『秋桜』 という歌の世界
昨日クルマを運転していたら、カーラジオから『秋桜』という歌が流れてきた。山口百恵のバージョンではなく、作曲者のさだまさし自身の歌ったものである。聞きたかったら、こちら でも聞ける。
この曲、今やスタンダードになっているみたいなのだ。翌日に嫁ぐことの決まっている娘が、母親への想いを綴るという想定の歌で、こんな歌詞がある。
明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った
小津安二郎の世界みたいな 「古き良き時代」を感じさせるしっとりとした雰囲気だが、帰宅してから調べてみると、1977年のヒットである。高度成長が終わり、オイルショックまで経験してしまってからの歌だ。
実は、この歌は個人的にはあまりしっくりこない。その理由を考えてみると、「明日嫁ぐ私」 が、実家で母親に手伝ってもらいながら荷造りをするなんてシチュエーションが、あまりにも遠い世界のことのように思われるからだと気がついた。少なくとも、オイルショック後の世界じゃない。
私が妻と結婚したのはちょうどこの頃だが、その 2〜3年前から既に一緒に暮らしていた。ずっとそのままでも別に構わなかったのだが、一応区切りをつけるために結婚式を挙げ、新しく戸籍を作ったのがこの頃である。
そうした個人的事情から考えてみても、『秋桜』の歌の世界はかけ離れすぎている。懐メロならわかるが、1977年という時代に、さだまさしが作って山口百恵が歌うという必然性が、さっぱり理解できなかったのである。
ましてや、作者のさだまさし自身がギターソロで歌うとなると、私のちょっと苦手な「クロスジェンダー・パフォーマンス」の世界になってしまうのだよ (参照 1、参照 2)。彼は『関白宣言』なんていう歌は冗談めかして作っても、見ようによってはその裏側の世界みたいな『秋桜』という歌となると、こんなにもシリアスに作ってしまうのだね。
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コメント
さだまさしは好んで聴いていたわけじゃないので、改めて正面から聴いてみましたが、少々脳内が混乱してきますね。
こういう歌詞(嫁入り前の娘と母の心情)を男が朗々と歌い上げていることに。
確かに時代背景も最低二十年はズレてますね。
松山千春の「恋」
愛することに疲れたみたい、嫌いになったわけじゃない...男はいつも待たせるだけで、女いつもは待ちくたびれて...
同じく松山千春の「旅立ち」
私の瞳が濡れているのは泪なんかじゃないわ、泣いたりしない...
この二曲を松山千春が歌っても違和感を感じないのは、別れを決意し、自立していく女性の心情を歌っているからでしょうか。
でもよくわからない。
投稿: ハマッコー | 2016年9月 9日 00:04
ハマッコー さん:
まあ、いずれにしても、男が女心を歌うと、男にとって都合のいい女を描きがちですね。ムード歌謡なんて、まさに「都合良すぎ」 ですが。
投稿: tak | 2016年9月 9日 13:27