"Mindfulness" と「マインド・フルネス」
今年の初め頃に義理で参加した、ある講演会のことを急に思い出した。その講演会では、講師がのっけに「最近、『マインド・フルネス』というのが注目されておりまして、読んで字の如く『心をフルに活性化させる瞑想』です」なんて言い出したので、「あ、こりゃダメだ」と思い、すぐに席を立って帰ってきた。

「マインド・フルネス」と「ナカグロ」入りで表記したのは、その講師がそのように発音したからである。「マ」と「フ」にアクセントを置いて、「マインド」と「フルネス」の 2語の組み合わせにしか聞こえない言い方をしたのだ。
そしてダメ押しのように、「読んで字の如く」なんてことになっちゃったから、「これ以上付き合っても、しょうがない」と思うほかない。「勝手な解釈の通俗処世術を聞かされるだけ」と判断せざるを得ないよね。
言うまでもなく「マインドフルネス」というのはナカグロ入りの「マインド・フルネス」なんかではなく、"mindfulness" という 1語の英語のカタカナ表記である。"Mindful" (〜を心がけて、〜に留意して)という形容詞に "ness" という接尾語を付けて名詞形にした言葉だ。直訳すれば 「心がけること、留意すること」というようなことである。
近頃、瞑想などによって心を一つのことに集中させる(これがまさに "mindful" の状態)というメソッドを通じ、ストレスが解消されると言われている。それによって結果的に「心をフルに活性化させる」という効果を生じることがあるかも知れないが、元々の指し示すところとはビミョー以上に違う。
で、ここで論じたいのは「マインドフルネス」の実践などではなく、その言葉そのものについてだ。
「もしかして……」 と思い、"マインド・フルネス” というナカグロ付きのキーワードに限定してググってみると、出てくるわ出てくるわ、日本語のウェブの世界には、まさにナカグロで区切った 「マインド・フルネス」 と、スペースで区切った 「マインド フルネス」 がうじゃうじゃ存在するのである。(参照)

この言葉が 2語の組み合わせと誤解される元になった材料の一つに、『グーグルのマインドフルネス革命』 という本が挙げられるかもしれない。なにしろ表紙のデザインが、いかにもそんな風に誤解させるに十分な表記で、「マインド」と「フルネス」 が 2行に分かち書きされてしまっているのだ(左図参照)。
これ、結構売れた本なので、書店で平積みにされているのを見ただけの人は、「マインド・フルネス」と思ってしまってもしょうがないだろう。私がデザイナーだったら、こんな紛らわしい表記は絶対にしない。
ほかにも「マインド・フルネス (mindfulness)」などと、正しい英語を併記しながら、カタカナではなぜかナカグロ付きにこだわっている意図不明の表記のページもある。世の中というのは、本当にいろいろあるものである。
ここまで来て我ながらさらにもの好きなことに、英語そのものでも調べてみる気になった。日本語同様に "mind fullness" という 2語のキーワードに限定してググってみたのである。
するとグーグルとしては当然の如くに、「こいつ、"mindfulness" という言葉を知らねえんでやんの! しょうがねえなあ」と気を利かせて、「次の検索結果を表示しています: "mindfulness"」というのが表示されるが、「やかましい、余計なお世話だ!」とばかりに、その下に表示される「元の検索キーワード: "mind fullness"」をクリックする。
すると、なんとまあ、英語の検索結果でも "mind fullness" と表記したページがいくらでもあることがわかる(参照)。その多くは英語のネイティブ・スピーカーではない人のページのようだが、やっぱり誤解されがちな言葉のようだということは十分に確認できる。
そんなこともあって、「まあ、日本人が『マインド・フルネス』と誤解しちゃうのも、無理ないか」と思われ、ちょっと優しい気持ちになれたのである。
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これ、ごくフツーの常識問題だから、現在の震度階級では 「震度 7」 が最大というのを知らないジャーナリストがいるというのは、ちょっとビックリである。しかしもっとビックリの事実がある。


























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