないこの国で、二重国籍のままずっと生活していたのかもしれない人間が、政党の代表代行を勤めているという段階で、彼女と民進党は大きく信頼を損ねたと言っていい。

もし彼女が二重国籍のまま政党代表代行を勤めていたとして、それがなぜいけないのかといえば、端的には日本の国籍法に違反するからである。さらに言えば、多重国籍を認める国においてすら、政治家は単一の国籍でなければならないとするケースが多い。やはり問題ありすぎだ。

と、ここまでは原則論である。蓮舫氏の二重国籍疑惑が問題というのは当然として、私個人としては、政治家ならぬ一般人が二重国籍をもつのは、「あり」でもいいじゃないかと考えてしまうのだ。

二重国籍のデメリットというのは、既に指摘されている。Wikipedia は「多重国籍」という項目で、「複数の国家から国民としての義務(兵役など)の履行を要求されたり、いずれの国家の外交的保護を認めるかという点で紛糾を生じる場合がある」と指摘している(参照)。極端なケースで言えば、互いに争っている 2つの国の国籍を持つ人間が、その 2つの国から兵役の義務履行を求められたりしたら、とんでもない股割き状態になる。

ただ、一般的にはそれほどの大きな問題は生じないだろうと思う。どちらかを取らなければならないというのっぴきならない状況になった時に、どちらかを選べる権利が保障されてさえいれば、それでいいように思えるのだ。私なんか「二重国籍」なんて聞くと、その響きの良さにあこがれてしまうほどである。

ただ、やっぱり政治家が二重国籍というのは、問題ありすぎである。それは言うまでもないことで、「お前、どっちの国のために働いてるんだ?」と言われかねないではないか。

 

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2016年9月 6日

メガソーラー・バブルの崩壊は、当然の結果

日本経済新聞が 「太陽光パネルの国内業界が底なし不況の様相を呈している」と伝えている (参照)。2016年 4~6月期の国内出荷量が前年同期比で 26%減少しており、15年度に前年実績を割り込んでから、復調の兆しが見えないのだそうだ。

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出荷量減少の要因は産業用(メガソーラー向けなど)の減少という。産業用は全体の 8割を占めているというから、家庭用がいくら健闘しても全体の出荷量が減ってしまうのは無理もない。

産業用ソーラーパネルの出荷が減ったのは、発電した電力の買い取り価格が下がってしまったからにほかならない。2012年には 1kwh 当たり 40円で買い取られていたのが、16年には 24円に引き下げられた。これでは新規のメガソーラーに投資しても「金儲け」にはならない。

一時はメガソーラーはバブルの様相を呈していて、とにかく申請しておいて、その権利を転売して儲けるなんてことまで横行していた。本当に「環境のため」を意識して作る場合は、なるべく木を切らずに済む土地を探して作るのだが、儲け主義の連中は林を伐採して丸裸にしたところにソーラーパネルを並べるなんてことを平気でやる。

私は太陽光発電に関しては、各家庭やオフィスで屋根や庭に設置し、「自分のところの電気は自分で作る」というのが望ましい姿で、メガソーラーに関しては 「やりたければどうぞ」 ぐらいに思っている。しかし昨年 9月 11日の記事で書いたように、本来山林だったところなどの自然を破壊してまで作るのは、「そりゃ本末転倒だろう」と考えている。

太陽光発電推進派の私としても、昨今のメガソーラー・バブルの崩壊は「当然の結果」と認識している。これで需要が落ち着けば、ソーラーパネルの価格も下がって、家庭での設置がしやすくなるかもしれない。

 

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2016年9月 5日

好きなものを最初に食うか、最後に食うか

昔から語られてきたテーマだが、人間には好きなものから先に食べるタイプと、好きなものは最後までとっておくタイプの 2通りあるようなのである。長男は最後までとっておくタイプが多いが、次男、三男となると、さっさと食べないとなくなってしまうので、最初に食べるタイプが多いという説もある。

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私は長男のためかどうか知らないが、最後までとっておくタイプだと思う。基本的に嫌いな食べ物なんてないのだが、特別好きってわけじゃないという食べ物というのはいくらでもある。そして「先憂後楽」というにはみみっち過ぎるだろうが、まず好きなわけじゃない食べ物をさっさと胃の中に放り込んで、目の前から消し去ってしまい、好きな食べ物だけにしてから食べる楽しみを味わいたい。

ところが、この習慣は誤解を呼んでしまうことがある。子どもの頃、「お前はこれが好きみたいだから」なんて言って、好きでもない食べ物を食わせられることが度々あった。どうやら親としては、息子が最初に息せき切って食ってしまうものを、「ウチの子の大好物」と思い込んでしまうようなのである。

私としては、最後まで残してゆったりと食うものの方を頻繁に食わせてらいたいのだが、親としては逆に「最後まで食べないのだから、嫌いなのだろう」と、あえて献立から避けてしまっていたらしい。この世の中が思い通りにいかないのは、誤解で成り立つ部分が大きいからである。

ところで、好き嫌いのある人間というのは、好きなものだけ食べて、そうじゃないものは食べないという食習慣を作ってしまった者のことをいうのだと思うのである。私は逆に、どうでもいいものは最初に片付けてしまう習慣を身につけたので、好き嫌いなんてことは意識したことがない。というか、好きじゃないものに箸を付けなかったら、腹が減って仕方ないではないか。

とくに育ち盛りの年頃は、口に入るものはなんでも食っておかなければ腹が満たされない。私は子どもの頃からちょっと体が大きめだったから、「嫌いなものは残す」なんて贅沢は考えられなかった。「とりあえず食う」のである。ところが最近の飽食の時代の子どもというのは、「とりあえず食わない」という態度が身についてしまって、食わず嫌いが多いのである。

私は「とりあえず食う」のでなければ腹が減って仕方がないというぐらいの状態の方が、人間にとって幸せなんじゃなかろうかと思っている。

ちなみに、上の写真は先日の北海道出張で食した 「ぼたん海老」というものだ。これは美味かった。私はまずどうでもいいものを先に食って、ぼたん海老みたいなものを最後におもむろに食いたいと思ってしまうのである。

 

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2016年9月 4日

「粗悪ガソリン」というのは、どうやら存在するようだ

いつもクルマの給油をしているガソリンスタンドが今月末まで改装中なので、仕方なくその向かいにあるガソリンスタンドで 3回ほど給油した。ところが 3回目で気付いたのだが、このスタンドで給油した時に限って、燃費が悪いのである。

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私はエコ運転のために、常に平均燃費というのを表示して走行している。私の乗っている車種は、給油の度に平均燃費のデータがリセットされて表示されるので、直近に給油してからの短期間の燃費が表示されるシステムになっている。

それで気付いたのだが、そのガソリンスタンドで給油すると、極端に燃費が悪いのだ。私はミライースという燃費が売り物の軽自動車に乗り換え、渋滞の少ない茨城県内を走行する機会が多いので、いつもの平均燃費は 20〜22㎞/ℓ ぐらいになる。空いた一般道を長く走り続けると、25㎞/ℓ ぐらいになることもあり、結構な好燃費である。

ところが、そのガソリンスタンドで給油すると、普段の燃費が 16〜18㎞/ℓ ぐらいに落ちてしまい、空いた一般道を長時間走っても、20㎞/ℓ に達しない。写真は今日、往復 100㎞ ほどの、信号の少ない一般道をスムーズに走行した際の燃費表示である。普段ならエアコンを効かせて走っても 22〜23㎞/ℓ ぐらいの燃費を叩き出すはずなのだが、20㎞/ℓ にも達していない。これは「異常値」である。

当初は「たまたま、そんなこともあるさ」ぐらいに思っていたが、いくら呑気な私でも 3回目ともなると気付かざるを得ない。直近でも他のガソリンスタンドで給油した時は、普段通りの燃費になるのだから、この燃費の低下の理由は、あのガソリンスタンドで給油したガソリンとの因果関係しか考えられないではないか。まあ、雰囲気的にもそのガソリンスタンドは、「うらぶれ感」が漂っているのだよね。

インターネットで検索してみると、「粗悪ガソリン」というのは確実に存在するらしい。灯油などの混ぜ物を平気でするようなのだ。それを物語るページがいくらでも見つかる。Yahoo 知恵袋の このページ は、そのほんの一例である。私の場合は常に平均燃費を表示させているので、いくら呑気でも 3回目で気付いたのだが、フツーはそこまでしないから、悪徳業者はいつまでものさばることになる。

自分のクルマのエンジンを長持ちさせるためにも、あのガソリンスタンドでの給油はしないことに決めた。

 

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2016年9月 3日

こんにゃくと山形県人と「砂おろし」

我が故郷山形県は、1人当たりのこんにゃく消費量が日本一なのだそうだ。「地域の入れ物」というサイトによると、平成 27年のトップスリーは、山形県(13.0丁)、秋田県(12.8丁)、岩手県(12.2丁) となっている。

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ちなみに上記の括弧内は板こんにゃく(250g)で換算してあるのだそうで(参照)、 全国平均は 7.8丁というから、山形県に限らず東北はかなり多い。

なんでまたそんなにこんにゃくの消費量が多いのかというと、それはひとえに、山形県人は「玉こんにゃく」が大好きだからとしか考えられない。こればかりは内陸も庄内もなく、山形県全体に共通した食文化である。

とにかく、高速道路のパーキング、海水浴場の海の家、道の駅、公園の売店など、ありとあらゆるところで、するめと昆布の出汁で煮込んだ玉こんにゃくが売られている。私なんかもクルマで帰省して山形県に入ったとたんに、パーキングエリアで玉こんにゃくを買ってしまう。

あのぷーんと漂う出汁の香りをかいだだけで、食べずにはいられなくなってしまうのだ。山形県人にとってこんにゃく、ことに玉こんにゃくは、なくてはならないものなのである。

ところで、こんにゃくの別名を「砂おろし」なんて言ったりする。私も子どもの頃から、「こんにゃくは腹の中の砂を出してくれる」なんて話をよく聞いていた。とはいえ、「俺は、砂なんて食った覚えがないけどなあ」と、不思議に思っていたのである。

「こんにゃくのあのぶつぶつとした黒い点々は砂なんだ」なんて言う人もいて、私は「それだったら、自分で食った砂を自分で出すだけじゃないか」なんてツッコミたくなっていた。そうかと思うと、「こんにゃくは睾丸にたまった砂出しにいい」なんて、わけのわからない説まである(参照)。

よく調べてみると、こんにゃくは「砂おろし」とはいえ、実際に砂をどうこうするわけじゃなく、繊維質が多いので、消化器官にたまった老廃物などを効率よく排出する働きがあるのだそうだ。さらにこんにゃくに多く含まれるグルコマンナンは、腸内の善玉菌を増やしてくれるなんて言われている。

まあ、「砂おろし」 なんてことに惑わされなければ、食べて美味しく、ローカロリーで健康にもいい食品ということで、おいしく食べればいいようなのである。

 

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2016年9月 2日

「もう昔の北海道の気候じゃない」 という実感

昨日、北海道への出張から帰ってきたが、「涼しい北海道で一息つこう」 という期待は完全に裏切られた。台風 10号が南の空気を呼び込んだまま去ってしまったようで、9月の声を聞いたというのに、蒸し暑さに汗びっしょりという北海道になってしまった。

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前日は夜遅くホテルにチェックインしたので、そのまま爆睡してしまい、9月 1日の朝早く目が覚めてテレビを点けると、台風 10号の被害状況が生々しく伝えられている。その前の台風 11号が北海道直撃という進路を辿り、さらに迷走していた 10号が東北を横断したために、その北に広がる雨雲が北海道を襲ったようだ。

ただでさえその前から続く大雨で水をたっぷり含んでいた土壌が、たまらず決壊してしまった地点が多く、北海道の地元放送だけに、各地の被害を詳しく伝えていた。これまでの北海道の常識では考えられなかったような惨状である。

今回は道東の遠軽(えんがる)という町に行ったのだが、まるで亜熱帯のような蒸し暑さで、9月の北海道の爽やかな風なんて、ちっとも吹かなかった。帰りの飛行機に乗る頃には、体中汗だらけという感覚だった。

北海道への旅行は天候に気を遣う。普段の年なら、夏でも日が暮れれば上着を羽織らないと肌寒く感じるほどだから、内地の感覚は役に立たない。

今年の 5月末には釧路と根室を訪問したが、低気圧の影響で季節が逆戻りしたような寒さだった。初日は「ダウンベストを持ってきてよかった」 と思ったが、2日目には「分厚いダウンパーカにすればよかった」と後悔したほどだ。

そうかと思うと、6年前の 8月末に小樽に行った時は、32度以上という暑さに驚いた。小樽は長崎や尾道と同様に坂道が多いから、炎天下を歩くうちに脱水症状寸前みたいになった。土地のばあさん連中も「わたしゃ、70年以上生きてるけど、こんな暑いのは初めて」と音を上げていた。こちらとしても、その夏は大変な猛暑だったから、「涼しい北海道で人間らしい気持ちを取り戻そう」と思っていたのだが、それは甘すぎた。

同じ年の 1月には、江差付近の猛吹雪で札幌から動きが取れずに一度追い返され、1週間後に出直すという経験もした。あの時は、札幌駅の北口ロータリーから、駅舎が見えないほどの大変な地吹雪だった。さすが北海道である。

ただ、いずれにしても北海道の地元の人たちも、「もう昔の北海道の気候じゃない」と感じておられるようだ。「まるで内地みたいな暑さになるし、台風が元気なうちに直撃してくる」という現実は覆せない。

地球温暖化は今、まさに実感として迫っている。

 

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2016年9月 1日

「空港」を韓国語で言うと

羽田空港まで行くモノレールに乗ると、日本語の他に韓国語でも車内アナウンスが流れ、その中で羽田空港のことは「ハネダゴガン」と言っている。これまでに何十回となく乗って聞いているので、それは間違いないと思う。だから私は韓国語で「空港」のことは「ゴガン」(「ゴ」は濁音で、「ガ」は鼻濁音)というのだと思っていた。

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ところが今日、北海道女満別空港から戻ってきてモノレールに乗り、またお馴染みの「ハネダゴガン」という言葉が聞こえてきたので、ふと思い立ち、「ゴガンって空港のことだよね」という思い込みを確認してみようと、インターネットで「韓国語 空港 ゴガン」というキーワードで検索してみた。そしてその結果に驚いた。

韓国語で「空港」は、「コンハン」というのだそうだ (参照 1参照 2)。「なぬ?」ってなもんである。じゃあ、モノレールの車内アナウンスで何百回も聞いた「ハネダゴガン」というのは、一体何なんだ?

ここまで来て、私は自分で書いた 「韓国語の濁音」 という記事を思い出した。そうそう、そうだった。韓国語では清音と濁音が区別されず、言葉の途中に来ると大抵濁音になってしまうという法則があるんだった。

つまり「空港」は確かに「コンハン」なのだろうが、「羽田」という単語とくっついて発音されると、「ゴンハン」と濁音化されてしまうのだろう。さらに「ハン」は、ごにょごにょっと続いてしまって鼻濁音の「ガン」に聞こえてしまうということに違いない。で、続けて言うと「ハネダゴガン」なのだ。きっと。

「コネル WEB」 というサイトには、"인천공항 (インチョンゴンハン)『仁川空港』,김포공항(キンポゴンハン)『金浦空港』" とある(参照)。なるほど。それでもまだ 「ゴンハン」 なんて書いてあるが、実際はモノレールの車内アナウンスのように「ゴガン」(確かにそう聞こえる)と発音されてしまうんだろうね。

ただ、このコネル WEB には、"「国際空港」 は、「국제공항 (ククチェコンハン)」 となります" なんて書いてあって、「ククチェゴンハン」 にはならないみたいなのだ。このあたり、隣の国の言葉とはいえ、私にとってはまだまだ謎が多い。

 

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