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2017年3月12日

自然に対して 「戦闘」 を挑む愚かさ

ちょっと古い話で恐縮だが、Japan DailyNK の 2015年 1月 19日付記事に "北朝鮮、森林破壊に危機感 「自然との戦争を宣言した」" というのがある。下の写真は、韓国のインターネット掲示板で話題になった北朝鮮の「回復不能なまでのはげ山」で、「火星の景色か」というコメントまで付いたそうだ。

170312

この記事の中には、次のような件がある。

金正恩氏は、2015年の「新年の辞」でも「森林の回復戦闘を力強く繰り広げ祖国の山々を緑の森に覆われた黄金山に転換させなければならない」と全国の樹林化事業を強調している。

これを読んで、森林回復事業を「森林回復戦闘」などと呼んでいる限りは、この国の自然は回復しないだろうと、絶望的になった。そもそもの発想からして間違いなのだ。森林の回復は「戦闘」ではなく「調和」によるのでなければ、一歩も前進できないだろう。

この記事の載った 1年半後の、2016年 7月 4日付では、"悲惨! 北朝鮮「森林レンジャー」、盗伐団に相次ぎ惨殺される" という記事がある。個人耕作地を没収し、苗木を植える 「山林復旧戦闘(森林造成事業)」という事業が反発を招き、山林監視を行う山林保護員(森林レンジャー)が惨殺されるという事件が起きているという。

「盗伐団」とは言っても、そのほとんどは薪を切りに山に入った一般の住民であるらしい。民衆は将来の森林よりも、目先の食料の方を求めているわけだ。そのため、段々畑を潰して森林を造成しようとする森林保護員を鎌で惨殺するという行為に及んでいるというのである。

彼らはこの半世紀以上、自然に対して「戦闘的姿勢」なんかで立ち向かっていたのだから、当然にもこんなことになる。だから発想を変えなければならないわけなのだが、彼らの辞書には「調和」の文字がないようなのだ。

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