タラバガニの値段が高騰しているのだそうだよ
タラバガニの漁獲量が減り、値段が急騰しているのだそうだ。そんな中、ラジオショッピングなどでは「お正月にはおいしいプリップリのタラバガニをたっぷり食べたいですよね。そこで、1kg 2万円のタラバガニを、本日に限り、2kg 2万円で提供します!」なんてプロモーションを展開している。私なんか、「それでも高すぎるなあ」と思ってしまうのだが。
タラバガニの漁獲量が減っているのは資源が枯渇しかけているからで、最大供給国ロシアからの輸入も密漁取り締まりによって激減しているらしい。普通に考えれば、資源が枯渇しかけているなら食うのを控えて増加に転じるのを待てばいいということになりそうなものだが、人間の業というのは浅ましいもので、それでもなんとかたっぷり食いたいと願うもののようだ。
私なんか、余計なものを食うのは面倒くさいと思うところがあって、「タラバガニの値段が高騰している」なんて聞けば、「それなら食う理由がなくて、面倒がないからありがたい」と感じてしまう。メロンに関してもアレルギーがあって、昼間に食うと夕方過ぎまで口の周りが痒くてたまらなくなるから、逆に「アレルギーという免罪符のおかげで、高いものを食わずに済んでありがたい」と思っている。
同様に、マグロやウナギが資源枯渇の危機にあるというので、「だったら高いものを食わずに済んでありがたい」と、喜んで割り切れる。それで 3年以上前に「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」と宣言している。
決して食うのを我慢しているわけではなく、「面倒なものを食わずに済むありがたさ」の方が勝っている。今年正月の記事、"「ご馳走を食わない」 というポリシー" で端的に書いているように、私は要するに、過剰なご馳走を食うことに苦痛を感じてしまうタイプなのだね。
そうでなくても、人間は何を食うかということにもう少し理性的であっていい。キリストは「山上の垂訓」で、「何を食ひ、何を飮まんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな」(マタイ伝 第 6章 25節)と語ったわけだが、「面倒なものは食わない」と割り切りさえすれば、少なくとも食い物で思い煩うことからは解放される。
旨いものや珍しいものを追い求めるのは、いくら「グルメ」として取り繕おうが、突き詰めれば餓鬼道である。いくら旨かろうが珍味だろうが、面倒な事情にまみれたものは食わずに済ませたい。その方がずっと楽に生きていける。
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コメント
年に数回はご馳走をいただきますが、普段はいわゆる粗食です。
ご飯に納豆で充分おいしいですね。塩辛、梅干、生卵、ふりかけもいいですね。原価200円でできる麻婆豆腐なんて “ああ、なんて旨いんだ” と感激します。
テレビのグルメ番組で、食べ物についての講釈を聴いてると “面倒くさい人達だなあ” と思ってしまいます。
星付きレストランなんて全く興味がありません。
納豆で満足できる自分に満足です。食に関しては心が自由です。
ちなみに、写真のカニはタラバガニですが、殆ど見わけのつかない「アブラガニ」というのがタラバガニとして売られてる例もあるようです。
http://www.whako.com/market/kani002.html
見た目も味もほとんど変わらず、価格は七割くらいのようです。大安売りとしているのは実際はアブラガニの可能性が高いです。足だけのパック品は疑ったほうがいいですね。函館の市場ではタラバガニとして売られていました。
上記のサイトではそんな業者は超レア」だと言ってますが。
何れにしても私には関係ない話です。
投稿: ハマッコー | 2016年12月 3日 01:04
ハマッコー さん:
アブラガニという代用品があるんですね。
どうせ食ってもわからない人が多いなら、気持ちよくだまされていればいいんじゃないかとも思います。いずれにしても、私も関係ない話ですが (^o^)
投稿: tak | 2016年12月 3日 20:05