鍋の最後に炭水化物を摂る「しめの文化」に馴染めない私
私は鍋の最後に「しめ」というものを食う文化に、かなりの違和感を覚えている。さんざん飲み食いした挙げ句にさらにメシだの、うどんだの。ラーメンだのと炭水化物を食い足すというのが、自分自身の「食のスタイル」に全然馴染まない。
私は夕飯はさっさと食って、さっさと腹一杯になりたい人である。ところが日本の、とくにオヤジたちの食文化は、「とりあえずビール」から始まり、大して腹の足しにもならないものをちびちびつまみながら、だらだらと酒を飲む。しかしそれでは寝る前に腹が減るので、最後に鍋に炭水化物をぶち込んでそれを食うのである。
私はといえば、酒なんて飲むよりもとにかくメシを食いたい。だから酒飲みの家に招かれて夕食に付き合わされると、いつまでもメシが出てこないので、腹が減ってどうしようもなくなる。それで「あのう、ちょっとご飯をいただきたいんですが」なんて言うと、「えっ、もうご飯ですか?」なんて驚かれる。
そんなことを言われて驚くのはむしろこっちの方で、よくまあ、夜も更けてからメシも食わずに空きっ腹を我慢できるものだと思う。それで、さっさとメシを食ってしまうと、最後の「しめのラーメン」なんて、「そんなもの、いらんわ!」ということになる。
これは、私が下戸の家に生まれて育ったからだと思う。私の父は「酒はお猪口一杯ならおいしいと思うが、二杯飲んだら心臓バクバクになって死ぬ」という人だった。だから夕食の前にとりあえず酒を飲むという発想がない。飲みたかったら、まず腹を満たしてからゆっくりと飲む。
本来なら、この方が体のためにもいいはずである。空きっ腹のうちに酒を飲んで、寝る前に炭水化物をがっつり食うなんていうのが、健康的なはずがないではないか。それで「しめの文化」には、自分自身がオッサンになってからも全然馴染めない。
仲間内で飲み屋に行って、「それぞれ好きなつまみを頼んで」なんて言われても、私は「おにぎり 2皿」なんて注文して、不興を買ったりしているのである。
(写真は「日清 妖怪ウォッチ 鍋用ラーメン」というものを借用した)
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コメント
「しめの文化」どころか、「宴会の文化」にさっぱりなじめない。一人一人にお膳が出てくれば食しますが、鍋料理なんて絶対に手を出さない。〆のうどんだのご飯だのって恐怖の料理ですよ。
ただ他人が食べているのを水を飲んで眺めている...だけならよいが、勝手に皿にとって”食べろよ”なんていわれると本当に困る。”今日は体の具合が悪く食欲が全くない”といって断っている。
もっとも、最近は宴会の機会がめっきり減って清々してます。
投稿: ハマッコー | 2016年10月26日 20:57
ハマッコー さん:
「宴会の文化」 は 「パーティの文化」 とは全く違うものですね。
私は 「究極的には通じ合うけど、とりあえずは多様性を認めなきゃね」 と思っているのですが、「宴会の文化」 においては、「とりあえずは、みんな一緒なのが大切よ。腹の底まではわからないけどね」 ってな感じです。
投稿: tak | 2016年10月26日 22:34
私も前世紀にはそんな文化に触れた記憶もありますね(笑)。お酌されたりしたりとか(笑)。今はフリーですからお付き合いもなく、好きなものを好きなときに食べ、ストレス一切無しです(キリッ)収入は少ないですが(ガクッ)
投稿: 萩原です | 2016年10月27日 02:17
萩原です さん:
収入増と引き替えに心と体に悪いストレスを引き受けるよりは、ずっとマシだと思いますね。
投稿: tak | 2016年10月27日 22:05