七五三を巡る冒険
今日は七五三なんだそうだ。慣習では数え年の 3歳と 7歳で女の子、5歳で男の子のお祝いをするということになっているようだ。我が家は娘ばかり 3人で、数えてみると昭和 58年から平成 5年までの 11年間に、6回も七五三参りをしたわけだ。この間は平均 2年に 1度以上で、お宮参りにもすっかり慣れてしまった。
最近では男女平等という建前なのか、男の子も女の子も 3回祝うこともあるらしい。そんなことだと、我が家は 11年間で 9回もお宮参りをするところで、とくに昭和 60年からは 7年連続と、結構な負担になってしまうところだった。こればかりは男女平等でなくて本当によかった。
ところで私自身は七五三を祝ってもらった覚えがない。私の同窓生もほとんどそんな記憶がないという。この行事は比較的歴史が新しく、Wikipedia によると、「天和元年 11月 15日 (1681年 12月 24日) に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第 5代将軍である徳川綱吉の長男) の健康を祈って始まったとされる説が有力である」 とある。奇しくも最初の七五三は、新暦ではクリスマス・イブだったのね。
そして「現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった」とある。昭和 20〜30年代初期という時代は、私の生まれた陸の孤島、山形県庄内地方までは伝わっていなかったものらしい。雑誌やラジオなどで「七五三」という行事があることを知ってはいたが、自分たちとは無関係のものと思っていた。
私が高校生になる頃には、庄内でも七五三がちらほら祝われるようになっていた記憶があるので、ということは、関東から伝わってくるまでに 280年以上のタイムラグがあったわけだ。日本も結構広いものである。ちなみに仙台出身の妻は七五三を祝ってもらったという。さすがに仙台は東北の東京である。
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コメント
昭和三十年前後、祝ってもらった記憶があります(上州です)。ということは新潟、長野辺りはどうだったのでしょうか。
面白そうなテーマですね。
投稿: ハマッコー | 2017年11月16日 01:47
>元来は関東圏における地方風俗であった
1958年生まれの私がアルバムの中で千歳あめを持って写っています。
少なくとも京都の壬生梛野宮神社では当時から七五三参りを行っていたようです。
投稿: ちくりん | 2017年11月16日 08:25
ハマッコー さん:
さすが、上州は関東ですね。
その頃は、関東一円はもちろんのこと、東北の仙台辺りまでは広まっていたようですね。
投稿: tak | 2017年11月16日 16:33
ちくりん さん:
1960年代初頭には、関西まで広まっていたんですね。
ウチの田舎では、1960年代後半にならないと、一般化していなかったように思います。
投稿: tak | 2017年11月16日 16:35