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2017年2月13日

ずらりと並ぶ額装された表彰状、感謝状

茶の間の鴨居の上に、じいさんの代からのいろいろな表彰状やら感謝状やらをずらりと並べて飾ってある家がある。「すげえなあ!」 とは思うが、自分でもそうしようという気は毛頭ない。まあ、早く言えばそんな趣味はないのだよね。

170213

私の父は家族にも知られずにいろいろな公職を引き受けていたらしく、何とかの役職を何十年続けたことによる表彰なんてのを受けるために、時々県庁所在地の山形市に出かけることがあった。周囲の人は「おめでとう」とか言っていろいろなお祝いをしてくれるのだが、当人は嬉しそうでもなんでもなく、ただ面倒くさそうだった。

で、表彰を受けて帰って来た父に「その賞状、見せれ」(ミスタイプじゃなくて、庄内弁なのでよろしく)と言っても、「汽車の網棚に置き忘れてきた」とか「駅のゴミ箱に捨ててきた」とか、滅相もないことを言うのだった。子どもの頃は「額に入れて飾ればハクがつくのに」なんて思っていたが、父にはそんな発想がなかったようなのである。

父が死んでから遺品の整理をしていて、丸筒に入れられたまま押し入れの奥に放り込んである表彰状とか感謝状とかをいくつか見つけたりはしたのだが、もらった表彰状をすべてまとめて大切に保管してあるのではなく、1本の丸筒に 1枚だけ入ってる(要するに、もらったまま)状態のものが何本か、あちこちに無造作に放り込んであるという風情である。多くは本当にどこかに忘れたか捨ててきたようなのだ。世間的栄達には興味のない人だった。

ところが自分自身も大したことはしていないのに、還暦を過ぎてみれば、それなりにいろいろなところから表彰状とか感謝状とかを頂いてはいるのである。こういうことは、ただ一定の年数を大過なく務めさえすれば、自動的にくれるという世の中の仕組みになっているようなのだ。

そしてもらった表彰状や感謝状は、父みたいに「置き忘れてきた」とか「捨ててきた」とかいう極端なことはないにしても、やっぱり押し入れの奥に無造作に放り込んであるだけで、額装して人目に付くようなところに飾ろうなんていう気には、到底なれないのである。

世の中には「私も〇〇の役職を長年やったんだから、そろそろ表彰してもらいたい」とか堂々と口にしたりする人もいて、「すげえなあ」と思ったりする。「すげえなあ」と思うのは、その長年の功績に対してではなく、そういうことを堂々と公言するメンタリティに対してである。

中には、国から勲章をもらうためにお手盛りの業界団体を設立して、その理事長に就任したという人までいる。国に対する長年の働きかけが実ってようやく勲章をもらうと、その御仁は間もなく死んでしまい、その最初で最後の理事長が死んでしまった途端に、年に 1度の総会以外にすることがなかった業界団体は、自然消滅してしまった。というわけで、勲章そのものよりも「名誉欲の強い人だったなあ」という記憶の方が強烈な印象として残っている。

で、私と言えば、「蛙の子は蛙」ということなのか、そういうことには全然興味がなくて、くれるというものはもらわないと角が立つし、単なる形式的なものを 「いらない」 と言ってごねる方がよほど面倒なので、ありがたくもらうけど、ただそれっきりのことになってしまうのだよね。

 

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コメント

押し入れの中を整理してたら、ある企業からもらった表彰状が二通出てきましたが、こんなもん保存してても何にもならんわいということで破り捨てました。スッキリしました。押し入れに置いとくだけでも鬱陶しいのにそれを額に入れておくのは、大した神経です。

投稿: ハマッコー | 2017年2月15日 21:51

ハマッコー さん:

役に立つわけでもないし、自分が死んだら子どもの代の連中が扱いに困るでしょうから、捨てるに越したことはないですね (^o^)

投稿: tak | 2017年2月17日 08:14

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