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2017年5月に作成された投稿

2017年5月31日

「女性宮家」 について考えてみる

女性宮家創設云々がやたら問題になっている。なんだか知らないが、万世一系の天皇の血筋が継承されるためには、宮家は男系でなければならないという声が大きいようなのである。

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これ、「愛国」を自称する人の多くが主張することなのだが、男性の染色体は XY で、女性は XX であるために、神武以来の血筋が連綿と続いていることを保証するのは、「男系」 による天皇の継承でなければならないというのである。女系で継承されると、「Y」 の遺伝子が途切れる可能性があるので、「万世一系」 が保証されないというのだ。

私としても天皇家の継承は重要だと思っているが、XY 染色体云々というのは、「なんだかなあ」と思ってしまう。個人的には「万世一系」って、そんな純粋生物学的な問題と考えたことはない。そうしたフィジカルな要素よりも、もっとメタフィジカルな、つまり文化的、精神的、理念的な要素の継承の方が重要と考えるのだ。

天皇の正当性を担保するのが Y 染色体というような議論は、即物的すぎる気がするのだよね。もし仮に、日本の天皇家が女系で継承されたとしても、世界のどこの国が 「日本の天皇は神武以来の Y 染色体が途切れているかも知れないから認めない」 なんて言い出すというのだ。

私が天皇を敬愛するのは、ひたすら天皇の人徳によるものである。神武以来の Y 染色体保持者であるからなどとは、考えたこともない。

 

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2017年5月30日

「ワンオペ育児」 って、「1工程で完結する育児」 かと思ったよ

今さら旧聞気味の話だが、ユニ・チャームのおむつの CM で論争が持ち上がったんだそうだ。CM が「ワンオペ育児を美化している」と批判される一方、「勇気づけられた」と擁護する声もあるらしい。(参照

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で、このブログで取り上げるってわけだから、毎度のことながらストレートな視線ではない。といっても、敢えてひねっているわけでもなんでもなく、単純な話で、この話題に関しての私の最初の反応は、「ワンオペ育児って何?」というものだった。我ながら素直すぎるほどの反応である。

もちろん 「ワンオペ」というのは、"one operation" の省略形なんだろうとは想像がついた。となれば、またまた素直な解釈で、「1工程の育児って、一体どんな風に合理化した育児なの?」となり、 すぐに「そんなの、あり得ないでしょ。さっぱりわけわからん」というところに落ち着いたわけである。

で、例によって Wikipedia で調べてみると、元々は 「人手が不足する時間帯(特に深夜)を中心に、外食チェーン店などで従業員を 1人しか置かず、全ての労働をこなす行為をさす」ということらしい。最初にやったのが、牛丼チェーンの すき家と記されている(参照)。

なんだよ。完全に和製英語じゃん。こういうの、本当にやめてくれないかなあ。誰が言い出したのか知らないが、いくら何でも紛らわしい、というより、言葉としてひどすぎる。

Yahoo 知恵袋に「すき家のワンオペ禁止 ワンオペってなに?」という質問があり、それに対する「ベスト・アンサーに選ばれた回答」というのが、"「one men operation (ワン マン オペレーション )」店員が一人で全ての業務をすること" となっているのにも呆れた(参照)。なんでまた "one men operation" なんて、中学生に笑われそうな英語がベストアンサーなんだよ。

"One-man operation" とか "one-person operation" と言うべきだなんて指摘もあるようだが、それって、「個人事業」とかいう意味になるはずだから、やっぱり NG である。

いわゆる「ワンオペ」は、私の感覚では「あり得ない」話である。それが平気で「あり得ちゃってた」のだから、やはりおかしい。元がおかしいんだから、おかしな言葉にするしかなかったのも道理である。で、おかしすぎるから、すき家でも「ワンオペ」は廃止されたのだろう。

しかしいくらおかしくても、「ワンオペ育児」 とやらは続くのだろうか。ちなみに、私は我が家の 3人の娘たちの食事やお風呂、おむつの取り替え、寝る時の昔話なんかも、結構やったよ。とくに昔話は毎晩せがまれて、同じ話を何百回もやった。

 

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2017年5月29日

カモガヤ花粉症ってやつに悩まされている

2月頃からスギ花粉症で悩まされ、4月半ばまではヒノキ花粉の番となり、ほんの 1週間ぐらい楽になったかと思うと、今度はカモガヤ花粉でひいひい言っている。7月か 8月頃まではこれで悩まされるという、「半年近いアレルギー体質」 がほぼ確定してしまった。

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カモガヤというのは、その辺の土手や畦道などにいくらでも生えているイネ科の植物で、日本では花粉症の原因として、スギ、ヒノキに次いで 3番目なんだそうだ。ウチの廻りにも盛大に生えている。写真のように、花が満開状態だ。

実は自分がカモガヤ花粉にまでアレルギーがあったなんて、すっかり忘れていたが、このブログを遡ってみると、5年も前から症状が出ているんだった(参照)。一昨年には症状があまりひどいので、医者にまで行って 「カモガヤ花粉症」 とのお墨付きをばっちり受けている(参照)。

これ、ブログに書いていなかったら、カモガヤなんてものに悩まされるのは今年が初めてなんて勘違いするところだった。「初春から真夏まで半年間もアレルギーに悩まされるのはゴメンだ」 という意識が、比較的最近から発症したカモガヤ花粉症に関する記憶を、意識下に封じ込めてしまっていたのだろう。とにかく、まともには記憶に残っていなかったのである。

しかし、いくら記憶になくても体は正直で、症状は出る。しかもカモガヤ花粉による症状は、私の場合、スギ、ヒノキよりも重い気がする。とくに眼がショボショボして痒いのには、本当に困る。仕事に差し支えてしまう。

今年の 2月末にスギ花粉症で医者に処方してもらった薬は、とっくに飲みきってしまった。そしてなにしろ、自分がカモガヤ花粉症だとは記憶になかったもので、妻がくしゃみや鼻水の症状が出て、さっさと医者に行ったのを横目で見ながら、「大変だなあ」なんて思っていたのである。呑気なものだ。

ところが、いくらなんでも症状がひどくなってきたので、今日の昼に医者に行った。医者の方はカルテを見ているから、一昨年からカモガヤ花粉症でも薬を出しているのをちゃんとわかっていて、ニコニコ笑いながら「今年はちょっときついみたいですね」なんて言う。この医者は 3ヶ月分ぐらいを一度に処方してくれるので、何度も通院しなくて済む。それもあってカモガヤの方は忘れていたのかもしれない。

とはいえ薬ばかりに頼っていてもしょうがないと思い、帰ってから家の裏の土手のカモガヤを、エンジン式の草刈り機で刈りまくった。向こう三軒両隣どころか、ほぼ 200メートルぐらいにわたって、きれいに刈った。炎天下、かなりの汗をかいたが、爽快感はある。

しかし、いくらカモガヤは背が低いからあまり遠くまで花粉が飛ばないとはいえ、まだその向こうからも飛んでくるらしく、症状が皆無になったわけではない。薬は飲み続けなければならないようだ。

ネットで調べたら、スギ花粉アレルギーのある人の半分は、カモガヤにもアレルギーがあるらしい。そして、カモガヤにアレルギーのある人の多くは、スイカやメロンにも過敏で、口の周りや内側がイガイガになりやすいとある(参照)。

ああ、それでわかった。子どもの頃からメロンを食べると口の周りが痒くてたまらなくなるのは、カモガヤ・アレルギーの体質と関係があるんだったのか(参照)。やれやれ。

【2021.6.1 追記】
写真の植物はカモガヤではなく、「ギシギシ」という植物と判明した(参照)。

 

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2017年5月28日

受動喫煙対策の法案提出は流れそうだが

受動喫煙対策、今国会への法案提出は困難な情勢」 と伝えられている。自民党の抵抗が大きいらしい。「共謀罪」 は大急ぎで可決されてしまったが、自民党としては受動喫煙対策の方はどうしても嫌がっているもののようなのだ。

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まあ、私としては「自民党なんて、どうせそんなもんさ」と思っていたから、ことさら怒ろうなんて気にもならない。先月半ばの記事に次のように書いている。


思い切り個人的な視点で言わせてもらえば、それぞれの飲食店が独自の判断で「喫煙 OK」ということにしたいなら、そうすればいいと思う。ただし店頭に「喫煙できます」などの表示を明確にすることが条件だ。

この表示は、いわば「ウチの店は空気悪いよ」という自己申告である。そのくらいのことはしてもらわなければ困る。それさえ叶えば、あとは話は簡単だ。非喫煙者としては、そんな店をボイコットすればいいだけの話である。

店のドアを開けただけで「おえっ」となるほどタバコ臭い店は、ことさらボイコットしようと思わなくても自然に足が遠のく。私は出張先で食事しようとしてそんな店しかなかったら(地方都市ではまだ少なくないことだ)、どっかで安い弁当なんかを買って、ホテルの部屋で済ませる。つまりタバコ臭い店は、知らないうちに機会損失している。

早く言えば、受動喫煙対策しない店は、そのうち自然淘汰されるということだ。中には個人事業主で「この店はどうせ俺一代限りで終わるんだから、せめて俺がやってるうちは喫煙自由にしたい」なんて思っているオーナーも少なくないだろう。まあ、そうした人たちはどうせ平均寿命が短くてどんどん減っていくから、時間が解決してくれる。

今どき喫煙自由な店というのは、大抵がオヤジのたまり場である。私のイメージとしては、場末のスナックで、ドアをあけると紫っぽい照明の中で、オヤジがカラオケで下手くそな演歌をぼそぼそ歌っているような店だ。いかにも巷の自民党支持者の吹きだまりである。いずれにしても私の管轄じゃないからどうでもいい。

あのオヤジたちは大体 65歳以上の連中だから、10年ぐらい経てば死ぬか寝たきりか、少なくとも自力で自由に出歩けない体になる。そうすれば放っておいても喫煙自由の店は経営が成り立たなくなる。

あるいはそこまで待たなくても、オーナー自身が近いうちに死ぬか寝たきりかになる。なにしろ、がん患者は煙の立ち籠める中で働かなくていいと、自民党国会議員がのたまわっているのだから(参照)、オーナーが肺がんになったら、それで終わりということだ。

というわけで自民党なんかに期待しなくても、喫煙自由な店をしばらくボイコットしていれば、だんだんと自然に世の中が変わる。

 

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2017年5月27日

川上音二郎の 『オッペケペ節』 オリジナル

どうやら川上音二郎の『オッペケペ節』の録音レコードというのがあるようで、その再生音が YouTube にアップされている。1900年のパリ万博における川上音二郎一座のパフォーマンスを録音したもののようだ。

それは三味線を使ったラップみたいなもので、なかなか軽快な味わいである。これが進化して壮士芝居となり、さらに新派の舞台となったのかと思うと、感慨深いものがある。

そして川上音二郎よりは年が若いはずの添田唖蝉坊の方は、YouTube を探しても本人の録音は見つからない。その代わり、土取利行によるパフォーマンスをいくつか聴くことができる(参照)。土取利行は『オッペケペ節』も歌っているが、オリジナルに比べると、好むと好まざるとに関わらず、少々洗練されている。

添田唖蝉坊の歌は、人によっては、高田渡のフォークギターでの弾き語りの方がお馴染みだろう。高田渡の場合は、『ノンキ節』は原曲に近いが、『ああわからない』はアメリカン・カントリーのメロディに乗せて歌っている。自由自在である。

こうしてみると、反権力の歌は明治の昔からあり、さらにそのずっと昔からの系譜があるようだ。日本ではそれが途絶えてしまうのではないかと悲しくなるほどの状態だが、外国ではちゃんと今につながっている。レゲエやラップはその最前線だ。

日本では 1980年代から「政治の季節」がすっかり色褪せてしまい、ノンポリばかりになってしまった。それは、その前を行く「団塊の世代」が、政治の季節をはき違えて跳ね返ってしまった反動だと思っている。このノンポリ世代が今、50歳を過ぎて世の中の中枢を占めようとしている。団塊の世代からノンポリ世代につながってしまっているから、日本ははつまらない世の中になってしまったのだろう。

その狭間である 1952年頃の生まれの我々は、団塊の世代の尻ぬぐいばかりに追われてしまい、その後に残すものを生み出せずに来てしまった。これは痛恨である。

もう 10年経てば、また少しはおもしろい世の中になるかもしれない。

 

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2017年5月26日

「寄り目」って、できてフツーだったとは!

今年の 7月に 65歳になるが、こんな年になって初めて知ったことがある。それは、「寄り目」って、できてフツーということだ。ちっとも知らなかった。私は生まれてこの方、寄り目なんてできたことがないから、そんなの特殊能力だと思っていたし、ましてや歌舞伎の見得で片目だけ寄せるなんて、ウルトラ特殊能力と信じて生きてきた。

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子どもの頃から、「寄り目のできるやつって、案外いるもんだな」ぐらいには思っていた。しかしそれは、できるやつが得意になってやって見せているだけで、できない方が多数派なのだろうと思い込んでいた。しかし実際には、ほとんどの人はできるのだが、敢えて人前でして見せたがりはしないというだけのことのようなのだ。

そういえば、ウチの娘は全員できるみたいだし、聞いてみれば妻も「できるわよ」と言うのである。だったら初めからしてみせればよかったのにと一瞬思ったが、用もないのに夫にいきなり寄り目してみせる妻というのは、結構素っ頓狂なものだろう。とにかく世の中、本当にわからないものだが、とりあえず遺伝とは関係ないようだ。

近頃、デスクワーク(といっても、ほとんどは PC に向かう仕事)を長く続けることがしんどくなった。目が疲れて、ひどい時には開き続けていることもできなくなるのである。老眼がまた進んでしまったのかと思って眼科に行ったところ、「シャシの可能性があるので、検査しましょう」 と言われた。

「シャシ…… って、それって、斜視…ですか?」
「斜視の可能性がありますね。子どもの頃から寄り目ができないというのは、生まれつき『フクソーフゼン』なのかもしれません。若い頃はまだそれでも何とかなったんでしょうが、年齢的に、デスクワークなどを長く続けると、眼精疲労になるんです」

「フクソーフゼン」とかなんとか言ってたのは、帰宅してググってみて「輻湊不全」てやつだとわかった。「輻湊」というのは、「目を内に寄せる」ことで、人間は近くのものを見る時には、自然に目が内側に寄るものなのだそうだ。そして私は、この「輻輳」ってやつが子どもの頃から苦手なので、デスクワークを続けると目が疲れて仕方がないということらしい。

そう言えば、若い頃は本の細かい字を見る時でも、目を近づけることはしなかった。近づけなくても視力が良かったからちゃんと読めたし、近づけると逆に目が疲れてしまうのである。ところが最近は視力が落ちたので、PC のスクリーンに目を近づけがちになる。すると今度は、目が疲れてしょうがなくなる。どうしようもない二律背反である。

自分が「斜視」の可能性があるとは、生まれてから一度も意識したことすらなかったが、この「輻湊不全」というのも斜視の一つだというので、本当に驚いた。というわけで、これから 1週間ほど目薬をさし続けてドライアイによる眼球の傷を治してから、斜視検査ってやつを受けなければならなくなってしまったのである。

ふぅ、やれやれ。丈夫だけが取り柄みたいなものなので、年取ってもとりたてて不便は感じていないが、眼だけはちょっと厄介になってきた。

 

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2017年5月25日

子どもの野球離れ

子どもの野球離れが進んでいるのだそうだ。今月 22日の NHK ニュースの伝えていたところによると、「指導者不足」が最も大きな問題らしい。中学校あたりの野球指導者はほとんどが素人同然で、自分の野球部体験が唯一の拠り所のため、旧態依然とした根性論が横行しているという。

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私の故郷の隣町、山形県鶴岡市では、公的な指導者講習を受けなければ野球指導ができないシステムになっていると伝えられた。ニュース画面で流れたのは、「古い指導では、何かあると『走ってろ!』と命じてきたが、それが何の役に立つのか?」と、講師が疑問を呈する場面だった。講習を受ける指導者予備軍は、それを指摘されて初めて、旧来の根性論優先の指導の弊害に気付くようだ。

こうした根性優先主義は、あたら若い子たちが自分の体を壊してまで滅私奉公することを美化する妙な精神主義となり、最終的には高野連のお偉方の権威主義につながる。私なんかちょっと極端な印象をもっていて、北朝鮮の TV ニュースの、あのすごいオバサン・アナウンサーの口調を聞くと、高野連のもろ権威主義のおっさんの口調を思い出したりしてしまう。

高野連の坊主頭強制は、北朝鮮の弾道ミサイル開発とそれほど変わらないレベルの「誇りの象徴」なんだろうという印象までもっている。かの朝日新聞は、こうした妙なシステムの頂点に位置するという、不思議な側面ももっている。世の中、まことに一筋縄では語れない。

ともあれ野球というスポーツは、今となっては「ダサい」「オヤジっぽい」というイメージを強めているようだ。日本では一流選手になれば、まだサッカーよりも金になるが、団塊の世代の大多数があの世に行ってしまう頃には、その差はかなり縮まるか、逆転されるかしているかもしれない。

 

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2017年5月24日

熱中症と風邪っぴき

夏日が続いて、熱中症で搬送される人が続出と報じられる一方、周囲では風邪っぴきが多く、マスクをして咳き込む姿が気の毒なほどだ。これ、日毎の気温変化や朝晩の寒暖の差が大きな原因となっているらしい。

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夏日を記録した日の夕方に帰宅して食事をしてから、一日の疲れでついうとうとしていると、寒さで目を覚ますことがある。日中はあんなに暑かったのに、夜になると少々冷えてくる。まだ「熱帯夜」になるほどの、念の入った暑さになっているわけではないのだ。宵の口がが寝苦しくても、夜明け頃には布団を一枚足したくなるほどになる。

さらに、一昨日あたりまでの暑さから「平年に近い気温」なんてものに戻ると、「涼しい」とか「肌寒い」とか感じる人もいる。そんなこんなで、気温の変化が人間の体に結構なストレスを及ぼす。敏感な人ほど風邪をひきやすい。

よく「季節の変わり目」なんて言い方をするが、近頃はその言い方がそぐわなくなった。実体としては「変わり目」というより、季節感が大幅に行ったり来たりする時節なので、体が付いていけないと感じることがよくある。「温暖化」なんて言い方も適切ではなく、実感としては「極端化」に他ならない。

私は近頃、ちょうどいい具合に馬鹿になってきているので、風邪をひかない体になってしまっているようだ。「馬鹿は風邪をひかない」というのは、体が鈍感だと風邪もひかないというぐらいの意味なのだと思っている。こちらはテキトーに年を取って、頭も体も鈍感になってしまっているようだ。

しかしあまりにも鈍感だと、夏になって気温の変化に気付かず、知らぬ間に大きなストレスを体に強いていたりする。それで限界値を超えてしまって風邪に結びつく。「夏風邪は馬鹿しかひかない」という諺は、そんなところから来ているのだろう。

いくら馬鹿になっても、風邪には気をつけようということだ。

 

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2017年5月23日

「医薬部外品だから効くんだ」 という CM にビックリ

最近、ビックリ啞然としてしまった CM がある。クルマを運転していたところ、アリナミン V のラジオ CM で、「これって医薬部外品だから効くんだ」というナレーションが流れ、耳を疑った。「じゃあ、医薬品だと効かないってわけ?」と、言いたくなってしまうではないか。ググってみたら、テレビ CM 版もあり、YouTube にアップされている。

改めてよく聞いてみると、CM の登場人物はまず「これって、エナジードリンクと何が違うの?」と呟き、その次に 「医薬部外品だから効くんだ」 と言っている。好意的に解釈すれば、「医薬部外品はエナジードリンクよりも格上のカテゴリーと解釈され、ということは、エナジードリンクは信用できないけど、医薬部外品なら効いてもいいよね」 という意味で言っているのだろう。

しかし「医薬部外品だから効くんだ」という部分だけを切り取ってしまうと、ビミョーに「医薬部外品だから」の部分にアクセントを置いていることもあって、自然な流れとして「医薬品は効かないけどね」と、言外に言っているような印象を残す。こう言っちゃナンだが、どうにも言葉足らずの CM である。

言葉足らずということで言えば、大西英男議員の、例の「がん患者は働かなくていい」という野次のニュースを思い出してしまう(参照)。大西議員という人はこれまでにもいろいろな問題発言をしていて、まあ、よくよく言葉のセンスがない人である。巫女さんよりもずっと公式にしゃべる機会の多い政治家さんのくせに。

ただ今回の野次に関しては、本人は「喫煙可能な店で働かなくてもいいのではないかという趣旨だった」と弁明している。つまり、「がん患者は、なにも煙草の煙がモクモクしている店で働かなくてもいいじゃないか」という意味だったらしい。(参照

百歩譲ってこの弁解の言い分を認めるとしても、ちゃんと働こうとしているがん患者の就労機会を狭めてもいいのだという意味になってしまい、弁護の余地はない。ただ、前後の話のつながりを無視して、「すべてのがん患者は働かなくてもいい」と言ったように聞こえかねないニュースの伝え方は、ちょっといかがなものかと思わざるを得ない。

去年の「巫女さんのくせに」発言が決して女性蔑視発言というわけではなかったことは、当ブログでも書いている(参照)。オヤジ趣味丸出しの不愉快発言ではあるけどね。

で、「がん患者は働かなくていいよ」という部分や、「巫女さんのくせに」という部分だけを抜き出してセンセーショナルに伝えたいという人は、「医薬部外品だから効くんだ」 という CM に関しても、「医薬品への信頼を揺るがす問題 CM」 (医薬品会社の CM なのにね)として大きく取り上げなくちゃおかしいだろうと思うのだよね。まあ、武田薬品は広告料をどっさりくれるから、言いにくいだろうけど。

【同日 追記】

驚いたことに、アリナミンの CM には「医薬品だから効く」というバージョンもあると知った。「どっちが本当なの?」と聞きたくなってしまうが、アリナミン A(医薬品)と V(医薬部外品)の違いのようで、だったら、V の方は 「医薬部外品でも効くんだ」 ぐらいに言わなきゃ、節操が問われるよね。(本当に効くかどうかは別として)

 

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2017年5月22日

iPhone の画面にひびが入ってしまったが

iPhone は割れやすいという話を聞いてはいたが、私は「そうかなあ?」と、それについては全然のほほんとしていた。しかし、ついにやってしまったのである。堅い床に落下させて、画面の右上に蜘蛛の巣状のひびが入ってしまったのが、先週中頃のことだった。そのひびが 4日かかってフロント全面に広がった。

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当初は、まあ、端っこのひびだし、液晶部分にはほとんど広がっていないし、液晶のカバーシートも貼ってあることだから、そのまま使い続けようと思っていた。そして昨日、宮城県への出張で、iPhone の「Yahoo カーナビ」(このアプリは優秀だ)を起動し、クルマのダッシュボードに据え付けて出かけたのである。

ところが常磐道を降りて国道 4号線を辿り始めた時に、隅っこだけにあったひびが急にピシピシっと広がり始めた。すると、天気が良すぎるほどだったので、太陽の光がひびに乱反射し、地図が読めない。これには困った。液晶に映る地図情報がほとんど見えないので、「次、左方向です」 などの音声情報だけを頼りに、ようやく目的地に辿り着いた。

今日はホテルを朝の 6時頃に出発し、昼前に地元に戻って、速攻で修理してもらった。修理と言っても、実際には「本体交換」で、費用は 4万円以上。

しかし契約時に保険に入っていたので、9割は後で戻ってくる(月々の支払いから相殺される)と言う。それを聞いて、保険は入っておくものだとしみじみ思った。(写真は本体交換後の新品)

修理(というか、交換ね)は、Softbank ショップではできないというので、Apple と正式契約を結んでいる「カメラのキタムラ」でしてもらった。今や「カメラのキタムラ」はカメラ屋なんかじゃなく、スマホの修理屋になっているのだね。道理であちこちに小さな店があると思った。

この店で修理してもらった領収書を添付した書類を Softbank ショップに提出すると、保険が適用される。正式契約を結んでいなくても修理してくれる業者があるにはあるようだが、その場合は保険が適用されない。ただ保険に入っていない場合は、アウトサイダーの方が少しは安くあがるようだ。

本体交換をする際に、「元の機種のデータはすべて消去されますが、大丈夫ですか?」と確認される。「iTunes と iCloud で、二重にバックアップしてますから、大丈夫です」とは答えたものの、いざ自分でデータ消去の操作をさせられた時は、「やっぱり、かなり気持ち悪いよね」とつぶやいてしまった。皆そう言うらしい。

新しい iPhone を手に入れて早速自宅に戻り、データをバックアップした。Mac の iTunes を起動させて、あとはケーブルで繋いでやりさえすれば、自動で粛々と作業が進行する。これは本当にありがたい。ほぼ 1時間後には、すっかり元通りの iPhone が復活した。月末に乗る JAL の、タッチ・アンド・ゴーに使う二次元バーコードも、Wallet アプリにしっかりよみがえっている。全然問題なしだ。

というわけで、面倒な 「お預かり修理」 なんてこともなく、半日足らずで問題は解決した。やはり保険とバックアップは必須ということである。それから当然のことだが、パスワード管理もしっかりね。

 

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2017年5月21日

福島県を通って宮城県入り

つくばの地からクルマで常磐道を通り、宮城県に来ている。この経路はこれまでも数回利用したが、途中の福島県で、原発事故現場に近いエリアを通過すると、路肩のあたりに「放射線量」を表示するモニタリング・ポストが出現する。

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このモニターで表示される数値は、一昨年の 4月は一番高い双葉町付近で 5.4μシーベルト/時なんてことがあった(参照)が、最近はそれ以下の数字を示していることが多いようだ。今日の数字は、老眼が進んだせいかよく確認できなかったが、3.5 ぐらいだったと思う。

クルマで通過するだけでただちに悪影響を蒙るような数値ではないが、それでもやっぱり人情としていい気持ちはしない。それまで「外気導入モード」にしていたカー・エアコンの設定を、「内気循環」に切り替える。この地域では外気を車内に取り入れる気にはならない。

ここを通り過ぎる度に、「この国は、とんでもない原発事故を起こしてしまった国なのだ」と、改めて思い知らされる。安倍首相は東京オリンピック招致の際に「原発は統御されている (under control)」と言っていたが、言葉の意味がわかって言っているとは思えなかった。

明日はまた同じ道を逆から辿る。そそくさと帰ろうと思う。

 

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2017年5月20日

道路交通では、たとえアイコンタクトがあったとしても......

我ながらまったくしつこいと思うが、自転車の逆走についての付け足しである。細い道で、自転車が逆走している方が、「クルマの運転者と対面していてお互いの存在を確認でき、目が合うので、すれ違う時に安心感がある」との言い分があるが、実際の場面ではアイコンタクトがあったとしても、安心は禁物というお話だ。

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2年ちょっと前に、「わずか 20分の間に 2度唖然とした交通事情」という記事を書いた。その中から少々引用してみよう。横断歩道を渡っている私の目の前に、左側から強引に突っ込んできて、歩道の縁石にぶち当たる自爆事故を起こしてしまったオバサンの話である。

向こうから走ってくるクルマの運転席のオバサンとは、確実に目が合ってさえいて、お互いの存在をしっかり確認できていた。そして相手は、横断歩道の前で十分すぎるほどの余裕を持って停止できるだけのノロノロ運転だったのである。

ところが彼女は、私が横断歩道を渡っている目の前に割り込むように無理矢理かつ強引に突っ込んできて、自爆してしまったのである。ガリガリっと大きな音をさせて、歩道の縁石にバンパーの左前をこすってしまったようだが、こちらはそんなことに関わっているほど暇ではないので、さっさとその場を後にした。

というわけで、アイコンタクトは安全を保証するものじゃない。目が合ったというだけで安心しちゃいけないのだ。世の中にはこんなオバサンも存在するのである。

確かにアイコンタクトがあると、お互いに安心したような気分になることはある。この時も私としては、「目が合って、お互いの存在をしっかり確認したんだから、よもや横断歩道に突っ込んでくるなんてことはあるまい」と、常識的な判断をした。

とはいえこれがいくら「常識的な判断」でも、いつもの私なら、「オバサンは絶対に横断歩道の前で停まらない種族だから、ここはやりすごしておこう」と、自衛のために思う。ところがこの時の相手は、本当にじれったいほどのチョー・ノロノロ運転だったのだ。それで私も、「これならいくらオバサンでも、停止しないまでも、私が渡り終えるまでには横断歩道にたどり着かないだろう」 と判断したのである。

ところがあろうことか、彼女はこの場面で強引に突っ込んできたのだ。今になってあの場面のタイミングを考えてみると、もしかしたらあのオバサン、少々加速さえしていたかもしれない。だって「あんなにトロトロ走ってたクルマが、どうして今、俺の目の前で自爆してるの?」って感じだったからね。

オバサンとしては多分、「目が合って、私のクルマが近付いているのを確認したんだから、あの人は横断するはずがない」と、ものすごく身勝手な判断をしたのだろう。ところが彼女の意に相違して、私は横断歩道を渡り始めた。

ここで彼女は、咄嗟にムカついた。「まあ! この私と目が合って、クルマが近付いてるとわかってるのに、渡り始めるって、どういうことなの? なんて無神経で、失礼で、無遠慮で、アブない人なの!」

ここまでの彼女の思考は、このように明確に言語化されていたわけじゃないだろうが、後から説明しようとすれば、要するにこういうことだったろう。そして次の瞬間に、「あの無神経な人が渡りきる前に、私の方が急いで通り過ぎなきゃ!」と、無茶苦茶な発想をした。早く言えば、「あんた、どきなさいよ。私が先よ!」ってことだ。

ここまでひどい判断をしてしまうと、少々加速してまで私の前をすり抜けようとするまでのプロセスは、ほぼ自動的流れである。それまでのチョー・ノロノロ運転で、横断する私をやりすごしさえすれば何の問題もなかったのに、とんでもない了見違いをしてしまったわけだ。

とにかく、彼女の脳内には「自分の都合」しかなかった。確実に言えるのは、横断歩道の手前で停車するという交通法規は、意識にのぼることすらなかったということだ。その結果、驚いて飛び退いた私の目の前で歩道の縁石に「ガリガリッ!」と、ミジメな自爆である。結構な高級車だったけどなあ。私が瞬間的に飛び退かなかったら、人身事故になっていたかもしれない。

もし最悪のケースで人身事故になり、治療費を負担することになっても、彼女は決して納得しなかったろう。内心ではあくまでも、「だって、しかたないじゃないの。向こうが急に横断し始めたんだから!」と思い続けるに違いない。いや、人身事故に至らなかったことだって、「クルマの修理をしなきゃならなくなったのは、急に横断し始めたあの人が悪い」と、今でも思っているだろう。

とまあ、この体験で私は「道路では、いくら目が合ってお互いの存在が確認できていたとしても、甚だ自分勝手な判断をする人もいる」と学んだのである。というか、今回紹介した事例では、「目が合ったからこそ、向こうがより勝手で極端な判断をした」ともいえる。アイコンタクトって、実は両刃の剣だ。お互いに自分の都合で判断しがちだから。

すべての人がまっとうな遵法意識をもっているとはもとより期待しないが、そんなレベルをあっさり飛び越えて、とんでもない非常識な行為に及ぶ人もいる。とくにオバサンはアブない。これが単なる偏見であってもらいたいが、悲しいかな、私の経験知は「いや、決して偏見とは言い切れないから、オバサン・ドライバーには気をつけろ」と囁く。

そして私も命は惜しいから、その囁きに素直に従う。そしてあんな経験をしてからというものは、ことさらなまで素直に従っている。

(上で使用した写真は今回紹介した事例の現場ではない。念のため)

 

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2017年5月19日

ゆるい左カーブでは、突然逆走自転車が現れる

(この記事は、一度 17日の記事の「追記」として書き加えたものだが、結構大事なことなので、しつこいようだが本日付の独立記事としてアップし直すことにした)

こちらがクルマを運転している時でも、はたまた自転車に乗っている時でも、逆走自転車に出くわして一番肝を潰すのは、例えば下の写真のような、ゆるい左カーブを辿っている時だ。

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クルマや自転車で、この写真の手前から向こうに向かって走っている時、左の生け垣の影から突然逆走自転車が現れることがある。それはもう、しょっちゅうある。なにしろこのあたりでは自転車の 80%以上が右側通行してるのだから、日常茶飯事である。こちらがクルマの場合は、急停止せざるを得ないが、相手は絶対に謝りもしない。

向こうから来る自転車がまともに左側通行して、このカーブを大回りしてくれれば、何のことなくすれ違えるのに、このあたりの自転車は、ほとんど逆走して、生け垣の影から突然飛び出してくるのだ。ここは隠れた危険地帯である。

(余計なお世話と言われるかもしれないが、私がこの写真の左の土地のオーナーだとしたら、よりによってこんな背の高い生け垣は設置しない。スカスカで見通しのいいフェンスに取り替えたいところだ。目の前の道路の安全のためには、確実にその方がいい)

「センターラインのないような細い生活道路なら、自転車の右側通行もあり」なんて、逆走を助長するようなことを言っちゃいけないのは、この写真を見るだけで理解できる。中には平気でそんな指導をする学校の先生もいるらしいが、そんな人は直ちに停職にしてもらいたい。危なくて、子どもを預けられない。

私は自分が歩行者として向こうから右側通行してくる時でも、何となく怖いと思う。出会い頭にクルマや自転車が現れるのを想定して、慎重にならざるを得ない。まあ、繰り返すがこの辺の自転車は 80%以上が右側通行だから、変な話、自転車と出くわすリスクは低いが、クルマと出くわすリスクは十分にある。だから私は往きも帰りも絶対に、この写真の右側の歩道を歩く。

ちなみに、バギーカーに掴まった老人は、歩道の縁石を越えるのがおっくうらしくて、歩道の反対側をヨロヨロと歩く。これはこれでかなり注意しなければならない。なにしろ、彼らがこちらから向こうに行く時は、歩行者として左側通行しているのだから、逆走自転車とは逆走同士になって、下手したら衝突する。逆走自転車で老人に怪我させてしまったら、かなりの責任問題になる。

そして自転車で逆走するようなヤツは、そんなリスクはつゆほども考えていない。これも前に書いたことだが、基本的な情報 (簡単な交通法規とかね) が、すべての人に当たり前に行き渡るなどと考えるのは甘すぎる。まともに生きていくのにどんなに必要で適正な情報であろうとも、それを受け取らない人は、金輪際受け取らない。それは受け取るのを拒否しているのではなく、ただひたすら無意識なのだ (参照)。

歩行者として右側通行する時でさえ恐ろしい気がするのに、よくまあ自転車で平気で逆走できるものだと、私は遠くを見る目で嘆息してしまうのである。

 

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2017年5月18日

逆走自転車って、本当に 「チョーヤバ!」

今月 14日、昨日に引き続き、くどいようだが「逆走自転車」に関する話である。YouTube で検索してみたら、逆走自転車の多いこと、多いこと。まさに世をはかなむほどである。私も「我が家の周辺では自転車の 8割以上が右側通行だ」と書いたが、下の動画を見れば決して大げさな言い方じゃないと実感してもらえるだろう。

この動画をアップした人は、「道路の左端を走行する」という原則をしっかり守って、逆走自転車を回避するために自ら車道側に膨らむのを敢えて(断固として)拒否している。だから相手が避けなければ、一瞬(あるいは一瞬以上)お見合い状態になる。そして逆走自転車というのは、自分からは避けない傾向が強いため、このお見合いがやたら多い。

そしてお見合い状態になっても、逆走側はほとんど謝らない。たまに「ゴメンね」程度に軽く会釈する人が多少は可愛らしく見えてしまうほどで、中には逆ギレするオヤジもいる。つまり逆走する人の多くは、自分が違法行為をしているとの自覚がない。

お見合い状態になる寸前で、逆走自転車の方が避けるケースも少しはあるが、それはそれで結構危ない。遵法走行自転車とその後ろからくるクルマのわずかな隙間に突っ込んで行くなんていうのもあって、そんなケースでは、クルマの運転者としてはかなりの「ヒヤリハッと」感覚を味わっているだろう。

この動画にはさらに、単なる逆走以上の複合的危険走行の事例が満載だ。例えば夜間走行の場面では、多くが(というか、ほとんどが)「無灯火での逆走」である。ライトが光っているように見えても、ほとんどはこちら側のライトの反射でしかなく、要するに「マジ、ヤバい」走行である。

さらにその上を行く危険走行もある。「無灯火」「傘さし」「逆走」という「危険走行の三冠王」とも言うべきオバサンが、動画の 2分 10秒あたりに登場する。このオバサンはお見合い状態になっても、無理矢理かつこの上ない強引さで、道路の端をこじ開けるようにすり抜けていく。こういう人がいるから、「オバサンは無敵」「最強(最凶)」などと言われる。

4分 40秒あたりには、逆走車を避けようとして転倒してしまっている遵法走行自転車が録画されている。さいわい大きな怪我はなかったようだが、もし転倒した自転車の直後からクルマが来て轢かれたりしていたら、この逆走車は医療費と慰謝料をかなりの比率で負担することになるだろう。

自転車に乗っていて交通事故の加害者になり、多額の医療費や慰謝料を払うケースも増えており、とくに逆走のケースでは言い訳ができない。そして自転車で右側走行をする人に、その覚悟があるとは到底思えない。

この動画をみれば、自転車の右側通行がいかに危険で、きちんと左側通行をしている自転車にいかに理不尽なリスクを強いているかがわかるだろう。私のこの記事ごときが自転車の逆走を減らすことに大きな効果を発揮するとはとても思えないが、読んだ人が回りに 「逆走自転車ってチョーヤバだよ」と語ってくれれば、ほんの少しは足しになるかもしれない。

 

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2017年5月17日

自転車の右側通行は、他人の命を危険にさらす

3日前に「最強の命知らず」という記事で、自転車の右側通行がとりもなおさず「逆走」であり、とても危険ということについて述べたところ、「自転車の右側通行については、容認派です」というコメントがついた。仕方がないので、これについてもう一度、念を入れて書く。

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3日前の記事では、自転車の右側通行について、"これ、クルマの視点からすると「逆走」にほかならないので、本当にコワい" と、つい 「クルマ視点」で書いてしまったが、実際によりコワいのは、こちらも自転車に乗っている時である。自転車で左側を遵法走行している時に、逆送自転車が現れると、マジで身の危険を感じる。

上のイラストを見てもらいたい。図の右上で、きちんと左側通行でこちらに向かっている自転車 A が、あなただとする。そして、あなたの目の前に、オッサンの自転車 B が右側通行で「逆走」 して来る。

経験則からいうのだが、逆走自転車というのは、自分からは絶対に道を譲らない。ということは、衝突を回避するために、あなたの方が反射的に車道側に膨らんでしまう可能性が高い。

しかし図のように、あなたの後ろからはクルマが迫ってくるのである。へたしたら、あなたはクルマに接触してしまう。最悪の場合は命を失うかも知れない。そしてその大きな原因は、右側を逆走してくる自転車のオッサン B にある。同様に左上の C も、D に理不尽なリスクを強いている。D の後ろからは大型トラックが迫っているかもしれないではないか。

願わくは、あなたが B や C のような逆走自転車乗りになって、遵法走行者を傷つけてしまったりすることがないようにということだ。

【追記】

3日前の記事に、萩原水音さんから次のようなコメントがついた。

以前馴染みにしていたサイクルショップのオーナーと以下のことで同意したのですが、自分が自転車で車道の左端を通行していて、前方から逆走チャリが来た場合、こちらが回避するよりも左端に停まってしまったほうが得策だと。

こちらは法に従って通行している訳ですから、もし逆走チャリがよけてクルマと接触したとしても「危険を感じたので停まった」ということで法的には問題ないはず。

至極妥当なので、私もこれからは逆走自転車が来たら避けないで直ちに左端に停まり、逆走自転車の方が車道側に出て避けることを要求することに決めた。逆走車にはクルマが見えているだけに、車道側に出るのはかなり恐ろしかろうが、違法走行してるのはそっちなんだし、そのくらいのリスクは引き受けてもらう。

 

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2017年5月16日

大企業の PC が案外 Windows XP のままで動いてるらしい

世界中で猛威を振るっているという例のランサムウェア、"Wannacry" は、北朝鮮の国家的仕業という噂まで出ていて、まあ、大変な騒ぎである。とはいえ申し訳ないが、Mac ユーザーである私にはどこか他人事で、マライア・キャリーの "I Don't Wanna Cry" なんて思い出してしまった。呑気でごめんね。

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この Wannacry というのは、Windows をきちんと最新版にアップデートしてさえいれば感染せずに済むものであるらしい。ところが世界中でこれほどの PC がおかしくなっているのは、いかに最新版にアップデートせずに、昔のバージョンのままで使われ続けている Windows が多いかということを物語っている。

日本でも日立製作所、JR 東日本、イオンなど、名だたる企業が感染しちゃってるという。これは「だって、社内システムが Windows XP で構築されちゃってて、Windows Vista 以降の OS では動かないから、しょうがないんだよね」なんていう事例が案外多いからだと思う。OS をバージョンアップすると、社内システムも作り直さなければならないので、大変な手間と費用がかかるのだ。

そんなわけで、古い Windows のままのサーバか何かを、インターネットには直接つながずに動かしている企業が案外多い。しかし直接つないでいなくても、何しろ社内のいろんなシステムを動かしているのだから、LAN を通じてつながってしまっている。Wannacry というやつは、感染してしまった PC が、周囲のつながったマシンに自動的に攻撃を仕掛けてしまうので、感染してしまったというケースが多いらしい。

というわけで、OS のバージョンアップって、企業にとっては案外「余計なお世話」ということが多いのだよね。Microsoft が勝手にバージョンアップして、旧バージョンの OS はお世話してくれなくなるのだから、たまったものではない。そんなわけで、結構な大企業の内部で大昔の Windows XP が動いちゃってるといのは、人には言うに言えない恥ずかしい事情のようなのである。

Microsoft としてもその辺の事情はよくよく承知していて、だからこそ今回の騒ぎでは特例として、Windwos XP 用のパッチも出してくれている。「放ってもおけませんわいな」ということなのだろう。だったらずっと放り出さないで、ちゃんと世話し続けてくれと言いたくもなるだろう。

【5月 22日 追記】

英政府通信本部元本部長のデビッド・オマンド氏がサポート期間終了後のシステムであってもMicrosoftのようなベンダーはセキュリティに責任を持つべきだと主張する一方、米国では上院議員 2名が政府機関の発見した脆弱性の開示などに関する法案を提出している。(参照

 

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2017年5月15日

うどん屋の「つゆが美味しくなりました」 という広告

下の写真は、今日の新聞の折り込みチラシである。某うどん屋が、今日から期間限定で 「天ざるうどん祭」 というのをやるのだそうだ。

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それはいいのだが、私がどうにも気になってしまったのが、写真の左上の赤地に白抜きで印刷されている「つゆが美味しくなりました」というコピーである。私は前にも書いた(参照 1参照 2)ように 「アスペルガー障害一歩手前」 のようなところがあるから、言葉をそのまま額面通りに受け取りがちだ。だから、このコピーもそのまま受け取ってしまう。

つまり、ここでわざわざ唐突に「つゆが美味しくなりました」と言うということは、それまでは「美味しくなかった」のだろうと受け取るほかないではないか。「これまで、さんざんまずいつゆで食べさせちゃって、ゴメンね」という広告に思われてしまうのだ。

これは敢えて意識的にへそ曲がりで意地の悪い解釈をしたわけではなく、私としてはごくナチュラルな反応でしかない。そこが「アスペルガー一歩手前」たる所以なので、それに関して「ことさらなイチャモン」とか「性格悪い」とか言って批判されても困ってしまうのである。

まあ、いくら私でもちょっと考えてみれば「つゆを改良して、これまでよりもさらに美味しくしました」ということなんだろうとわかる。しかし逆にいえば、私の場合はこの「ちょっと考えてみる」というプロセスを経なければそれがわからず、最初のリアクションとしては、どうしても「えっ? 今までは不味いつゆだったの?」になってしまうのだよね。

それだけに、もし私がこの広告を企画する立場だったとしたら「より」という 2文字を付け加えないではいられない。「つゆがより美味しくなりました」としないでは、気持ち悪くてしょうがないのである。たった 2文字で解決しちゃうのに、どうして付け加えないのだ。

フツーの日本語としても、こちらの方がずっと自然でこなれているはずだ。さらに言えば、それは私のような「アスペルガー一歩手前」の人間に対する「言葉のバリアフリー的配慮」と言ってもいいと思うのである。だってそうでないと、私のようなやつは下手すると、軽くパニクってしまうことすらあるのだよ。

まあ、要するに、「ちょっとした言葉こそ大切にしようね」というお話である。とくに飲食店などのサービス業では、慇懃無礼なほどの丁寧すぎる接客をするよりも、この辺のことをすっきりさせてくれる方が私としては気持ちがいい。

 

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2017年5月14日

最強の命知らず

今朝運転しながらカーラジオを聞いていたら、美輪明宏が「自転車に乗ってるオバサンは最強(最凶?)ですからね。どこでも我が物顔で突っ込んで来ます」と語っていた。その言葉に続いて「若い人も、男も女も、関係ないですけどね」と付け加えていたが、やっぱり「オバサンは最強」というのは強烈なメッセージではあった。

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ここでとりあえず、念のため断っておくが、上の写真は大昔のミヤタのポスター画像で、「オバサンは最強」というメッセージとは、直接には関係ないのでよろしく。今どきこんな格好で自転車に乗られたら、みんなおそれをなして道を譲る。

ちなみに、混んだ歩道で自転車のベルを立て続けに鳴らしながら突進するのは、やっぱりオバサンに多い気がする。まあ、ここで私も「オバサンに限らず、若い人も、男も女も」と付け加えておくが、同じことをされていかにもぶつかられちゃいそうでコワいのは、こう言っちゃ申し訳ないけど、やっぱりオバサンである。

「自転車の傘さし運転は危険」とこんなにまで言われているのに、晴れた日に日傘をさしてまで自転車に乗るのも、やはりオバサンである。人とぶつかりそうになって、ブレーキをかけるより先に自転車から降りようとしてケンケンし、結局ぶつかってしまうのもオバサンである。ぶつかった際に、自分は自転車から降りちゃってるから、相手だけが怪我をする。

それから文字通りオバサンに限らず、老いも若きも、男も女も多いのは、自転車の右側通行である。前にも書いたと思うが、我が家の周辺では自転車の 8割以上が右側通行だ。どうやら「自転車は左側通行」というルールが知られていないようなのである。これ、クルマの視点からすると「逆走」にほかならないので、本当にコワい。

細い道から車道に出ようとして、クルマの運転者がまず最初に気をつけるのは、右側から来るクルマだ。ところが反対の左から、自転車が平気で右側通行(つまり逆走)してくるので、ヒヤリとすることが多い。

さらに暗い夜道で無灯火で逆走なんかしてこられると、「お前、そんなに死にたいか!」と言いたくなる。で、信じられないことに、この辺りの自転車はほとんどが暗い夜道を無灯火で右側通行したがるのだ。ライトを点けて左側通行してる自転車は完全に少数派になっている。

私は個人的には、自転車で右側通行なんて考えるだに恐ろしくて、1秒たりともする気にならないし、夜道の無灯火走行も、考えただけでワナワナする。しかし、それを平気でしてしまう人が圧倒的に多いのだ。これは愕然としてしまう事実である。

世の中、本当に命知らずが多い。こんな状態だと「自転車にも運転免許を」という主張に、つい同調してしまいそうになる。

【5月 17日 追記】

自転車の右側通行がなぜいけないかについては、本日の記事で詳しく触れた (参照)。要するに、右側通行という「逆走」によって、自分ではなく、きちんと遵法で左側通行している自転車を理不尽な危険にさらすのだ。

 

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2017年5月13日

「明鏡止水」を絵に描いたような光景

この時期の田舎の光景は、かなり美しい。水の張られた田んぼに植えられた早苗がまだ小さく、スカスカの水面にあたりの景色がくっきりと映り込み、上下対称の美が現出する。遠目には田んぼの水面が早苗の緑でうっすらとフィルターがかかったように見えて、なかなかのものだ。

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「明鏡止水」という言葉があって、これは「一点の曇りもない心」のこととされているが、そんなもったいぶったことを言わなくても、まさに「明鏡止水」を絵に描いたような光景があちこちに見られる。こんな光景を見ていたら、心に「曇り」を抱くなんてうっとうしすぎて馬鹿馬鹿しくなる。

それでまた、4月頃まではかなり春風の強い日が多く、田の面にもさざ波どころではない波が立って、周囲の景色がきれいに映り込まないのだが、5月の声を聞くと不思議に風のない日が多くなる。風さえなければ、この時期の田んぼは「明鏡」そのものなのだ。今日は残念ながらずっと雨降りでそれは見られなかったが。

で、5月も半ばを過ぎて 6月が近くなると、田んぼの苗も少し大きく育ち、隙間が小さくなる。すると「明鏡」の田んぼではなくなるが、今度は青々とした初夏の光景となる。田んぼというのはまあ、田舎の光景をかなり決定づけるほどの要素だ。

このハイテクの時代に、こうした田んぼの光景が周り中にあるというのは、なかなかありがたいことで、都会に住んでいては味わえないものがある。

 

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2017年5月12日

笠置シヅ子の偉大さ

今年の夏の盛りにはなんと 65歳になってしまう私だが、あの伝説のブギの女王、笠置シヅ子の歌う姿は一度も見たことがなかった。時折ラジオで聞くだけで、画像情報は一切入ってこなかった。

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それもそのはず、彼女が歌手生活をスタートしたのは戦前のことで、あの『東京ブギウギ』のヒットは終戦直後。そして 1957年(私が 5歳の時)には歌をやめてしまっていた。黒澤明の映画『酔いどれ天使』に『ジャングルブギ』を歌う姿があるらしいが、私の生まれる 4年も前の作品だし、残念ながらまだ見ていない(参照)。

私は子どもの頃から、ラジオで笠置シヅ子の歌を聴く度に心躍らせ、「スゴい歌手がいたものだなあ」と思っていた。とくに『買い物ブギー』は圧巻である。生まれるのが遅すぎて笠置シヅ子を知らない人は、下の画像をクリックして、YouTube で聞いてみるといい。

私はこの歌の 2番目、「たまの日曜サンデーと云うのに 何が因果と云うものか」のところ、「たまの日曜サンデと云うのに」と歌うところが、またたまらなく好きだ。いいよねえ!

そしてこのほど何と、笠置シヅ子の動画を発見した。アップロードされたのはもう 9年も前のことのようで、どうして今まで気付かなかったのか、悔しくてたまらないが、一生知らずに死んでしまうよりはずっとよかった。

画質は決してよくないが、戦前は踊りが激しすぎるために「敵性文化」として官憲に睨まれたという彼女の、実際に歌い踊る姿を見ることができて、私は幸せというものである。終戦直後とは思われないほどの見事な、そして時には身も蓋もないほどダイナミックな、圧巻の身のこなしだ。ちなみにバンドの指揮を執っているのは、作曲者の服部良一自身だと思う。

痛恨なのは客席のハンドクラッピング(手拍子)が見事に「アタマ打ち」(1拍目と 3拍目で打ってる)ということだが、まあ、これは時代的にしょうがないか。

ついでだから告白してしまうが、このブギの女王と、1980年代の「カネヨンのおばちゃん」とは、全然結びついていなかったのである。いや本当に、同じ名前の別人と思っていたよ。あの頃の私は、テレビというものをほとんど見ていなかったしね。(今もあまり見てないけど)

かなり後になって、『東京ブギウギ』の笠置シヅ子と「カネヨンのおばちゃん」とは同一人物であると知り、かなりショックを受けた。しかし立ち直るまでにそれほどの時間はかからなかった。むしろそれを知ることによって、私の中での笠置シヅ子の存在感はますます高められたのであった。

ところで、「笠置シズ子」 の表記が 「笠置シヅ子」 に変わったのは、いつ頃のことだったんだろうなあ。その辺りからして、戦後のドサクサを感じさせ興味深い。ちなみに上記の『買い物ブギー』のレコード・ラベルは「笠置シズ子」の表記になっている。

【2023年 10月 4日 追記】

NHK の朝ドラで笠置シヅ子をモデルとしたヒロインの登場する『ブギウギ』が始まった途端、これまであまり目立っていなかったこの記事に急にアクセスが集中して驚いている。

この「異常事態」(?)を受けて、本日付で「笠置シヅ子の偉大さ その 2: 『ブギウギ』を通じて」という記事を書いたので、合わせてお読み頂ければ幸いだ。

 

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2017年5月11日

個人情報管理を巡る冒険

個人情報漏えいが毎度話題になっているが、私の個人情報なんて何十年も前からあちこちに漏れまくっていると諦めている。漏れていなければ、娘の七五三や成人式が近付いたタイミングで、あんなにあちこちの着物屋から DM が殺到するわけがない。

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私が 60歳の還暦を迎える年には、「還暦記念旅行」というニーズを当て込んだのか、あちこちの旅行業者からパッケージ・ツアーの案内が殺到した。おあいにく様、私は仕事で日本中を飛び回っているから、還暦だからといって改めて旅行するなんて気にはなれないのだよ。

さらに今年の夏には、なんとまあ、65歳になるので、さぞかし「退職記念パッケージツアー」の案内が殺到するかと思っていたのだが、案に相違して、少なくとも今のところはちっとも来ない。退職なんて話とは無縁の個人事業主ということまでバレているのだろう。蛇の道はへびである。

ところで、自分のメルアドが漏洩しているかどうかを確認できるサイトがある。"have i been pwned?" というサイトで、"pwned" というのは、"owned" のミスタイプから生まれた (O と P のキーは隣同士だからね) ネット・スラングらしい。つまり 「誰かに所有されちゃってる」 ということだ。

試しに私(tak-shonai)のメルアドを調べてみると、上の写真のように "Oh no - pwned!" という表示が出てきてしまった。一つの違法サイトに漏れていて、他のサイトとの共有はされていないという。考えていたよりはずっとマシな結果である。

このメルアドはそもそも公開しているものであり、パスワードもきちんと管理しているから問題ない。まあ、メルアドが漏れているだけあって、いろいろなジャンク・メールが押し寄せているようだが、がっちりとフィルターをかけているので直接目に触れることもなく、うっとうしさはほとんどない。

問題なのは、メルアドとパスワードがセットで流出して、その同じパスワードを自分の PC のログインはおろか、いろいろなケースで使い回し、しかもずっと変更もせずにいるという場合だ。そうなると、デリケートなプライベート情報まで漏れてしまうリスクが高い。

そうかと思うと、「私の Facebook のパスワード、何でしたっけ?」なんて電話で聞いてくる御仁もいる。たとえその人のアカウント登録を手伝ってあげたりしても、パスワードなんか礼儀として忘れてしまうことにしているから、そんなことを聞かれても困る。

そんなわけで、パスワードを忘れて自分の Facebook アカウントにログインできなくなってしまい、正規の手続きでパスワード変更をするのではなく、新たに別のアカウントを作ってしまう人が、結構多い。そのため、名前も生年月日も出身校も居住地も同じ人物が、Facebook 上で 2人いたりする。

そうなっちゃった人は、私の知り合いだけで少なくとも 6人いる。そのうち 4人は女性で、1人は同じ名前でアカウントを 3つ持っている。2つアカウントを作って 2つともパスワードを忘れてしまい、3つめまで作っちゃったらしい。

その人にとっては、Facebook には滅多に書き込みをするわけでもなく、ほんのたま〜に友達の書き込みを読むだけだから、問題は全然意識してないのだろう。しかし困ってしまうのは周囲の方で、「この人、Facebook 上に 2人分も 3人分も生息してるけど、実際に生きてるのはどのアカウントなんだ?」 と戸惑うことになる。

いやはや、パスワード管理って、永遠の課題なのかも知れない。私自身も時々忘れて、手書きのメモ帳 (パスワード管理は、これが一番) をめくることがちょっちゅうだからね。

ちなみに PC 起動時のログイン・パスワードをポストイットでディスプレイの縁に貼ってあるなんていう人もいる。こんな人は単純なパスワードも覚えていられないほど、滅多にログインしなくて済んでいるわけなんだから、なまじ PC なんて持たない方がいい。ほとんど役に立てていないくせに、決まって年に一度は人騒がせをやらかす。

 

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2017年5月10日

三味線やギターを手にすると、縄文人の血が騒ぐ

学生時代に、今は亡き武智鉄二氏が 2年間にわたって伝統演劇に関する講義をしたことがあって、私はそれを結構熱心に受講した。内容はちっともアカデミックではなかったが、縦横無尽の展開で心が躍った。

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武智氏の講義の中で妙に印象に残っているのは、「三味線の盛んな土地の人は歌がうまい」という話である。日本の三味線は、まず沖縄に入ってきて、彼の地では今でも 三線(サンシン)として盛んに演奏されている。それが九州以北で三味線に改良され、大阪や江戸でも盛んになったが、新潟や津軽などのひなびた土地でも不思議なほど定着した。

武智氏もおっしゃっていたが、NHK の「素人のど自慢」という番組を見ていても、沖縄、そして新潟を中心とした北陸から津軽にかけての土地の人たちは、歌のうまさの平均点が高い。一方、山陽路から東海道だと、申し訳ないがどうもレベルが落ちる。

東海道でも京阪、江戸はいろいろなところから人が集まるので、文楽や長唄などの隆盛に伴って三味線が盛んで、レベルが高くなるのは当然だが、沖縄、北陸、津軽というのは、人口の割に歌の上手な人が多すぎる。

弥生人の音楽の代表は能楽である。そしてこの能楽の「謡い」というのは、基本的にまともなメロディがない。一本調子で延々と続き、苦手な人にとっては死ぬほど退屈だ。実は私も、文楽は好きだが能楽はやや苦手である。

弥生人はどうやら、メロディが苦手のようで、それと対照的に三味線で自由自在にメロディをかき鳴らすのは縄文人の系譜だ。どうも同じ日本人でも「血が違う」と言ってもいいようなのである。

日本では古くから伝わる琵琶や箏などの楽器は、演奏できる階層が決まっていた。誰でも自由に弾けるようなものではなかったのである。そんな中で、中世以降に入って来た三味線という楽器は、身分に縛られなかった。日本の音楽は、誰でも楽しめる三味線によって一気に大衆化したと考えていい。

三味線という楽器は、現代のロックンローラーにとってのギターのようなものだったに違いない。ギター、バンジョー、三味線、シタールの系譜というのは、同じ弦楽器でも弓でこすって弾くバイオリンのようなお上品なものと違って、かなりアナーキーな性格を持つ。

この三味線という楽器を取り入れることによって、日本の音楽は新しい次元に入った。その三味線を抵抗なく取り入れることのできる血をもっていたのが、縄文人の系譜ということのようなのである。

かく言う私も北陸から津軽につながる「縄文ベルト地帯」の出身だから、ギターは誰にも習わずに見様見真似でいつの間にか弾けるようになったし、一昨年の沖縄出張で衝動買いしてしまった三線も、その日のうちにまねごとぐらいはできるようになった。これも血のなせる技なのかもしれない。

 

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2017年5月 9日

今年もまた蚊の季節になって

今年もずいぶん暖かく、というか、暑くなって、いつの間にか蚊に刺されてしまうようになった。ここ、つくば周辺は一時よりはずっと蚊が少なくなったとはいえ、野外で草刈り作業なんかしていると、いつの間にか二の腕の辺りに刺された跡ができていて、痒くてたまらなくなる。

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自分のブログを遡ってみると、この辺りで蚊が少なくなったのは、今から 7〜8年ほど前頃からだとわかる。下水道が引かれて、ボウフラのわくドブや水たまりが少なくなったのが、蚊の激減につながったようだ。(参照

とはいえ、都会とは違ってやはり蚊が皆無になったというわけじゃない。蚊取り線香などの対策をしていないと、一夏に何カ所も蚊に刺されてしまうのだ。こればかりは、自然の多い環境にに恵まれた対価だと思って諦めている。

知り合いの女性が先日、「茨城県の蚊の多さにはびっくりしました」と話していた。と言っても彼女は元々茨城県民なのだが、昨年までは市営住宅の 4階に住んでいたので、夜になっても蚊が飛んでくることはなく、蚊の対策なんて考えたこともなかったと言う。ところがこのほどめでたく結婚し、一戸建ての新居に引っ越したのだ。

「この数週間で、これまで生きてきた 25年分以上の蚊に刺されてしまいました」と彼女は嘆く。その言葉にはどえらい実感がこもっていて、まことに気の毒な限りである。慣れていないだけに、痒さも半端じゃないのだろう。

彼女の話によると、向かいの家の息子だかなんだかがバイク好きで、古タイヤを何本も庭に放り出しているのだという。その古タイヤの内側に雨水が溜まり、ボウフラが湧いているらしい。そりゃまた、大変な環境だ。

「その古タイヤ、なんとかしてください」と言いたいのは山々だが、なかなか言い出せないらしい。気の毒なことである。とにかくこれからの季節、雨水が溜まってしまうようなものには極力気をつけが方がいい。余計な蚊まで発生させては、近所迷惑になってしまう。

 

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2017年5月 8日

数を数えるのに節を付けるのは、群馬県に限らない

今日の昼に TBS ラジオを聞いていたら、「群馬県民の数の数え方が独特」という話題で盛り上がっていた。節を付けて歌うように 20まで数え、運動会の玉入れで入れた玉を数える時なども、全員がその数え方でやるというのである。その数え方は YouTube で見つけたので、下に埋め込んでおいた。

ただ、ラジオを聞いていた私は、「えっ、数を数えるのに節を付けるのって、それ、ごくフツーじゃん。何も群馬県に限った話じゃあるまいよ」 と、驚いてしまったのである。ところが仙台生まれの妻は、「数を数えるのに節なんか付けたことはない」と言う。

私の生まれた山形県の庄内地方では、上に示した群馬県のものとはちょっと違う節で数えていた。1 から 10 まではほとんど同じだが、11 から先は、こう言っちゃ申し訳ないが、庄内流の方が洗練されていると思う。

それはこんな感じだ(YouTube にアップしたので、下の画像クリックで聞ける)。せっかくだから敢えて庄内の古老風に、かなり濃いめの庄内訛りパフォーマンスとしてみた。重要なポイントは、最後の「20」が 「にじゅう」ではなく「にんじゅ」と発音されることで、そうでないとリズムが崩れて画竜点睛を欠く。なお「に」は「ぬ」との中間音で、英語の "e" の字をひっくり返した発音記号の音に近い。

 

この数え方は、玉入れの玉を数える時だけじゃなく、風呂に入っていて「20 数えたら出てもいい」なんて言われたときに、子どもらは必死になって数えたものなのである。呑気な節に思われるかもしれないが、案外必死のメロディでもあるので、なかなかオモムキがあるのだ。

私が生まれたのは東北日本海側の田舎だったから、子どもの頃は、「数え歌」 というのはこの 「数を数えるときの節」 のことだとばかり思っていた。まさか 「♫ 一つとや〜、一夜明ければ賑やかで〜♫」 とか 「♫ 一つとせ〜、人の上には人ぞなき〜 ♫」みたいな歌のこととは、想像も付かなかったよ。

ラジオを聞いていると、津軽や京都をはじめ、日本全国の聴取者から録音データが送られていて、やはりそれは群馬県に限った話じゃないとわかった。ほぅら、やっぱりね。

で、YouTube で検索したら他にも出てきたので紹介しよう。

まず、関西人の数え方(大阪バージョンらしい)

次に、同じ関西でも京都人の数え方。

さすがに京都は、おっとり優雅である。

ちなみに、昔は「いち、にぃ、さん、しぃ……」 じゃなく、「ひぃ、ふぅ、みぃ、よー、いつ、むぅ、なな、やぁ、この、と」と数えていたんだと思う。奈良時代の日本語の発音を昭和の御代にまで残していた私の祖母(参照) は、そのように数えていた。その昔は 11 のことは 「とあまりひとつ」、12 のことは 「とあまりふたつ」 とか言っていたらしいので、それを歌うように数えたらずいぶん長くかかってしまう。

というわけで、11 から先の数え方がそれぞれの地方で確立したのは、ずっと時代を下ってからだろう。だから 1 から 10 までの節はそれほどバリエーションがないが、 11 から先はかなりバラバラになっている。

「私の生まれたところでは、ごくフツーに数える」 なんていうのは、単に 「正しい数え方」 が伝承されなかっただけなんじゃあるまいか。でも最近の庄内の子供たちは、伝統的な数え方ができるのかなあ。ちょっと心配になってきた。

 

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2017年5月 7日

「100年以内に地球外移住を」 と、ホーキング博士が警告

夕刊フジのサイト zakZak に、"ホーキング博士が警告「人類は 100年以内に地球外移住を」" という記事がある。ホーキング博士によると、「人類が生き延びるためには、今後 100年以内に別の惑星に移住を始める必要がある」のだそうだ。

 

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博士は前々から「今後 1000年か 1万年以内に地球は滅びる」と主張してきたが、今回はそれを 100年に短縮したものだ。「気候の変化、小惑星の衝突で起きる地震や津波、伝染病、人口増加で地球の環境はさらに悪化する」ためだという。

記事は「詳細はこの夏放映される英 BBC テレビの番組で明かされるが、博士は火星などに移住するためのロケット技術や生物学の新たな研究も発表する予定だという」と結ばれている。彼の頭の中には、解決案が既にあるらしい。

ただフツーに考えると、今後 100年以内に他の惑星に移住するとなると、それほど遠くの星まで行くわけにもいかないだろうから、やはり 「火星など」 といった選択肢に限られるのだろう。そうなると、「火星くんだりまで行ってまで、生き延びようとは思わない」とか「火星に行ってでも生き延びたい」という、大きく分けて 2通りの反応が出てくるだろう。

さらに、他の惑星に移住するには大変な金がかかるだろうから、「生き延びたいけど、移住の費用が出せない」という人も出てくるに違いない。国家予算などで全員を移住させることができるとも考えにくいし、経済力などの要因によって 「生き延びられる人」と「生き延びられない人」とに分けられ、新たな、そして決定的な差別が生じるおそれがある。

ホーキング博士の言うように、「今後 100年以内」に他の惑星に移住する必要性が高まるかどうかは、私にはわからないが、いずれにしてもこの地球が未来永劫にわたって人類が住みやすい惑星であり続けることは不可能だろう。既にどんどん住みにくくなっているのは確かなことだしね。

そうなると、我々は「生きる」というテーマについて深く考えざるを得ない。哲学的、宗教的な掘り下げが必要な時代に、既に入っているのだろう。

 

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2017年5月 6日

「紫外線 5月最強説」 は、やっぱり俗説のようだが

昨日は久しぶりで長時間自転車に乗り、今日は今日で、長時間にわたってエンジン式草刈り機で雑草を刈った。両日ともに炎天下で半袖だったので、急に日焼けしてしまい、風呂に入ると上腕部がジンジンする。

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何しろ東北日本海側の出身なので、日焼けに弱い。肘から先の方がかなり赤くなっていて、何もしなくてもヒリヒリする感じだ。周囲の連中は、「tak さん、急に日に焼けちゃったね」 「5月は 1年中で一番紫外線が強いっていうから、気をつけなさいよ」 なんて言う。

だが、ちょっと待て。日焼けに気をつけろというのはいいが、「5月は 1年中で一番紫外線が強い」 というのは、都市伝説だと聞いたことがあるぞ。実感としても、真夏の方が日焼けしやすいし、肌のヒリヒリ感もずっと強いじゃないか。

というわけで、例によっていろいろググってみたところ、やはり「5月が一番強い」というのは、俗説だとわかった。気象庁のデータも駆使してわかりやすく説明してあるのが、「五本木クリニック 美湯皮膚科」 というところのサイトである。

ちょっとだけ手短に紹介すると、紫外線には UV-A(長波長紫外線)、UV-B(中波長紫外線)、UV-C(短波長紫外線)の 3種類あり、このうち UV-C は、地上にはほとんど到達しないので、問題とすべきは UV-A と UV-B である。

そして UV-A は、地上に届く紫外線の大部分を占め、皮膚の奥まで届いて、しみ・シワ・たるみの原因となる。一方、 UV-B は紫外線全体に占める割合は少ないが、日焼け・シミの原因となり、皮膚への悪影響がより大きい。

で、日焼けには赤く腫れたようになってしまう「サンバーン」と、小麦色に焼ける「サンタン」とがあって、今回の私のような「サンバーン」は、80%ぐらいが UV-A によるものであるらしい。

日焼けマシンで照射されるのは UV-B らしいが、これは皮膚への悪影響 (皮膚がんとか) の懸念があるため、米国では州によって未成年者(18歳以下)の使用が禁じられているという。

つまり UV-A による日焼けは、ヒリヒリして痛いけれども、皮膚がんになる可能性は小さい。とはいえ、実際の紫外線は別々に届くわけじゃないから、UV-A をどっさり浴びるということは、UV-B もそれなりに浴びているというわけだ。

で、肝心の気象庁統計だが、実は紫外線の種類ごとの測定はしていないので、紫外線全体の統計しかない。そしてその統計を見ると、紫外線は 5月に急に増え始めて、6月の梅雨の時期にちょっと減り、7〜8月に最大となる。つまり、「紫外線は 5月が一番強い」というのはやはり俗説、都市伝説の類いのようだ。

「5月の紫外線って、意外に強いんだよね」というのが、いつの間にか「5月が最強」になってしまったらしい。まあ、俗説が生まれるって、こんなようなパターンが多いのだろう。とはいえ 5月は急に日焼けしてしまうことが多いから、やはり気をつけるに越したことはない。

 

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2017年5月 5日

カナヘビのロマンスを目撃

今日の記事は、興味のない人にはおもしろくもなんともないものだと思う。いや、それどころか、「気持ちわる〜!」と言って、もしかしたら、もう二度とこのブログには寄りついてくれないかもしれない。だが、そこはそれ、心を鬼にして書いてしまう。

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一体何事かといえば、「カナヘビの交尾を目撃してしまった」 という話である。カナヘビというのは、トカゲによく似たは虫類で、肌はカラッと乾き、ぬめぬめしていない。目が可愛らしいので、ペットとしても案外人気がある。私も嫌いじゃない。というか、どっちかと言えば好きである。

そのカナヘビが、我が家の玄関先で 2匹絡まりあっていたのである。よく見ると、片方が片方の後ろ足の付け根あたりに噛みついている。そしてそのままじっと動かない。

「こ、これが噂に聞く『カナヘビの交尾』というものか!」 と、ちょっとだけ感動してしまったのである。いつもならカナヘビを見つけたら、いい年してすぐに捕まえて掌に乗せて遊びたがるクチなのだが、今回ばかりは邪魔をしちゃいけないと思い、とりあえず iPhone で写真を撮るにとどめた。

カナヘビの交尾は、メスがオスの気を引くように寄り添うことから始まるらしい。そしてオスがその気になってしまうと、どういうわけかメスに噛みつくというのである。そこから徐々に本式の交尾に移行するらしいのだ。(参照

本来ならじっと観察していたかったのだが、残念ながらこの日は昼一番に用があって出かけなければならず、最後まで見届ける時間がない。そこで、玄関の前でこんなのが絡まり合っていたら、もしかして訪ねてくる人が腰を抜かしてしまうかもしれないと、そっと拾い上げて、草むらに移してあげた。

2匹のカナヘビは、私に拾い上げられてもまったく動ぜず、ただひたすら 2匹だけの世界に浸っているようだった。とまあ、今日はそれだけの、解釈のしようによってはロマンチックなお話。

 

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2017年5月 4日

「田中宏和運動」 から思い出したことなど

昨日は憲法記念日だったこともあって、15年も前の 5月 3日の毎日新聞の「余録」をダシにした私のテキストを紹介したが、今日は正真正銘の今年の 5月 3日の毎日新聞の記事の関連で書く。

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おもしろいなと思ったのは 「ハマりました 同姓同名集め 不思議な親近感で連帯」という記事だ。既にあちこちで有名になっている「田中宏和運動」についての話である。もちろんネットでも読める (参照)。

大手広告代理店に勤務するという田中宏和さんが、同姓同名集めの運動を始め、これまで 114人の「田中宏和さん」と会ったというのである。目指すは同姓同名を一つの会場に集めた人数でギネス記録を更新することなのだそうだ。

ちなみに 2011年に 67人の「田中宏和さん」を集めた集会を開いた実績はあるというのだが、米国のカリスマ主婦、Martha Stewart の集めた 164人に負けている。幹事の田中宏和さんは SNS で既に約 200人の「田中宏和さん」と知り合っているというから、記録更新の可能性はある。

ところで、私の知り合いでは、「田中さん」は本当に数え切れないほどいるが、「田中宏和さん」は 1人もいない。別の字の「田中弘和さん とか「田中広和さん」とか「田中浩和さん」さえもいないのである。1人ぐらいいてもいいのになあ。

その 「田中浩和運動」 の公式サイト "tanakahirokazu.com" に行ってみると、

「田中広一(たなかひろかず)」

「田仲宏和」「中田和宏」あたりの

「ニア田中宏和さん」の情報も歓迎です。

とある。

それで思い出した。毎日新聞と言えば、「田中宏さん」という記者がいらしたではないか。彼は日本のファッションにいち早く関心を抱き、1980年代の「東京ファッション」が世界で注目された時期に、三大紙の紙面で真面目にファッションを紹介した人である。私が知り合った時には「編集委員」という肩書きだった。

まあ、失礼ながら言ってしまえば 「ファッションのオールドタイマー」 的な印象はあったが、メジャーな新聞でファッションをまともに取り上げた功績は大きい。

ただ、インターネット以前の人なので、「田中宏 ファッション」でググっても、まともなページはほとんど引っかからない。同じ毎日新聞出身の鯨岡阿美子さんよりは若いんだろうが、それでも一時代以上前の人という感覚になってしまい、今の毎日新聞の記者だって彼のことは知らないだろう。

彼の著書『よそおいの旅路』(タイトルからして、オールドタイマーだよね)は、中古本情報がちらほら見つかるだけだが、何しろ 30年以上前の発行なので、表紙画像も見られない。世の中、変わってしまったのだなあ。

【5月 9日 追記】

しまった、忘れてた。我が故郷の隣の鶴岡市の市会議員にも、田中宏さんがいらっしゃるんだった。(参照

 

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2017年5月 3日

憲法記念日に思う

今日は憲法記念日。このブログを始めて(「ココログ」を使用する前の 2年間を含め)15年になるが、5月 3日にまともに憲法問題を論じたことがない。わずかに「知のヴァーリトゥード」のサイトを始めた 平成 14年の 5月 3日にほんのちょびっとだけ書いている。(参照 写真の下に引用する)

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今日は憲法記念日。テレビニュースは毎年のように護憲派と改憲派の両方の集会の様子を伝え、お茶を濁す。
以前は改憲派の方が危ないタカ派のイメージだったが、最近では護憲派の方がカチンカチンの時代遅れというイメージに変わってきた。

これについては、本日更新のコラムをご覧いただきたい。

この「本日更新のコラム」というのは、「知のヴァーリトゥード 内の「知の格闘技」というサブサイトに納めてある "「何が何でも護憲」 の論理に首をかしげる" という一文だ。私がブログで憲法改正について論じたことがないのは、15年前にこのコラムで 「言いたいことは言っちゃった」 と思っているからである。

どんなことを書いたのかというと、日本国憲法の前文の英文で書かれたオリジナル(元々は英語で草案が作られた)を、作家の池澤夏樹氏が翻訳し直したものについて論評したのである。

現行憲法の前文は次の通りである。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

これに対して、池沢訳は次のようになる。

私たち日本人はいつまでも平和を求める。世界の人々が仲よく暮らすためには高い理想は欠かせないから、私たちは常にこの理想を頭においてことを決める。この国の存続、この国の安全は、私たち同様に平和を大事にする世界の人々の正義感と信念に委ねよう。

これは当時の毎日新聞の『余録』で紹介されていたのだが、余録子はこの池沢訳を褒めちぎっているのである。しかし私には違和感の大きすぎる訳だったので、自分のコラムで次のように書いている。

池澤訳によると、現行憲法では「この国の存続、この国の安全」を、「世界の人々の正義感と信念」という極めて漠然としたものに「委ね」てしまっているのだ。(中略)

しかし、冷静に考えると、相当に怖い話ではないか。「期待」ならば大いにすべきだろうが、「委ねる」なんていうのは、どう考えても非常識だ。

私だって人一倍平和を大事にし、正義感だってないわけではないと思っているので、世界の国々の存続と安全を願わないではない。しかしある特定の国から、その国の「存続と安全」を勝手に「委ね」られたりしたら、はっきり言って大迷惑というものだ。「世界の人々」だって、きっとそう思うだろう。 そんなものを勝手に委ねられても、責任の取りようがない。責任の取りようのないところに委ねるというのも、ずいぶん乱暴な話である。

これまでの護憲主義、とくに第 9条に関する主張は、究極的には「自国の存続と安全を、責任の取りようのない他国の人たちに委ねる」という精神で語られてきたもののように思われるのである。私にはそれは、あまりにもロマンチックすぎる論理に思われる。

国民の大多数が、「このロマンチックな理想のためなら、死んでも本望」と覚悟を決めているなら憲法は今のままでもいいが、実際には「いざとなったら、自衛隊さん、よろしくね」と思っているみたいなので、それなら憲法にもそれなりに明記しておくべきじゃないかと思うのだ。ごく単純な理屈である。

ただ、誤解されると困るので付け加えておくが、私は安倍政権の提唱する「集団的自衛権」なるものには反対の立場である。そんなものを振りかざさなくても、国は守れるだろうよ。あれは戦争したくてたまらない人の言うことのように思われてしょうがない。

私は平和主義者である。ただ、この世から戦争がなくならないのは、「平和は総論で語られ、戦争は各論で説かれるから」だと思っている(参照)。美しすぎる総論は、いざと言う時にはいつもセコい各論に負けるのだ。だから平和を守る総論も、ある程度の「セコさ」を担保しておいて、セコすぎる各論に負けないようにしておかなければならない。

 

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2017年5月 2日

グルコサミン、コンドロイチンは効くのか効かないのか

「週刊現代」のサイトの最新記事の一つ、"ダマされるな! 飲んでも効かない「サプリ」一覧 えっ あれも…?" というのがちょっと注目を集めている。市販されているサプリの多くが、「飲んでも効かない」「意味がない」と一刀両断にされている。

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記事で最初に槍玉に挙げられているのが、「関節痛を和らげる」「擦り減った軟骨が再生する」という効果が謳われて、中高年に売れている「グルコサミン」と「コンドロイチン」だ。この両方が配合されたサプリも多いが、記事によると「飲んでもほとんど効果はない」(武蔵国分寺公園クリニック 名郷直樹院長) のだそうだ。

グルコサミン、コンドロイチンは確かに軟骨の成分だが、経口摂取すると糖とアミノ酸に分解され、再合成されて膝の軟骨になるとは考えづらいという。つまり「気休め」でしかないというのである。

「ふぅん、そうかもしれんなあ」とは思ったが、私は昔から週刊誌のセンセーショナルな記事というのはあまり信用しないことにしている。どうせ素人の記者が大した時間もかけずに取材してそれらしくまとめるだけなのだもの、そのまま信じろという方が無理がある。

そこで「セカンド・オピニオン」を得るために「グルコサミン コンドロイチン サプリ 効果」というキーワードでググってみると、「ヘルスケア大学」というサイトの「グルコサミンの効果」という、昨年末に書かれた記事が見つかった。そしてこの記事では、グルコサミンはそんなに悪者にはされていない。

「グルコサミンにおいては人体に対してサプリメントとしての効果があるとの研究結果もあります」とされ、ここでは詳細は省くが、関節の痛みや変形性関節症の症状が和らいだとの具体的報告がされているらしい。コンドロイチンに関してまでは調べていないが、グルコサミンだけでもこのように正反対とも言える情報がある。片方だけの情報で舞い上がってはいけない。

この「ヘルスケア大学」というサイトは、「5231名の医師が参画するヘルスケア情報サイト」と謳われ、「信頼できる医療・健康情報のための倫理標準である  HONcode の条件を満たしています」(参照)と表示されている。断定するつもりはないが、フツーに考えれば素人記者の書いた週刊誌記事よりは信じてもいい気配が感じられるではないか。

週刊現代の記事では、グルコサミン、コンドロイチンに関する記述のすぐ後に、「先頃、バスト UP 効果とダイエット効果を同時に叶えることができると謳ったサプリメント『B-UP(ビーアップ)』に対して、消費者庁は『景品表示法違反』に当たるとして措置命令を下した」とある。まあ、サプリを服用してバストアップなんていうのは、ちょっと考えればでたらめとわかるが、グルコサミン、コンドロイチンまで同様の印象を持たせるような記事の書き方だ。

私はこの方面に関しては完全な素人なので、グルコサミン、コンドロイチンの効果についてまともなことを書ける知識を持ち合わせない。だから、週刊現代とヘルスケア大学のどちらが正しいかなんてことも、当然ながら言えない。

個人的には、膝の痛みもないし、グルコサミン、コンドロイチンのサプリなんか飲んでもいないので、効こうが効くまいがどっちでも知ったことじゃない。ただここで言いたいのは、センセーショナルな情報を一方的に信じることによるリスクは避けたいということだ。

 

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2017年5月 1日

ウォッシュレットの英語マニュアルのわかりにくさ

前々から出張などでビジネスホテルに泊まる度に、バスルームの壁に貼られたいわゆる 「温水洗浄便座」 の使い方のマニュアルが気になっていた。日・英・中・韓の 4カ国語で書かれていることが多く、私は中国語と韓国語に関してはわからないのだが、英語の説明はやたらまどろっこしいのである。

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まず、一番上の「使い方」である。英語の "Operations" というのは、たかが洗浄便座の使い方にしてはヘビー過ぎる気がする。だって、「オペレーション」って、「手術」とか「作戦」とか「演算処理」とか「作業工程」とかいう意味で使われるじゃん。

この場合は 一番上に "TOTO WASHLET" とブランドネームが書いてあるのだから、"How to use Washlet" でいいんじゃないかなあ。あるいはこうしたものの総称を使って、"How to use the bidet" とか。

その下の左右の英文もかなりモヤモヤしてしまうが、まあ、それについてはあまりくどくど言わないでおこう。なにしろ、その下の英文が傑作すぎるので。

まず左下の 「おしり洗浄、ビデ洗浄します」 の部分の英語の "Cleanses you with normal water pressure. Serves water as a bidet for women." が、「???」である。

主語が省かれているが、直訳すると「正常な水圧であなたをきれいにします。女性用のビデとして水を供します」というのである。まあ、要するに雰囲気のものでしかないんだろうね。

それから右下 ① の "つまみを回して 「おしり洗浄」 または 「ビデ洗浄」 を選ぶ" は "Turn the knob to select either "SPRAY" or "BIDET" cleansing" となっている。「おしり洗浄」を "SPRAY" なんて言ってるのだが、これって婉曲表現すぎて、意味わからんだろうよ。

最近はようやく「おしり」と「ビデ」の英語を "rear" と "front" に統一する方向にあるようで、それならわかりやすいと思うが、「おしり」大文字の "SPRAY" では、ちょっと業界用語すぎちゃうよね。

まあ、こればかりじゃなく、日本人の書いた英語の説明文って、「初めからわかってる日本人にしかわからない」あるいは、「初めからわかってる日本人でさえわからなくなる」というのが多い。

 

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