「東京カリント」は、大阪で食べても「東京カリント」だが
「東京カリント」というお菓子があって、「東京カリントは大阪で食べても、東京カリントと言うんですか?/ハイ! 東京カリントは日本中どこで食べても、東京カリントと言うんですねぇ!/ ♪ ハチミツカリント、東京カリント ♪」というラジオ CM がお馴染みである。作っている東京カリント株式会社は、東京板橋区という地味なロケーションにある。
「日本中どこで食べても東京カリント」というコピーには、「そりゃそうだ、草加せんべいは大阪で食べても草加せんべいで、讃岐うどんはニューヨークで食べても讃岐うどんだしね」とツッコミを入れたくなる。しかしよく考えてみると、あながちそうとばかりも言い切れないことに気がついた。
例えば「ズワイガニ」は地方によって呼び名が違う。「越前ガニは山陰地方で食べても、越前ガニというんですか?」「いいえ、越前ガニは山陰地方で食べると、松葉ガニというんですねぇ!」ということになる。しかし「伊勢エビ」はどこで獲れても「伊勢エビ」なので、一筋縄ではいかない。
さらに地名由来の食べ物が、その土地に行っても見当たらないということもある。「日本茶」は日本にあるが、「アメリカンコーヒー」というコーヒーは米国にはない。スパゲティの「ナポリタン」は、ナポリでは誰も知らないし、「天津丼」もそうらしい。さらに米国のバーモント州に行って「バーモントカレー」を探すのは一苦労だろう。
一方、信州の野沢温泉に行かなくても「野沢菜」はどこででも食えるし、「博多ラーメン」や「長崎ちゃんぽん」も同様だ。そうかと思うと「練馬大根」は、今どき練馬に行っても見られなくなった。それから讃岐うどんチェーンの「丸亀製麺」を運営する会社は、香川県ではなく兵庫県にある。
食い物の名称というのはとても感覚的な要素が強いので、統一ルールなんてものはあり得ない。
そう言えば、私が学生時代には学食に「早稲田ランチ」というメニューがあったが、今となってはググってみても見当たらなくなってしまったのだよね。まあ、大して美味しいものでもなかったから、別にいいんだけど。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 日本のスタバも、メニュー削減してくれないかなあ(2025.01.31)
- この歳になると、時の経つのがメチャクチャ早い(2025.02.01)
- トイレットペーパーの幅が狭く、長さも短くなった(2025.01.20)
- 「御中」にするために、定規を使って「行」を消すって?(2025.01.18)
- 50年近く前に禁煙したのは「贖罪意識」からだった(2025.01.11)
コメント
「早稲田ランチ」ちょつと興味ありますね。昔の(失礼)学生さんはどんな昼飯を食してらしたんでせうか。詳細キボンヌ(死語)。もしかしてtak先生のこの記事が火付け役となり、J郎などの爆盛りに飽きた草食系学生さんの間で「早稲田ランチ」がブウムになるやも?
投稿: はぎ腹みづ寝 | 2016年12月 6日 23:04
はぎ腹みづ寝 さん:
あれ? どんなんだったかなあ。
「Bランチ」 より格上だったということは覚えてますので、そもそも 「Aランチ」 に相当するのが 「早稲田ランチ」 というココロなんだろうなあと思ってました。
「Bランチ」 は皿盛りのライスに、魚のフライと千切りキャベツが付いた程度のもので、「早稲田ランチ」 はそれに二品ぐらいプラスしただけって感じだったかなあ。
で、私はフツーは 「Bランチ」 や 「カレーライス」 を食べていて、「早稲田ランチ」 は週に 1度ぐらいの贅沢でした。
ところが、他の大学の友人が来ると、「早稲田ランチ」 でさえ 「え? こんなんしかないの? ワセダ、気の毒!」 というぐらいのものでしたよ。
たまに青学の学食なんかに行くと、「すげぇ! 安くて旨くてボリュームがある!」 と感動してました。
そんなわけで、早稲田界隈は学食なんかよりずっとまともな食堂が多かったんですよね。「フクちゃん」 とか 「おふくろ食堂」 とか。今は閉店しちゃってるみたいですけど。
https://matome.naver.jp/odai/2139666463022875301
いずれにしても学食は人気薄でした。
ちなみに 「J郎」 って何だ? と思ってググって見たら、げっ、すげぇ!
こんなんだったら、「早稲田ランチ」 の方がずっとマシだわ。
投稿: tak | 2016年12月 7日 00:17
懐かしいですねえ、Aランチ、Bランチ。
学生劇団にいた頃、仲間の男子学生はランチすら手が届かずに150円のカレーを毎日食べていました。水のようなルーの中に固形物の野菜を発見すると「おっ、今日は当たり!」と喜んでいたりして。
180円に値上げされる際には反対集会が開かれたのをご存知でしょうか?
投稿: ビニ傘女 | 2016年12月 7日 11:23
さすが質実剛健の校風で知られる早稲田大学OBの皆さま(?)、ランチ一つをとっても色々な物語をお持ちですね。tak先生やビニ傘様の早稲田時代のお話、もっと知りたいです。今の若い方々にもきっと貴重なお話でしょう。続編キボンヌ(おいおい)
投稿: はぎ腹みづ寝 | 2016年12月 7日 13:36
>はぎ腹みづ寝さま
やくたいもない話を面白がっていただき恐縮です。
では、教職の講義受講手続きのために行列を作っていたらにわか雨に遭い、そこいらのタテカン(畳大の立て看板)を失敬して仲間たち数人と屋根代わりにしていたら、周囲の学生がわらわらと入ってきて「おい、いきなり友達が増えたぞ♪」みたいなエピソードでもいいのでしょうか?
ちなみに、私が一番大きな看板をひっぺがそうとしたら「革マルのはやめろ!」と言われて、害のなさそうなどこかの劇団の公演案内にしました。いや、そんな狼藉をはたらく我々が一番の害悪と言えるかもしれませんが。
他所さまの庭先でお目汚し失礼致しました>takさま
投稿: ビニ傘女 | 2016年12月 8日 00:51
ビニ傘女 さん:
>懐かしいですねえ、Aランチ、Bランチ。
あれ、私の頃は 早稲田ランチ = (Aランチ) というようなココロでしたが、名称は「Aランチ」 ということに集約されたんですかね。
確かに、紛らわしいですからね。
私が入学した時は、カレーが 80円で、メンマしか入ってないラーメンが 50円だったような気がします。
あの頃はインフレだったので、それがどんどん値上げされた記憶がありますが、在学中にいくらまで値上げになったかは、覚えてません。
>180円に値上げされる際には反対集会が開かれたのをご存知でしょうか?
風の便りに聞いた覚えがあります。
「俺の頃の倍以上じゃん!」 と思ったものです。
投稿: tak | 2016年12月 8日 09:38
はぎ腹みづ寝 さん:
実は学食のことは、40年以上前のことなので、あまりよく覚えてないんですよ。
(その頃にスマホがあれば、写真を残しておいたんですが、「写ルンです」もない世の中でしたからね ^^;)
文学部キャンパスの食堂と本部キャンパスの食堂はメニューがほぼ共通してましたが、その他に 「生協の食堂」 ってのがあって、そこはややマシだったような記憶がうっすらとあります。
ただ文学部キャンパスからは遠かったし、いかにもミンセーっぽい雰囲気が漂ってる (つまり、ワセダっぽくない) 気がして、一度しか行ったことがないです。
投稿: tak | 2016年12月 8日 09:45
皆様、色々面白いお話ありがとうございます。個人的には「革マルのはやめろ!」と「ラーメン50円」というのが時代を象徴していて興味深かったです。今の学生さんは「革マル」という言葉を知っていらっしゃるのでしょうかね?
)とほぼ同じ値段(当時350円)なのを見ると、何ともいえない気持ちになりますね(笑)。
それにしても、かの「ビッグマック」が、私が初めて食べたとき(年代はひ・み・つ
投稿: はぎ腹みづ寝 | 2016年12月 9日 13:41
はぎ腹みづ寝 さん:
えぇと、早稲田の生協はずっと 「ミンセー」の牙城でした。
革マルにとっては、「目の上のたんこぶ」 だったんじゃないでしょうかね。
1972年の川口大三郎君虐殺事件を境に、構内を闊歩していた革マル幹部が地下に潜伏して、それから徐々に正常化したという印象です。
私の学生時代は、「何でもかんでも毎年値上がり」 の時代でした。バイト代も上がりましたが、部屋代も上がって、エラいことでした。
投稿: tak | 2016年12月 9日 18:42