600万アクセス達成で 「書くことの意味」 を考える
一昨日の 「連続 5,000日更新」 に続く自慢げな記事になって恐縮だが、今朝見ると、当ブログ "Today's Crack" のアクセス・カウンターが、600万を越えていた。500万超えを報告したのが一昨年の 7月 5日 (参照) だから、2年 2ヶ月で 100万アクセスを稼いだことになる。
最近はブログというもの全体に一時ほどの勢いがなく、当ブログもアクセス・カウンターの回るペースが結構落ちている。ブログに代わるものとして SNS が全盛といわれ、しかも文章よりも Instagram などの画像 SNS が伸びている。私の嫌いな LINE (参照) でも、「スタンプ」とかいう絵だけのやりとりが多いらしい。
こんな時代に毎日毎日、それなりの分量のテキストを書き続けているのだから、我ながらよっぽど書くのが好きなのだろう。好きじゃなかったら、こんな酔狂なことはできないし、好きだからこそそれほど負担に感じることもなく、ちゃちゃっと書き終えることができて、結果として長年続いている。
長年ブログを書き続けることにメリットというのがあるとしたら、それは「行動が意識的になる」ということだと思う。「何だか知らないけど、単なる流れでなんとなくやっちゃった」みたいなことが、なくなるとはいわないが、だんだん少なくなる。
人間というのは「自分でもよくわからないけど、なぜかやっちゃう」という、無意識の行動が案外多く、それはフロイトの『精神分析入門』を読めばよくわかる。私はそういうのが気持ち悪く思われてしまう性分なので、できれば無意識の代償行為の元となる自分の意識下のモヤモヤを突き止めてチャラにしちゃいたい。
自分の行動のすべてを完全に意識化するなんてもとより不可能だが、一見どうでもいいように見えることにもそれなりの意味があると知り、それについてあちこちから探りを入れていく作業で、人生は結構すっきりする。
「単なる流れ」で無意識な行動ばかりしていると、その行動に「責任を取れ」といわれても、うろたえてしまうだろう。その意味で自分の行動の意味をできるだけ意識化するということは、行動に責任を取ることでもある。「責任取れ」なんてことは、そうしょっちゅう言われることじゃないが、そうなった時に「はあ?」なんてことになりたくはないからね。
その意味で「書く」という行為は、いざという時に「はあ?」と言わずに済ませるための保険みたいなものかもしれない。毎日書き続けるというのは、毎日新しい保険を無料でかけているようなものだ。保険といっても、「責任を引き受けるため」 のものだから、損得勘定で言ったらむしろ損になるはずだが、そのくらいはしなきゃならんと思うのである。
単純計算だと、1,000万アクセスまであと 400万だから、このペースが続くとすれば、あと 8年 8ヶ月かかることになる。その頃には 73歳だから、十分イケそうな気もするが、まあ、人生何があるかわからないから、「行けるところまで行く」とだけ言っておこう。損得勘定抜きで。
| 固定リンク
「ウェブログ・ココログ関連」カテゴリの記事
- 親友を空港に置き去りにした "AITA"(あ痛!)な女性(2024.09.23)
- 2本のブログで 「21年連続毎日更新」を達成(2024.12.25)
- 「増田」と名付けられた界隈の印象(2022.09.29)
- 昨日はココログのサーバがダウンしていたので(2022.06.27)
コメント
おつかれ様です。
まぁ、カウンターの回転がすごいもんですねぇ。
拙宅はひと記事「2〜40」程度のアクセス数なんで、しかも毎日更新でないので、まぁたかが知れです。
ええよ!
付き合いまっせ〜!(影となり影となり影と…)
投稿: 乙痴庵 | 2017年9月 5日 23:08
乙痴庵 さん:
ありがとうございます。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。
投稿: tak | 2017年9月 6日 06:13