「数十年に 1度の大雨」 が、1年に何度もある時代
福岡、大分の豪雨のニュースが衝撃的だ。「数十年に 1度の記録的豪雨」などと言われていて、ニュースの映像で見ても、確かにすごい洪水である。
私は 1986年の台風 10号による水害のため、避難所に指定された高台の中学校で一夜を明かしたことがある(参照)。妻が 3番目の子を身ごもっていたので、妊婦と幼い娘 2人、それに犬 1匹を連れての避難だったから、かなり大変だった。
そんな経験があるので、水害のニュースを聞くと他人事とは思えない。被災地の方々には心からお見舞い申しあげると言いたいところだが、雨はまだまだ収まったわけじゃないようなので、この台詞は早すぎるかもしれず、心が痛む。引き続き警戒していただきたい。
それにしても、このところ毎年のように「記録的災害」と形容される自然災害に襲われている。私は 4年前の 8月に "「20年に 1度の大雨」 から「経験したことのない大雨」に” という記事で、次のように書いている。
ちょっと前まで「10年か 20年に 1度」というレベルだった大雨が、最近では当たり前にしょっちゅう降るようになったということのようなのである。それだけ、気象が極端になっているのだ。このブログでは何度も書いたが、「温暖化」とはまんべんなく暖まることではなく、「極端化」するということにほかならない。
それで最近は、大雨のニュースでもレトリックに苦心するようになった「経験したことのない大雨」というのは、今月初めの秋田や岩手で降った雨だが、その後すぐに、山陰や北九州でも同じレトリックの雨が降った。さあ、こんどはどんな形容詞を使えばいいのか、マスコミも大変だ。
「極端化」ということについては、過去にも "「温暖化」というのは「極端化」を穏やかに言っただけ"、"「地球温暖化」は「気候極端化」"
という 2つの記事を書いている。ちょっと考えただけでも、近頃は春と秋が短く、寒い冬が過ぎるとあっという間に暑い夏になり、夏が終わって涼しい秋を楽しむ間もなく、寒い冬になる。モデレートな気候を楽しむことが少なくなった。
一昨年はすぐ近くで鬼怒川の堤防が決壊し、私は水見舞いと復旧ボランティアに行ってきた。この時の大雨は「50年に 1度の大雨」と言われていた(参照)。さらに昨年は、北海道に観測史上初めて 3つの台風が相次いで上陸し、しかも台風 7号は本州などを通過せず、強い勢力のままで直接北海道に上陸したのだった。私はその直後に北海道に行ったが、あまりの暑さに「もう昔の北海道の気候じゃない」と思った(参照)。
というわけで、近頃は毎年のように「20年に一度」とか「数十年に一度」とか「経験したことのない」とかいうレベルの自然災害が発生しているのである。そんなに希有であるはずの大災害が、毎年発生してたまるものかと思うが、現実なのだからしかたがない。この要因は地球温暖化ということが既に常識となっている。
今年の夏はまだ始まったばかりなので、「数十年に一度の大雨」が、今年中にあと何度あるか知れたものではない。この期に及んで、地球温暖化対策を進めるパリ協定から脱退するという、米国のトランプ大統領には、「お前、気は確かか?」と言いたいほどのものである。
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