モノの整理は、捨てなきゃ始まらない
昨年 5月に 「ワードローブの「戦線縮小」が楽しい」という記事を書いた。手持ちの服をどんどん少なくして、洋服ダンスをスカスカにすることに喜びを感じているのである。着ることのない洋服で収納スペースを埋めていてもしょうがない。
昨年 5月の段階では、冠婚葬祭用の黒いスーツは 春夏物 1着だけにしているものの、普通のスーツはまだ春夏物と秋冬物をそれぞれ 1着ずつ持っていた。これについて「普通のスーツも秋冬物は処分してもよさそうな気がするが、さすがにそこまではまだ踏ん切りがついていない」と書いていたが、近頃ようやく踏ん切りがついた。
冬の冠婚葬祭でもヒートテックの下着を着れば春夏物で十分なのだから、普通のスーツだって同じだろう。どうせ着る機会はそれほどないのだから、2着持っている意味がない。ただ、処分するにも滅多に着ないだけに新品同様なので、さすがにもったいないから、リサイクルショップに持ち込もうと思っている。
近頃、妻もようやく大量の服の整理をしようと思い始めたようで、「物の整理」のための特集が組まれた雑誌 2冊を購入していた。「暮らしに無駄のない人は整え上手」という特集の『クロワッサン』と、「捨てる 持たない暮らし』という特集の『日経おとなの OFF』である。
この 2冊、私もちょこっと読ませてもらったが、『クロワッサン』の方は 「上手に整理して、お洒落に収納しましょう」というコンセプトで、相変わらず「雰囲気のもの」という印象だ。いくら上手に整理しても、モノがあふれかえっている状態に変わりはない。「モノを持つのが好き」というままだと、これは絶対に解決できない。「モノを持つのがうっとうしい」ということにならないといけない。
一方、『日経おとなの OFF』の方は最初から大上段に 「捨てる」と言い切っているだけに、読んで実際に役に立つ。「捨てずに長く上手に使いましょう」という、一見美しいコンセプトに留まる限りは、結果として絶対にモノが溢れる。実際問題として、モノの整理は捨てなきゃ始まらないのである。
問題は、「捨てることによる罪の意識」である。私もこれから逃れるために、スーツはリサイクルショップに持ち込もうとしているわけだが、どうせまともな値段が付くはずもなく、単に「無駄に捨ててはいませんよ」というアリバイ作りに過ぎないと自覚している。
人にあげようと言っても、今どきは皆、モノがありすぎて困っているのだから、持ち過ぎることのストレスを、他人に押しつけるだけの話だ。もらって嬉しいのはすぐにサイズが小さくなってしまう子供服ぐらいのものだが、我が家はもうその段階を卒業して久しい。
本当に、服と書類はよほど意識して捨てまくらないと、あっという間に増える。一見ゴミには見えないが、要するに 「不要品」 なのだから、ゴミの山の中で暮らしているのと変わりないことになってしまうのである。
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コメント
モノの整理(廃棄、処分)は目下最大の問題です。
大切にしていたJ.Pressのジャケットは全く前ボタンが留りません。10キロ痩せれば留まるとおもいますがその傾向は全く見えず。売ったら二束三文は間違いなし。紺ブレ着ている人は今ではほとんどいないし市場価値はないでしょう。
どうでもいい服は沢山ありますが、普段着になると思って処分できていません。
自分はつくづくだめ人間だと落ち込むのが「不用品整理処分問題」です。
遺品整理は今から自分がやらなければと思いますが、じわじわ増えるのが悲しい現状です。
投稿: ハマッコー | 2017年11月24日 00:23
ハマッコー さん:
私も若い頃のジャケット類は、すべて処分しました。何しろ着られないので仕方ありません ^^;)
余計なものを沢山残して死んだら、困るのは子供たちです。母が死んだ時は、不要品の山で、ほとんど何も考えずに廃棄物として処理しました。
父は余計なものは持たない主義の人だったので、母の時の 10倍楽でした。自分もそうありたいと思っています。
投稿: tak | 2017年11月24日 18:58