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2016年10月22日

ギリギリのタイミングで 「お笑い Big 3」 を語る

既に遅すぎるかもしれないが、今のうちに書いておかないと、あっという間に「それ、何のこと?」なんて聞き返されるようになりそうなので、アリバイ作りみたいな意味でもここらで書くことにする。何かというと、「お笑い Big 3」 についてである。

Big3

「お笑い Big 3」の顔ぶれについては、もう時期的に異論が出ても不思議じゃないが、まあ、ちょっと前までは、「さんま、たけし、タモリ」の 3人と相場が決まっていた。いくらあまりテレビを見ない私でも、彼らの番組は嫌でも目に飛び込んできていた。

で、この 3人の芸風を私なりに一言で言ってしまうと、こんな感じになる.

さんま: 小さなことを膨らませて笑いを取る。

たけし: 小さなことを異化させて笑いを取る。

タモリ: 大きなことを小さくして笑いを取る。

この 3つのうちでは、さんまの芸風が一番わかりやすいわけだが、はっきり言って私の好みではない。ストレートすぎて、ひねりを感じないのである。だから聞いているうちに面倒くさくて付き合いきれなくなる。

そこへ行くと、たけしの芸風はかなりひねりが効いている。だが、異化の方向性が決まりきってくると、それはマンネリに陥りやすい。だからいわゆる「お笑い」よりも映画などを作る方が、「作風」という一段上のレベルに昇華されたものとして、世間に認められやすくなる。とはいえ、はっきり言って私の好みではないのだけれどね。

タモリの芸風は、さらにひねりが効いている。せっかくの大きなことも敢えて小さくして、身も蓋もなくしてしまうのだ。その小さくする手法が、決して矮小にしてしまうというのでもなく、ちょっと見過ごしていたようなエアポケットに放り込んでしまうというスタイルなので、意表をついたおかしみになる。

さんまは相変わらず賑やかなお笑い芸人のままのようだが、たけしとタモリは、近頃ではお笑い枠からのはみ出し方をより強めているように見える。たけしは映画作家としての方が評価される方向にあり、タモリは『ブラタモリ』で見せる「ペダンティスト芸人」としてのスタンスを既に築いてしまった。

ただ、たけしとタモリにしても 「お笑いは男子一生の仕事にあらず」 みたいなスノッブな感じとは一線を画していて、いつでも一瞬にしてお笑いの土台に戻れる中身を維持しているので、気障にならないでいられるのはさすがである。

 

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