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2016年12月 5日

「分別」と書いて「ぶんべつ」「ふんべつ」と読む分別

世の中には「分別ゴミ」のことを「ふんべつごみ」と読む人もいれば、「思慮分別」を「しりょぶんべつ」なんて読んじゃう人もいる。漢字の読み方というのは、なかなか一筋縄ではいかない。

Bunbetsu

同じ漢字で「分別」と書いても、「ふんべつ」と読むと「物事の是非、道理を判断し、わきまえること」との意味であり、「ぶんべつ」と読むと「種類によって別々に分ける」ということである。よって「分別ゴミ」は「ぶんべつごみ」で、「思慮分別」は「しりょふんべつ となる。

「分別」という言葉は仏教用語から来ており、元々は 「虚妄である自他の区別を前提として思考すること」で、転じて「我(が)にとらわれた意識」との意味合いをもつ。本来はあまり高尚な意識ではないようで、「分別智」というと「煩悩を持つ人間の世俗的思考」という意味になる。ところが時代が下るに従って理性的な意味合いを強め、「分別のある大人」なんて言われるようになった。「言葉は生き物」というのは本当である。

一方、「ぶんべつ」と読ませる「分別」という熟語はずっと新しく、近代に入って「分別結晶」「分別蒸留」「分別沈殿」など、科学用語に用いるために、従来の「ふんべつ」という読み方とは別の流れとして「分別的」に造語されたもののようだ。それがさらに下って、ゴミの「分別収集」にまで至る。

これと似たような流れの言葉に「変化」 というのがある。「へんげ」と読ませるのが元々の流れで、「妖怪変化」などの熟語がある。これも元々は仏教用語で、神仏が衆生を救済するために、仮に人などの姿をもって現れることをいう。「観世音菩薩は三十三身に変化する」というのは、観音様は人を救うためにいろいろな姿をもって現れるということだ。

そして「へんか」と読む「変化」になると、ずいぶん素っ気ない話になり、物理的あるいは化学的変化、または文法的な語形変化のことになってしまう。

「利益」という言葉も同様で、「りやく」と読むと「宗教的な恩恵」のことで、「りえき」と読むと「儲け」とか「有益なこと」という意味になる。「末期」という言葉も、「まつご」だと「人の一生の終わりの時」で、「末期の水」は 「臨終の際に唇を湿す水」のことをいう。そして「まっき」は「限られた時間の終わりの時期」という極々即物的な意味になる。

こうした類いの言葉は、仏教哲学の言葉を転用して近代的な知見を表現する熟語としたという共通の歴史をもつ。その際に、読み方も「呉音」から「漢音 に変わるのが通例だったようだ。

その意味で、同じ漢字で読み方によって意味が異なる言葉といっても、「人気」(にんき/ひとけ)、「上手」(かみて/うわて/じょうず)「色紙」(しきし/いろがみ)、「工場」(こうじょう/こうば)などの、音読み/訓読みの別や、当て字などによるものとは、成り立ちを異にすると考えるべきである。思いのほかにヘビーな言葉なのだ。

 

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