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2017年7月に作成された投稿

2017年7月31日

某焼肉店の残念な張り紙

ちょっと立ち寄ったコンビニの向かいの焼肉屋に、いかにも残念な張り紙があるのを目撃してしまった。下の写真である。申し訳ないけど、これでは「味もあんまり期待できないんじゃないか」と思わせる「副次的効果」十分なんじゃないかなあ。

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A4 サイズの用紙に 1文字ずつプリントしたものを、縦に並べて張り出しているのだが、貼る時に 「しまった、縦横を間違えた!」 と思わなかったんだろうか。「音引き」 が横方向の線になってしまっているのを、1枚だけプリントし直すのは簡単なことだし、それがいやなら、横書き方向に張り直せばいいだけのことだ。張り直すスペースは十分にある。

いずれにしてもこれだけ堂々と貼っちゃってるということは、「しまった!」とは思わなかったんだろう。つまり、縦横の間違いに気付かなかったってことだ。それに、右下に貼ってある感嘆符と 、かけ離れて存在する「ト」 というのは、一体何なんだろう? ちょっと気味が悪い。

「ウチの店、ご覧の通り、かなり無神経にやってます」という逆宣伝になっちゃってる。勘ぐるタイプの人だったら、給料の計算だってちゃんとやってくれるのかどうかアヤシいと思って、パートへの応募も思いとどまるだろう。残念な張り紙としか言いようがないなあ。

 

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2017年7月30日

「疑う(うたがう)」と「疑る(うたぐる)」

『鬢のほつれ』 という端唄がある。通称「びんほつ」と言われ、江戸末期から明治にかけて大流行したものという。今でも『梅は咲いたか』や『木遣りくずし』などとともに、端唄のスタンダードの地位を保っている。

歌詞はこんな感じ。

鬢のほつれは 枕のとがよ
それをお前に疑られ
つとめじゃえ 苦界じゃ 許しゃんせ

木村菊太郎氏の解説によれば、「深川かどこかの岡場所の女となり、情夫に鬢の毛が乱れているよ、大方俺のほかにいいのができたんだろうと皮肉られ、始めは枕のせいにするするが、身に覚えのある身の、努めの身じゃ、苦界じゃ、許しゃんせと男の膝にふす所を唄ったもの」という。なかなかの風情である。

ただ、今回問題にしたいのはこの歌そのものではなく、例によって「言葉」にこだわった話である。上の歌詞の 2行目、「疑られ」(読みは 「うたぐられ」)という部分だ。「疑われ」ではなく「疑られ」なのである。

今どきは 「疑る(うたぐる)」 なんて言い方をする人は滅多にいなくなったが、昭和 30年代ぐらいまでは案外ポピュラーな言い方だったと記憶している。とくに東京下町あたりではよく使われたんじゃあるまいか。

『大辞林』によれば【「疑る」 は「うたがう」よりも俗な言い方】となっていて「疑るような目つきをする」「疑りなんすならなんでもしいせう」(洒落本 『傾城買二筋道』)という用例が紹介され、可能を表す場合には「うたぐれる」になるとされている。受け身の「うたぐら(れ)る」とは別の形になるのだね。

『大辞林』は「俗な言い方」としているが、実は文豪・夏目漱石だって堂々とこの言い方を繰り返している。

私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。 (『こころ』より)

してみると、漱石の頃は 「疑る」 という言い方はかなり一般的だったようで、むしろ粋な言い方のようにも感じられる。「疑う」と「疑る」の間には意味の違いはほとんどなくて、あるのはニュアンスの違いのみのようだ。強いて言えば、「疑う」の方が即物的なニュアンスがやや強いのかもしれない。

『鬢のほつれ』 の歌詞も、「それをお前に疑われ」と歌ってしまっては、ちょっと風情がなくなってしまうだろう。言葉というのは、本当に生き物のようなところがある。

 

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2017年7月29日

「私の iPad のパスワード、教えて下さい」 と言い出す人

昨夜、知り合いの女性からいきなり電話が入った。「tak さんが去年、設定してくれた N さんの iPad、起動してログインする時のパスワード、教えて下さい」と言う。うむ、そういえば確かに、 N さんという女性の iPad を設定してあげたことがある。

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事情を聞くと、その女性は某サークルの幹事を N さんから引き継ぐことになり、iPad も引き継ぐことになったのだという。そういえば確かに N さんは 「これはサークルからの預かり物」と言っていた。しかし N さんはせっかく預かった iPad をまともに使ったことがなく、起動時のパスワードすら忘れてしまったので、引き継いだ iPad にログインできないのだそうだ。

私はこれまで 20人以上のオッサン、オバサンの PC やタブレット、スマホなどの初期設定を手伝ってあげたことがあるが、本体起動やメール閲覧の際のパスワードなんて、礼儀としてすぐに忘れてしまうことにしている。だから 1年以上経ってからそんなことを聞かれても 「そんなの、覚えてませんよ」と言うしかない。

しかし 「あの時、設定してくれたパスワード、もう一度教えて下さい」という電話をもらうことは、決して珍しくない。あれだけ「ちゃんとメモしておいてくださいよ」と言ってるのに、すぐに訳がわからなくなっちゃうようなのだ。設定して間もなくだと、まだ思い出せることもあるが、時が経ったらもう無理だ。

この手の人たちは、どうせちゃんと使いこなせるようになんか絶対にならない。本体起動時のパスワードとメールのパスワードは別物だと、何度教えてあげても理解できないし、「玄関を入る時の鍵と、メールのお部屋に入る時の鍵は別なんです」と譬え話をすると、「その鍵は、どこで買えるんですか?」なんて言い出す。

今回問題の N さんなんて、iPad を設定してあげた際に「パスワードをちゃんとメモしておいてください」と言うと、なんだかテキトーなチラシの裏なんかにメモしてるので、「かなりアブないなあ」とは思っていたのである。そして彼女は初期設定が終わったばかりの iPad を、あの Apple ロゴ入りのきれいな白い箱 (作りがきっちりしすぎてて、ふたを開けるのが大変なやつ)にていねいにしまうのだった。

「あ、しまっちゃダメ。そんなのにしまったら出すのが面倒ですから、出しといて、いつものぞいてみるようにしてください。しょっちゅうメールが入るはずだから」と言ったのだが、「いえいえ、預かり物ですから、大切にしまっておきます」と、上品な笑顔を浮かべてのたまうのだった。多分あれから一度もさわってないと思う。

電話をしてきた女性に、「N さんから引き継いだ iPad、どんな状態でした?」と聞くと、「買ったままみたいに、箱にきれいにしまってあったけど、バッテリーはすっかり空になってました」と言う。ほぉら、やっぱりね。一度も出していないから、充電だってしてるはずがない。

しかたがないから、その iPad はリセットしてイチから設定し直すことを薦めた。彼女の息子がそっち方面に詳しいらしいので、やってもらえるという。その女性は一応 iPhone ユーザーなので、初期設定してもらいさえすれば、メールのやりとりぐらいはできそうだ。やれやれ。

 

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2017年7月28日

ネットはスマホでする時代

LINE が今年 4月に実施した「インターネットの利用環境 定点調査」によると、週 1回以上の 「アクティブな利用者」の半数近くが「スマホのみを利用」と答え、とくに 10代では 70%に達しているという。「週 1回以上」というのが「アクティブな利用者」と言えるのかどうかは別として、日常生活では PC がスマホに取って代わられているのが確実なようだ。

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上の図は LINE の調査によるものだが、19〜59歳のネット利用者全体でも 85%がスマホを利用しており、中でも「スマホのみ」というのが半数近くの 46%に達して、「スマホ + PC」の 39%を上回っている。PC 利用者は 46%で、「PC のみ」はわずか 6%でしかない。

私は 10年以上前の 2006年 11月に、「PC の時代は 2015年で終わり?」という記事を書き、そして 2012年 4月の「メール利用と、そのデバイス」という記事で、「『PCの時代の終わり』は既に現実になった」と書いた。2015年に終わるはずだったのに、3年前倒しになったわけだ。この分野の時代の流れは速い。

私はだいぶ前から「オフィスワークや専門的研究に使うのでもない限り、PC はトゥーマッチ」と言ってきたが、それがようやく当たり前の現実になったようだ。ただ、20代の PC 利用率は 52%というのだが、卒論なんかはどうしてるんだろうと心配になる。今どきの大学生の提出する卒論はやたら短いらしいから、スマホで十分なんだろうか。

それから、私は先月 20日に書いたように LINE が嫌い(参照)なので、最後にちょっと嫌みを言わせてもらうが、上に紹介した LINE 作成の図は、どうみても円の面積が数値とかけ離れすぎている。スマホ利用者を表す 「86%」 という円の面積が、PC利用者を表す 「46%」 という円の 3倍以上に見えるよね。

上図では、どうやら数値と連動しているのは円の面積ではなく直径のようで、そのため面積では 3倍以上の差に膨らんで見えてしまう。「スマホのみ」の「46%」と、「スマホ + PC」の「39%」というのが、見た目の面積で比較すると、とんでもない差に印象づけられる。

どうしても円を使いたかったのなら(実はその意味もあまりないと思うけど)、直径じゃなく面積で視覚的な比較ができるように、きちんと逆算して直径を出すべきだった。というわけで、ざっとした図だけど、数値に近い印象のものを代わって作ってあげたので、下に貼っておく。どう? 上のものとはずいぶん違うでしょ、LINE さん。

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2017年7月27日

住協という会社の CM

カーラジオを聞きながら長距離運転をしていると、「住協の家は大工さんや職人さんも買っています」という CM がよく流れる。私はこれを聞く度に、「じゃあ、大工さんや職人さんも、自分の客に正直に住協を勧めろや」と思っていた。

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つまり「大工さんや職人さんは、自分の造る家なんかより住協というハウスメーカーが提供する家の方がずっといいと思っちゃう」って意味かと思っていた。「この CM、一体何なの?」という印象だったのである。

この疑問、住協というハウスメーカーのウェブサイト(参照)に行ってみて、ようやく解けた。トップページに載っているのは、いかにも現場の大工さんや職人さんという風情の人たちがズラリと並んで、「私たちも買っています!」というメッセージを発する写真だったのである。

なんだそうか、住協の家の実際の施工をする際の下請けの職人さんたちが、自分の家を買う場合でも住協の家を買っているわけね。自分で仕事してるんだから、そりゃ手抜きもなしに造ってるんだろう。最もリスクの低い買い物だ。

いわば「トヨタの下請けの仕事をしている人もトヨタのクルマを買ってます」というのと、それほど変わらない構造のお話だったわけだ。なるほど、なるほど。

で、今回のお話は「それがどうした?」と聞かれると、「え、えぇと、つ、つまりそれだけのことです」と答えるしかない、住協というハウスメーカーの評判をネットで調べると、購入者の多くは結構満足しているみたいなので、まあ、それでいいわけなのだが、CM に関しては、ちょっとわかりにくいよね。

 

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2017年7月26日

晴れて「高齢者」の称号を獲得したのだが

私は今日が誕生日で 65歳となり、晴れて「高齢者」の称号を獲得した。まあ、気はいつまでも若いつもりだし、パッと見も高齢者っぽくはないが、どうせそうなるのだから、早く区切りをつけてしまいたくて、最近はこの日を心待ちにしていたほどである。

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いつ年を取るかということに関しては、日本の民法では「誕生日の 1日前に加算される」ことになっているらしいので(参照)、実は私も昨日のうちに高齢者になったわけである。とはいえ、気持ちとしての「区切り」は、やっぱり誕生日となりがちだ。

「高齢者」となったからには、それなりの恩恵を享受しようと思って調べてみると、思ったほどの特典はないとわかった。(参照

まあまあ使えるかもしれないと思ったのは交通機関のシニア割引で、ANA と JAL が、全国どこでも 13,300円で行けるサービスを実施している。ただし、「予約はできず当日空席がある場合のみ利用可能」というのが、ちょっと辛いかもしれない。それなら早めの予約で割引を受ける方がずっと得だったりする。

「JR 東日本・大人の休日倶楽部ジパング」というのは、JR 東日本、JR 北海道区間の 201km 以上の切符を何回でも 30%割り引きで購入できるサービスだ。しかし年会費が 3,770円というので、滅多に旅行しない人だと元が取れない。私の場合は年に 10回以上出張で遠方にでかけるが、自腹で会費を払っても交通費はクライアントに請求するので、メリットはあまりない。

小売業のサービスにしても、毎月 5日とか 15日とかに買い物をすると 5%割引になるとかいうのばかりで、大したメリットはない。よほど大きな買い物をするというなら別だが。

居住地域の高齢者向けサービスというのもあるが、私の住んでいる自治体は、寝たきりとか認知症とかにならないと、これといったサービスは受けられないようだ。私がそうなるのはかなり先だろう。

というわけで、勇んで高齢者になってはみたものの、期待したほどの特典はないみたいなのだ。なんだ、期待して損した。

 

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2017年7月25日

裏で初めから決まってるのは、加計学園問題だけじゃない

昨日の衆議院予算委員会での閉会中審査で、加計学園の特区への申請を知った時期について質問された安倍首相は、「1月20日に申請が正式決定した時点」と、白々しい答弁をした(参照)。まあ、言わせておこう。本当にそんな呑気なことだったら、首相なんて務まらない。

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お役所のやることなんて、大抵のことは初めから裏で決まっていて、表向きの会議は単なるセレモニーにすぎない。そのことについては、5年前に "国の施策なんて、大抵「秘密会議」で決まる" という記事で書いている。

私は昔(といってもそんなに大昔じゃない)、複数の公的な団体に在籍したことがあって、その関係で政府や東京都が実施するいろいろなプロジェクトの「諮問委員会」なんてものに参加させられることがあった。公の施策は、その「諮問委員会」の出した結論に沿って実施される形になっているのだが、実はその内容なんて、初めから裏で決まっているのだった。

諮問委員会の委員は、業界団体代表として「並び大名」のごとくに顔を連ねさせられるが、ほとんど全ての場合は、「業界の意見を広く吸い上げました」という形式的なアリバイを作るためのダシに過ぎない。会議なんてまったくの予定調和で、あれよあれよという間に進行してしまうのだから、委員が口を挟む隙なんてほとんどないのだ。

たまに当然のことをしつこく質問したり食い下がったりする委員がいるが、そんなのは「空気を読めないヤツ」として白眼視される。どんなに食い下がっても、結局のところはうやむやのうちに無視されるに決まっているのだから、私はこんな委員会ではほとんどシラけているだけだった。

総理大臣が直接関与するほどのものでもない小さなプロジェクトに関しては、諮問委員会を開く前に現場と官庁の役人が「プレ・ミーティング」などと都合の良い名前を冠した秘密会議を行って、概要はこっそりと決める。一方、かなりエラい人が関与しているような利権性の強い案件に関しては、さらに秘密性の高い場を作って、粛々と進行させるのだろう。

だから例えば総理大臣なんかは、プライベートで親しくしている人間が密接に関与しているプロジェクトなんかに関しては、少なくとも公式の場では「彼のこと、よろしく頼むよ」なんてことは言わない。そんなことは言わなくても、これ見よがしに一緒にゴルフや会食をしてさえいれば、周囲は思いっきりソンタクしてくれる。そもそも、それが一番の問題なのだが。

つまりたいていの場合は、最高権力者は具体的なことは言わなくても、周囲が勝手にいいようにしてくれるのである。というわけで、今回にしても「初めから加計ありき」だったなんてことは、すべての状況証拠からして、そりゃもう言うまでもないことだ。

安倍さんという人は、憲法改正だの靖国だの教育勅語だのを大きな声で言いさえすればすぐお友達に加えたがるような人らしいので、政界にも民間にも、妙なお友達をいろいろ単純に作りすぎたんだろうね。人を見る目がなさ過ぎなので、そのお友達ラインから自己崩壊が始まっている。

 

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2017年7月24日

土用丑の日に休業する鰻屋さんの志

明日は土用丑の日なのだそうで、新聞のチラシは鰻蒲焼きのオンパレード。テレビやラジオもウナギ、ウナギで盛り上がっている。ただ私はだいぶ前からウナギとマグロは食わないことにしているので、とろっとした蒲焼の写真なんか見ても全然そそられない。

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私がウナギとマグロを食わないことにしたのは、ケチっているというわけでは決してない。わざわざ絶滅危惧種を選んで自分の口に入れてしまうのは、いかにも夢見が悪いからである。種の多様性を守ることと、ウナギやマグロを食うこととどっちが大切かと言われたら、そりゃ種の多様性を守る方がずっと大切だ。

この間の事情については、過去に書いた中の、次の 3本の記事を読んでいただけばよくわかっていただけるだろう。

当面、ウナギとマグロは食わないことにする (2013.6.14)

「ウナギとマグロは食わないことにする」 ということについて (2013.8.3)

ウナギを食うのは早めに諦める方がいい (2016.9.26)

こんななかで、朝日新聞が "土用の丑、今年は2回 「ウナギ守るため」休業の店も" という記事を書いてくれている。以下に引用する。

6月下旬、専門店 「うなぎ高瀬」(東京都八王子市)の 「土用の丑の日は休業します」 という店内の貼り紙を、客がツイッターに投稿した。多くの客が訪れることで丁寧な接客が難しくなるほか、稚魚の減少に触れて「資源を大切に守り、日本の食文化 『鰻 (うなぎ)』 を未来に残したい」 などと理由が書かれていた。

私は個人的にはウナギは衰退産業だと思っている。まともな国産ウナギは高すぎるし、安い中国産のウナギはどんなアブない餌で育っているか知れたものではない。いずれにしても、きちんと考えれば考えるほど、自分の口に入れるものではないという気になる。

上記の 「ウナギを食うのは早めに諦める方がいい」 という記事の中で、私は次のように書いている。

そろそろ日本人も、「ワシントン条約のせいでウナギが食えなくなってしまう」 などという、根拠のない被害者意識で捉えることを止めなければならない。本当のところは、日本人がウナギを食い過ぎるからワシントン条約で規制しなければならないところまできてしまったのである。うなぎの視点からは、日本人は加害者なのだ。

しかし街の鰻屋さんにまで 「そんな仕事はお辞めなさい」 という気はない。いずれにしても規模的な衰退は免れないだろうから、早めに将来を考えた方がいいだろうが、そうした中で 「食文化を守る」 というギリギリのラインで踏ん張るというのは尊いことだ。その意味でも 「うなぎ高瀬」 さんの決断は、なかなか潔いものだと思う。

こうした志の鰻屋さんがいる限り、日本文化は大丈夫という気がする。こちらをクリックすると、Twitter での 「うなぎ高瀬」 さんに関する投稿を読むことができる。なかなか素晴らしいお店のようだ。

ただ、いずれにしても私は食わないし、一般的にも、「ああ、そういえば、10年前に一度食ったことがある。確かにおいしかったなあ!」 ぐらいで十分じゃないかという気がしている。

【7月 26日 追記】

ついに保護団体も 「安いものは密漁された可能性が高く、食べないでほしい」 と呼びかけるまでになったようだ。私は安かろうが高かろうが、食べないけど。

 

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2017年7月23日

艶歌のオッサンが HIPHOP にすり寄ろうとしたけれど

"「政治って意外とHIPHOP」 自民・新潟県連の政治塾ポスターに批判" という記事に、申し訳ないが笑ってしまった。というのも、わずか 6日前に 「艶歌を聞かない若い世代は、選挙に行かない」 という記事を書いたばかりだったのでね。

 

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6日前の記事は、こうしてみると案外タイムリーなヒットだったかもしれない。虫が知らせて書かせてくれたのだということにしておこう。

自民党新潟県連としてはこのポスターで、精一杯若い世代にアピールしようとしたのだろうが、所詮「艶歌しか聞かない人たち」と思われているので、実際の若い世代からしてみると、わかりもしない連中に自分たちの文化が汚されれてしまったような気がしたに違いない。共感を得ようして、反発をくらってしまったわけだ。

というか、おもねるつもりが、結果スベっちゃったというのが、一番かっこわるい。まあ、実は最もセンスがなかったのは、こんなの作っちゃった広告代理店なわけだけど。

私はもうオッサンの年になっちゃってるから(艶歌は聞かないけど)、「はいはい、自民党も少しは若い世代に近付こうとしてはいるのね、かなりズレてるけど」と、笑って済ませてあげてもいいような気もするのだが、当の HIPHOP 世代としてはマジにムカついてしまったのだね。つまりそれほど、政治の世界に対する反感、というか、「まぁったく関係ない世界」と思う意識が強いわけだ。

私は 6日前の記事の最後を "あの世代のオッサンたちが消えてしまわないと、もっと直接的に言えば、あの世に行ってもらわないと、若い世代が政治の世界を 「自分たちと関係のある世界」 と感じるのは無理なのだ" と締めくくったが、本当にそうだということなのだね。

 

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2017年7月22日

「引用」 ということについて

ちょっと古い話で恐縮だが、京都大学の山極壽一総長が今年の入学式の式辞でボブ・ディランの『風に吹かれて』(Blowin' In The Wind)の歌詞を引用し、その式辞をそのままサイトに掲載したところ、JASRAC から「著作権料請求」を匂わせる連絡があったらしい。結局は「引用」と判断され、請求はされなかったが、JASRAC としてはあわよくば金を取ろうと思ったんだろうね(参照)。

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明確に決められているわけじゃないが、慣習として全体の分量の 1割程度なら正当な「引用」と判断され、著作権侵害にはあたらない。今回の式辞も、結局は沙汰止みになったが、放っておいたら JASRAC は取れるものなら(あるいは「取れないもの」まで) どんどん取ってしまおうとするだろう。

さすが京都大学。よくぞ「毅然たる無視」を貫いてくれた。

ところで最近「無断引用」という言葉を目にすることがある。最近では 「陸奥新報嘱託記者が無断引用=作家の随想、懲戒処分-青森」というニュースがあった。これ、なんとかならんもんかなあ。

「引用」というのはたいてい「無断」でするもので、出典を明らかにしてさえいれば問題ない。逆にいちいち許可なんて求められたら、うっとうしくてしょうがないだろう。上記の記事に関しては、「無断引用」ではなく「盗作」とか「剽窃」とか言うべき行為である。

「盗作」 というとどぎつすぎると思うためか、「無断引用」 なんてボカした言い方が増えているようなのだが、これは明らかな誤用というほかない。こんな程度の曖昧な意識だから、JASRAC がのさばるのである。

 

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2017年7月21日

マクルーハン 生誕 106周年なんだそうだ

Google に行ってみたら、見慣れぬロゴが表示されていて、ちょっとクリックしてみると「マーシャル マクルーハン 生誕 106周年」と表示された。「ふ〜ん、そういえばそんな人いたなあ」 ぐらいの感覚だが、よく考えてみると、私自身も案外影響を受けているのかもしれない。

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マクルーハンが生きていたのは 1911年から 1980年までの間だから、死んでからもう 40年近く経つ。フツーの社会学者だったら、「過去の人」扱いされてもおかしくない。しかし私の学生時代に出てきた彼の新しい主張は、今でも新鮮さをもっている。

私はお恥ずかしいことに、マクルーハンの著書は 1冊も読んでいない。しかし彼のアフォリズム的なもの言いはかなり注目されていて、「メディア自体がメッセージである」「テクノロジーやメディアは人間の身体の『拡張』である」 「メディアには『ホット』と『クール』がある」などはかなり知られている。

とくに「メディア自体がメッセージ」というのは、「なるほど」と頷ける。同じニュースでも、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットなど、異なるメディアを経由すると受け取り方が確かに違う。というか、異なる受け取り方をするそれぞれの人間が、受け取る際にメディアを選択していると言っていいだろう。そのため、メディアは受け手に合わせてさらに明確な特性を得ることになる。

さらに「テクノロジーやメディアは人間の身体の拡張」というのは、私の考え方のベースみたいなものともなっている。大昔に書いた「コンピュータは 『脳みその大腸菌』」というのは、栗本慎一郎氏の思想にヒントを得たものだが、元々はマクルーハンの思想ともいえる。この記事は 15年前の日付となっているが、元になったのはさらにその 5年前に書いたコラムである。

マクルーハンが死んでから 17年後だ。それを思うと、マクルーハンってすごい。

マクルーハンはとてもキャッチーなフレーズをどんどん提供してくれていたが、そのスタイルこそがメディアの変化を先取りしていたのだろう。彼の時代にインターネットがあったら、ものすごい影響力を発揮していたと思ってしまう。

 

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2017年7月20日

白内障の手術をした

このブログの 6月 8日付7月 2日付で書いたように、白内障の手術をした。もう 10年も前から眼科にかかると「白内障の『ケ』(『ケ』 って何だ?)がありますが、まだ手術をするほどではありませんね」と言われていたのだが、ここまできて、ついに『手術しちゃいましょうということになったのである。

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手術は今月 11日に、両目いっぺんにやった。ちょっと前までは、白内障の手術は数日おいて片目ずつするというのが常識だったようで、「両目一度にやる」 と言うと、手術経験者に「そんなバカなことがあるか。ちゃんと医者に確認した方がいい」と怒られていたが、最近の技術と機器の進化のおかげで、やっぱり同じ日に両目の手術ができちゃたのである。

目の手術というのはさすがに緊張してしまって、神経がどっと疲れる。片目の手術に要する時間は 15分足らずだったと思うが、まず右目が終わった時点で、「まだ半分で、これから同じことを左目でやるのか。もう勘弁しておくれ!」とヒイヒイ言っていた。しかし結論から言うと、両目一度にやるのは正解だったと思う。というのは、何日かおいてしまったら再び眼科医に足が向くかどうか自信がない。

手術直後は、目が安定せずに視界がぼやけ気味だったが、だんだんとよく見え始め、2時間ぐらい経って帰る頃には「世界はこんなに美しいものだったのか!」と感動するほど視界が一変していた。とにかくもやが晴れたようにモノの輪郭がすっきりと見え、さらに色彩が瑞々しいほどきれいなのである。これまではよほど歪んで濁った世界を見てきたようなのだ。

手術後 1週間は、目に雑菌を入れないために顔を洗うのと洗髪は御法度と言われたので、この夏の暑い中を清浄綿で拭き拭き耐えていたが、一昨日やっとシャンプーできてすっきりした。その意味では、白内障の手術は涼しい時が本来の「旬」なのだろうが、まあ、今回は仕方がない。

目の具合がすっかり安定するには 1ヶ月ぐらいかかるそうで、確かに今はまだ、細かい作業を続けると目が疲れる。ただし、これまでのように、PC に 1時間向かうと目がウロウロになって開けていられなくなるなんてことはなくなった。今月 26日が誕生日で、晴れて 65歳の「高齢者」の称号を得るのだが、その前にかなり若返ったような気になってしまっている。

 

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2017年7月19日

関東の梅雨明けと、蓮舫氏の戸籍公開

今日、関東甲信、東海、近畿、中国地方が一気に梅雨明けしたと発表された。ただ少なくとも関東に関して言えば、ずっと前から「梅雨ってもう、明けてるよね」という感じだったから、古きよき日の梅雨明け宣言ほどのすかっとした嬉しさはない。

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問題は、こんなに早くから真夏日が連続する暑さに突入してしまって、この夏は一体どんな酷暑になってしまうんだろうということである。このままだと、8月初旬なんて死ぬほどの暑さになってしまうんじゃなかろうか。

ちょっと都合良く考えると、天気というのは季節の終わりに締めてみると案外帳尻合わせをしてくれているものなので、8月に入る頃にはぐずついた天気が続いて、猛暑日なんてことになりにくく、お盆過ぎには案外早く秋風が吹くなんてことになるんじゃあるまいかなんて期待してみたくなる。しかしその反対にますます熱くなって、その帳尻は厳冬で合わせるなんてことになったら、大変なことになる。

話は変わって、民進党の蓮舫代表が戸籍の一部を公開したらしい。直前まで「公開する」と言ったり「排外主義者・差別主義者の方たちに言われて公開することは、絶対にあってはならない」と言ったり、態度がコロコロ変わっていたが、「本来あってはならないことまで、特例としてやってあげたんだから、もう文句ないでしょ」というココロのようだ。

しかし現実的には「もう文句ない」というわけじゃない。今回の公開で「ずいぶん長い間、二重国籍のまま国会議員を務めるという違法状態にあったわけなのね」という事実が客観的にも証明されたわけだ。これに関しては、「公職につくものとして深く反省している」の一言であっさり済ませている。

私自身は、蓮舫氏の戸籍なんて見たくもないが、公開が遅れたのは、これまで「子どもが成人前だったから」という理由らしい。しかし子どもの情報まで公開したわけじゃないから、それは筋の通った理由とは到底思われない。とにもかくにも他人には厳しく、自分には甘い人のようだ。

世の中には、この問題の根底には「排外主義、差別主義がある」と主張する人もいる。毎日新聞のの編集委員、与良正男氏もその一人のようだ(参照)。私なんかこうした主張に接すると、当人の中にそんな意識があることの裏返しなんじゃないかと疑ってしまう。

少なくとも私が問題にしているのは純粋に法的な「国籍」であって、「出自」なんかではない。どんな血が流れていようと、肌の色がどうであろうと、法的にすっきりと「日本国籍」ならば(「すっきりと」というのは、二重国籍問題などをクリアしていればということ)、日本の国会議員になるのに問題はない。

そんなのは言うまでもなく当然のことだ。「いくら日本国籍をもっていても、流れている血が違うのは......」なんて言う人は、それこそ日本の恥である。「あんたの好きな『八紘一宇』(世界を一つの家とする)はどこに行ったの?」と聞いてみたいものだ。

というわけで、蓮舫氏の今回の戸籍公開は、今年の梅雨明けと同様、「それがどうした?」ということでしかない。

 

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2017年7月18日

登山ブームで低山での事故も増えているらしい

登山ブームで、首都圏の低山でも死亡事故を含む遭難が増加していると、読売 Online が報じている。(参照

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警察庁によると、昨年の山岳遭難は 2495件、2929人と、共に過去 2番目に多く、死者・行方不明者は 319人。低山が多い首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)に限ると、件数、遭難者数とも5年連続増で、昨年は 34人が死亡。今年も遭難は多発しており、最高峰が 400メートル強しかない千葉県でも、5月末までに 3人が死亡した。

昨今の登山者は結構高年齢者が多いようで、元気な人も多いが、中には途中でヨレヨレになっちゃう人もいる。グループ登山でリーダーがしっかりしていればいいが、単独行なんかだとどうしようもなくなるケースもあるだろう。

私が昨年(ありゃ、それとも一昨年だったかな?)付き合った高齢者のグループ登山(赤城山に登ったのだよね)でも、途中でへたり込んでしまった人がいる。回復を待ったので、下山したのは計画より 2時間遅れで、辺りは薄暗くなりかけていた。

よれよれになっちゃった人は、高齢になってから周囲に誘われて登山を始めた人で、見るからに体力がありそうにない。少しは普段からトレーニングすればいいのだが、ほとんどぶっつけ本番だったようだ。

「山を甘く見た」と言えばそうに違いないが、こうした人は単独行なんか絶対にしないから、死ぬなんてこともまずない。危ないのは若い頃に多少登っていて、久しぶりに一人で登ってみたなんて人だろう。いくら若い頃に登っていても、オッサンになって腹が出まくった状態では、途中でへばって当然だ。

それに低山ほど甘く見るから危ない。375メートルしかない鋸山で死ぬなんて、ちょっと考えにくい話だが、考えにくい話だからこそ危ないのだ。

私としても、3000メートル峰にガンガン単独行しまくっていた若い頃に比べたら、体力は相当落ちているし、バランスも悪くなっているのを自覚する。あの頃みたいなハードな山登りなんて到底無理だと思う。低山ハイクで遭難なんて恥ずかしいことにならないよう、気をつけよう。

 

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2017年7月17日

艶歌を聞かない若い世代は、選挙に行かない

コンビニの店先でウンコ座りしてたむろする若い連中を追い払うのは簡単なことで、スピーカーで小さく艶歌を流せばいいらしい。艶歌が聞こえてくると、ニイチャンたちは居心地悪く感じて、自然にいなくなってしまうのだそうだ。 「ここは俺たちの世界じゃない」 と思ってしまうようなのである。

 

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選挙で若い連中の投票率が低いのも、実は「コンビニ店頭の艶歌」と共通する効果(逆効果?) によるものだと気がついた。若者たちは政治の世界を感覚的に「居心地悪い」ものと感じており、そのため自然に投票から足が遠のく。「俺たちの世界じゃない」と思っているのだ。

議員のオッサンたちの様子を見れば、それはよくわかる。年齢的には完全にオッサンの私でさえ「あいつらとは絶対に一緒にメシを食いたくない」と思ってしまうのだから、若い連中が居心地悪く感じるのは当然のことだ。よほどの義務感でもなければ、進んで「選挙に行こう」なんて思わない。むしろ「関わりを持ちたくない」世界なのだ。

今の政治の世界は、「艶歌世代のオッサンたち」の感性で成立しているので、若い世代とは下手すると言葉すら通じない。こればかりは「感性」の問題だから、いくら「社会を変えるのは選挙を通じてしかできない」なんて「理屈」を振りかざしても、若者の足を投票所に向ける力にはならない。それは、オッサンたちにとって EXILE のライブが、地球の反対側に行くより縁遠いものと感じられるのと同じである。

あの世代のオッサンたちが消えてしまわないと、もっと直接的に言えば、あの世に行ってもらわないと、若い世代が政治の世界を 「自分たちと関係のある世界」と感じるのは無理なのだ。

 

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2017年7月16日

「旅館」という施設には、できるだけ泊まりたくない

『新・観光立国論』 で山本七平賞を受賞したデービッド・アトキンソン氏が、東洋経済 Online で "外国人が心底ガッカリする 「日本の旅館事情」" という記事を書いている。日本の「旅館」は、外国人の富裕層が泊まるには多くの問題がありすぎるという指摘だ。

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この記事は富裕層向けの高級旅館に限った話だが、実はごくフツーの旅館も問題ありすぎだ。私は年間 20回以上いろいろな地方に出張するが、宿泊はビジネスホテル専門で、日本に生まれて日本で育った日本人なのに、よほどの事情でもない限り「旅館」と名のつくところには泊まりたくない。

旅館というのは、とにもかくにも宿泊料金のコストパフォーマンスが悪すぎる。地方のビジネスホテルでは、6,000円も出せばまともな部屋に泊まれる。5,000円で簡単な朝食付というのも珍しくない。

ところが、旅館だと同じ値段で部屋が「バス付き」でないことが多いのである。温泉旅館ならまだいいが、家庭用風呂に毛が生えたようなのに交代で入らされることも珍しくない。こんな風呂だと大抵排水が悪く、シャンプーし終えて目を開けてみると、泡だらけのお湯が排水口から溢れて、足をヒタヒタにしているなんてことも覚悟しなければならない。さらに「トイレ共同」なんてのもざらだ。

最近ではかなり改善されたが、それでも「布団が短すぎることがある」というのも要注意ファクターだ。私は日本人としては長身のため、冬の東北や北海道で短い布団に遭遇すると、足が冷えて往生してしまう。押し入れから予備の掛け布団を引っ張り出して、すっぽりと足を覆わなければならないが、下手すると予備の布団がないこともある。

また、「割烹旅館文化」というのも始末が悪い。昔、某地方都市に出張した際に、訪問先の会社の世話で、その町に古くからある割烹旅館に泊まらされた。夕方過ぎに部屋に通されてお茶を飲んでいると、さっきまで訪問していた会社のお偉方がいきなりずかずかと上がり込んできたかと思うと、あれよあれよという間に酒肴が運ばれて、酒盛りになってしまった。

何のことはない。あの人たち、その旅館の女将とツーカーになっていて、出張してきた人間をダシにして経費で飲み食いしたいのである。それで「おもてなし」と勘違いしてるから始末が悪い。私は酒の無理強いとご馳走攻めは苦手だから(参照)、これ以後、この町に宿泊するスケジュールは絶対に組まないことにした。

そうそう、ビジネスホテルでは常識の LAN や Wifi のサービスが、旅館ではほとんど期待できないのも困る。今どきはスマホ経由でインターネット接続できるからまだいいが、それだとスピードが遅いしね。それに夜になってから座卓に座椅子でデスクワークすると、腰にきてしまうのもしんどい。

というわけで、私は「旅館」という施設にはできるだけ泊まらないようにしている。どうやら、ライフスタイルというか、旅のスタイルが全然合わないようなのだ。上の写真をみても、70歳過ぎか、一時の非日常性で盛り上がるギャル以外は喜びそうにない雰囲気である。

 

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2017年7月15日

「加計さん」 という名字を巡る 冒険

加計学園問題で、日本に「加計」と書いて 「かけ」 と読む名字があることを初めて知った。Wikipedia の解説によると、加計勉氏が 1961年、岡山市に「加計学園」を創立したのが、 「加計学園グループ」の始まりだそうだ。

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「加計」と書いて「かけ」と読むのは、ちょっと意外と思われるかもしれないが、実は「か」と「け」という平仮名は、上の画像にあるように、「加」と「計」という漢字から作られたものである。「加」が「か」の字の元というのは誰でも知っているが、「計」が「け」の字の元というのは案外知られていない。

「計」の「ごんべん」を草書体ですらすらっと書いちゃうと、どんどん「け」の字の左側に近付いちゃう。だから、「加計さん は「かけいさん」じゃなく、「かけさん」なのだね。「かけいさん」だと、「掛井さん」とか「筧さん」とかの文字になってしまいやすいようだ。

ちなみに「名字由来 net」というサイトで「加計」を検索すると、全国では上から 17,569番目という結構珍しい名字で、日本中におよそ 290人しかいないという。その由来は次のように説明されている。

現広島県西部である安芸国山県郡加計村が起源(ルーツ)である。懸と起源をともにする。近年、山県郡など広島県に多数みられる。

なるほど、加計学園は岡山市にあるというし、広島県にルーツをもつ加計勉さんが、隣の県の岡山で学校を作ったのかもしれないと想像する。

で、ここからはまったく余計な話なのだが、「かけ」と言ったら、私はごく自然に「もり」 思い出してしまうのだよね。いうまでもなく蕎麦つながりである。

平仮名の「も」と「り」の元になった漢字は「毛」と「利」なのだが、「毛利さん」はなぜか「もりさん」じゃなく、「もうりさん」なのだよね。ちなみに「もりさん」は「森さん」一強だと思っていたが、他にも「茂里さん」や「茂利さん」「盛さん」「守さん」がいるらしい。(参照

ただ、「毛利さん」といえば最強の有名人は戦国大名の「毛利元就」で、地元は安芸国(現在の広島県)だから、ここに「かけ」と「もり」は、広島県つながりでめでたくリンクする。ちょっと無理矢理だが、このオチにたどり着いて、私は何となくすっきりしてしまったのだった。

これで、森友学園の籠池さんが広島県とか岡山県とかの出身だったら「かけ」と 「もり(とも)」の関係がより濃厚になったところだが、彼は香川県出身ということらしい。残念。ちなみに「籠池」という名字は全国で 37,603番目で、およそ 70人しかおらず、「加計さん」よりもさらに少数らしい。

 

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2017年7月14日

小池都知事とクールビズと築地

小池都知事のこれまでの最大の功績は、2005年、環境相時代に「クールビズ」を提唱・定着させたことだと思う。それ以前は、「省エネルック」 などという珍妙なスタイルがあって、大昔の大平正芳、羽田孜両首相が着用していたが、冷笑のタネでしかなかった。

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まあ、それ以後にしても民主党政権時代に鳩山さんとかが妙ちくりんなスタイルで登場してくれたりしていたが、最近に至って、ようやくフツーに見られる格好に落ち着いてきたようだ。それまでは「ムショ帰り」とか「草刈り作業中」とか、いろいろ言われていたものである。

クールビズが提唱された翌年の 6月、アパレル業界のとあるバーティで、来賓として招かれた平沼赳夫衆院議員が挨拶をする際、女性 MC が 「テレビで素敵なクールビズ姿を拝見しました」と、にこやかに紹介した。しかし登壇した平山氏はにこりともせず、開口一番「只今、クールビズ姿と紹介されましたが、自慢じゃないが、その格好は一度もしたことがありません」とやったことがある。

会場は大受けだったが、さすがに MC は真っ青になっていた。あの人たちって、結構テキトーなこと言うのだね。ちょっと考えれば、あのいかにも頭の固そうな平沼さんが、ノーネクタイで公衆の面前に現れるわけないじゃないか。

その場に居合わせた私としては、「平沼さんも、そろそろ降参してネクタイ外したら?」と思って聞いていた。そしてその翌日の当ブログに、さっそくそのネタを使わせてもらっている(参照)。思えば、あれから 12年以上経つのだね。我ながらずいぶん長く毎日更新してきたものだ。

ともあれ小池さんがクールビズをにこやかに発表した時は、「CO2 排出を抑えるために、室温を 28度以上に保ち、ネクタイを外しましょう」 という建前だった。しかしその後の成り行きをみると、室温を 28度以上にしている会社なんてほとんどないのに、ネクタイだけはしっかり外すという、完全な「骨抜き」状態になっている。

つまり日本の男性(平沼赳夫氏と小沢一郎氏を除く)は、暑い夏はネクタイを外したくてたまらなかったのに、その大義名分を見い出せなかった。そんなところにもってきて、小池さんがいいタイミングでクールビズを提唱してくれたので、温度設定なんかどうでもいいけど、ノーネクタイというスタイルだけは大喜びで受け入れたのだった。私はそのずっと前から、ネクタイなんかしてなかったけどね。

というわけで、小池さん、築地市場問題はクールビズ以上のヒットにできるだろうか。それが問題だ。

「暑い夏にネクタイなんか、締めたくないよね」という意識にうまく訴えかけたクールビズの成功に倣えば、「築地はやっぱりブランドだよね。豊洲って、ちょっと遠いし」という声にならない根強い意識にどう答えるかが問題だ。例えば、「マスを扱う豊洲」 に対して、魚介類に限らず「少量高品質の食材なら築地」といった棲み分けを訴求するとか。

 

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2017年7月13日

ホリエモンの Tシャツ炎上と、「しまむら」 の 「スウェッターズ」 CM

ホリエモンが NHK の番組に出演した時の Tシャツが、「ヒトラーを想起させる」とする指摘があったため、アナウンサーが「不快な思いを抱かれた方にはお詫び申し上げます」と謝罪したというニュースに、「どれどれ、どんな Tシャツなんだ?」と画像検索してみたら、こんなのだった。

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この写真ではちょっとわかりにくいが、ヒトラーらしき人物の隣には "No War" とのメッセージがあり、左襟にには昔懐かし 「ピースマーク」 がある。つまりこれ、反戦メッセージのシャツなのだが、NHK に抗議した人たちにはちっとも伝わらなかったらしい。

ホリエモンは「どっからどう見ても平和を祈念しているメッセージ Tシャツにしか見えないだろこれ笑」と tweet したが、そのせいでさらに炎上しちゃったらしい。でもまあ、世の中ってそんなものなのだよ。

"No War" のメッセージ部分は、画面上で読みづらいし、この中学英語の意味わからん人も多いし、もっといえば、そもそも英語なんて 「読むもの」 と思ってさえいない人だらけなのだ。そしてピースマークなんて、もう忘れ去られているのかもしれない。

英語のメッセージについてだが、「このくらいの簡単な英語なら、誰だってわかるだろう」と思うのは、甘すぎるのである。何しろ多くの日本人にとっての英語は、単にもっともらしい「模様」に過ぎないのだ。これは肝に銘じていい。

Tシャツで思い出したのだが、例えば、えぇと、社名出さざるを得ないけど、今、「しまむら」店頭にはこんな看板が飾られており、ウェブサイトにもがでかでかと掲げられてある (参照)。

 

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「みんなの! みんなの!! 汗の スウェッターズ」って何かと啞然としたが、とりあえず、大文字の ”T" に着目して 「みんなのスウェット Tシャツ」 というココロなんじゃあるまいかと思っていた。「スウェッターズ」には依然として引っかかっていたけどね。しかしこの精一杯の親切な深読みは、TV CM で見事に裏切られた。

なんと、"sweaT's" で 「スウェッターズ」 と読ませたいらしいのである。いやはや、こんなの、CM を見なけりゃ誰もわからないよね。

ちなみに ”sweater" といえば「セーター」のことだが、最近は "t" を重ねて "sweatter" でスウェットシャツを指す言い方が、徐々に認知されつつある(参照)。言葉は生き物だから、これは認めるにやぶさかではないが、こなれた英語の発音であればあるほど、"sweater" と同じにしか聞こえないってことはあるだろう。

ともあれ、いくら何でも "sweaT's" で 「スウェッターズ」 とは乱暴すぎるだろうし、もっとはっきり言えば「ダサすぎ」だ。ただ、これだけ堂々とやられたら「まあ、お好きなように」と言うしかない。

というわけで、ホリエモン、"No War" と書いてあるからといって、メッセージがきちんと通じるわけじゃないのだよ。この国では、英語は単なる飾り文字か、勝手な造語のネタ以上の何物でもないのだから。

 

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2017年7月12日

蓮舫さん、戸籍公表で済む問題じゃないよ

民進党の蓮舫代表が、自分の戸籍を公表する意向なのだそうだが、それに関して、いろいろな意見が乱れ飛んでいるようだ。

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このブログで一昨日も書いた(参照)ように、民進党内部から「戸籍を公表すべきだ」との指摘が出る一方で、山口二郎法政大教授は Twitter で「政党の消長よりも、日本における基本的人権にかかわる重要な問題」「公的な活動、発言をするときに、自分は真正な日本人であることをいちいち挙証しなければならないなんて、全体主義国家だ」と書き込んでいる。(参照

この山口氏の発言にはいささか違和感を覚える。ちょっとモノを買う時だって、「原産国表示」が義務づけられている世の中で、自ら「中国製」と言ったり「日本製」と言ったり、「どっちだか曖昧だったけど、やっぱり日本製でした」では、信用なくすではないか。いわんや政治家においてをやである。

モノと人間を一緒にしちゃ申し訳ないけど、問題は「国籍そのもの」よりも「信用」なのだ。彼女が中国人だから、あるいはだったから、どうこうという問題ではなく、彼女自身がこれまで色々矛盾することを言ってきたことが問題なのだ。

私としては別に今さら、蓮舫代表の戸籍なんて見たくもないし、確かに公表なんてしなくてもいいと思う。そもそも公表されたからって、蓮舫代表の「嘘つきイメージ」が覆るわけじゃない。要するに「何をしても、もう遅いよ」ってことだ。

いずれにしても、蓮舫代表は戸籍を示して「はい、ご覧の通り、私は日本人であり、二重国籍疑惑は晴れました」として、「本来なら公表すべきじゃない戸籍まで公表したんだから、この問題に関してはもう一丁上がりよ!」としたいのだろう。しかし繰り返すが、コトの本質はそんなところにあるのではない。

一昨日のブログでも書いたことだが、蓮舫代表の国籍に関する発言は、これまでも二転三転してきている。要するに、その時々で都合のいいことを言っており、過去の自分の発言と矛盾する発言を臆面もなく繰り返してきたのだ。つまり本当の問題は彼女の国籍問題というより、「過去の発言に責任を持たない人を代表としている民進党って、一体何なの?」ということである。

国籍に関して何度も矛盾する発言を繰り返してきたという事実から導かれるのは、「嘘つき」、あるいは「自分のアイデンティティに関して信じられないほど無頓着な人」、はたまた「国籍を曖昧なままにして、その時々のおいしい結果を享受してきたご都合主義の人」といった印象である。それこそが問題なのであって、「戸籍まで公表したんだから、これ以上は文句ないでしょ」で済む話じゃないのである。

彼女は昨年、「息をするように嘘をつく」 と安倍政権を批判し、当然の如くどえらいブーメラン効果を引き起こしたが、自分自身もかなりの嘘つきとは、自覚していないみたいなのである。知って犯す罪より、知らずに犯す罪が重いとは、まさにこのことのようだ。(参照

【7月 13日 追記】

本日の記者会見で、蓮舫氏は「戸籍は個人のプライバシーに属するものであり、積極的に、あるいは排外主義者・差別主義者の方たちに言われて公開することは、絶対にあってはならないと今なお思っています」と、戸籍公開の報道を否定した。(参照

彼女は、自身のこれまでの曖昧なもの言いに関する明確な説明を求める声に関して、「排外主義者・差別主義者」とくくるわけなのだが、これは明らかに問題のすり替えだ。しかも、そうした「排外主義者・差別主義者」は、民進党内にもいると言っているに他ならない。これは、安倍首相の「こんな人たち」以上に見過ごせない発言だ。

ちなみに私は既に述べているように、彼女の戸籍謄本なんか見てもしょうがないと思っている。

 

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2017年7月11日

「ものもらい MAP」 が興味深い

ロート製薬の 「ものもらい MAP」 というのが、密かな注目を集めている。麦粒腫 (いわゆる「ものもらい」)の呼び名を全国的アンケートで集計・分析し、マップにまとめたものだ。この MAP で評価すべきは、三重大学教育学部 余健助教授が、「方言研究の見地から」として、非常に興味深い解説をしてくれているところである。

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関東を中心とする東日本で標準となっている「ものもらい」 については「三軒の家から米をもらって食べると治る」(福島県東白河郡)、「よその家へ乞食に行くと、めこじき(ものもらい)が治る」(岐阜県土岐市)など、「人からものをもらうと治る」 という伝承と結びついていると解説されている。「めこじき」「めぼいと」 などの語源もこれと共通する。

柳田国男は『モノモライの話』という著作の中で、元来「もらう(もらふ)」という行為は食物に限定された言葉で、食事を共にすることは村落における結合の重要な要素であるとした。古代においては「食物の共同」は「多くの人の身の内に食物によって不可分の連鎖を作る」と捉えられていたため、その力によって治癒が得られると考えられていたらしい。

元々は多くの人々と一つ釜のメシを食う「食物の共同」を行うのは長者の特権だったが、貧しい人々でも隣近所から食物をもらって食べれば同じ効果が得られ、眼病が治るまじないになると考えられていたとされるのである。そもそも命に関わる難病というわけじゃなく、何もしなくても大抵は治るのだが、隣近所から食い物を恵んでもらうことで治癒の力を得るというフォークロアの発想って、なかなかおもしろい。

「ものもらい」 という言葉の使用地域は東日本を中心として、九州の佐賀県や鹿児島県、沖縄県まで広がっているが、約 50年前の国立国語研究所による調査では、東海・関東・東北の一部にしか確認されなかったという。最近の広がりの背景には、メディアを通じての共通語化の影響があるという。なるほどね。

一方、「めばちこ」は、MAP によれば大阪府で 91%、兵庫県で 90%、奈良県で 88%と、圧倒的メジャーである。私の知り合いの関西人も、ほぼ全員「めばちこ」派だ。ただ、京都府だけは「めいぼ」の方が多いという。都にしてはちょっと即物的だよね。

「めばちこ」の語源は 「メ(目)+ ハチ(こじき)+ コ(接尾辞)」という説や 「目をパチパチする」 ことに由来するなどの説があるが、はっきりとはわからないらしい。いずれにしてもフォークロア的には、「ものをもらう」行為との結びつきが強いらしいことが注目される。

私の妻の出身地、仙台ではものもらいのことを「ばか」と言い、これは宮城県を中心に東北 6県に広がっているらしい。ただ私の出身地、山形県庄内地方では 「ばか」 とは言わず、「ものもれ」と言い、これは「ものもらい」の音便訛りである。しかし件の「ものもらい MAP」で検索すると、「ものもれ」の使用地域は山形県しか表示されず、しかも使用率はたったの 1%でしかない。

これ、この地域の人は普段は「ものもれ」と言っていても、改まってアンケートに答える際に、無意識の音便訛り修正変換がはたらいてしまい、つい「ものもらい」と答えるケースが多かったせいじゃあるまいかと、私は疑っている。私なら誇りを持って「ものもれ」と答えるところだが。

ちなみに私の祖母(奈良時代のメンタリティと発音を昭和の御代に顕現していた「生きたフォークロア」= 参照)は、「もれもれ」と言っていた。これを検索すると、新潟県のみが表示され、しかも使用率は 1%ということになっていて、やはり「ものもれ」と似たケースと考えられる。

正統的方言って、こんな風なプロセスで失われちゃうことが多いのだよね。悲しいことである。

 

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2017年7月10日

蓮舫代表とお友達幹事長の民進党ではなあ

民進党の今井雅人衆院議員は9日、自身のツイッターに 「都議選の大敗を受け、まずは蓮舫代表の二重国籍問題を解決することだ。戸籍も見せて、はっきり説明することから始めなければいけない」と投稿した。(参照 1参照 2

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蓮舫氏は、昨年 9月に 「過去に国籍法に定めるいずれの方法でも国籍選択をしていなかったので、改めて日本国籍を選択する手続きを取った」 と発表した。つまり、それまでは二重国籍のままだったことを認めたわけだ。

彼女はそれ以前は、「高校 3年生(18歳)で日本国籍を選択したので。二重国籍はデマ」と主張していたが、どうしてそんな誤った認識をもっていたのかという納得できる説明はまだされていない。自分自身の国籍に関して、これほどまでに曖昧な認識のままで国会議員になるという無頓着さが、私にはちょっと信じられない。

それどころか、1993年にテレビ朝日 「ステーション EYE」 のニュースキャスターに抜擢された際の紹介記事(3月 16日付朝日新聞夕刊)には、 "蓮舫さんは「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」と話した" とある(参照)。これでは 「高校 3年生で日本国籍を選択」という説明も、口からでまかせのウソということになる。

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彼女は自分の国籍の実体について、その時々で都合のいい言い方をしてきた。ということは、曖昧にしておく方が得という認識だったのかもしれない。私は彼女がつい最近まで中国籍だったからどうこう言うわけじゃなく、「重要なアイデンティティ要素である自分の国籍について、かくまで無頓着な人を、政治家として信用していいものだろうか」と言っているのである。

法律的にも国会議員の二重国籍は禁じられているし、その法律がおかしいというのなら改正すればいいのだが、そんな話の前段階の「蓮舫的テキトーさ」には啞然としてしまう。「私はコスモポリタン」とかで済ませられる話じゃないのは、言うまでもない。

実は私は蓮舫氏に関する小さな伝聞情報をもっているが、物証がなく、しかも個人の印象に基づいた話のそのまた伝聞に過ぎないので、これまではブログに書くようなことじゃないと思っていた。しかし今回、やっぱり書いてしまおうと思う。信憑性に関しては実に曖昧な話ではあるが、たとえ作り話だったとしても、「それって、あるかもね」と思わせるだけの要素があると思う。

私が時々組んで仕事をしている A氏が 1年近く前の仕事で、高校時代に蓮舫氏と同級生だったという人と共同作業をしたと言っていた。A氏は「蓮舫さん、どんな高校生だった?」と聞いたが、彼は多くを語らず、ただ一言、苦々しげに「嘘つきでさぁ」と呟いていたというのである。

A氏は、「彼は蓮舫さんのことがあまり好きじゃなかったみたいで、詳しい話はしたがらなかったけど、『嘘つきでさぁ』の一言で、全てを語ってくれた気がした」と言っていた。なるほどね。私は普段はこんなような曖昧なうわさ話は嫌いなのだけれど、こればかりは何となく納得してしまったのだった。

民進党の今井氏は 2つの tweet に続いて「僕は蓮舫代表に本来のキレを取り戻して欲しいと願っている。それが、蓮舫代表の持ち味なのだから」とビミョーなフォローの tweet をしているが、私は蓮舫代表に「本来のキレ」なんてものを感じたことは一度もないなあ。悪いけど。

私は一時、民進党の前身の民主党に期待したことがある。日本でも二大政党制が実現できるかも知れないとまで思ったが、結局ダメだった。そして今、蓮舫代表とそのお友達の幹事長の率いる民進党では、どうにも萎えてしまうのだよね。

 

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2017年7月 9日

オバサンが静岡駅前で下着姿になったという 「トップニュース」

今朝はちょっと早起きをして、夜明けの 4時前から PC に向かって仕事をしていた。その時にちょっとのぞいてみた Google ニュースの 「トップニュース」 の最上段には、”「暑くて...」 駅前で女性が下着姿に... わいせつ容疑、 43歳を現行犯逮捕 静岡” というものだった。

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その時は「変わったオバサンがいるものだなあ」と思っただけで、フツーにスルーしてしまったのだが、それから午前 11時 10分頃に 2番目に下がるまで、私の知る限り延々 7時間以上にわたって最上段に位置し続けていたのである。そんなわけで、今朝の 9時過ぎ頃になにやら胸騒ぎがして、ついクリックして読んでしまった。

読んでみれば何のことはない、昨日の昼頃、43歳のオバサンが突然服を脱いでブラとパンツのみの姿になり、現行犯逮捕された時に「暑かったので服を脱いだ」と供述したというだけの話である。ちなみに、昨日の昼の 1時頃、静岡付近の気温は 29.8度だったということも付け加えられている。

「トップニュース」ページの 2段目以降は "母殺害容疑:45歳男を逮捕 草刈り機で大腿部切りつけ" とか "米B1戦略爆撃機が北朝鮮に接近、威嚇…爆撃訓練、標的は「ミサイル発射台」" とか、九州豪雨の話とか、それなりの大きなニュースがいろいろ変わっているのに、こんなのが長時間にわたって最上段を飾り続けたのである。日本はよほど平和な国になってしまったようなのだ。

このニュースがどうしてまた、こんなに延々と最上段に表示されたのか、考えられる理由は、1. Google のちょっとした洒落、2. Google ニュースは、見る側の関心度に合わせて表示されるシステムになっている (だとすると、これは私のローカル PC だけの現象ということになるが)、3. クリックされる回数の多いニュースは重要ニュースと判断されて、上位に表示され続ける...... とまあ、こんなところだろうか。

私としては Google のちょっとした洒落と思いたいところで、2番目の 「見る側の関心度に合わせて」 というのは、ないと思うのだがなあ。というわけでさっぱりわからないが、もしかして 3番目が当たってたりして。

 

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2017年7月 8日

お酒は卒業しちゃったようだ

一昨日の夜、NHK BS の「美と若さの新常識〜カラダのヒミツ」という番組で、「お酒は "老ける毒" 若さを守る対策術」というのをやっていた。(参照

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早く言えば、お酒を飲んでまず生成される「アセトアルデヒド」という物質は猛毒で、体を老けさせるだけでなく、さまざまながんなどの病気の原因になりやすいということなのだった。なるほど、周囲を見ても大酒飲みは確かに年取って体を壊し、早死にする。

私なんかは、このブログを始めた 14年ぐらい前は毎日酒を飲んでいたが、最近はとんと飲まなくなった。昔は「週に一度は『休肝日』を作りたいなあ」と思いつつ、その願いは全然叶わなかったのである。ところが最近は、週に一度飲むか飲まないかというぐらいなのだから、人間というものは変われば変わるものだ。

私は元々は酒に強い体質ではない。父は「お猪口一杯ならおいしいが、二杯飲んだら死ぬ」と言うほど酒に弱かった。その息子だけに、さんざん鍛えてようやく飲めるようになっても、酒から遠ざかって久しい近頃はまた弱くなった。ちょっと飲んだだけですぐに顔が赤くなる。

顔が赤くなるのはアセトアルデヒドの作用なのだそうで、この毒素を分解する酵素の力が弱い体質だと、なかなか無害な物質にまで分解することができない。つまり私は、この猛毒のアセトアルデヒドをいつまでも体内に残しておきやすい体質のようなのだ。

最近はちょっと飲んだだけでいい気分になり、それ以上飲んだら悪酔いして苦しくなってしまうので、飲んでも適量で済む。NHK の番組では、一日に一合ぐらいなら「酒は百薬の長」として機能すると言っていたので、つまり今の私は、「もうちょっと飲んでもいい」ぐらいのレベルまで「飲まない人」になってしまったわけだ。

飲めばおいしいとは思うが、飲まずにいられないなんて気分には全くならないので、私はお酒は卒業しちゃったということなのだろう。

 

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2017年7月 7日

原子力規制委員長の 「毒のある冗談」

原子力規制委員会の田中俊一委員長「ミサイルを原発に落とすより東京の方が」 という発言(参照) について、一部では沸き返っているが、この現象についてはちょっといろいろ考えてみる必要がある。言葉尻を捉えて騒ぐより、中身をちゃんと読んでみなければならない。

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高浜町民約 30人との質疑応答でのコトの次第をみれば、次のようになるらしい。

  • 町民に 「ミサイル攻撃への対策は」 と質問された
  • 田中氏は 「原子力規制の範囲を超える」としつつ、「(敷地内での)大型航空機落下についての対策があり、相当の対応はできる」と説明。
  • その上で、「小さな原子炉にミサイルを落とす精度があるかどうかよく分からない。私だったら東京都のど真ん中に落としたほうがよっぽどいいと思う」と述べた。
  • その後、報道陣に「不適切では」と問われ、「例えが不適切でないかといえば、不適切だった」などと釈明した。

この 3番目の部分は、常識的には「口がすべった上での余計なコメント」に他ならないが、そのココロはといえば、「北朝鮮としても、当たるかどうかわからない原発を狙うよりは、的の大きな東京などの都市を狙うに決まってる」ということなのだろう。多分彼は、仲間内ではそんな類いの話をしていたんだろうと思う。

「的が小さくて当てにくい原発を狙うほど、北朝鮮の連中はバカじゃないよね」
「そうだよね、発射するなら的の大きな大都市を狙うよね」

とまあ、こんなような話をしていたからこそ、ついポロッと披露してしまったのだろう。そうでなければ、咄嗟に口をついて出るような話じゃない。ある意味、「できすぎのバッド・ジョーク」である。

この会合で彼は、「規制委の審査が厳しく、(原発停止が)長期化している」との指摘に、「事業者には厳しいと思うが、動かしたいなら耐えていただく。(審査を)緩めると、安全対策がお金との兼ね合いになる」と述べた。彼は原子力ムラの住民だとばかり思っていたが、このコメントに関しては案外評価していいと思う。

というわけで、あのバッド・ジョークはそれほど感情的になって責め立てるほどの発言でもないと、個人的には思ってしまうのだよね。ただ、毒のある冗談は英国辺りじゃフツーだったりするし、田中氏ご自身も英国紳士っぽいお見かけなのだが、感情論が優先しがちな日本では、ちょっと注意した方がいいという教訓にはなったかも。

 

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2017年7月 6日

「数十年に 1度の大雨」 が、1年に何度もある時代

福岡、大分の豪雨のニュースが衝撃的だ。「数十年に 1度の記録的豪雨」などと言われていて、ニュースの映像で見ても、確かにすごい洪水である。

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私は 1986年の台風 10号による水害のため、避難所に指定された高台の中学校で一夜を明かしたことがある(参照)。妻が 3番目の子を身ごもっていたので、妊婦と幼い娘 2人、それに犬 1匹を連れての避難だったから、かなり大変だった。

そんな経験があるので、水害のニュースを聞くと他人事とは思えない。被災地の方々には心からお見舞い申しあげると言いたいところだが、雨はまだまだ収まったわけじゃないようなので、この台詞は早すぎるかもしれず、心が痛む。引き続き警戒していただきたい。

それにしても、このところ毎年のように「記録的災害」と形容される自然災害に襲われている。私は 4年前の 8月に "「20年に 1度の大雨」 から「経験したことのない大雨」に” という記事で、次のように書いている。

ちょっと前まで「10年か 20年に 1度」というレベルだった大雨が、最近では当たり前にしょっちゅう降るようになったということのようなのである。それだけ、気象が極端になっているのだ。このブログでは何度も書いたが、「温暖化」とはまんべんなく暖まることではなく、「極端化」するということにほかならない。

それで最近は、大雨のニュースでもレトリックに苦心するようになった「経験したことのない大雨」というのは、今月初めの秋田や岩手で降った雨だが、その後すぐに、山陰や北九州でも同じレトリックの雨が降った。さあ、こんどはどんな形容詞を使えばいいのか、マスコミも大変だ。

「極端化」ということについては、過去にも "「温暖化」というのは「極端化」を穏やかに言っただけ"、"「地球温暖化」は「気候極端化」"
という 2つの記事を書いている。ちょっと考えただけでも、近頃は春と秋が短く、寒い冬が過ぎるとあっという間に暑い夏になり、夏が終わって涼しい秋を楽しむ間もなく、寒い冬になる。モデレートな気候を楽しむことが少なくなった。

一昨年はすぐ近くで鬼怒川の堤防が決壊し、私は水見舞いと復旧ボランティアに行ってきた。この時の大雨は「50年に 1度の大雨」と言われていた(参照)。さらに昨年は、北海道に観測史上初めて 3つの台風が相次いで上陸し、しかも台風 7号は本州などを通過せず、強い勢力のままで直接北海道に上陸したのだった。私はその直後に北海道に行ったが、あまりの暑さに「もう昔の北海道の気候じゃない」と思った(参照)。

というわけで、近頃は毎年のように「20年に一度」とか「数十年に一度」とか「経験したことのない」とかいうレベルの自然災害が発生しているのである。そんなに希有であるはずの大災害が、毎年発生してたまるものかと思うが、現実なのだからしかたがない。この要因は地球温暖化ということが既に常識となっている。

今年の夏はまだ始まったばかりなので、「数十年に一度の大雨」が、今年中にあと何度あるか知れたものではない。この期に及んで、地球温暖化対策を進めるパリ協定から脱退するという、米国のトランプ大統領には、「お前、気は確かか?」と言いたいほどのものである。

 

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2017年7月 5日

「説明してきたつもりだが」 という言い訳

都議選における自民党の敗因は、例の 4人のオウン・ゴールなんだそうだ。「THIS is 敗因」 (T: 豊田、H: 萩生田、I: 稲田、S: 下村) として、ずいぶん話題になっている。

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この 4人に象徴される最近の自民党の強引な国会運営と不祥事が、今回の惨敗の大きな要因いうのは、誰が見てもその通りのお話である。選挙結果を受けて、幹部は一様に 「これまでも説明はしてきたが、足りなかった部分があれば、今後も真摯に説明していく」なんてコメントを発しているが、国民としては「まともな説明なんか、された覚えないもんね」と言いたいところである。

そもそも「説明」というのは、「相手にわかってもらうために詳しく説き明かす」ことで、我々だって何かを説明する時にはよく吟味して、できるだけわかりやすい言葉で語るよね。「わかってもらうこと」が目的なんだから、そりゃ当然だ。

ところがこの前提が、自民党の「説明」という行為では否定される。あの人たちの「説明」ということの実体は、昔から、「うやむやなままで切り抜ける」ということにほかならない。説明のスキル不足でわからなくなるというのではなく、そもそも初めからお茶を濁すのが目的なのだから、わかりやすいのはいけない。逆にわかりにくくなければならないのである。

だから「今後も真摯に説明していく」なんて言われても、わかりにくい言葉を何度も繰り返されるだけで、わかりやすくなることなんて決してない。わかりやすくなんかしちゃったら、「やぶ蛇」になるんだからしょうがない。

例の稲田防衛相の言い訳にしても、「誤解を招きかねない発言を撤回しました」と繰り返されるだけだ。あれは「誤解を招きかねない発言」なんかじゃなく、「誤解の余地のない憲法違反発言」に他ならないのだが、かくもうやむやな無責任回答も、政治の世界では何度も繰り返すうちに確定してしまう。

要するに日本の政治は「わかりにくさ」が生命線で、ずっとそれでやってきたのである。小泉さんの時にちょっと変わりかけたが、すぐに元に戻った。この悪しき伝統が変わらなければ、政治なんて変わりようがない。

で、今回の結果に関しては、「THAT'S 敗因」と言った方がいいと思うのだよね。中身は T: 豊田。H: 萩生田、A: 安倍、T: 稲田朋美、S: 下村で、2番目の T は、稲田朋美の名前の方を採用した。やっぱり安倍首相本人を加えなければ、うやむやになってしまうからね。

 

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2017年7月 4日

「リアル」 と 「バーチャル」

6月 30日の記事で、私はオーディオや映像のデバイスにやたら高い金をかけることについての疑問を呈しておいた。(参照

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オーディオに関して言えば、記事の中で「慎ましい音を聞きながらでも、脳内ではオリジナルの素晴らしい音に変換されている。要は、時々ちゃんとしたナマの音楽を聴くことで、想像力を鍛えればいいのだ」と書いている。オーディオ機器に何十万円もかけるより、1度の「本物」のコンサートを聞く方が財産になると思うのだ。

これに関して、山辺響さんが、次のような示唆的でおもしろいコメントをしてくださった。

去年、私の唄三線の師匠がハイレゾ・レコーディング(?)でアルバムを出したのですが(当然ながら CD の容量には収まらないデータ量のため、ダウンロード販売)、弟子どもにとっては、ありがたさがよく分からず……。

確かに「すぐそこで師匠が歌っているようではある」とは思うのですが、ふだんから「すぐそこで師匠が歌っている」状況に慣れているので、それに比べて音がいいわけもなく。

それどころか、稽古のときにちょっとした IC レコーダーで録音したものでも十分じゃないかと思うのは、さすがに耳が上等でないのかもしれませんが (笑)

これに関して、私はとても共感できたので、次のようなレスを付けた。

その気分、よくわかります。

聞く専門じゃなくて、自分でも演奏する立場だと、「音」を聞いてるんじゃなくて、「演奏の方法論」を聞き取ってるんですよね。

一流のギタリストのコピーをしようとする時、音を何度も繰り返して聞くが、その際に「音質」はあんまり関係なかったりする。こちらとしてはそのプレイヤーの「指使い」や「息づかい」までこちらの中に取り入れてしまいたいと思っているので、「即物的な音の良さ」に関しては忘れてしまっているのだ。まさに、「ちょっとした IC レコーダー」の音でも十分だったりする。

そもそも「何がリアルなのか」を考えてみれば、それはわかる。人間の認識は人それぞれの感覚器官を通じたものだから、人の数だけの「リアル」があると言っていい。それぞれの人の認識した「リアル」も、実はそれぞれの人の感覚器官を通じて脳内に構築した「バーチャル」なのだ。

本当の自然の素晴らしさを知っている人にとっては、ある山の小さな写真 1枚で、その素晴らしい光景が再現され、吹く風の心地よさまで感じることができたりする。そうなると、写真というのは完成形ではなく、いかに素晴らしい入り口を提供できるかという作業だったりすることもあるとわかる。

その「人それぞれのリアル、あるいはバーチャル」の奥の奥に、「真実」のようなものを見出せるかどうかは、その人の感性と経験を通じた訓練によるとしか言いようがない。そして芸術は「単なる模倣」ではないので、バーチャルをリアルに近づけることだけを目的とする営みは、あまりおもしろくなかったりする。

 

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2017年7月 3日

都議選は「団塊の世代の尻尾の勝利

都議選の結果が出て、都民ファーストが勝って自民は負けるとは元々思っていたのだが、私の予想を遙かに超える「都民圧勝、自民惨敗となった。小池さんがずいぶん大きな風を巻き起こしたのだね。私はこれを「団塊の世代の尻尾」の勝利と思っている。

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この選挙の公式的な分析についてはいろいろなマスコミが書いているから、私なんかがどうこう言うことはないが、今回の投票率に関して、先月 6日の「都議会選に関する世論調査の結果」という記事で次のように書いている。

「投票に行きますか」という設問への回答では、「必ず行く」が 64%。「たぶん行く」が29%で、合計すれば 93%となるが、これは 「ウソばっか!」と言いたくなる数字でしかない。これまでの選挙でも、「必ず行く」という回答から 20%ぐらい差し引いた投票率にしかならないのが常だ。ということは、今回の都議選も、40%台の投票率に落ち着くだろう。

いつもの都議選の投票率は本当に 40%台という低レベルなのだが、今回は前回比 7.7%アップの 51.28% になったのだそうだ。数字自体はまだまだほめられたものじゃないが、前回比 7.7%アップというのは、ちょっとしたものだ。それだけ関心が高く、いつもは投票に行かない人まで足を運んで、「都民ファーストの会」に 一票を投じたのだろう。

小池さんに関しては、私は「何をさせてもそつのない人」と思っていて、そのことに関しては "「万歳三唱の作法」 を巡る冒険" "月イチの午後 3時退社より、毎日定時退社の方が" という記事の中でちらっと触れている。「何をどう言えば伝わりやすいか」「何をどうすれば文句が出ないか」をよく知っている。

これは彼女のマスコミを通じてのキャリアから学んだこと以上に、世代論的なものがあると思っている。私は彼女と同年同月に生まれているようなので、その辺りの感覚がわかるような気がしていて、昨年の 8月に "「団塊の世代の尻尾」の都知事が生まれることについて" という記事で詳しく書いている。

我々の世代(個人的に「団塊の世代の尻尾」と表現してきたのだが)は、「数に任せて『行け行けドンドン』で突き進む団塊の世代」のしでかした数々の行為の、惨憺たる結果を間近で見続けてきた。それだけに、団塊の世代にはかなり批判的なのである。つまり結構な慎重派で、後始末が大変になりそうなことはできるだけ避けるという傾向がある。

築地問題で手間がかかったのも、そもそもそういうことだと理解している。団塊の世代の連中が問題の多い豊洲に勢いだけで決めてしまったことには、私は昔から大いに批判的だった。それがようやく「ちょっと待てよ」という雰囲気と状況になったので、彼女としては十分時間をかけて検討したということなのだろう。まあ、今回彼女が出した結論に関しては、まだどうこう言うほど詳細には知らないのだが。

最大の問題は「小池チルドレン」の今後である。「○○チルドレン」というのは、私の知る限り "Woody Guthrie's Children" 以外にまともなことにならない(参照)。役立たずの員数合わせだけということだと、次の選挙でぐちゃぐちゃになる。この辺りのことも小池さんはわかっているから、しっかり手は打つだろうが。

 

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2017年7月 2日

今年も折り返し点を過ぎた

早いもので、今年ももう半分を越した。6月を過ぎた時点で半分越したと思っていたが、計算してみると 1年 365日の折り返し点は、今日の 7月 2日だった。年の前半は 28日しかない 2月があったりするからね。

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私はミック・ジャガーと同じ誕生日だから、今月の 26日でめでたく「高齢者」の称号を得る。若い頃は自分が高齢者になるなんて想像も付かなかったが、あとわずかのところまで来てみると、元々気の早い性分なもので、数字上の区切りなんてさっさと越える方がせいせいするから、楽しみな気分になっている。

肉体的には健康で、何をやらせても同年代の連中の平均よりはずっとガシガシこなせてしまうので問題ないが、問題は目である。今月 11日に白内障の手術を受けることになってしまった。手術後は目がよく見えるようになるというから、このブログの更新も楽になるだろう。

残念なのは、16日からの関西出張に合わせて熊野の地を初めて訪れ、「熊野古道」を足で歩いて辿るつもりでいたのだが、白内障手術後はしばらく体力的に無理をしないようにと釘をさされ、泣く泣くあきらめた。できれば今年中に再挑戦したい。

 

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2017年7月 1日

「日本型ポピュリズムだった」 と過去形で総括したい安倍政権

安倍政権がちょっとおかしくなっている。「お友達」がおかしなことばかりするから、政権への不信感が高まっているためだろうが、その「おかしなお友達」に「いいわいいわ」で便宜を図って当然と思っていたのは、当の安倍さん本人なんだろうから、責任は大きいと言わざるを得ない。

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そもそも「右側の人たち」というのは案外気楽に「お友達」になりたがる傾向があるようで、「日の丸」だの「靖国」だの「教育勅語」だのと言いさえすれば、「そうだ、そうだ、その通り!」とばかり、思いっきり群れ揃って気勢を上げたがるところがある。とくにあの「日本会議」系の人たちはそれが顕著で、普段はどんな組織に属していようが、何か集まりがあるとかなりの動員をかけて集結する。

昔の学生運動に端を発した左翼、とくに「新左翼」と言われた連中が、素人には意味不明のちょっとした言葉上の差異で分裂に分裂を重ね、内ゲバ殺人にまで発展したこととは対照的に、右翼の人たちというのは小さな違いはあまり気にかけず、かなり鷹揚な印象がある。あれって何というか、「郷愁」のようなものに誘われてるとしか言いようがないよね。

そんなわけで、安倍首相と「志を同じくする」ように見えてしまう森友学園だの加計学園だのの理事とか、そんなような部類の人たちがちょっと働きかけるだけで、いろいろなところで嫌な感じの「ソンタク」(漢字でなんか書きたくないので、こう表記している)が働いてしまい、好き放題できてしまう土壌が形成されていた。これは当事者たちがいかにトボけようとも、否定しにくいところである。

ところが、これまでは「日の丸・靖国・教育勅語」を旗印にしたお友達連合が比較的少数派だったからいいが、今やかなりの数になってしまった。日本中のあちこちに「日本会議シンパ」が生息するようになり、大きな声で同じことを言いながら活動し始めると、「いいわ、いいわのお友達」でいるばかりでは済まなくなるようなのである。所帯が大きくなると、「あいつとは、ちょっとね」という感覚が生じ始める。

これまでは一括りにできていた「郷愁」も、子細に見ればいろいろ差異がある。現に森友学園の籠池氏はなかなかおもしろいキャラで、既に安倍さんとは「元・お友達」ということになってしまっているようだ。政界側でも安倍チルドレンの問題が相次いで、盤石に見えていた政権支持率も下がり始めている。

そうなるといつの間にか泥舟状態と化すのが、政治の世界のコワいところだ。「お国のため」なんて言ってはいたものの、一皮剥けば利権の巣窟というのがバレバレになってきて、利害が反すると袂を分かつようなことがフツーに出てくる。「一枚岩」も風化し始めるだろう。

安倍政権というのは要するに 「日本型ポピュリズム」 なんだと思っているのだが、なるべく早く 「日本型ポピュリズムだった」 と過去形にして総轄してしまいたいところである。

 

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