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2016年10月29日

「アスリートは短命」 説の逆利用

ラグビー元日本代表監督の平尾誠二氏の、53歳という若さでの死は、ちょっとショックだった。彼が同志社大学で活躍した頃から、ワセダのラグビーは常勝軍団じゃなくなったような印象まであって、憎いけどカッコいい存在ではあった。

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ところで、「アスリートは短命」という説がある。確かに相撲取りなんかは、若死にするような気がする。上の図は昔話題になった『脳内革命』(春山茂雄・著)という本に載っていたグラフだが、なるほど、確かに体育会系は若死にするような印象を受ける。一方で文化系は生き残るように見て取れる。

アスリートが長生きしないのは、体内に活性酸素が大量に生成されてしまうからだと言う人もいる。ただ活性酸素というのは、別に激しい運動なんかしなくても体内に発生しちゃうのだから、程度問題であって、「スポーツは体に悪い」なんていうのも考えものだ。

私なんかは「自分で自分の面倒が見きれなくなる年になってもだらだらと生きるより、さっさとあの世に行ってしまう方が幸せ」と思っているから、単なる「数字上の長生き」には否定的だ。さんざん元気で生きて、ある日ポックリ死んでしまうのが、私だけでなく多くの人の理想なんじゃないかとも思う。

私は還暦を過ぎても、「雨さえ降らなければ、往復 50km 以内なら自転車で出かける」なんて言って、時には往復 100km 以上でもそうする。結構汗をかきながら生きているのは、意識としては「単なる数字上の長寿を放棄するのと引き替えに、元気なうちはバリバリ動ける体を維持する」ことに積極的な意義を見出しているからだ。

これは別の言い方をすると、「必要以上に動いておくことで、数字だけの長生きなんてしなくて済むように保険をかけておく」ということでもある。「アスリートは短命」という説は、ある意味逆利用のし甲斐があるだろう。

今のところ、すぐに死んでしまうような兆候も見られないから、多分 70歳までは元気で生きていけると思う。そこから先は、元気なままなら敢えて死のうとは思わないが、床に伏せるようになってまでだらだら生きようとも思わない。だって、それじゃつまらないし、苦痛でもあるだろうから。

そうならないように、今のうちに体を酷使して、あっさり死ねる素地を作っておこうと思っている。

 

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