« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月に作成された投稿

2017年12月31日

よいお年を

毎年そんなような気がするのだが、今年もまた、バタバタのうちに暮れようとしている。年が暮れようが明けようが、同じ時間の連続ではあるのだが、世間はどうしても区切りをつけたいようなので、こちらもつい巻き込まれてしまう。

171231

というわけで、個人的にはなかなか区切りはつかないが、今日西の空の果てに沈んだ日は、明日の朝には「初日の出」という特別な意味をもって昇ってくる。その意味をつけるのも人間の側に違いないのだが、まあ、長い間のうちに「魂の新生」にまでつながる意味が定着しているので、それに従うのもいいことなのだろうと思っている。伝統文化ってものだよね。

というわけで、今年もつつがなく暮れようとしている。数時間のうちに新しい年が明けるので、ありきたりの挨拶だが、「よいお年をお迎えください」という一言で、締めくくらせていただきたい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月30日

固定電話には、アヤシい営業電話しかかかってこない

先月 16日の記事で、我が家の固定電話を「常時留守電」に切り替えたと書いた。要するに、固定電話にはかかって来ても出ないことにしたのである。ついでに、呼び出し音が 1回鳴っただけで留守電応答に切り替わる設定にし、さらに呼び出し音のボリュームも「ゼロ」にしてしまったので、受信しても気付くことすらない。

171230

そして我が家の留守電応答は、女性の事務的な声で「恐れ入りますが、ピーッと鳴りましたらお名前とご用件をお話し下さい」とだけ言うデフォルト設定のままにしているので、いわば、日本で最も素っ気ない留守電対応になっているのである。

写真の電話機の右上あたりにある赤いボタンが点灯しているのは、「留守電」に設定されていることを示し、そしてこのボタンの点滅で、留守電の録音があることを知らせてくれる。

この設定にして ほぼ 1ヶ月半経ったので、この間の報告をしよう。夜になって確認すると、この「留守電ボタン」がほとんど毎日点滅して、受信があったことを示している。平均すると、1日に 2件はある。ところがその留守電を再生しても、すべて録音時間が「ゼロ秒」で、つまり、相手がすぐに切ってしまったことを示している。

ということは、アヤシい営業電話などの業者が我が家の番号に発信しても、たった 1度「トゥルル」と慣らしただけで、あまりにも呆気なく留守電応答に切り替わってしまうので、向こうとしても皆まで聴かないうちに電話を切ってしまうのだろう。これって相手側としても、余計なことを言わずに済むのだからありがたいんじゃなかろうか。

興味深いのは、昨日から留守電が 1本もないという現象である。これってつまり、アヤシい営業電話をかけてくる業者も、年末年始休暇に入ってしまったということなんだろうね。正月 3が日が過ぎるまでは、この状態が続くだろう。

結論的には、「固定電話にかかってくるのは、ほぼ 100% アヤシい営業電話(あるいは選挙前なら、投票依頼電話)である」と判断してもいいだろう。つまり、「① 常時留守電、② 呼び出し音のボリュームはゼロ、③ 呼び出し音 1回で留守電応対に切り替わる」という我が家の設定は、大正解ということだ。「何のために固定電話を設置してるんだ?」と言いたくもなるのだが。

心配なのは、そのうちケータイにまでアヤシい営業電話がドンドンかかってくるという時代になってしまうんじゃなかろうかということだ。そうなると、やりにくいなあ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月29日

年賀状印刷が終わった

一昨日の段階で「年賀状がまだできていない」という記事を書いたが、今日、ようやく 100枚弱の印刷を完了した。空白部分に 1枚ずつ「手書きの一言」を添え、明日投函する。元旦には届かないかもしれないが、2日か 3日には届くだろう。

171229

最近毎年思うのだが、インクジェット・プリンターの性能が上がったのが本当にありがたい。印刷のきれいさも所要時間も、昔と比べたら段違いだ。宛先リストはほとんど完備しているから、デザインさえできてしまえば、あとは一気呵成だ。

今日も裏表の印刷が、40分ぐらいで完了した。昔は半日かかっていたものだし、そのもっと前、PC とインクジェットプリンターの組み合わせではなく、「インクリボン」なんてものを使った熱転写式プリンター一体型のワープロ専用機の時代は、1日がかりだった。

私が初めて富士通のワープロ専用機 ”OASYS” を買ったのは、多分 1985年頃だったと思う。32年も前のことだ。その前は、宛名は手書き、文面は「プリントゴッコ」なるもので印刷していた。これ、簡易謄写版みたいなもので、印刷面が乾くまで時間がかかったから、部屋中に並べて乾燥させながら、ほぼ 2日がかりだった。だからワープロで宛名が自動印刷できるようになっただけでも天国みたいな気がした。

ただ、細いインクリボンを使った熱転写印刷だから、「ジーコンジーコン」と音を立てながら 1枚の宛名印刷が終わるまで、確実に 1分ぐらいかかっていた。葉書も 1度に 10枚ぐらいしかセットできないから、やたらと手間がかかる。そして、画像の印刷なんてさらに面倒だから、相変わらず文面はプリントゴッコという時代が数年続いた。

その後、Windows PC の時代となり、宛名印刷のソフトも少しはまともなのが登場した。さらに文面の画像印刷も使い物になってきて、年賀状作成はようやく気の遠くなるような作業ではなくなった。とはいえ、インクジェット・プリンターの印刷速度がそれほど速くなかったから、やはり半日仕事だったのである。

だから、裏表の印刷が 30分で終わるなんていうのは夢みたいなものなのである。印刷しながら妻と、「最近の年賀状印刷は、楽だよね。あっという間だね」なんて話していた。しかも我が家のインクジェット・プリンターは 5年ほど前のモデルだから、最新モデルだったらもっと短時間で終わるだろう。

フロッピー・ディスクというものを知らない若い世代は、年賀状の印刷が 1日仕事(その前は 2日仕事)だったなんて信じられないだろうと思う。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年12月28日

60年で 「還暦」 になるわけが、ようやくわかった

来年は戌年で、もっと詳しく言うと「戊戌(つちのえいぬ)」という年なんだそうだ。この「戊(つちのえ)」という部分が「十干(じっかん)」というやつで、「戌」というのが いわゆる「十二支」だ。「戊」と「戌」という字はよく似ているが、別ものである。

171228

十干というのは「木、火、土、金、水」の 「五行」というのが元になっていて、それぞれに「兄(え)」と 「弟(と)」があり、例えば「木」 なら「甲(きのえ)」と「乙(きのと)」の 2つに分かれる。それで昔は成績を「甲、乙、丙、丁」 なんて順位にしていた。

ちなみに干支はいろいろなモノやコトの名称ともなっていて、例えば戊辰戦争というのは、この戦いの起こった慶応 4年〜明治元年が「戊辰(つちのえたつ)」の年だったため、この名が付いた。甲子園球場は大正 13年の「甲子(きのえね)」の年に建てられたが、この「甲(きのえ)」は十干の始まり、「子(ね)」は十二支の始まりで、2つの要素の始まり同士の組み合わせは縁起が良いというのでこの名になったと伝えられる。

で、「還暦」というのはこの「十二支」と 「十干」の組み合わせが 60年で一巡して元に戻るのでこのように称されるわけだが、数字に弱い私は、これに関して実はよくわかっていなかった。「12 と 10 の組み合わせが一巡するなら、120年かかるはずじゃん」 なんて思っていたのである。

ところが、私の生まれ年の 1952年(昭和 27年)は「壬辰 (みずのえたつ」の年だが、その 60年後の 2012年(平成 24年)に再び「壬辰」に戻り、めでたく還暦を迎えてしまったのである。よく考えてみれば、そりゃそうだ。

12 と 10 には共通の約数 「2」 があるから、辰年というのは「みずのえ」とか「きのえ」とか、「え」の付く年ばかりになり、「〜と」にはならない。一方、私の妻は翌年の 「癸巳 (みずのとみ)」の年の生まれだが、巳年というのはそんなわけで、 「〜と」ばかりで「みずのえみ」には永遠にならない。だから半分の 60年で一巡するわけだ。要するに、十二支と五行の最小公倍数と考えればいいわけね。

いやはや、こんな当たり前のことが、還暦を過ぎて 5年も経ってから理解できたのだから、私の数字弱さって相当なものである。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月27日

年賀状がまだできていない

いやはや、今年の 12月は、というか、11月頃からメチャクチャ忙しくて、年賀状も大掃除もさっぱりできていない。今日は 27日だから、いつもの年ならオリジナル年賀状の印刷が済んで、1枚 1枚の手書きの一言も仕上がっている頃だが、今年はデザインのアイデアもまとまっていない。

171227

ネットで検索してみると、上の画像のようなデザインがそれこそ、いっくらでも見つかるが、どれもありきたりというか、子どもっぽいというか、なんだか使う気になれないのだよね。それで、毎年自分でデザインしている。

毎年毎年、コンビニで買ったありきたりすぎるほどのどうでもいいデザインの葉書の表側に、単に宛先と自分の住所・名前を印刷しただけの素っ気ないのが来たりするが、それじゃあまりに愛想なさ過ぎるってもんじゃなかろうかと思うのだよね。やっぱり少しは「ああ、あの人らしいよね」と思ってもらえるようなデザインにしたいものである。

とはいえ、まったく愛想なしのどうでもいい年賀状も、考えようによれば「これはれで、まったくもって、あの人らしいよね」と思わせてしまうから、それでいいのかもしれないけどね。

とりあえず、明日の昼過ぎはまとまった時間が取れるから、集中して作成してみようと思っている。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月26日

『天津祝詞』の読み方を巡る冒険

昨年 5月の「固有名詞まで訛っちゃうんだもの」という記事で、茨城では「い」と「え」が見事に入れ替わってしまうという話を紹介した。今住んでいる家の購入契約をする時、「それでは、『えんかん』をお願いします」 と言われて、一瞬「鉛管?」と思ったが、それは「印鑑」のことだったというほどのものである。とにかく生粋の茨城人は、「色鉛筆」と言えないのである。

171226

この関連の話だが、茨城の神社で祝詞を聞いて、初めて「ん?」と思ったのは、10年以上前のことだ。誰かの結婚式に出席したときだったかもしれない。恒例の「天津祝詞(あまつのりと)」の「筑紫の日向の……」以後は、一般的には次のように奏上される(と、少なくとも私は思っていた) 。

筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちはな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)に
御禊(みそぎ)祓(はら)い給(たま)う時に
生坐(あれませ)る祓戸(はらいど)の大神達(おおかみたち)……

ところがその時の神官は、上記の 3行目の 「御禊祓い給う時」 を 「みそぎはらえたまうとき」、4行目の「祓戸(はらいど)の大神達」を、「はらえどのおおかみたち」と発音したのである。とまあ、そんなわけだから、それに続く「祓い給え、浄め給え」の部分も、すっかり「はらえたまい、きよめたまい」になってしまう。

私はそれを聞きながら、「さすがに茨城だなあ」と、むしろ微笑ましく感じていたのだった。

ところが最近、「天津祝詞」というキーワードでググってみて驚いた。多くのページで「みそぎはらえたまうとき」、「はらえどのおおかみたち」、「はらえたまい、きよめたまい」という振り仮名になっているのである。敢えてリンク先は示さないが、試しに「天津祝詞 全文 読み方」というキーワードでググってみるといい。

つまりこれ、なんとまあ、茨城だけの話ではなかったようなのである。じゃあ、一体どっちが本当なんだ?

ここで 『天津祝詞』 をまとめた張本人と言われる平田篤胤の原文といわれるものの画像を紹介しよう。本物という確証があるわけでは決してないが、ざっとこんなものである。

1712262

本文 4行目の「御禊祓比給布時」で、「祓」の送りがなは 「比」、これは現代の平仮名の「ひ」の元になった漢字で、その振り仮名も当然ながら「ヒ」になっているので、「禊ぎ祓ひ給ふ時」、つまり発音としては、「みそぎはらいたまうとき」で OK だろう。

その次の行、「祓戸」の振り仮名は「ハラヒド」なので、やはり「はらいど」と読むべきなんだろうね。さらにその次の行は、「拂比賜弊清米賜閉」で、振り仮名も「ハラヒタマヘキヨメタマヘ」なので、現代の発音は「はらいたまえ、きよめたまえ」となる。

そうじゃないとするウェブページもいくらでもあるのだが、「禊ぎ祓へ給ふ時」と「祓へ給ひ」は文法的に疑問で、「祓ふ」は「給ふ」を原型とする動詞に続くので、「祓ひ」という連用形になるのがフツーだ。というわけで、少なくとも文法的には「禊ぎ祓ひ給ふ時」、「祓ひ給へ」が正式と思うほかない。「祓戸」も、この類いの言葉はフツー「動詞の名詞形 + 名詞」で成り立つ(「回れ道」じゃなくて「回り道」になるように)ので、「祓ひ戸」だろうと思っている。

ただいずれにしても、この手のものは口伝えで受け継がれ、つまり「耳で覚える」ことが多いので変形してしまいやすく、結構いろいろなバージョンがある。「これが絶対に正しい」というのも無粋で気詰まりなので、硬いことを言わず慣れ親しんだ形でやればいいと、個人的には思ってしまうのである。

そもそも、この祝詞、正式には「天津祝詞」じゃなくて「大祓詞」というのだという説もあるので、素人としてはますます硬いことは言わないでおく方が無難だろうと思ってしまう。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月25日

14年連続毎日更新達成

この Today's Crack は、一昨年までは 12月 25日が巡ってくると、「〇年連続毎日更新を達成」 という記事を書いていたが、昨年は「13年連続毎日更新」という記事を書くのを忘れていた。毎日更新があまりにも当たり前のことになってしまったせいなのかもしれない。(下の写真は、一昨年の 「12年連続毎日更新」 記事

171225

とはいえ、今年は 9月に 「連続 5,000日更新」 の記事を書いたこともあって、その流れできちんと思い出してしまったので、「14年連続毎日更新達成」 という記事を書かせていただく。

一口に「14年」と言っても、日数にすれば閏年を入れて 5,113日である。つまり、毎日毎日、5,113回も記事を書いてきたわけだ。我ながらよくもまあネタ切れにもならず書き続けたものである。来年は 15年連続ということになり、日数にして 5,478日になる。そして再来年の小正月頃には 5,500日目になる。

それから、この "Today's Crack" というブログの特徴は、「知のヴァーリトゥード」という個人サイトの一部として運用しているということである。”Wakalog" も「和歌ログ」というサイトの一部だから、こればかりはちょっとおもしろいことだと思う。目次もココログ純正のものより解りやすいと思ってるしね(参照)。

平成 14年 6月までは、このココログは使わずに、「知のヴァーリトゥード」のサイト内コラムとして書き続けていた。そしてココログに移動した 7月頃のアクセスは、せいぜい 1日に 50人が来てくれる程度だった。それが今では、1日にほぼ 1,000人がアクセスしてくれる。これは望外の喜びというものである。

実を言うと、これまで、3,000日目とか 4,000日目とかの区切りの度に、「そろそろこの辺りで、毎日更新というのは止めてもいいんじゃなかろうか」なんて思ったこともある。しかしそうは思っても、つい書いちゃうのだよね。どうやら体に染みついてしまったようなのだ。

さらに、体が健康というのも大きな要素である。何しろ寝込んでしまうようなことがないのだ。これは本当にありがたいことである。しかも単なる毎日更新じゃなく、「Wakalog」と合わせて 2本のブログの毎日更新だから、なまじの健康じゃ追いつかない。

ここまで来ちゃったのだから、「最大の健康法は、2本のブログの毎日更新」ということにしてしまおうかなあ。いずれにしても頭は使うから、多少はボケにくいかもしれないしね。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年12月24日

「雰囲気 — ふいんき」問題を巡る冒険

今月 17日付の "「不要タイヤが必要になる」だと?" という、日本語の一音一拍がおろそかになっていることを論じた記事に、乙痴庵さんが 「iOS 変換候補にフインキで雰囲気が表示されやがった…。iOS、お前もか…」とコメントしてくれた。この「雰囲気 — ふいんき」問題は一音一拍とは違い、「音位転換」とか「音転現象」という範疇のものだが、いずれにしても、iOS までが「ふいんき」に迎合してしまったとは一大事である。

 

171224

言うまでもなく「雰囲気」の読みは誰が何と言っても間違いなく「ふんいき」なのだが、近頃では「ふいんき」だと思っている日本人が増えてしまっているようなのである。平仮名で「ふいんき」と入力しても「雰囲気」に変換されないと言って騒ぎ出す人もいた。

ここで「いた」と書いたのは、まさにそれが過去形になってしまったからに他ならない。iPhone で「ふいんき」と入力すると、上の図のように、「雰囲気」が変換の第一候補として示されるようになってしまったのである。それだけでなく、ATOK でも「ふいんき」の入力で「雰囲気 ≪ふんいきの誤り≫」と表示され、そのまま確定キーを押すと、なんのことなく「雰囲気」に変換されてしまう。

個人的にはかなり腹立たしいが、今や「雰囲気 — ふいんき」は、少なくともかな漢字変換の世界では、ほとんど市民権を獲得してしまったようなのである。ただ、ここまで来てしまうと、「腹立たしい」とばかりも言っていられないのではないかと思い始めた。

というのは、こうした「音位転換/音転現象 というのは、日本語の世界ではこれまでもなかったわけではないのである。ごく身近な例でいえば、この季節にきれいな花を咲かせる「サザンカ」が挙げられる。これ、本来は「サンサカ」という言葉だった。漢字で「山茶花」と書くのだから、「なるほど」と納得してもらえるだろう。それがいつの間にか「サザンカ」で定着してしまったのである。

ほかに「舌鼓」がある。これ、言葉の成り立ちからして「シタツヅミ」が元の形なわけだが、やはりいつの間にか「シタヅツミ」で定着してしまった。同様に「秋葉原」も元は「アキバハラ」、あるいは 「アキバッパラ と呼ばれていたが、今日では JR の駅名も「あきはばら」と表示されている。上でちょっと使った「腹立たしい」も、中には 「はらただしい」 なんて言う人もいるし。

もしかすると「雰囲気」も、将来的には「ふいんき」が正しい読みとして認知されてしまうかもしれない気がしてきた。生きている間にそんなことにならないように望むが、100年も経ったらどうなっているか、知れたものではない。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月23日

クレーム電話の対応を巡る冒険

某メーカーで技術系の仕事をしている友人に聞いた話だが、会社には「キャクソー」と称する仕事のプログラムがあるらしい。これは「お客様相談」の省略形のようだが、要するに消費者からのクレーム電話の対応を経験するのが目的だというのである。

171223_2

趣旨としては、商品開発を行う技術者として、たまには消費者の生の声を聞いてみるということらしいのだが、実際には仕事でドジを踏むと一定時間のキャクソーをやらされるという、「罰ゲーム」的な色彩のあるものと位置付けられている。建て前と本音とは、このあたりでずいぶんズレてしまう。

私は以前、アパレル関連で消費者クレームに関する管理に関わったことがあるので、そんな仕事をやらされるのは、技術系の人間にとってかなりのストレスの元になってしまうだろうと、心から同情した。ところが実際には、消費者対応のノウハウなんて持ち合わせない木訥な技術者の方が、消費者の怒りを鎮めて丸く収まってしまうケースが案外多いと聞いた。

クレーム対応専門の女性オペレーターが、いかにも手慣れた猫なで声でひたすら「申し訳ございません」なんて繰り返すより、即物的に技術論に行ってしまいたがる人間が対応する方が、消費者があっさり折れてしまうというのである。なるほど、ありそうな話だ。

コトを丸く収めようとして、ことさら丁重な対応に出ると、相手は往々にしてかさにかかって高圧的な態度になる。ところが、小難しい技術的な話を訥々と語り始めると、相手は虚を突かれてどう攻めたらいいかわからなくなってしまうのだろう。そもそもクレーム電話なんて些細なことが多いので、「今後は気をつけろ!」の一言で終わってしまうケースが案外多いという。

要するに、人間というのは下手に謝られると調子に乗って強気で攻めるが、自分には理解できないような内容でドライに淡々とやられてしまうと、逆にちょっと引いてしまう傾向があるようなのだ。これは外交関係でもよく見られる構図である。

そんなわけで、欧米では何かトラブルがあった時には「簡単に謝っちゃいけない」というのが常識になっている。日本ではどういうわけか「とにかく謝っておかないと話がこじれる」と思われがちだが、実はあながちそういうわけでもないみたいなのである。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年12月22日

ビットコインって、要するにどういうものなのか

基本的にゼニカネの問題には全く疎くて、金儲けには縁遠い世界で暮らしている。恥ずかしながら、2年ぐらい前までは、「ビットコイン」 というのは Suica や T カードの一種と思っていたほどで、まったくのもの知らずである。

1712222

今はさすがに、ビットコインは Suica じゃないとはわかったが、「じゃあ、何なんだ」と言われてもまともな説明はできない。この分野のことなら、小学生でも私より詳しいのがいくらでもいるだろうから、私は小学生以下である。

今年初め頃、ようやく「ビットコインなんて持ってても、コンビニで買い物できるわけじゃないらしい」という辺りの理解まで辿り着いたわけなのだが、5月頃に「コンビニでビットコイン決済、国内で数十万店舗の可能性も」というニュースをみて、「へえ、コンビニで買い物もできるようになるのか」と驚いた。まあ、ビットとはいえ「コイン」なのだから、そのくらいできても不思議じゃなかろう。

この辺で、理解がちょっとだけ進んだ。つまりハつぁん熊さんでも何となくわかるような言い方をすれば、「ビットコインってのは、チャージ金額が相場で上がったり下がったりする Suica みたいなもの」 と思えば手っ取り早い。

Suica なら 5,000円をチャージすれば 5,000円の使い出が生じるわけだが、ビットコインだと、100万円で購入して、その後に相場が上がれば、120万円ぐらいの使い出になったりすることもあるってわけなのだろう。その逆に、いきなり 80万円ぐらいに下がったりすることもあるのだろうが。

要するに、「支払いもできる株みたいなもの」 と思っていれば間違いないかも知れない。ということは、株式投資には縁のない私だから、ビットコインなんてものにも同様に縁遠いままで生きていても、別に差し障りがないってことだ。

最近はコンビニでの買い物を iPhone の Suica アプリで決済できて、財布の中が小銭ジャラジャラにならずに済むのが、天国みたいに便利でありがたいと思っている私にとって、ビットコインに関しては、ここまでわかりさえすれば十分というものである。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月21日

「外国人に人気の日本の観光スポット」

今日は、昨日の伏見稲荷に関する記事の続きみたいなものである。写真は、昨日紹介した伏見稲荷参道に立ててあった 「外国人に人気のスポット 二〇一七 日本国内四年連続 第一位」 」という幟の下の部分。何やら英語で説明してある。

171221

"Chosen by TripAdvisor Travelers" (トリップアドバイザー旅行者によって選ばれた) という件と "voted by overseas tourist" (海外旅行者によって投票された)というのが並列的に書いてあるので、「おいおい、一体どっちなんだよ」 と言いたくなってしまうのだよね。"TripAdvisor" というのは、旅行関連の情報会社であるらしいのだが、"TripAdvisor Travelers" って何なんだか、よくわからないし。

とりあえず、「トリップアドバイザー・ジャパン」の選出した「旅好きが選ぶ!外国人に人気の日本の観光スポット ランキング 2017」というページを検索して飛んでみた。確かに 1位は 「伏見稲荷大社」 ということになっている。

問題はその次の 2位で、これが「アキバフクロウ」(東京千代田区)ということになっている。「なんじゃ、そりゃ?」と思ってググってみると、「東京都秋葉原にある 【少人数・完全予約制】 のフクロウカフェ」なんだそうだよ。そういえばなんだかそんなようなものがあると、かなり前に何かで読んだことがある。

しかしその、「フクロウカフェ」なるものが外国人旅行者にとって伏見稲荷に次ぐ人気スポットとは、意外以外の何物でもない(と、酔狂で面倒な言い方をしてみる)。外国人って、妙なモノに惹かれるのだね。それに、外国にはこの類いの店ってないのかなあ。

以下、3位 広島平和記念資料館(原爆ドーム、広島平和記念公園)(広島県広島市)、4位 厳島神社(広島県廿日市市)、5位 東大寺(奈良県奈良市)、6位 清水寺(京都府京都市)、7位 新宿御苑(東京都新宿区)、8位 金閣寺(京都府京都市)、9位 箱根彫刻の森美術館(神奈川県箱根町)、10位 高野山 奥之院(和歌山県高野町) がベスト 10に挙げられている。

それに続くのが、11位 奈良公園(奈良県奈良市)、12位 禅林寺 永観堂(京都府京都市)、13位 姫路城(兵庫県姫路市)、14位 兼六園(石川県金沢市)、15位 サムライ剣舞シアター(京都府京都市)、16位 長谷寺(神奈川県鎌倉市)、17位 大本山 大聖院(広島県廿日市市)、18位 沖縄美ら海水族館(沖縄県本部町)、19位 松本城(長野県松本市)、20位 東京都江戸東京博物館(東京都墨田区) となっている。

15位の 「サムライ剣舞シアター」 というのが、まあ、いかにも外国人に人気ということなのかもという気がするが、私自身はその存在すら知らなかった。

このランキングはまだまだあって、30位まで紹介されているが、ここに挙げるのはもう疲れた。興味があったら、上記のリンクで行ってご覧いただきたい。一口に「外国人」と言っても、いろいろあるなあと思わされる。

ただ特筆すべきは、ベスト 30に東京ディズニーリゾートも東京スカイツリーも入っていないということだ。この 2つ、要するに外国人にはアピールしない(あるいは、元々外国人をターゲットとしていない) 施設ってことなのかなあ。私は 2つとも行ったことないから、よくわからないのだが。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月20日

伏見稲荷と中国人観光客

16日の記事で書いたように関西に出張中である。もっとも仕事の本番は明日で、今日は前泊するだけだから、ちょっと早めに出発して伏見稲荷を参拝することにした。

171220

伏見稲荷はこれまで何度か立ち寄ったが、いずれも夕方で暗くなりかけていたので、一の峯や二の峯などのある山頂までは一度も行けていなかった。今回は昼過ぎに到着するので、ゆっくり奥の方まで探索しようというわけである。

というわけで、午後 2時頃から登り始めたのだが、思っていたよりずっと手応えのあるコースで、下界に戻ってくるまでアップダウンの激しい参道を 2時間近く歩き通した。Apple Watch の「アクティビティ」というアプリによると、降りてくるまでに1,000kcal ぐらい消費したことになっている。ウェストの減るのが楽しみだ。

Img_1276ところで、この伏見稲荷というのは、「外国人に人気のスポット 二〇一七 日本国内四年連続 第一位」 なんだそうだ。参道の入り口に何本も立った幟に、そうのように書いてある。なんだか日本語としておかしいというか、ビミョーに気持ち悪い言い回しではあるが、「伏見稲荷は外国人旅行者の皆様に高い評価をいただきました」とあるから、まあ、要するにそういうことなんだろう。

「そんなに外国人に人気なのか」と思って周囲を見渡すが、平日というのにごった返している境内には、それらしき人はあまり見かけない。ところが耳に入ってくるのは声高な中国語がやたら多いので、「ははあ、一見日本人に見えても、多くは中国人なのか」 と察せられた。

境内に入ると、本当に中国語が目立つ。ざっとした印象では、中国語が 6割、日本語 3割、残りが英語とどこの国だかわからない言葉だ。ただ、英語もかなり東洋訛りの英語が多いので、とにかく歩いている人の確実に半数以上は中国人である。振り袖を着た女の子も目立つが、ほとんどレンタル衣装の中国人だ。考えてみれば、日本人は正月でもないのに振り袖着て参拝なんかしない。

伏見稲荷、「外国人に人気」というよりは、「中国人に人気」という方が正確な表現なんじゃなかろうか。

なんでこんなに中国人に人気なのかというと、とにかくあの「千本鳥居」の連なりが受けているらしい。中国人に馴染みやすい朱色の鳥居がずらっと並んでトンネルみたいになっているのが、かなりファンタスティックに受け取られているようなのだ。

それとともに大切な要素が、「拝観料が取られない」ということだという。京都のお寺は浄土宗、浄土真宗関係以外は結構な拝観料を取るが、神社はそんなことがない。ただ、伏見稲荷ほどのスケールでファンタスティックな見もののある神社が無料で入れるというのは、かなりのアピール・ポイントだろう。

それと、「現世利益」 的な雰囲気も重要なポイントかなとも思ったが、見ていても中国人は何か願い事をもって拝むなんて様子はまったくなく、ただひたすら賑やかに写真を撮って通り過ぎるだけなので、これはあまり関係ないかもしれない。ただ、「神聖」というよりは、どちらかというとじゃらじゃらした雰囲気だから、彼らの感性に馴染むのだろう。

というわけで、今日は伏見稲荷でかなりの時間を潰し、結構な運動になったのであった。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月19日

冬の雷、この世の不思議

マザーグースに「冬の雷、この世の不思議」という短いのがある。原詩は "Winter's thunder is the world's wonder." で、"thunder" と "wonder" で韻を踏んでいる。

171219

こんな風に歌われるほど、冬の雷というのは珍しい現象と思われているが、私の生まれた東北日本海側では、冬に雷がよく鳴る。上の図は気象庁の「雷の観測と統計」というページから拝借しているが、東北日本海側から北陸にかけて、赤い丸印が多い。

私の生まれた酒田市は、金沢に次いで日本で 2番目に雷発生が多いということになっているらしいが、これは冬によく雷が発生することによる。12月になると「ガラガラ、ドシン!」という強烈なのがやってきて、これを「雪下ろしの雷」とか「鱈起こしの雷」などと言う。これが鳴ると、雪が本格的に降り出し、寒鱈がおいしくなる。

夏の雷は、地面が暖められて上昇気流が発生し、上空で冷やされて積乱雲になることで生じるが、冬の雷はちょっと違う。地面が暖められるのではなく、暖流の対馬海流から発生する上昇気流が、冷たい季節風で急激に冷やされて生じる。雲の位置が低いので、音がやたらと大きく感じる。そして「ドシン!」 という一発で終わりになり、いつまでも鳴り続けることは少ない気がする。

秋田地方気象台のページによると、冬の雷は「世界的には、ほかではノルウェーの西海岸、北米の五大湖から東海岸くらいでしか見られない」という珍しい現象だという(参照)。確かに 「この世の不思議」といわれるほどのもののようなのである。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月18日

ジャムの瓶のかたい蓋を開けるには

最近買ってきたブルーベリー・ジャムの瓶の蓋が、ものすごく硬くて開けにくい。思いっきり握り、歯を食いしばって開けようとするのだが、びくともしない。

171218

ついに根負けして「瓶の蓋 開け方」というキーワードでググってみたところ、"女性でもできる!めっちゃ固い「ビンの蓋」を簡単に開ける方法" というページが見つかった。次のような方法が書いてある。

道具を使わない開け方

1. ビンの底を強く叩く
2. 瓶の蓋の方を叩きつける
3. フタを押さえビンの方をまわす
4. 片ひざを立てた姿勢で開ける
5. 手首を動かさないと意識して開ける

道具を使う開け方

1. 瓶の蓋の部分を温める
2. 輪ゴムを瓶の蓋に巻きつける
3. ゴム手袋を使う
4. 瓶の蓋のふちを固いもので叩く
5. ビンと蓋の間にすき間を作る

それぞれの項目の詳細は、リンク先に飛んでもらえばわかるが、いずれにしても「道具を使わない開け方」というのは、どれを試しても全然ダメだった。一見もっともらしく書いてあるが、こんなことぐらいでは開くような気がちっともしない。

「道具を使う開け方」の、「瓶の蓋の部分を温める」というのは、50度ぐらいのお湯で蓋を暖めるのだそうだ。そういえば前にガスの火で蓋の部分を熱して成功した覚えがあるが、これだと熱くて火傷しそうだった。50度のお湯なら大丈夫そうだが、何だかお湯を沸かすのが面倒くさい。

さりとて輪ゴムやゴム手袋を使ってもダメだったし、硬いもので叩くとか、隙間を作るためにドライバーを差し込むとかいうのも、何となく気が引ける。最後に「何をやってもどうしても瓶の蓋が開かない時は」という項目を覗いてみると、蓋の部分に錐で穴を開けて空気を入れると書いてあるが、それも何だか気詰まりだ。

で、結局は力技に頼ることにした。覚悟を決めて下腹に力を込め、両手でしっかり握って、「ムムム、オリャア!」と、思い切り捻る。

すると「パコッ」と音がして、案外呆気なく開いた。あれだけ硬かった蓋が、覚悟を決めただけで開いたのである。

そういえば年末の大掃除にしても、妻が「重曹水」だの「セスキ炭酸ソーダ水」だの「クエン酸水」だの、『クロワッサン』で仕入れた知識を元にした手造り洗剤をしっかり用意してくれたが、結局は雑巾で力任せにゴリゴリと水拭きするだけで、私の受け持ち部分の汚れはしっかり取れた。妻の手造り洗剤は全然使わずに済んでしまった。

世の中、やはり結局のところは 「力技」 に勝るものはないと確信したのであった。初めからこれで何でも通用させようとしたら、問題ありすぎかも知れないが。

 

続きを読む "ジャムの瓶のかたい蓋を開けるには"

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2017年12月17日

「不要タイヤが必要になる」だと?

朝のラジオの道路情報で、女性キャスターが「関東北部では不要タイヤが必要になるところがあるかもしれません」と言うのを聞いて、一瞬ぽかんとしてしまった。まあ、すぐに「冬用タイヤが必要になる」と言ったつもりなのだと理解したが。

171217

演劇やアナウンスの訓練では、「一音一拍」ということをしっかりと体に叩き込む。「冬用」は、極端に区切って言えば「ふ・ゆ・よぉ」となるのであって、「ゆ」と「よ」を曖昧に一拍にして「ふよぉ」と言ったり、甚だしくは「ひゅよぉ」 かになっちゃったりしたら、すぐにダメ出しされてしまう。

ところが最近のアナウンサーやキャスターなどは、この一音一拍がかなりおろそかになっている。まあ、「不要タイヤが必要になる」というのはかなり極端な例だが、そのほかで気になる例を挙げれば、「手術」が「しゅーつ」、「衆院議員」が「しゅいんぎん」になったりするのは日常茶飯事だ。「祝辞」が「しくじ」(アタマの 「しゅ」 が無声音の "sh" になる)「茶髪」が「ちぱつ (これも、アタマが無声音の "ch") になったりするのも、結構よくある。

さらに最近目立つのは、「東京オリンピック」を「冬季オリンピック」に聞こえる発音にしてしまう例で、お笑い芸人なんかだと、単なる印象ではあるが、8割以上が陥っている罠だ。話の流れで「東京オリンピック」のことと理解されちゃうのだろうが、私みたいにアスペルガー一歩手前の人間だと、結構戸惑ってしまうのだよ。

 

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2017年12月16日

年末の京都・奈良を訪ねたい

よくよく押し詰まった 20日に、出張で大阪に行く。仕事の本番は 21日で、この日は前泊だから、早めに出かけて京都か奈良でも見物しようかと思っている。

171216

ただ、どうにも中途半端なのだよね。京都か奈良か、どちらにするか決めていないが、いずれにしても朝につくばの地を出発して、到着するのは昼頃になる。見物するのはせいぜい半日だ。あまり奥の方までは脚を伸ばせない。

ただ、京都でも奈良でも中心部の夏だと考えただけでも汗をかいてしまうから、京都なら大原とか貴船とかに行きたくなってしまう。しかし冬はどこでも行けるのがありがたい。要するに汗をかかずに中心部を歩けるということだ。

最近はあまり中心部を探訪したことがないから、今回は祇園とか、あの辺りをうろついてみるのもいいかもしれない。

ただ、今年の師走は何だかんだと忙しすぎて、年賀状を書いている暇のないのが気がかりだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月15日

「確実に儲かるなら、なぜ自分でやらない?」 と聞けばいい

ジャパンライフという会社に「異例の業務停止命令」が出されたと、NHK が報じていた(参照)。なんでも、この会社の取り扱う健康器具のオーナーになると、そのレンタル・ビジネスによって、年に 6% の配当が付くという話で一人暮らしの年寄りから多額の金を集めていたという。この会社、結構名の知られた会社で、サイトに行ってみると、なんとまあ、爽やかで健康的なイメージなのであった。

171215

ニュースで紹介された 60代の女性は、7年前、勧誘の電話を受け同社の集会に参加、「3000万円を支払ってレンタル用の磁気治療器のオーナーになれば、年 6%の高い配当がつくため、20年で 4000万円が支払われる」と説明されたという。20年で 4000万円ということは、1年で 200万、月に 16万ちょっとということだ。

しかしこの会社は多額の債務超過に陥っているという。元金を取り戻すだけで 15年かかる計算だが、こんな会社が 15年ももつという保証は全然ない。さらに言えば、結構な年寄りが 15年とか 20年以上生きる保証もない。保証されない条件が 2つも重なっているのに、よくまあ、3000万円もの金をポンと出す気になるものである。

案の定、この女性が不安になって解約を申し入れたところ、返金には応じられないという返事だったという。多分、返せる金なんてないんだろう。

4年ほど前に「楽して金儲けしたい心情」という記事で、詐欺商法に騙されないためには、「世の中に、おいしい話なんて、そうそう転がっているわけがない」という常識を尊重するしかないというようなことを書いた。欲に目がくらんでしまうと、自分に限っては常識はずれのおいしい話に遭遇することがあっても、決して不思議じゃないと思い込んでしまうために、コロッと騙されてしまうのだ。

この記事のコメント欄に、ハマッコーさんが最強の防御策を書いてくれた。こんなようなことである。

30年前に 「いま、金を買えば確実に儲かりますよ」という電話がかかってきた。

「そんなに儲かるの?」
「はい、確実に儲かります」
「そんなに儲かる話を他人に教えたらダメでしょう。電話なんかしてないで金は自分で買わなくちゃ」

まさに、これこそ最強の防御策である。妙なセールスマンにおいしい儲け話を持ちかけられたら、「そんなに確実に儲かるなら、どうして自分でやらないの?」と聞けばいい。自分でやらないのは、「そんな美味しすぎる話は、アブナイに決まってる」と知っているからにほかならない。

 

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2017年12月14日

米を使った麺類も、できない話じゃないらしい

4年近く前、「英語以外のカタカナ言葉、とくにスイーツ系やフランス料理系の言葉は、はっきり言ってさっぱりわからない」と書いた(参照)。「フォンデュ」とか「テリーヌ」とか「カルパッチョ」とかいう食い物が、どんなものだか想像もつかない。

171214_3

だから、"小麦アレルギーでも大丈夫!  新食材 「ライスジュレ」で期待される安全な食のイノベーション" という記事の見出しだけ読むと、「ライスジュレって一体、米の何なんだよ!?」とイラついてしまうのである。調べてみると「ジュレ」というのはフランス語で「ゼリー」のことだという。つまり「米のゼリー」である。

「だったら、初めから『ライス・ゼリー』(本来は「ライス・ジェリー」かな)と言えばいいじゃないか。英語とフランス語、ごちゃ混ぜにすんなよ!」となってしまうのだが、そこはそれ、「ゼリー」というより「ジュレ」と言った方が、お洒落感があってなおかつ、より新しい可能性を暗示すると思われているようなのだ。というわけで、ここはおとなしく引き下がろうか。

話が脱線したが、とにかく茨城県河内町(私の住むつくばの地から、そう遠くない)にあるライステクノロジーかわちという会社が、米を使ってゼリー状の食材を開発したというのである。詳細は上のリンク先に飛んでもらえばわかるが、米のゼリー状食材によって、パンだろうとシュークリームだろうと麺類だろうと、自由自在に作れるという技術が開発されたんだそうだ。

私は麺類好きだから、米を使ったいろいろなヌードルが登場したら率先して食ってみたいと思うのである。そんなことを思いながら、夕方に小腹が空いて、讃岐うどんチェーンの 「丸亀製麺」 に寄ったら、カウンターの暖簾の上に 「当店では国産の米を使用しています」 という貼り紙があった。

一瞬「なぬ! さすがお膝元茨城県の丸亀製麺では、既に米でうどんを作り始めたのか!」と驚いたが、何のことはない。このチェーンではうどんだけでなく「おにぎり」も扱っていて、国産米を使っているのはどうやら、おにぎりということのようだった。

オチがお粗末で申し訳ない。とはいえ、丸亀製麺には「当店のおにぎりは、国産米を使用しています」と書いてもらいたかったなあ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月13日

羽生永世七冠の偉大さを、実感として理解できる素養がない

私は将棋というものがからきしダメなので、羽生善治氏が「永世七冠」達成というニュースを聞いて、彼が生きている間はずっと最高位に留まるので、七冠のタイトル戦はなくなってしまったのかと思っていた。

171213

ところがよく聞いてみると、これは「名誉称号」みたいなもので、それぞれのタイトル戦はこれからもフツーに行われるというのである。そりゃ、そうだろうね。そうでなければ、将棋の世界が商売にならない。ということは、仮に羽生氏が来年どれかのタイトルを失っても、「永世なんとか」という称号を名乗り続けることができるというわけだ。なんだかよくわからん話だが。

既に何度か書いていることだが、私は将棋の駒の動かし方ぐらいは知っているが、実際に将棋を指して人に勝ったことが生まれて一度もない。何が苦手といって、将棋ほど苦手なものはこの世にないと言っていいぐらいのものだ。

私は父の遺伝子をかなり色濃く継いでいると思っているが、将棋と囲碁の素質だけは全然引き継いでいない。父はかなり上手だったようなのである。「ようなのである」というのは、父の上手さを理解できるほどの素養のない息子なのだから、しょうがない。

それだけに、羽生氏の偉大さというのはいろいろ伝え聞くことはあっても、実感としてはさっぱりわからない。「よほど強いんだろうな」とは思っても、「強いって、どういうことなんだ?」というのが全然想像も付かないのである。音痴がジャズのアドリブを、「単なるでたらめ」と思ってしまうようなものだ。

ある分野における名人の妙技を理解するためには、多少なりともその分野の「勘所」みたいなものを理解しておかないと無理なのかもしれないと、つくづく思う。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年12月12日

キラキラネームは、今後減っていくかもしれない

ラジオで聴取者から「今年のできごと」を募集する特集を聞いた。まあ、いろいろな嬉しいできごとが寄せられていたが、その中で定番なのが、「初孫ができたこと」 というものである。ところが続いて「がっかりしたこと」が加えられたものもあり、それは「その孫に、子どもが変てこなキラキラネームを付けてしまった」というのだった。

171212_2

ネットで検索したら、約 1年前の「弁護士ドットコムニュース」に "「キラキラネーム 1位は「唯愛(いちか)」 … 受験でマイナス評価されても仕方ない?" なんていうのがあった。ちなみに上の画像の「唯愛」は、見出しにあるように「いちか」と読ませられ、「ゆめ」という読みもあるらしい。

もっとわからないのが 2位の「碧空」で、これは「みらん」あるいは「あとむ」。そして 3位の「優杏」は「ゆず」と読むらしい。さらに恐ろしいことにそれぞれの名前の読み方の説明には、どれにも「など」と添えられていて、これ以外にも素っ頓狂(としか思われない)な読みがいろいろあるらしいのである。

ラジオにメールを寄せたおじいさんには、まことに気の毒なことである。可愛い孫の名前を呼ぶのに、諦めがつくまで結構な時間がかかってしまうだろう。

子どもの世代が孫に変なキラキラネームを付けてしまうことが増えているのかもしれないと、ちょっと「孫 キラキラネーム」というキーワードでググってみたところ、意外な結果になった。孫に妙な名前を付けたがるおばあさんが多く、子の世代が悩んでいるというケースの方が目に付くのである。

とくに「私にキラキラネームをつけた母が孫にもキラキラネームをつけようとしてきた」という記事は、つくづく気の毒なケースである。投稿者の名前は「宝塚にハマった中高生が芸名として考えそうなもの」というのだが、彼女の母の考えた第一候補は、もっとすごかったらしい。「周囲が必死になだめて、渋々マイルドにした結果が私の名前」というのである。

その母が、孫の名前を「さえ」にしたがったらしい。読みだけみれば案外まともだが、漢字が「小星」というのである。以下、引用。

・ 小 = 『さ』 は小さくて可愛らしいものに付く言葉
・ 星はフランス語でエトワール = 『え』
・ 小さくて可愛らしい、夜空に輝くお星さまのような孫娘ちゃん (はぁと)

30年経っても変わらない母親のセンスに、娘の思いは一気に冷めてしまったというのだが、こうした傾向からすると、キラキラネームは既にピークを過ぎて、今後は徐々に減っていくのかもしれない。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年12月11日

"CD-R" ってものを使わなくなって久しい

先日、友人たちと「近頃は、『フロッピー・ディスクを見たことない』って若い奴がかなり多いんだよね」という話で盛り上がった。エレクトーンの講師をしている知り合いの女性は、「昔はエレクトーンにフロッピー・ディスクは付きものでしたけど、今は 30歳より若い子は、『フロッピー? 何それ?』という世代ですよ」と言う。

171211

友人の 1人は、「今どきはワープロや表計算の文書にちょっと画像を挿入しただけで、あっという間にファイルサイズが 1.44MB の容量からはみ出してしまうから、使い物にならないよ」と言う。「そうだよね。いくら何でも容量が小さすぎるよね」と、私も同意した。

しかし今日になって、フロッピー・ディスクが姿を消したのは、決して容量だけの問題じゃないと気付いた。

というのは、年末ギリギリになる前にデスク周りの整理をしておこうと思い立って、棚の奥の "CD-R" の容器に気付いたのである。20枚ぐらい、まったく手を触れないまま 3年以上眠らせていた。

思い起こせばちょっと前までは、CD-R をよく使っていたものである。データを渡すのに、「私、インターネットのメールできません」なんて言うオバサンがまだフツーにいた時代だった。「じゃ、フロッピーに保存して持って行こうか?」と言うと、「私のパソコン、新しいから、フロッピー入れる口がないんです」なんてことを言う。

「わかったよ。じゃあ、CD−R に焼いて持ってってあげるから」なんてことになり、650MB ぐらいの容量のディスクの、ほんの 5mm 足らずの幅を使って、せいぜい 85KB ぐらいのファイルを保存し、物理的に運んで手渡ししていたものだ。

CD-R というメディアは裏のキラキラした面を見ると、データを焼いた部分だけが白っぽくなっていて、「こんなに大きなディスクの、これっぽっちしか使ってないのか。なんてコスト効率が悪いんだ」なんて呟きながら運んでいた。

ところが昨今は、インターネットを使えて当たり前の世の中となり、かなり大きなファイルはメールに添付なんかしなくても、クラウド・サービスで共有できたりする。CD-R で手渡ししていたなんて、どんな大昔のことかと思ってしまうが、ほんの数年前までのことだった。

それが、今では音楽だって CD の形で買ってくるなんてことが激減し、それどころか Apple は iTunes でのダウンロード販売を中止し、ストリーミングだけにしてしまいたいらしい。形ある「モノ」の上に焼き付けてデータをやり取りするという時代は、とっくに過ぎ去ってしまったようなのだ。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年12月10日

日本人の独特すぎる宗教観

NewSphere が「日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない? 米メディアが探る日本人の心根」という記事を報じている。米国のメディアが「宗教と信仰が大部分において乖離している日本の状況について論じた記事」を紹介したものだ。

171219

クリスチャン・サイエンス・モニター紙(CSM)は、日本人の 62%が無宗教としているのに、多くの人が寺社仏閣などに参拝している日本の状況を、ある参拝者の「神社にお詣りするのは、宗教を信じているのとは別」というコメントを切り口にして、日本では「宗教が生活の慣習の一部として存在」し、「聖と俗が分かちがたい状況にある」と説明している。これ、なかなかいいところを突いた指摘だと思う。

米公共ラジオ放送(PRI)は、東京渋谷の金王八幡宮の田所克敏宮司の言を紹介している。彼は「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。すでにいた八百万の神にもう 2つ加わった、というだけのこと」と、かなり乱暴なことを言っているのだが、まあ、ある意味日本人の宗教観が実際に乱暴だということだ。

田所宮司はこのあたりのことを、「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」と説明する。そのため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教スタイルにし、葬式は仏教の形式で執り行う。西欧的な常識からすれば乱暴極まりなく、冒涜的ですらあるが、日本ではそれを誰もとがめない。

別のアメリカのメディア PBS(Public Broadcasting Service)は、東日本大震災の被災地の人々が見せた忍耐強さを、「荒ぶる神」の視点から論じている。ケンタッキー州ベリア大学のジェフリー・リチー准教授は「日本の神は善いものも悪いものもさまざまおり、その心も行いもとりどりであり、人の小さな知恵では計り知れないもの」とする。

「聖」と「俗」を明確に区別している西洋的な宗教観からすると、日本人のそれは、かなり異質と言わなければならない。日本人は「聖なる絶対的存在」である神に「宗教的導き」を求めるわけではなく、ただひたすら「受け入れる」のである。現世利益を求めながら、時には「荒ぶる神」さえも、ひたすら受け入れるのだ。

早稲田小劇場を主宰していた鈴木忠志氏は、活動の場を東京から富山の山奥に移すにあたり、「これは『信心』からきたものだ。自分は神仏に対する態度を『信仰』ではなく『信心』と言いたい」と語っていた。彼はこのあたりの日本的心根をかなりよく理解していたのである。

私は、日本人にとっての神は「気配」なのだと思っている。絶対的なものじゃないのだ。宗教的には非常にプリミティブである。こんなにプリミティブな人たちが高度な文明の中で暮らしているのは、西欧的視点からは確かに驚き以外の何物でもないのだが、当の日本人はこの点について、まったくあっけらかんと全然無頓着なのだよね。

この無頓着さに関しては、日本人の私でさえ時々呆気にとられる。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年12月 9日

今回の深川の事件について

私は神社仏閣好きなのだが、今何かと話題の富岡八幡宮には、どういうわけか一度も行ったことがない。それどころか、最寄り駅の東京メトロ、門前仲町という駅で下車したことすらない。個人的には縁遠い神社である。

171209

間もなく新年になってしまうが、こんなことがあった直後だけに、富岡八幡宮の初詣客は激減するだろう。下世話な話だが、お賽銭収入だってまともには入らないだろうし、関係者にとっては頭の痛い話になる。

事件の背景には肉親同士の愛憎があったという。自殺した容疑者は自分の息子を宮司にすることを要求していて、「実行されなかった時は、死後においても怨霊となり祟り続ける」などと書いた手紙を関係者に送りつけていたという(参照)。物騒な話である。いくら理不尽な話でも怨霊になるのは当人の勝手だから、このあたりのことはしっかりと宗教的に解決しなければならない。

ほとぼりの冷めた頃合いに、この事件で命を落とした 3人の魂鎮めを懇ろに執り行わなって、「きちんと浄めた」ということにしないと、後々まで参拝客の数が回復しないだろう。その前に宮司の跡継ぎまで決めなければならないとなると、後始末はなかなかつかないだろうから、下手するとぐずぐずしているうちに神社そのものが衰退してしまいかねない。

この件に関連してもう一つの話題は、神社本庁が今回の被害者である姉の方の宮司就任を認めようとしなかったということだ。「女性差別」ではないかという声もある。このため富岡八幡宮は神社本庁を脱退するまでに至っている。

全国の神社の中には女性の宮司も何人か存在するらしいが、富岡八幡宮クラスの格の高い神社になると、女性宮司というのは事実上あり得ないらしい。何しろ神社本庁というのは例の日本会議の中心的存在だから、女性天皇を認めたくないのと同様、女性宮司も歓迎しないのだろう。

今回の事件は、いろいろな問題を浮き彫りにしてしまうようなのである。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 8日

今日は寒くなったとはいえ、地球温暖化を実感

今日はやたらと冷え込んで、昼間に仕事をしていても、暖房を付けないと寒くて震えてしまう。明朝はもっと冷え込んで、関東でも雪が舞うらしい。

171208_2

とはいいながら、私がこのつくばの地に引っ越して来た 昭和 55年(1980年)頃の冬の寒さは、こんなもんじゃなかった。12月の声を聞いた途端に、それまで住んでいた東京杉並区西荻窪と比べると段違いの凍えるような寒さになってしまったから、あわてて分厚い羽毛布団を買い足した。

ところが今年は、いくら寒いとは言っても、まだその時に買った分厚い羽毛布団は使っていない。薄めの羽毛布団と毛布だけで寝ていられる。今夜から冷え込むというので、やや厚めの羽毛布団に変えたが、35年前に買った分厚い羽毛布団を使う気には、まだなっていない。

「あの頃の冬は、本当に寒かったなあ」と、しみじみ思い出す。ただ、印象だけの話で終わりたくはないので、気象庁のサイトに行って、この辺りの気温データにあたってみた。上の表は、つくば市付近の 1981年以後の月別の平均気温をまとめたものだ(クリックで拡大表示される)。1985年から 2015年までは、5年ごとのデータを表示し、最下段にはその年の通年平均気温を示した。

こうしてみると、ここに引っ越して来た頃の冬は、本当に寒かったのである。1981年 1月の平均気温は 1.0℃ で、4年後の 1985年 1月なんて、0.2℃ だ。ところが 1995年頃から 1月の平均気温が上がってきていて、最近ではずっと 3℃ 以上の数字を示している。

当然ながら年によってばらつきはあるものの、全体を通してみれば、冬は暖かく、夏はより暑くなる方向で推移しているのがわかる。引っ越して来た当初、12月から 2月までずっと使いっぱなしだった分厚い羽毛布団は、最近では 1月の一番寒い時期に使うだけになってしまっている。

通年の平均気温は、今年の 12月がまだ終わっていないので最終確定数値ではないが、36年前と比べて 2.6℃も上昇しているのだ。年間平均気温がこれだけ上昇しているというのは、尋常なことではない。地球温暖化は、体感的にもデータ的にもしっかり裏付けられている。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月 7日

"Office 2011" から "Office 365" に乗り換えた

MacBook Pro にインストールして使っていた Office Set を更新した。これまでは "Microsoft Office 2011" というのを使っていたのだが、ずいぶん前からやたらと調子が悪くなっていたのである。

171207

Microsoft Office は、PC を仕事で使っている者にとっては、不本意ながら、不可欠と言っていい。例えば原稿を書くにも、Mac 専用の ”Pages" というワープロでは縦書きができない(裏技を使えばできなくもないのだが、手間がかかる)などの制限があり、他にも縦書き可能のエディターはいくつかあるのだが、やっぱり使い勝手の点で MS Office セットを選んでしまう。

ところがここしばらく、とくに Word の使い勝手がものすごく悪くなっていた。すぐに落っこちてしまうトラブルがここ 1年近く続いていて、だましだまし使っていたのだが、MacOS を 最新版の High Sierra にアップデートして以来、ますますおかしくなってしまった。縦書き表示にすると、句読点や長音記号(ー)、括弧、カギ括弧などが、横書きのまま表示されてしまうのである。

さらに文字化けも頻発して、いよいよ「こりゃもう、使い物にならんわ!」と匙を投げるところまで来てしまった。調べてみると Office 2011 は、High Sierra では「サポート対象外」とされてしまっているではないか(参照)。道理でね。まあ、2014年 1月以来、4年近くも使い続けてきたのだから、諦めも案外簡単についた。

で、今日たまたま ケーズデンキ に寄ったついでに、"Office 365 Solo" というパッケージを買ってきた。プログラムはどうせネットからダウンロードして使うので、店頭で買うのは、銀色でカバーされた部分をコインで削り取ると「プロダクトキー」が表われるカード 1枚である。

Office 365 というのは、Office 2016 というパッケージのクラウド版みたいなもので、年間契約だから、3年使うとパッケージ版と同じぐらいの金額負担になる。しかしクラウド版だけに常に自動でアップデートしてくれるから、安心感はあるだろう。

ただ、買ってしまってからちょっとムッときてしまったことがある。カードを見れば、Word、Excel、Outlook、PowerPoint などの他に、データベースの Access も使えることになっていて、10年以上前は仕事で Access でプログラムを組んだりしていた身としては、「おお、久しぶりに使ってみるのもいいかな」と思ったのだが、これ、実は Mac では使えないのである。そう言えば既に知ってることではあったが、うっかりしていた。

安く上げさえすればいいというのなら、Mac 用の Office 互換セットもあり、”Libre Offce” の ”Writer" というワープロは、縦書きも段組もフツーにこなすらしいのだが、MS の Office は、無料の iOS 版があり、プレゼンをする時に小さな iPhone を使い、PowerPoint で縦書き表示の画面を映し出すことができるというメリットがある(参照)。何だかんだと言っても、まだ離れられないのだよね。口惜しいけど。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 6日

近江と遠江という 2つの国

知り合いに近藤さんと遠藤さんという人がいて、どちらも同じような仕事をしているのでややこしい。地名でも、これは旧律令国名だが、「近江」と「遠江」というのがある。下の地図では残念なことに「遠江」のふりがなが「とうとうみ」となっているが、「とおとうみ」が正しい。さらに言えば、旧仮名では「近江」が「あふみ」で、「遠江」は「とほたふみ」となる。

171206

遠江の国とは、今の静岡県西部にあたり、長門国を「長州」、甲斐国を「甲州」 というのと同様に、「遠州」とも言った。広澤虎三の浪曲で「遠州森の石松」というのが有名になっているが、遠江の森というところの生まれということになっている。ただし、実在したかどうかは怪しいらしい。

遠江と近江(今の滋賀県)がワンセットの地名であるとは、昔から言われていることだ。つまり琵琶湖が都のある畿内から近い湖なので 「近い淡海」という意味で「近つあはうみ」と言われていたのに対し、浜名湖は「遠い淡海」ということで「遠つあはうみ」と呼ばれ、それがそのまま地名の「とほたふみ」-「とおとうみ」になった。

まあ、ここまではよく知られていることだが、私はこれまでずっと「浜名湖は『淡海』(淡水湖)じゃなくて、海水と混じり合った汽水湖なんだがなあ」と疑問に思っていた。「看板に偽りあり」というわけである。

ところが、最近たまたま機会があって調べてみたところ、浜名湖は昔は本当に「淡海」、つまり淡水湖だったということがわかった。地名は嘘じゃなかったわけである。Wikipedia の「浜名湖」の項目に次のようにある。

もとは砂州によって境される淡水湖が 1498年の大地震と高潮により、砂州が決壊し外海と通じ、汽水湖となった。

より詳しくは、次の記述がある。

浜名湖は海に近い湖であったが、湖面の方が海面より高く、浜名湖より流れ出る川を海水が逆流するようなことは無かった。

しかし、明応 7年(1498年)に起きた明応地震やそれに伴う津波により、浜名湖と海を隔てていた地面の弱い部分(砂提)が決壊し現在のような汽水湖となった。

へえ、知らなかった。とすると、浜名湖の「遠つ淡海」は、「都から遠くにある淡海」という元々の意味の他に、図らずも「遠い昔は淡海だった」という意味までもってしまっているのだね。

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年12月 5日

私の 「スマホ依存」 は、案外軽度であるらしい

一昨日の当欄に 「iOS 不具合発生の当日が、大忙しでよかった」 という記事を書いた。私は 12月 2日に忙しくて iPhone を操作している隙がなく、この日未明から発生していた iOS の不具合に、全然気付かなかった。日が変わって「ありゃ、こりゃ何じゃ?」と思った時には既に Apple がバグ修正の iOS を提供してくれていたため、焦って余計なことをせずに済んだというお話である。

171205

ところで今日、「スマホ依存で不安感増大、脳のはたらきに影響も」という CNN の記事に行き当たった。スマートフォンが使えないことに恐怖を感じる依存症の人が増加していて、こうした症状は「ノモフォビア」(Nomophobia)と呼ばれるのだそうだ。"NO MObile PHOne phoBIA" の略語で、"phobia" とは 「恐怖症」 のことである。

私は日頃、メールやニュース、天気予報の確認、SNS のチェック、ありとあらゆる調べ物などに、iPhone を使いまくっていて、「iPhone がないと、仕事にならないよ」と公言している。てことは、かなり「ノモフォビア度」が高いと思ってしまうが、一方で、忙しいとほぼ 1日中iPhone を起動させずに済んでしまったのだから、案外そうでもないかも知れない。

そこで、CNN の記事で紹介されていた「インターネットで質問に答えると、自分のノモフォビア度を判定できる英語のサイト」で、チェックしてみようと思い立ったのである。この CNN のニュースでは不親切なことに、その 「英語のサイト」 へのリンクがなかったので、自分でググって行ってみた。

HUFFPOST の "This Scientific Test Will Tell You How Addicted You Are To Your Smartphone" (あなたのスマホ依存度を教えてくれる科学的テスト)というページである。意外なことに、2年半も前の記事だ。20の質問事項に、「1: 全然あてはまらない」から「7: すごく当てはまる」という 7段階の数字で回答し、その合計でノモフォビア度が判定される。

で、私の結果は合計 50点で、"Mild Nomophobia"(軽度のノモフォビア)と判定された。140点満点(これ、「満点」と言っていいのかなあ)中の 50点なのだから、まあ、そんなところだろう。「スマホを家に忘れた時や、Wifi にアクセスできない時に少し焦るが、それほど大した問題じゃない」という診断である。

忙しいと 1日 iPhone を起動させなくても平気だったんだから、せいぜいその程度の依存度なんだろうね。我ながら少し安心した。

ちなみに、61点以上は「中程度のノモフォビア」で、101点以上は「深刻なノモフォビア」なんだそうだ。深刻な人はスマホなしでは 60秒もたないというのだが、そんな人とは個人的には会ったことがない。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 4日

日本プロ野球の 「黒船」 とは

野球にはそれほど強い興味がないのだが、敢えて言えば昔から「アンチ巨人」の立場を貫いてきた。というか、私の場合は「アンチ巨人」というよりは「アンチ巨人ファン」という方がいいかもしれない。

171130

巨人ファンというのは、まあ決して全員がそうというわけじゃないが、単純に「勝馬に乗っていれば幸せ」的な人が多いという印象である。ただそれは何も巨人ファンに限った話ではなく、時々ヤクルトが優勝したりすると、急 「自分は前々からヤクルト・ファン」などと言い始める人がいるのと本質的には変わらない。

と公言する機会が多くなっているだけで、要するにしょっちゅう勝馬に乗っているわけだ。それが昂じると巨人が勝っているうちはいいが、負ければ堂々と機嫌が悪くなったりする。これははっきり言って大人げないわがままで、私としては「負けて当たり前、勝てば嬉しい」という阪神ファンの方にずっと親近感を覚える。

というわけで私はジャイアンツに特段の恨みはないが、巨人ファン的体質が嫌いなので、当然ながら、巨人が調子よく連戦連勝を続けるよりは、コロコロ負けてくれる方が世の中のためになると思いながら生きてきた。

ところが最近はプロ野球自体が一時の勢いがなくなってきて、私としてもその勝ち負けを意識することもあまりなくなってきたのである。そしてふと気付けば、ジャイアンツは 3年続けてリーグ優勝を逃していて、さらに 4年前はリーグ優勝したのに「クライマックス・シリーズ」とやらで負けて、日本シリーズに進めなかった。

というわけで「アンチ巨人」であり続けるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、最近の巨人は強くないみたいなのである。福岡のソフトバンクとか北海道の日本ハムとか、東北の楽天とかが力を付けていて、従来の中日、阪神、広島といったセリーグの球団だけに限らず、全体的にフランチャイズ制の意味が実感できる状態に近付いてきた。これはなかなかいい傾向だと思う。あとはいっそ、企業名ではなく地名をチーム名にすればいい。

ちょっと過去に遡って調べてみたところ、2003年から 2006年にかけて、巨人が 4年連続リーグ優勝を逃した時期があって、この時は 3位、3位、5位、4位と、今回より始末が悪かった。2004〜05年に監督を務めた堀内恒夫は、こう言っちゃナンだが「監督としては無能」の烙印を押されて、3年契約完了を待たず辞任している。

2003年に優勝を逃したのは、第一次原監督時代の最終シーズンで、松井秀喜がメジャー・リーグのヤンキーズに FA 移籍していなくなった年だった。結局この穴を埋めることができず、翌年の堀内監督時代にはチーム内のモチベーションまで下がっていたようだ。

こうしてみると松井秀喜の国外移籍は、かなり象徴的な出来事だったわけだ。それまでの読売巨人軍は日本プロ野球界の頂点に君臨していたのだが、これ以後、優秀な選手は狭い日本の頂点の巨人なんかよりも、メジャー・リーグに行きたいと思うようになったのだ。

ちょっと前まで日本の野球界ではドラフト制度があるとはいえ、結局は FA 制度とやらのおかげで、良い成績を残した選手は何年かすれば大抵巨人に移籍できた。そのせいで、それまでは他チームで四番打者だった選手が巨人では代打要員になったりして、野球界全体の人的資源活用という見地からすると、いかがなものかという状態にまでなっていた。

ところが最近は、優秀な選手は FA でどんどん国外に出て行くようになった。ということは、巨人はいい選手を独占できなくなったのである。

ドラフト制度で実現できなかった日本プロ野球界の戦力平準化は、こうしてメジャー・リーグへの移籍拡大という現象で、ようやく実現されつつあるわけだ。やはり日本という国は、「黒船」がなければ根本的な変化は遂げにくいようなのである。

【付け足し】

私としては「メジャー・リーグ」なんて表記するのはちょっと痛恨で、「物差しリーグ」じゃあるまいし、"Major League" の本来の発音に近い 「メイジャー・リーグ」と書きたいところなのだが、最近は不本意ながら大勢に従っている。「メイジャー・リーグ」と書くと、気取ってると思われたり、果ては「メジャー・リーグの間違いでしょ」なんて言われちゃったりすることまであるし。

日本では、音楽の "C major"(日本語では 「ハ長調」 のことね はあくまでも「シー・メイジャー」であって、「シー・メジャー」なんて言わないのに、その他の分野ではなぜか 「メジャー」 と言うのがマジョリティになってしまったようなのだ。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年12月 3日

iOS 不具合発生の当日が、大忙しでよかった

日付が今日に変わったばかりの頃、ベッドに入る前にメールを確認しようと iPhone を起動させると、どうも様子がおかしい。数十秒ごとにシステムが再起動を繰り返して、パスコードの入力を求めてくるので、どうにも使い物にならなくなっている。

171203

ちょっと Facebook を覗くと、「iPhone が何度も再起動を繰り返します。どうなってるんでしょう」 なんていう書き込みがいくつかある。「へぇ、これって、結構あちこちで発生してるんだ」と、ようやく事の重大さが飲み込めてきた。

ただ、これだけ重大なことになっているのなら、Apple の方で迅速に対処してくれているんじゃあるまいかと、頻繁な再起動の隙間を縫って 「設定 − 一般 − ソフトウェア・アップデート」を見てみると、iOS の最新バージョン、11.2 が提供されている。とりあえずダウンロードしてインストールすることにする。

この処理中にも頻繁に再起動してパスコード入力が求められるので、かなりうっとうしかったが、その度に処理が振り出しに戻るわけじゃなく、落ちた時点から再スタートしてくれるので、何度か繰り返しているうちにインストールまで完了し、iPhone はめでたく生き返った。ここまで、せいぜい 20分程度で済んだ。

朝起きてからネットにアクセスしてみると、昨日はあちこちで大騒ぎになって、iPhone ショップには相談しに来たユーザーが列をなしたなんてことが書いてある。へえ、そんな面倒な列に並ぶより、とりあえずちょっと待って iOS をアップデートしてみればなんなく解決するのにと驚いた。

もう少し検索してみると、この不具合は 12月 2日の日付になってから、ある種の通知を送ってくるアプリとの相性問題で発生するとある。それで、iPhone のシステムの時計を一度 12月 1日に戻せばいいなんてことを、あの産経新聞が 2日付で報じている (参照)。

へえ、私は昨日は大忙しで iPhone を覗いてみる隙もなかったから (最近は、ちょっとメールを見る程度ならアップルウォッチで済んじゃうし)、気付くのが遅れてしまっただけで、世間では産経新聞まで記事にするほどの大騒ぎになっていたのか。ちょっとだけ浦島太郎気分になった。

そして産経新聞の記事を読んで、「なんだ、一度時計を 12月 1日に戻してから OS のアップデートに取りかかれば、途中で何度もパスコードを入力しなくて済んだのか」と思ったが、「いや、待てよ」と考え直した。そんなに簡単に時計をいじったりしたら、何か他の部分で不具合が発生しないとも限らない。

改めてググってみると、システムの時刻を変更すると、写真の日付が変わってしまうなどの副作用が発生すると指摘したページが見つかった(参照)。やっぱりそうか。日付変更なしで OS のアップデート作業をするのは少々面倒だったが、あとでいろいろな面倒が発生するよりはマシだったと思えばいい。

さらに、通知を送ってくるアプリの通知設定をすべてオフにすることを求めるページもあったが、実際にはさっさと OS アップデートに取りかかった方が手っ取り早かったし、私の処置は正解だったようだ。というか、ちょっと遅れて 3日になってから不具合に気付いた時点で、既に最新 OS が提供されていたというのが幸運だったのだろう。

ああ、昨日が大忙しでよかった。おかげであれこれ気を揉んで余計なことをせずに済んだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 2日

35年のクルマ遍歴でわかったこと

私がこれまで乗ってきたクルマを時系列で書き留めておこうと思う。最初に車を買ったのは 35年前のことで、以後に乗り換えたクルマのそれぞれの画像なんてまともなのを残していないから、以下の写真はすべてネットで拾ったものだ。色も同じのを選んである。

1_2まず最初に乗ったのは、昭和 47年型のトヨタ「スプリンター・ハッチバック」である。これは今の家に引っ越して必要に迫られて買ったのだが、なにしろ家の購入の頭金で有り金を使い果たしていたから、友達の持っていた 8年オチをものすごく安く譲ってもらった。

35年も前のこととて、エアコンも付いていなかったし、高速道路で 115km/h ぐらいのスピードを 30秒ほど持続すると、エンジン・ルームからゴムの焼けるような臭いが漂ってきた。そうするうちに、左ドアのガラスが何もしないのに突然粉々に割れてしまうということがあり、ぎょっとした。

その頃は 10年以上経ったクルマは毎年車検という制度になっていて、修理代も合わせるとハンパじゃなくなってしまう。その上、なんだか身の危険まで感じ始めたので、乗り換え以外の選択肢はなかった。

2次に乗ったのは往年のベストセラー、マツダの 「ファミリア」 。金がないからこれも中古車だったが、何だか事故車をつかまされてしまったようで、バランスがおかしい。ハンドルを常に左に切り気味にしていないときちんと直進しないので、運転していてかなり疲れた。「何だか嫌な感じだなあ」 と思いながら乗っているうちに、左右確認を怠って横から飛び出してきたクルマにぶつかられるという事故に遭ってしまい、2年足らずで廃車の憂き目にあった。

このクルマに関しては、そもそも選択の失敗としてしか印象に残っていない。

3次に乗ったのは、日産の初代 「マーチ」 である。買ったのは 80年代半ばだが、この頃は赤いクルマが流行っていたなあ。このクルマ、一説にはジウジアーロのデザインと伝えられるもので、何だか初めてまともなクルマに乗ったような気がした。高速道路を大きなストレスなく走れるというのは、このクルマに乗り換えて初めて経験した。

ただ、買った当初は長女がまだ小さかったからよかったが、すぐに次女が生まれ、犬まで飼ってしまったので、帰郷するときなどはすぐに手狭になった。ロング・ドライブをすると結構疲れたのも、当時のリッターカーの、パワー不足の悲しさである。

4次に買ったのが、あの頃に流行し始めていた RV(レクリエーショナル・ヴィークル)というやつで、三菱の今はなき「シャリオ」だった。2000cc、4WD、3列シートで、妻と 3人の娘、そして犬 1匹、猫 2匹を、何とか載せられた。このクルマでは、しょっちゅう家族でキャンプに出かけていたなあ。

ただ、このクルマまではオートマチックではなく、マニュアルシフトだった。マーチから乗り換える時に 「次はオートマにしたいなあ」と思っていたが、シャリオの 4WD にはマニュアル仕様しかないというのだった。サスペンションもやたらと硬ったので、ロングドライブは当時の体力任せで乗り切っていたという印象である。

燃費は 8.8km/ℓ ぐらいにしか届かなかったが、あの頃はまだガソリンも安かったし、それほど気にはならなかった。いろいろな点で、今から思えば隔世の感がある。

5_23人の娘たちが全員小学生に育って、シャリオでも小さくなってしまったので、次に買ったのはトヨタの 「エスティマ・ルシーダ」というクルマである。これはエンジンが 2500cc で、私が所有した中では、一番大きなクルマだった。しかも初めてのオートマチック車である。

キャンプにもしょっちゅう出かけたから、もちろん 3列シートの 4WD。ただ、夏の里帰り兼キャンプに出かける時は、これでも手狭で、屋根に取り付けたキャリアにまでどっさり荷物を積んでいた。燃費は平均 6.6km/ℓ と最悪だったが、さすがにトヨタ車で、乗り心地はかなりよかった。1人で遠くまで出かけ、車中泊なんてことも何度かした思い出がある。

6エスティマ・ルシーダをかなりハードに乗りつぶして買い換えたのは、やはり RV のトヨタ 「イプサム」 というクルマである。娘たちが育って上から順に独自の生活を持ち始め、ファミリー・キャンプにもあまり付き合わなくなったので、2000cc 3列シートだが、3列目のシートはあまり使うことがなかった記憶がある。

世は低成長どころか 「マイナス成長」 とまでいわれるようになり、エコ意識の高まりもあって燃費がことさら気になるようになった。そうなると、どう乗ってもリッター 10km に届かないというのはかなり不満で、「もう、エンジンが 2000cc のクルマなんて要らないなあ」 と思いながら乗っていた時期である。

7というわけで、次はコンパクトカー、マツダの「デミオ」である。3人の娘たちがそれぞれ自分のクルマを持ち、一時は我が家の狭い駐車場に 4台も停めていたのだから、所詮大きなクルマは持てないという時期だった。

久しぶりでリッターカーのハンドルを握ると、とてもきびきびと動いて気持ちがいい。「小さなクルマって、いいなあ!」と実感していた。ただ、エンジンが小さいくせに燃費はそれほどでもなく、せいぜい 11〜12km/ℓ 程度なのがちょっと不満だった。

8そのうちに娘たちがそれぞれ独立して駐車スペースの余裕はできたが、それでも大きなクルマに戻ろうという気には到底なれず、次に買い換えたのもリッターカーの、スズキ「スウィフト」である。軽自動車主力のメーカーの製品だけあって、ますます軽快な乗り心地で、なかなか気に入った。燃費も 15〜16km/ℓ と、まずまずである。

乗車するのも夫婦 2人だけということが多く、「もう、1500cc 以上のクルマには戻れないね」と語り合っていた。

9

ところが、「1500cc 以上のクルマには戻れない」どころではない。娘たちが「せいぜい 2人しか乗らないのなら、軽自動車にしなさいよ」と、しきりに薦めるのである。「軽自動車だけは勘弁してくれよ。力はないし、高速でスピード出せないし」と言っていたが、「お父さん、最近の軽の実力を知らないね。一度騙されたと思って乗ってごらんよ」とうるさいので、今乗っているのは、ダイハツの軽自動車、「ミラ e:s」というクルマである。

実際に乗ってみてわかったのだが、本当に最近の軽自動車はすごい。初代マーチなんかよりずっとパワフルだし、燃費は軽く 20km/ℓ 以上で、ロングドライブの時などは、25km/ℓ 以上の数字を叩き出してくれる。ハイブリッド車のプリウスと同レベルの燃費で、維持費はそれよりずっと安いのだから、十分満足だ。

これからもよほどの事情変化がない限り、しばらく軽自動車に乗り続けようと思う。この記事を書いてみて、私はクルマにステイタスなんて要素を全然求めないタイプなのだと、改めてわかった。とにもかくにも、スーツにネクタイ姿で 4ドア・セダンのハンドルを握るという自分の姿を、まったく想像できないのである。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年12月 1日

今日は日の入りの一番早い日

今月末の冬至を前にして、北半球の今年は、今日が一番日の入りの早い日なのだと、ラジオが報じていた。午後 4時を少し過ぎたところでもうかなり薄暗くなっており、ちょっとググってみたところ、つくば市周辺の今日の日の入りは 16時 26分ということになっている。こんなこと、インターネットのない昔は調べるのが大変だった。便利な時代になったものだ。

171201

写真は、近頃買ったアップルウォッチの 「アストロノミー」 という文字盤画面で、自分の今いる地点が地球上に表示される。この写真では画面の真ん中の小さな緑の点で表示されているのが、茨城県のつくば周辺で、今日の 16時 12分現在、まさに昼と夜との境目にさしかかろうとしていたことがわかる。

茨城県は日本の中でもかなり東側にあるので、日の暮れるのが早い。旅行で九州の長崎県あたりに行くと、いつまでも日が暮れないので、時間感覚が 1〜2時間ずれてしまうことがある。また、東北や北海道などの緯度の高いところでは、冬はうすら淋しくなるほど日の落ちるのが早い。

単純に「冬至が一番日が短い」と思っていると、日没も冬至が一番早くなるように勘違いしがちだが、実はそうではない。今日を越すと日の入りが少しずつ遅くなり、冬至の頃にはややもすると日が長くなったように錯覚することもあるが、実は日の出がそれ以上に遅くなっているので、日の出ている時間としては、冬至が一番短くなるというわけだ。

早起きの人は当然のように知っているが、日の出は冬至を過ぎて年を越してからもさらに遅くなり、正月の松の内を過ぎた頃にようやく早くなり始める。こうして 2月の初めの立春の頃には「日がだいぶ長くなったな」と実感する。まだまだ冬の寒さは続くが、2月が「光の春」と言われるのも納得だ。

というわけで、今日を境に夕方の日が沈むのは少しずつ遅くなり、その代わり、早起きする人には本格的に辛い時期が続く。

 

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »