「排除」と「シカト」
今月 19日の "「排除の論理」 への反発って、一体何なんだろう" という記事で、私は希望の党の小池さんの 「排除発言」 への反発について、ちょっと情緒的すぎるんじゃないかという疑問を呈しておいた。そしてその疑問はまだくすぶったままなので、改めてもう一度書いてみようと思う。
「排除」という言葉そのものは、「良い言葉」でも「悪い言葉」でもない。ニュートラルなもので、それをニュートラルなままで使ったり善悪の意味を込めたりするのは、使う人間の側である。で、小池さんが「排除」という発言をした場面では、当人としては完全に「ニュートラル」な意味で使っていたように思う。その場面を、日刊スポーツの記事から引用してみよう。(参照)
質問で引用された、「(民進党議員は)公認申請すれば排除されない」という前原誠司氏の言葉に反応し、「排除されないということはございません。排除いたします」と発言。すぐ「絞らせていただく」と言い直したが、戦略を持って言葉を発する小池氏らしくない対応だった。
小池さんは関西学院大を中退してカイロ大学に留学したという経歴の持ち主で、アラビア語ができて、英語も結構堪能だ。それだけに「排除」という言葉を、つい英語の "exclude" 的に論理的な意味で使ってしまったという印象である。"Exclude" は、単に "include"(包含する)の対義語で、ことさらなまでの情緒的な意味はない。
ただ、さすがに「排除いたします」ではきつく受け取られてしまうかもしれないと思ったのか、「絞らせていただく」と言い直しているが、日本人の心情には「排除」という言葉がぐさりと突き刺さってしまったようなのだ。日本語というのは本当に過度にセンチメンタルな言葉で、論理を語るのに向いていない。
前述の 19日の記事でも書いたように、この件だけに限って言えば、民進党議員を最大限に受け入れてしまったら、後になって内部分裂のタネになるに決まっているのだから、そんな危険は避けて当然なのだ。ただ、「排除」という言葉が妙に一人歩きしすぎただけとしか思われない。
日本人のメンタリティというのはとても情緒的な「身内主義」で、「仲良しこよし」が大好きなので、「排除」というのは好まない。ただ好まないのは「意識的な排除」であって、実は日常的には、「異端的なもの」を「無意識的に排除」している。無意識のものだけに、自分でそれに気付いていないだけだ。
なにしろ、ちょっと毛色の変わった人間は仲間に入れてもらえないのである。「シカト」という行為が「いじめ」の最大要素になっているぐらいのものだ。「排除」という言葉に過剰反応しまくる人こそが、普段は「多様性」を認めず、ちょっと変わったやつをシカトしまくる人なんじゃないかと、私は疑っているほどなのである。
ただ。小池さんと希望の党に関しては、私は別の視点からとっくに見切りを付けているので、これ以上の弁護をしようとは全然思わない。
それから最後に、ちょっとだけ触れておくが、例の日刊スポーツの記事の見出しは「天敵フリー記者指名で……」となっているが、これを見たとき私は「天敵を排除した記者会見での指名」なのだと思った。「デューティフリー」が「免税」で、「スモークフリー」が「タバコの煙に悩まされない」という意味なのと同じと思ったのである。
ところがこれは 「天敵であるフリー記者を指名」 という意味のようで、それだとまったく意味が逆だ。このあたりも日本語感覚と英語感覚の違いで、ちょっとコワいところである。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- くるまったまま腕を出してスマホを眺められる毛布(2024.10.06)
- 「カフェでお仕事」・・・ ムチャクチャな長居は禁物(2024.09.26)
- 乗務員の水分補給にクレームを入れるやつ(2024.09.21)
- エアコンって、もはや「必需品」なのだね(2024.09.05)
- 日本人の「酒離れ」を、ちょっとだけ深読み(2024.08.28)
コメント
「排除」《名》(する)
押しのけてそこからなくすこと。「バリケードを排除する」
辞書に書いてある意味を大衆が正確に知らなくても、やはりそこにはニュートラルな印象はないですね。
小池氏は「(民進党を)まるごと受け入れるなどさらさらない」「排除します」とまで言ってしまった。
せめて「我々と一緒にやっていけるかどうかの判断はさせていただきます」程度の発言に留めておけばよかったのかもしれない。
小池さんの希望(野望)がたった一言で崩れてしまった。その一言がなければ野党第一党にはなれたのに。
投稿: ハマッコー | 2017年10月24日 13:15
英語のexclusionは、昨今、social exclusionという文脈でネガティブな意味合いが強まっているように思います。小池率いる都民ファーストが掲げているdiversityの対極というか。
投稿: 山辺響 | 2017年10月24日 17:00
ハマッコー さん:
>せめて「我々と一緒にやっていけるかどうかの判断はさせていただきます」程度の発言に留めておけばよかったのかもしれない。
それは言えますね。小池さんとしては、脊髄反射的に 「排除します」 と言っちゃったんでしょうけど、結果として、言葉を選べばよかった。
投稿: tak | 2017年10月24日 19:07
山辺響 さん:
>昨今、social exclusionという文脈でネガティブな意味合いが強まっているように思います。
それは、確かに言えますね。やっぱり反発を買いやすい言葉なのかなあ。
ただ、「排除」 という言葉にセンチメンタルに反応しやすい人ほど、「無意識なシカト」 には無神経だという私の印象は変わりません。
投稿: tak | 2017年10月24日 19:09