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2017年11月28日

オフィスの書類キャビネットのパラドックス

今月 22日に、「モノの整理は、捨てなきゃ始まらない」という記事を書いた。65年も生きてくると、経験則からしてまさにその通りであって、「整理」 という言葉には、「捨てる」 という意味がしっかりと含まれている。世の中では軽い気持ちで「整理・整頓」などと言われるが、「整頓」というのは、まず不要なものを「整理」して(捨てて)、初めて成立するのである。

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昔務めていた某団体では、オフィスで最も便利な場所にある書類キャビネットにきれいに収納されているのは、すべて大昔からある不要書類だった。きれいなはずである。10年以上誰も手を触れていないのだから、乱雑になるきっかけがない。

一方でゴチャゴチャになってしまうのは進行中の「生きた書類」である。一番便利なキャビネットは誰も手を触れない不要書類に占領されているから、必要書類は机や棚の片隅でゴチャゴチャになるしかない。

「大昔の書類は法定の保管期限もすっかり過ぎてるんだから、捨てちゃいましょうよ」と言うと、古株職員が「それはそのうち『創立 50周年記念誌』を作る時の資料になるから、捨てられない」などというのだった。私はそんなものを作る時期が近付いたら、さっさと転職していなくなろうと思った。

いろいろな団体や企業の「創立」または「設立〇〇年誌」という分厚い書物が送られてくることがあるが、実はそんなもの誰も読まない。ずいぶんな金をかけて、その団体や企業の内部の人間だって読みゃしないものをご大層に作っているだけである。そんなものを外部にまで配るのは、はっきり言って書棚のゴミを押しつけているようなものだ。

百歩譲って、古い書類をどうしても保管しておきたいというなら、倉庫の一番奥に眠らせておけばいい。よりによってオフィスの中で最も出し入れしやすい特等席を、そんなもので塞いでおくことはない。便利な収納スペースはその時々の生きた書類が入るべきで、そして常に整理して循環させなければならない。

人は往々にして、きれいに保管された書類の姿を見て満足してしまうが、死んだものをきれいにしまっておいてもしょうがない。さらに今の世の中では、紙の形ではなくデジタル・データとして保管しておけば、場所を取ることもない。「やっぱり紙に印刷してある方が見やすい」などという人もいるが、そんなものどうせ見ない。

ほんのたまに見る必要が生じたとしても、デジタル・データにしておく方が検索しやすい。分厚い紙の書類の中から目指す資料を探し出さなければならないなんて、考えただけでぞっとする。

 

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