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2016年12月24日

天皇の生前退位について

昨日の天皇誕生日、関東は例年のごとく穏やかな日和となり、皇居の一般参賀には多くの人が集まったようだ。「生前退位」のご希望を表明された後の「お言葉」が注目されたが、多くの人が耳を傾けたことに対する「感謝」が述べられたにとどまった。

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ただ、あのご希望表明が「内閣とも相談」してのことだった事実が、さりげなく初めて明らかにされたことで、内閣への圧力は少しだけ強まるだろう。これまではなんだか、「突然、何をおっしゃるんだか……」みたいにトボけていたが、今後それは通じなくなるということだ。

今回の生前退位問題に関しては、安部首相周辺、いわゆる日本会議系の人たちが、実は天皇をちっともリスペクトしていないんじゃないかと思われる心情を、言葉の端々にうかがわせる発言をしていることに、私は少なからず驚いている。「へえ、あんたたち、一皮剥けばそんな風な考えだったの?」と言いたいぐらいのものだ。

「天皇はちょっとおかしい」とか「皇居の奥で静かにしていてもらいたい」とか、言いたい放題である。私としては、今上陛下が推進されている(と思われる)「開かれた皇室」のコンセプトに共感していて、「もっと開かれてもいい」とさえ思っている。ところが、首相周辺の人たちはそうじゃないみたいなのだね。

彼らは今回の「生前退位」を一代限りの特例措置として片付けたいみたいだが、高齢のために公務を果たしにくくなるというのは、何も一代限りの事情じゃない。皇室典範の改正も視野に入れるべきだという民進党の指摘の方が、この問題に関してはしっくりとくる。

ただしそれをするとなると、やたらと時間がかかってしまい、今上陛下のご希望実現は遠のくことになるのがジレンマだ。まずは特例措置として実現した後に、それを既成事実として次の段階に踏み込むのが現実的なのかなあ。

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コメント

憲法には、天皇の地位は日本国民の総意に基づく、とありますよね。
私は、国民投票すれば良いと思っています。
余計なコストもかけないために、「天皇が退位を表明した次の国政選挙の時に併せて実施する」、最高裁判所裁判官の国民審査のように。
間に国会の過半数を挟んでも良いですが。
これでどうです?

投稿: らむね | 2017年1月 9日 03:14

らむね さん:

国民投票だと、中法的な 「総意」 にはならないと、私は思います。

投稿: tak | 2017年1月 9日 23:11

お返事どうもです。
中法的、という意味が分からなかったのですが、ポピュリズム化してしまう、ということでしょうか。

政府は特例法で譲位を認めるようですね。
このニュースが出て初めて感じたことがあります。
ああ、これで新しい天皇陛下と元号を「お祝い」できるなあ、と。
昭和の陛下の時もそうですが、崩御に伴う新天皇と新元号では、「お祝い」できないですよねえ。
しかも元旦にやるそうで、なお「お祝い」ムードが高まります。
以前から陛下の譲位に賛成でしたが、改めて良いなあと思いました。

投稿: らむね | 2017年1月11日 00:07

らむね さん:

失礼しました。「中法的」 は 「抽象的」 のタイプミスです。
「国民の総意」 というのは抽象的なもので、数値化するようなものではないんじゃないかと思っています。

特例法で認めるというのは名案ですが、再来年の正月は大忙しになりそうですね。

投稿: tak | 2017年1月11日 15:04

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