民進党の蓮舫代表が、自分の戸籍を公表する意向なのだそうだが、それに関して、いろいろな意見が乱れ飛んでいるようだ。

このブログで一昨日も書いた(参照)ように、民進党内部から「戸籍を公表すべきだ」との指摘が出る一方で、山口二郎法政大教授は Twitter で「政党の消長よりも、日本における基本的人権にかかわる重要な問題」「公的な活動、発言をするときに、自分は真正な日本人であることをいちいち挙証しなければならないなんて、全体主義国家だ」と書き込んでいる。(参照)
この山口氏の発言にはいささか違和感を覚える。ちょっとモノを買う時だって、「原産国表示」が義務づけられている世の中で、自ら「中国製」と言ったり「日本製」と言ったり、「どっちだか曖昧だったけど、やっぱり日本製でした」では、信用なくすではないか。いわんや政治家においてをやである。
モノと人間を一緒にしちゃ申し訳ないけど、問題は「国籍そのもの」よりも「信用」なのだ。彼女が中国人だから、あるいはだったから、どうこうという問題ではなく、彼女自身がこれまで色々矛盾することを言ってきたことが問題なのだ。
私としては別に今さら、蓮舫代表の戸籍なんて見たくもないし、確かに公表なんてしなくてもいいと思う。そもそも公表されたからって、蓮舫代表の「嘘つきイメージ」が覆るわけじゃない。要するに「何をしても、もう遅いよ」ってことだ。
いずれにしても、蓮舫代表は戸籍を示して「はい、ご覧の通り、私は日本人であり、二重国籍疑惑は晴れました」として、「本来なら公表すべきじゃない戸籍まで公表したんだから、この問題に関してはもう一丁上がりよ!」としたいのだろう。しかし繰り返すが、コトの本質はそんなところにあるのではない。
一昨日のブログでも書いたことだが、蓮舫代表の国籍に関する発言は、これまでも二転三転してきている。要するに、その時々で都合のいいことを言っており、過去の自分の発言と矛盾する発言を臆面もなく繰り返してきたのだ。つまり本当の問題は彼女の国籍問題というより、「過去の発言に責任を持たない人を代表としている民進党って、一体何なの?」ということである。
国籍に関して何度も矛盾する発言を繰り返してきたという事実から導かれるのは、「嘘つき」、あるいは「自分のアイデンティティに関して信じられないほど無頓着な人」、はたまた「国籍を曖昧なままにして、その時々のおいしい結果を享受してきたご都合主義の人」といった印象である。それこそが問題なのであって、「戸籍まで公表したんだから、これ以上は文句ないでしょ」で済む話じゃないのである。
彼女は昨年、「息をするように嘘をつく」 と安倍政権を批判し、当然の如くどえらいブーメラン効果を引き起こしたが、自分自身もかなりの嘘つきとは、自覚していないみたいなのである。知って犯す罪より、知らずに犯す罪が重いとは、まさにこのことのようだ。(参照)
【7月 13日 追記】
本日の記者会見で、蓮舫氏は「戸籍は個人のプライバシーに属するものであり、積極的に、あるいは排外主義者・差別主義者の方たちに言われて公開することは、絶対にあってはならないと今なお思っています」と、戸籍公開の報道を否定した。(参照)
彼女は、自身のこれまでの曖昧なもの言いに関する明確な説明を求める声に関して、「排外主義者・差別主義者」とくくるわけなのだが、これは明らかに問題のすり替えだ。しかも、そうした「排外主義者・差別主義者」は、民進党内にもいると言っているに他ならない。これは、安倍首相の「こんな人たち」以上に見過ごせない発言だ。
ちなみに私は既に述べているように、彼女の戸籍謄本なんか見てもしょうがないと思っている。
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