違っていて当たり前というお話
今日、NHK BS 放送を見ていたら、フランスの家庭での手作りクリスマス・リースに関する話になっていた。ナレーションにいわく 「クリスマス・リースの作り方は、それぞれの家庭で少しずつ違います」
あまのじゃくな私はこうした話を聞く度に、「そりゃそうだ。手作りのモノをまったく同じに作る方がずっと難しい」と思ってしまう。自然の材料を使っていたら、設計図とマニュアルを整備し、強いてまったく同じモノを作ろうとしても無理だと思う。一つ一つ違っている方が当たり前なのだ。
写真のリースは一昨年の暮れの「和歌ログ」にアップした、我が家のクリスマス・リースである。妻がちゃちゃっと手作りしたものだ。これはクリスマス前から小正月にかけてずっと使い続けられるように、見ようによってはクリスマス・リースだが、あるいは松飾りのようでもあり、初めからそれを狙った作りになっている。
いわば和洋折衷ミニマリズムの「リース松飾り」なので、西洋ではなかなか見られないデザインだと思う。手作りというのはこういうことが可能なのだ。そしてそれは「それぞれが違ったデザイン」というより、「どうしたって違ってきちゃう」 のとしか言いようがない。
昔、あるお寺の「五百羅漢像」を拝観した時、案内の若い坊さんが「五百もある羅漢さんですが、すべて違う表情になっているんです」と、それがさも特別のことのように説明してくれた。この時も私は「そりゃそうだ。鋳型にはめて作るのでもない限り、同じ表情に作る方がずっと大変だ」と思ったものだ
多様性というのは狙って作るものではなく、自然に実現されてしまうものなのだ。マスプロダクションの工業製品は、同じ部品で同じデザインの製品を多数作ることで合理化しているのだが、それを「当たり前」と思ってしまうと、手作りの多様性がことさら「特別のもの」という気がしてしまうだろう。しかしそれは幻想で、特別でもなんでもなく、「多様で当たり前」なのだ。
これがわからないと、ちょっと違った要素を排除するメンタリティに陥りやすく、「いじめ」につながったりする。実は「違っていて当たり前」 で、それだからおもしろい。「一様に揃っている」という方が、ずっと特殊なことなのだ。
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コメント
他者への尊厳や尊重といったものは
忘れたくないものですね。
それはそうと、奥様の「リース松飾り」ステキです。
投稿: るー | 2016年12月13日 12:43
るー さん:
まさに、ちょっとずつ違うからこそ尊重されるべきですね。
リース、お褒めにあずかり、光栄です。妻も喜びます。
投稿: tak | 2016年12月13日 15:08
「リース松飾り」、良いです!
大量生産してほしい……あれ?(笑)
投稿: 山辺響 | 2016年12月14日 18:48
山辺響 さん:
大量生産して売りさばいたら、儲かるでしょうかね ^^;)
(不可能だけど)
投稿: tak | 2016年12月14日 18:55