« 「毎年の紅白」 が 「一生に一度の成人式」 に置き換わった | トップページ | 「せやみ」という言葉を巡る冒険 »

2017年1月10日

「名乗れることができる」 という妙な言い方

今朝、何気なくみていたテレビ・ショッピングで、「ハンガリー産の高級ダックダウン 90%使用の高級羽毛布団」 が取り上げられていて、その説明のナレーションで、「ダウンが 50%以上含まれていれば、羽毛布団と名乗れることができてしまうんです」と言っていた。90%という数字がハイ・スペックだと言いたかったのだろう。

170110

しかし 「名乗れることができてしまう」 というのは、明らかに誤用である。「動詞の可能形 + ことができる」というくどすぎる誤用は、近頃枚挙にいとまがないほどで、例えば「走れることができた」というフレーズでググると、19,800件がヒットする(参照)。トップにあの茂木健一郎氏の tweet (参照) が来ているのにはびっくりしたが。

こうした間違いはフリートークや Twitter など、ちゃちゃっとしゃべったり書いたりした時に、つい間違いがちなのかと思っていたが、テレビ・ショッピングのナレーションにまで登場したことに、ちょっとしたショックを受けた。これは「つい言い間違えた」というレベルではない。

日本語のプロであるはずのライターが平気でこんな原稿を書いている。そしてそれを読む段階で、ナレーターが間違いに気付けばいいのだが、何の疑いもなくそのまま読んでしまっている。これは「〜れることができる」という言い方が一般化してしまっているという、危機的状況を示しているんじゃあるまいか。

というわけで念のため書いておくが、「名乗れることができてしまう」は、正しくは「名乗ることができてしまう」あるいは「名乗れてしまう」である。これを 2つも組み合わせるのはくどすぎる。同様に「走れることができた」も、「走ることができた」あるいは「走れた」である。

いくら言葉は生き物で時代とともに変化するとはいえ、私はこの「動詞の可能形」にさらに「ことができる」を加えてしまう言い方が、気になってしかたがない。「走ることができることが可能です」と言っているようなもので、もっと言えば「四角い正方形」と言っているのと変わらない。この言い方が当たり前になってしまうようだと、日本語が危ないレベルに達しているんじゃないかと思ってしまう。

あるいは 「すべからく〜すべし」という慣用句みたいに、決まり切った言い方として定着してしまうんだろうか。ただ、この「すべからく」にしても「誤用のチャンピオン」みたいな言葉で、「全て」の洒落た言い方と思っている人が圧倒的に多い。「すべからく」と言いたくなったら、ぐっと堪えて「総じて」とか「ことごとく」とか「概して」とか言い換える方が身のためだ。(参照

ちなみに、例の羽毛布団のテレビ・ショッピングでは、「高級 『ダッグダウン』(『ク』 が濁音)を 90%使用」 なんて言っていた。「ダックダウン」(言うまでもなく 「アヒルの羽毛」 ね)を聞き違えたのかと思って、注意して聞いていたが、2度目も明らかに「ダッグダウン」と言っていた。「ダッグ」って、一体どんな鳥だ?

最近の放送業界の劣化は、かなりヤバいところまで来ているなと確信してしまったよ。

 

|

« 「毎年の紅白」 が 「一生に一度の成人式」 に置き換わった | トップページ | 「せやみ」という言葉を巡る冒険 »

言葉」カテゴリの記事

コメント

最近の若い人たちは

「名乗ることができる」
 →正々堂々と名乗れる

「名乗れることができる」
 →本当はいけないけど、名乗っても許されちゃう

という意味で使い分けていますね。

ってのは冗談ですが、よく見ると、茂木さんも、その直前で使い分けていらっしゃいますよね。何か新しい意味が生まれつつあるのかなぁ。動作の主体が、「〜れる」の方は「私」で、「できる」の方は、英語的に「it」になってるのかな。気持ち悪いけど。

投稿: 禅堂 | 2017年1月10日 18:57

わたくし、へつぽこ校正者ですが、広告にはこういふのはよくありますよね。言葉が足りなゐよりは同じ意味の言葉を繰り返したほうが耳(頭)に残ると思つているんでせうかね。それとも、変な日本語を使ふことによつてイラつかせながらも印象に残そうと云うんでせうか。
あ~うざいw

投稿: はぎ腹みづ寝 | 2017年1月10日 22:10

禅堂 さん:

使い分けの件、私ならエイプリル・フールまで取っておくネタです (^o^)

>よく見ると、茂木さんも、その直前で使い分けていらっしゃいますよね。何か新しい意味が生まれつつあるのかなぁ。動作の主体が、「〜れる」の方は「私」で、「できる」の方は、英語的に「it」になってるのかな。

うぅん、「できる」 の方も、主語が "it" というのは無理がありますね。

投稿: tak | 2017年1月10日 22:13

はぎ腹みづ寝 さん:

本当にこの誤用は、今やそこら中に氾濫していますね。

私だったら自分がそんな言い方をしてしまったら、脳内センサーがビビッと反応して、気持ち悪くなってしまうんですが、最近はこのケースで気持ち悪くなる設定が、解除されてる人が多いみたいです。

投稿: tak | 2017年1月10日 22:20

話しているぶんには仕方ない部分もありますが、
文字にすると非常に気持ち悪いですね。

たとえばテレビ番組の街頭インタビューで、
一般の方が「すごいおいしかった~」といった言葉を
字幕で「すごくおいしかった」と変換(修正)して
くれている番組を見ると、
多少はマトモなスタッフがいるのかなと思っちゃいますね。

投稿: るー | 2017年1月11日 12:17

テレビの字幕変換、目にしますねえ。
あれって発したのが一般人にしろ芸能人にしろ、「あなたの言葉遣いは間違ってるんだよ」という、字幕スタッフの無言の抵抗のように感じてしまいます。

投稿: らむね | 2017年1月11日 14:28

これほど明らかな誤用ではないと思いますが、先日、電車内の広告で見かけた、可能の「れる/られる」+「ために」という表現が気になりました。「社員がガンになっても安心して仕事を続けられるために…」という具合に使われていたのですが……。

一例を考えるならば、「フルマラソンを4時間以内で走れるためにはそれなりのトレーニングが必要だ」

別にこれでもいいのかなぁ。「走るためには」だと思うのですが。

投稿: 山辺響 | 2017年1月11日 14:54

いま「走れることができた」でGoogle検索すると、この記事がトップになりますね(^^)

投稿: 山辺響 | 2017年1月11日 14:55

るー さん:

確かに、テレビのコメントの字幕は、微妙に修正されていることがありますね。

字幕作成者の方が、ナレーションの原稿書きよりも進んでるんでしょうかね。

投稿: tak | 2017年1月11日 15:26

らむね さん:

なるほど、「無言の抵抗」の要素もあるでしょうね。

もう一つは、そのまま文字化するのは気持ち悪くて、どうしてもできないということもあるんじゃないかと。

投稿: tak | 2017年1月11日 15:28

山辺響 さん:

>「社員がガンになっても安心して仕事を続けられるために…」

「続けられるように」 なら、まだマシですね。

>フルマラソンを4時間以内で走れるためには

「走れるようになるためには」 の省略形というつもりなんでしょうかね。多分に無意識的に。

>いま「走れることができた」でGoogle検索すると、この記事がトップになりますね(^^)

本当だ (^o^)

投稿: tak | 2017年1月11日 15:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「名乗れることができる」 という妙な言い方:

« 「毎年の紅白」 が 「一生に一度の成人式」 に置き換わった | トップページ | 「せやみ」という言葉を巡る冒険 »