数を数えるのに節を付けるのは、群馬県に限らない
今日の昼に TBS ラジオを聞いていたら、「群馬県民の数の数え方が独特」という話題で盛り上がっていた。節を付けて歌うように 20まで数え、運動会の玉入れで入れた玉を数える時なども、全員がその数え方でやるというのである。その数え方は YouTube で見つけたので、下に埋め込んでおいた。
ただ、ラジオを聞いていた私は、「えっ、数を数えるのに節を付けるのって、それ、ごくフツーじゃん。何も群馬県に限った話じゃあるまいよ」 と、驚いてしまったのである。ところが仙台生まれの妻は、「数を数えるのに節なんか付けたことはない」と言う。
私の生まれた山形県の庄内地方では、上に示した群馬県のものとはちょっと違う節で数えていた。1 から 10 まではほとんど同じだが、11 から先は、こう言っちゃ申し訳ないが、庄内流の方が洗練されていると思う。
それはこんな感じだ(YouTube にアップしたので、下の画像クリックで聞ける)。せっかくだから敢えて庄内の古老風に、かなり濃いめの庄内訛りパフォーマンスとしてみた。重要なポイントは、最後の「20」が 「にじゅう」ではなく「にんじゅ」と発音されることで、そうでないとリズムが崩れて画竜点睛を欠く。なお「に」は「ぬ」との中間音で、英語の "e" の字をひっくり返した発音記号の音に近い。
この数え方は、玉入れの玉を数える時だけじゃなく、風呂に入っていて「20 数えたら出てもいい」なんて言われたときに、子どもらは必死になって数えたものなのである。呑気な節に思われるかもしれないが、案外必死のメロディでもあるので、なかなかオモムキがあるのだ。
私が生まれたのは東北日本海側の田舎だったから、子どもの頃は、「数え歌」 というのはこの 「数を数えるときの節」 のことだとばかり思っていた。まさか 「♫ 一つとや〜、一夜明ければ賑やかで〜♫」 とか 「♫ 一つとせ〜、人の上には人ぞなき〜 ♫」みたいな歌のこととは、想像も付かなかったよ。
ラジオを聞いていると、津軽や京都をはじめ、日本全国の聴取者から録音データが送られていて、やはりそれは群馬県に限った話じゃないとわかった。ほぅら、やっぱりね。
で、YouTube で検索したら他にも出てきたので紹介しよう。
まず、関西人の数え方(大阪バージョンらしい)
次に、同じ関西でも京都人の数え方。
さすがに京都は、おっとり優雅である。
ちなみに、昔は「いち、にぃ、さん、しぃ……」 じゃなく、「ひぃ、ふぅ、みぃ、よー、いつ、むぅ、なな、やぁ、この、と」と数えていたんだと思う。奈良時代の日本語の発音を昭和の御代にまで残していた私の祖母(参照) は、そのように数えていた。その昔は 11 のことは 「とあまりひとつ」、12 のことは 「とあまりふたつ」 とか言っていたらしいので、それを歌うように数えたらずいぶん長くかかってしまう。
というわけで、11 から先の数え方がそれぞれの地方で確立したのは、ずっと時代を下ってからだろう。だから 1 から 10 までの節はそれほどバリエーションがないが、 11 から先はかなりバラバラになっている。
「私の生まれたところでは、ごくフツーに数える」 なんていうのは、単に 「正しい数え方」 が伝承されなかっただけなんじゃあるまいか。でも最近の庄内の子供たちは、伝統的な数え方ができるのかなあ。ちょっと心配になってきた。
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コメント
私は神奈川県西部、群馬県に近い節をつけますね(でもちょっと違う)。
ただ父・祖母は三河出身なので、どちらの発音を引き継いでいるか、あるいは両親ではなく地元の発音なのか、こんど聞いてみます。
投稿: らむね | 2017年5月12日 12:18
らむね さん:
ほほう、神奈川県西部か、三河のどちらの数え方なのか、現段階では保留ってわけですね。
さて、どっちなんでしょう。
投稿: tak | 2017年5月12日 13:38